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「こんな風になりたくない」の中に、ホントの自分がいた

普通じゃヤダ

そう思ってきました


小学生の頃、父親はよく
「人と違うことをしろ」
と言いました

当時大流行していた
ファミコンソフトを買ってもらう際も
「周りの友達が持っていないものを買え」
「だったら買ってやる」
という感じ


中学生になると
好きになる芸能人や
憧れる有名人は
「天才」と言われる人ばかり

そんな人達の本や歌詞
インタビューなんかを読むと決まって
「人と違うことをしろ」と書いてある


やがて音楽系の専門学校に入ると
やっぱりそこでも注目されるのは
人と違う人

そんな中でイマイチ
人と違うことが出来ない自分

出来たとしてもズバ抜けられない
悶々とした日々


人と違うことが正しいことなんだと
何の疑いもなく生きてきた

人と同じだ
みんなそうなんだ
というセリフで
安心を得られる人が信じられなかった

誰かに悩みを打ち明けて
「誰でもそうだよ」なんて言われると腹立たしく
自分は人とは違うんだと
自分自身に言い聞かせてきた


「人と違うことをしろ」と
常に言っていた父親が

破天荒な人生を送っていたかというと
決してそうではなく

真面目に働き
普通の家庭を築いた父なのです


母親は母親で
「普通」を何よりも好む人

成績表は
オール5よりもオール3が好き」
と、よく言っていました


そんな遺伝子を受け継いだ僕が
人と違う人生を歩もうとすること自体が
すでにムリゲーだったんじゃないかと
最近ではよく思います


人と違うことを言い
人と違う行動を取り
人と違う人生を目指し
普通をコトゴトク嫌ってきた僕でしたが

どうしても
普通へ普通へ引っ張られる


食べることにも
住むことにも
困ったことはなく

いわゆる普通で
幸せな家庭を築いてる


そうしようと意識したわけでも
頑張ったわけでもなく

普通から逃れよう
逃れようとしてきたのに
どこへ逃げても
そこに引き戻される感覚

結局…
僕は…

普通


なんです


普通の暮らしが出来なくて
苦しんでる方もたくさんいます


そう考えると
普通に生きるという能力を授かって
産まれてきたのかもしれません

それはもう人生に組み込まれていて
どうあがいても変えられない大きな力

ちょうどいいとか
バランス良くとか
平均とか
60〜70点くらいとか
かつて最もなりたくなかった人間像


ゼロかヒャクかの
極端な人間を目指して生きてきたけど

それこそがすでに
自分自身に無理をさせ
自分自身を抑え込み
自分自身を許さない
生き方だったんじゃないかと

「こんな風なりたくない」の中に
実はホントの自分がいたんじゃないか


そう思う
今日この頃なのです


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