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自由を祝福することはやさしい。しかし、自由を擁護することは困難である

自由を祝福することはやさしい。しかし、自由を擁護することは困難である。
また、市民がこの自由を行使することはさらに困難を極めるのである。

「自由を祝福することはやさしい。しかし、自由を擁護することは困難である」

という言葉を最初に言ったのは、アメリカの社会学者であるロバート・N・ベラーです。

彼は1967年に出版された著書「アメリカの社会秩序」の中で、この言葉を述べています。

ベラーは、自由を享受することは簡単だが、自由を守り続けるためには、常に努力が必要であると主張しています。彼は、自由は民主主義社会の基盤であると同時に、常に脅威にさらされているものであると指摘しています。
自由を脅かすものとしては、以下のようなものが挙げられます。

権力者の独裁: 権力者が自分の権力を維持するために、自由を制限しようとする場合があります。

多数者の圧力: 多数派が自分の意見を少数派に押し付けようとする場合があります。

社会の分断: 社会が分断されると、互いに異なる価値観を持つ人々が対立し、自由が制限される場合があります。



これらの脅威から自由を守るためには、以下のようなことが必要です。

民主主義の制度を強化する: 法の支配や言論の自由など、民主主義の制度を強化することで、自由を守ることができます。

市民社会の活動を活性化する: 市民社会の活動が活発になることで、権力者の独裁や多数者の圧力に抵抗することができます。

教育を通じて自由の大切さを教える: 教育を通じて、自由の大切さを人々に教えることで、自由を擁護する意識を高めることができます。


自由は、私たち一人ひとりが守っていくべきものです。ベラーの言葉は、自由の大切さを改めて認識させてくれます。

さて、我々の今の日本においては自由というものはあるでしょうか?
日本という国は他のどの国よりも問題が浮き彫りになっている先進国です。
いえ、もう先進国ではないのでしょう。
成熟した社会の中でこの国はゆっくりと衰退の意図をたどっているのですが、これは日本という輪の中で暮らしているとなかなか感じることができません。

そして、この国は危ないというような話は社会学者や人類学者、要は知的エリート層からは聞かされることがあってもこれをあまり本気で捉えている人は多くありません。
極端な言い方をしてしまえば、陰謀論のような位置付けにおいて語られているような節さえあります。この経済的な衰退、人口ボーナスの喪失とそのマンパワーのボーナスタイムは、もはやないのにこの30年間は何も成長はせずに企業も個人も経済的な損失をして時間をやり過ごしてきました。

では、遅らせばながら自由とは何かということを考えると

「選択肢が多いこと。これに尽きるではないでしょうか」

もうすこし突き詰めるのであれば、

自由とは、個人が外部の強制や制約から独立して行動、思考、選択できる状態を指します。この概念は、政治的、社会的、個人的な文脈で異なる意味を持つことがあります。

政治的な自由は、表現の自由、信教の自由、集会の自由など、国家や政府による不当な干渉から個人を守る権利を含みます。社会的な自由は、性別、人種、階級などの社会的な障壁による不平等や差別からの解放を意味することがあります。

個人的な自由は、自分自身の選択や生き方を自己決定する能力に関係しています。これは、他人に害を与えることなく、自己の望む通りに行動する自由を指すことが多いです。

しかし、自由は無制限ではありません。他者の自由や社会全体の利益とのバランスを取る必要があり、このバランスをどのように取るかは永遠の議論のテーマです。自由が絶対的なものではなく、社会の規範や法律によって定義され、制限されることもあります。

自由を考えることは、個人の権利と社会的責任の間の関係を理解することにもつながります。それはまた、異なる文化や社会での自由の理解がどのように異なるかを考慮することを要求します。自由の概念は普遍的な価値を持ちつつも、その表現や実現は多様な形を取ります。
これを実現するためにはいまの日本では難しいのかもしれないというのは価値観と文化として、いえ社会性の特徴としては成すことができないのではないかと考えているのです。

畢竟、日本というものはいまだに社会というものを獲得しておらず、「空気」というものに支配されていてこれは時に大きな力を持つことがあります。これは大衆の数の暴力のような力とはまた異なるものであります。
共同性という協調することを良しとする「和をなせば尊し」この考えは一見いいように思えるのですが、「村八分は許さないぞ」というものも含んでいるのです。

では、この自由というものを行使するためには日本人は自立性と相互貢献という概念を手に入れる必要があるのです。
これらの定義としては下記に記しておきます。

自立性と相互貢献は、個人の成長と社会の発展において重要な概念です。

自立性は、個人が精神的、経済的、感情的に他人から独立して自己決定と自己管理を行う能力を指します。自立した人は自分の選択に責任を持ち、自分の人生の方向性を決定できる人です。自立性は自尊心、自信、そして個人の幸福感を高めることができます。また、自立は単に自己中心的であることではなく、自分自身の問題を解決し、自分の人生を良い方向に導くための能力を発展させることを意味します。

一方で、相互貢献は、個人が社会の一員として他人やコミュニティに貢献し、そのプロセスで互いに支え合うことを指します。これは、個人が自分だけでなく他人の幸福や成功にも価値を見出し、共同の目標や利益のために協力することを意味します。相互貢献は、社会的結束力を強化し、相互理解と協力の文化を促進します。

自立性と相互貢献は相反する概念ではありません。実際には、これらは互いに補完的であり、バランスが重要です。自立した個人は、自分の能力を最大限に活用して他人や社会に貢献できるようになります。また、相互貢献を通じて、個人は他人との関係を深め、社会の中での自分の役割をよりよく理解することができます。

したがって、自立性と相互貢献は、個人が社会の中で充実した人生を送るために必要な相補的な要素です。自分自身の能力と幸福を追求することと、他人やコミュニティの幸福と発展に貢献することの間に適切なバランスを見つけることが重要なのです。



つまりはこれらを個々で意識をして考えることで我々は人間としての在り方を変え、これから訪れる急激な時代、テクノロジーの変化などにも耐えられることができるのではないでしょうか



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