見出し画像

つまみ読み。

寒い朝は、浅草梅園の「あわぜんざい」が食べたくなる。火傷するくらい熱い餅きびとあんこをハフハフしたい。なんなら、クリスマスケーキじゃなくて、クリスマスあわぜんざいの方が俄然嬉しいし、年越しそばじゃなくて、年越しあわぜんざいでもいい。


月曜日、頼んでいた本たちが届きまして。お取り寄せ商品だったから、いつ届くのか分からず、今か今かと楽しみに待ち構えてた。ほくほく、うほうほ言いながら、ダンボールを開ける。4冊のニューフェイスが本棚の仲間入り。温かく迎えてあげてね。珍しく、洋書は買わなかった私。

本たちを腕に抱え、新しいカーペットの上であぐらをかく。4冊まんべんなく、パラパラとめくってみる。購入したのが、エッセイだったり、短編集だったり、チャプターごとに細かく分かれてる作品だと、パラパラ読んでみても害がないから良き。長編小説の場合、ネタバレに遭遇する危険性はもちろんのこと、それ以前に途中から読んでも話についていけん。私はこうやってパラパラ読むことを、心の中で密かに「つまみ読み」と命名してみた。つまみ食いにも、つまみ読みにも、抗えない。

つまみ読みしていると、面白い表現や、素敵な言葉にばったり出会うことがある。たまたま話しかけた人と意気投合した時のように、高揚してしまう。

例えば、江國香織の「泣く大人」、「オフィス街ピクニック」という章の始まりはこんな感じ。

柳並木は美しいさみどりに枝を揺らし、お堀の水は穏やかな宇治金時色にたゆっている。

江國香織 泣く大人 p61

読んだ瞬間、ふわぁっとあの皇居の匂いがした気がした。あの柳並木、あのお堀の水。優雅に泳ぐ白鳥。昔から何度も見てきた景色が言語化され、新しく脳にリストックされる感覚に身震い。

同じく「泣く大人」の「あの街の底力」という章から。

しばらくニューヨークにいっていない。
こう書いただけで、皮膚があの街の空気を思いだしてしまった。
なによりもまず、皮膚で好きになった街だ。目や手や頭ではなく、街の音や匂いや気配や勢いというようなもの。

同上 p46

皮膚で好きになる街ってどんな感じなんだろう。中学生の頃からニューヨークは憧れの街。というか、私だけじゃなくて、全世界の憧れなんじゃないかしら。なぜここまで人々を魅了するのか、いつか確かめに行こう。祖母は昨日、私がニューヨークに行く夢を見たらしく、起床後すぐ連絡をくれた。


赤染晶子の「じゃむパンの日」もつまみ読み。併録されている著者と岸本佐知子の交換日記で、往復書簡よりも交換日記の方が好きです、っていうことを話している場面。

往復書簡というのは私の中では、向かい合わせでびゅんびゅんキャッチボールをするようなイメージです。交換日記のほうは、並んでぶらぶら散歩しながら、景色のこととか思いついたことを話すともなく話す、そんな感じ。どちらかというと、私はキャッチボールよりも散歩のほうが好みです。球技が絶望的に下手くそなせいもあるかもしれません。

赤染晶子 じゃむパンの日 p177-178

こうやって自分の感覚を正直に、素直に、面白おかしく伝えられる人になりたい。

とりあえず今はポーレチケ、踊っておくか。


「泣く大人」と「じゃむパンの日」をつまみ過ぎてしまい、ジュンパ・ラヒリの「わたしのいるところ」はまだちょっぴりしかつまめていない日々。淡々としたこの感じ、癖になる。いつか原書で読めたらいいなぁ、なんて妄想が膨らむ。

仁平綾の「ニューヨーク、雨でも傘をさすのは私の自由」。予想を裏切らず面白い。つまみ読みにぴったり。くすっと笑えて、夢が広がって、ちょっと感動する。「ターミネーター来たる」の章が特に面白かった。著者のことは「ニューヨーク おいしいものだけ! 朝・昼・夜 食べ歩きガイド」という本で知ってから、推している。写真と言葉のセンスに心の中でいつも拍手喝采。

つまみ読みの世界はまだまだ未開拓。な気がする。



今日は勤労感謝の日。みんな、いつもありがとーう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?