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自己紹介:Λ':2024年のいち日本人民

 初めに断っておくが、私自身は、何らかの深い政治的知識を持っているわけではない。すなわち、何らかの学術的な、政治に関する修士号や博士号を持っているわけではない。だが、民主主義社会において、個々が意思を示し、政治的な意見を発信することは、その知識の多寡にかかわらず、非常に重要な事だ。そのことを分かっていない人があまりにも多すぎる。よって、自分の思考の整理を兼ねて、現在進行している社会にある問題について少しでも(特に批判的な)意見を発信したく、noteを始めたい。

なぜ「特に批判的な」なのか?批判的であることそのものに対する批判への反論

 ここで、まず断っておきたいのは、私が書く記事は基本的に批判的な内容のものが多くなる。さて、すでにこの時点から、この社会の「問題」に触れてしまうことになる。まず出発地点として、「この社会には問題がある」。そして、「問題のない社会はない」。

自己責任論者の特権性

 この2つの文章を書いただけで、「自助努力で何とかしろよ」あるいは、「いやなら出ていけ」という反応が返ってくる可能性があるのが現代の日本の大きな問題の一つだ。そこで、まず初めに、よく見かける自己責任論者の特権性を批判しておく。
 たしかに日本は治安は安全で、そこそこ裕福だ。一応は「先進国」の一つで、例えば優秀な「国民皆保険制度」によって、そこそこ手厚い支援を受けることができる。科学力も現時点ではそこそこあり、災害の多さ、領土面積から考えても信じられないほどの発展を遂げている。
 現在、日本は国としては平均的には優秀だろう。だが、現実には適切な「自助努力」のやり方に、色々な問題があってつながることすらできない人間はこの社会にも存在する。我々のようにnoteで記事を書いたり読んだりすることができる人間は、その時点ですでに恵まれている(運が良い)のだ。
 つまり、「自助努力で何とか」できる人間は、自分が所属している集団の問題のある部分に運よく触れずに済んでいるのだ。

社会のモデル例。あなたはどこにいると言えるだろうか?

 これは決して他人事ではない。もし地震や事故に伴うけがでどこかを強くうち、首から下が動かなくなってしまったら?職場で不適切な取り扱いを受け、精神的な問題に直面し、生活が破綻したら?そして、人はいつか老いる。老いて様々な能力が衰え、「自助努力」ができなくなったら?
 今は困っていない、マジョリティで健康な人間でも、全くこれらのリスクに直面しない人間は、1割もいないのではないだろうか?
 しかし、これらもメジャーな問題に過ぎない。あなたが何らかのマイノリティだったなら、何らかの迫害にあうことだろう。(この記事を読むような人間はきっとネットを使っているだろう。平気で人を差別する人間をたくさん見ているのでは?)コンピュータの基礎を築いた数学者にして計算機工学の英雄、アラン・チューリングは性的少数者であることにより凄惨な迫害にあい、自死に追いやられた。
 あるいは、虐待や不適切な取り扱いを幼少期に受けたとしたら?幼少期に受けた体罰が原因で、成人してから精神的な問題に直面したり、親がカルト信者で、教育の機会を奪われるということは実際に起きていることだ。
 能力に偏りがあり、社会に適応することが難しかったら?神経発達症や精神的な脆弱性を持って生まれる人間はたくさんいる。
 だから私は批判するのだ。自己責任論者の皆さん。文句を言うなと言っていられるのは、ただ、現在、単にあなたやあなたの大切な人が本当に運が良かっただけだ。あなた方には「特権」がある。

自己責任論が生み出す不条理

「いやなら出ていけばよい」だろうか?出ていくだけの資金や言語、知識をどう身に着ける?私やあなたには簡単だろうが、それが簡単にできない人間は山ほどいる。
「生い立ちの厳しい人間だからと言って100%うまくいかなくなるわけではない。うまくいっている例もたくさんある」だろうか?この意見自体は100%誤りはない。だが、何らかのマイノリティであったりすることは、「統計的にみると」うまくいかなくなる可能性を増大させる。個々で問題とうまく付き合えた人間はいるだろうが、全体で見れば問題に直面し、折れてしまう人間もいるのが実態だ。
 社会自体も一つの機械だ。ほとんどの人が、死ぬまでずっと使う枠組みだ。そこにある問題を確認し、観察し、批判しなければ、修正のしようがない。そして、修正しなければ、社会は、あなたやあなたの大事な人が先に述べているような「問題」に直面するリスクの残り続ける、「Cの欠如したPDCAサイクル」となる。

我々はどうすべきか?

 改めて我々はどうすべきか、という私の意見を発信したい。それは、「積極的に政治に関われ」ということだ。えらいさんが勝手に政治の完全なPDCAサイクルを回してくれるわけではない。この国は「民」主主義であり、あなたは「民」の一人だ。そうである以上、「思想が強い」だの「文句を言うな」だの言って政治から遠ざかるのは、自分自身の権利と責任を放棄・棄損する行いだ。皆さん。国会を見よう。デモにいこう。政治について話をしよう。スタンディングでもアンケートでもなんでもやろう。「いいね」ひとつするだけでもいい。「政治的存在」であろう。
Be Political!

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