見出し画像

国会のLGBT関連の騒動を見て当事者が思うこと。

国会での「LGBT理解増進法」提出が"検討"されている話題が
ここ数日ニュースに取り上げられている。
僕は当事者としてそのニュースを見かけるたびに
心が苦しくなる。

話題に上がり、社会として認知され、理解が進んでいることは
一見良いことだと思う。
ただ、ニュースに上がるたびに必ず報じられる「反対派」の意見。
なぜ僕らは誰かに存在を、行動を、否定されなければならないのだろう。
どこに彼らが僕らを否定する権利があるのだろう。

僕は当事者だ。多分B、最近G寄り。
でも当事者の僕もホモフォビアな部分がある。
昔は自分の性的指向を認められなくて、LGBTの人全てが嫌いだった時期もあった。
でもそれは、見ている世界が狭いことを自分でアピールしている
ある意味ダサイ行為なんだなと最近は感じるようになった。

ホモフォビアな僕は、同じLGBTQの人を見て(特にG)、
オネエ言葉を使う人(いわゆるホゲてる人)はうーんって思う。
集団で飲み会ばかりしている人たちもうーんって思うこともある。
太ったヒゲの人が二人で仲良く歩いているのもうーんと思う。
二丁目も好きじゃない。
(全て自由なので文句も否定もしないけど)
理由は単に自分に合っていない世界だから。
でもそれってノンケの人がコリドー街を見て、
キャバクラやホストクラブを見て、
私はあそこには行きたくない。って思うのと同じだと思う。
結局は個人の価値観の問題。

でもやっぱりそういった人や活動って、
SNSの発展によって、様々な人の目につく。
その結果、一般社会から離れた文化だけがゲイ文化のアイコン化してしまい、
それらによってバイアスをかけられた人がLGBTQを理解できないと言い出し
僕らの存在を否定しているのだと思う。

でもそんな文化なんてものはほんの一部の人。
これまで出会った人は、皆言われるまでゲイだって気付かないような人ばかりだった。彼氏だって全くわからない。
僕だって普通の髪型で中肉中背で話し方に特徴もない。
自分でカミングアウトしない限り気づかれることはないと思う。
アイコン化した人々は目につくけど、
実際そうじゃない人の方が大多数を占めているんだということに気付いてほしい。

なんやかんやと理由をつけて否定する人の周りにも必ずLGBTQの人はいる。
実は否定している国会議員の身内にもいるかもしれない。
そんなことはない、いるはずがない。というような奴、
自分の視野が狭く、無知だという恥ずかしいことをさらけ出すのはもうやめにしよう。

僕らだってただの一般人。
好きな国日本で周りの人と同じ幸せを手にして生きたいだけ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?