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【Essay】タイ語のテキストたちの〈言葉〉※タイ語学習用テキストの紹介つき

溢れきった本棚を整理していると、懐かしいものが出てきた。タイ語のテキストが5冊、待っていたかのように並んでいる。タイ語を学び始めて1、2年のときに使っていたテキストだ。カバーはしっかりしているものの、中身は書き込みでいっぱい。モノとしても、気持ちとしても、売りには出せない。

とりわけ思い入れがあるのは、斉藤スワニーさん・三上直光さんの『中級タイ語総合読本:タイの社会と文化を読む』(白水社)だ。タイの社会、歴史、言語、信仰、文化などのテーマに沿った文章と語彙・文法解説、ダイアローグがセットの章が、全部で25章ある。文章とダイアローグには音声もついている。大学2年生の頃に、タイ語の授業で使われていた。

タイ語は文字と発音の習得がとにかく難しい。日本語母語話者にとっては意識して区別できない音や、ミミズののたくったような文字。ただ、孤立語であるタイ語の特徴でもあるが、文法はそこまで複雑ではない。西洋言語や日本語のような複雑な活用はない。(文法が複雑でない分、一つの文を解釈する際に文脈に依存する度合いがとにかく高いのだが…)極端な話、文字・発音と基本的な文法事項をおさえてしまえば、テクストなどの題材と辞書ひとつでいくらでも習得できてしまう言語なのだ。

今の自分が持ち得るタイ語力の基礎は、この『中級読本』に依っていると言っても、過言ではない。毎日CDを聴き、文章を何回も音読し、書き写して、練習していた。やれコミュニカティブな言語学習だとか、やれアクティビティー重視の言語教育だと言われているこのご時世、一つのテキストを使い倒すという自分の勉強法は、文科省のお役人や言語教育学者の目にはおそろしく時代錯誤のものとして映るかもしれない。しかし、こんな修行のような学びを経たからこそ、タイ語で授業も受けられたし、タイの友人とシンハービールを片手に馬鹿みたいな話をできたし、タイの研究だってできるのだ。

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そんなことばかり言っていると、親友に「いつも批判ばかり(笑)」と呆れられてしまうので、これくらいにしておこう。

さて、中級以上のタイ語のテキストになってくると、大まかな構成は『中級読本』と変わらない。長め(と感じていた)の文章とそれに関する文法や語彙の説明、その他が続く。面白いのは、この文章の内容だ。大抵の場合、「タイの地理」「タイの食」「タイの仏教」というように、タイの文化や社会に関するトピックが題材になっている。

タイ語を学びつつ、タイの人々を取り巻く文化や社会のことについても垣間見られる。一石二鳥。当たり前だと思っていたけれども、後から考えてみれば贅沢な話だ。タイ語の勉強をしながら、タイにいる気分にもなれる。タイ好きにはたまらない。(こんなことを言っていると、「タイ語専攻の全員が君みたいにタイのことが大好きなわけじゃないんだから!」と、いつものように言われてしまいそうだが…)

まあそんなことは脇に置いても、タイのことを題材にしながらタイ語を学ぶというのは、とても理にかなっている。物事はなんでもそうだが、言葉によって構築され、言葉によって解釈される。色についての語彙を「白」と「黒」しか持ち得ない人は、夕陽が空と雲を赤く染める様子を説明し得ない。温度に関する表現の仕方を「熱い」と「冷たい」しか持ち得ない人は、動物を抱きかかえた時の生暖かさを表現し得ない。いや、その「生暖かさ」を感じることすらできないかもしれない。何か美味しいものを食べた時の感想として「ヤバい!」しか出てこない人は、その料理の美味しさを本当は何も感じ得ないのと同じように…。

タイ語だって同じなのだ。日本語母語話者から見て多義語と言われる ”ไม่เป็นไร /maypenrai/” を聞いて、その意味を日本語にすぐに変換できるだろうか。”เข้าพรรษา /khâw phansǎa/” の「入安居」という訳語を見て、理解ができるだろうか。

外国語における単語と日本語の訳語を対として捉えるだけの言語学習には必ず限界がある。どの言語にも、その言語が埋め込まれている歴史と文化が存在する。言い換えれば、どの文化や社会にも、そこで生起する物事を構築ための〈言葉〉が存在し、言語とは、その文化や社会で生起する物事を解釈=捉えるための〈言葉〉である。このことを〈言葉〉にしてみると、実に当たり前に見えてくる。

実に当たり前なのだけれども、文化や社会と言語の関わり合い、あるいは相互作用はあまりに複雑で、広く、重く、その割には繊細で、代わりやすくて、語学のテキスト何冊かを通しただけでは理解できるわけがない。ただ、そんな当たり前を再確認させてくれるのは、言語を学ぶ心構えとしては大きいのではないだろうか。

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今挙げたタイ語のテキストでタイ語の〈言葉〉を身につけるには、幾分限界がある。文化と言語の複雑な絡み合いだけではない。このようなテキストはタイ以外のことはあまり反映していない。タイ語で夏目漱石の文学作品について話したいとき、タイ語で「学問の自由」について話したいとき、タイ語で「宇宙の広がり」について話したいとき、このようなテキストはそれらに関する〈言葉〉を提供しきれない。でも、その語学のテキストが持ち得ない〈言葉〉を自ら探し始めたとき、自分の本当の意味でのタイ語学習が始まったのではないかとも思う、今日この頃。

【補足】タイ語を学びたい人へのテキストガイド

本棚で再開した5冊のテキストを紹介しよう。
まず、タイ語の文字・発音・基本文法から最低限の日常会話まで独学できるのはこちらの2冊。自分はタイ語専攻ではそれぞれ1・2年時に学習した。

以上2つのテキストを完璧にマスターすれば、タイ旅行を十二分楽しめる。

ちなみに、自分は授業で使ってはいなかったが、タイ文字の基礎や文字からタイ語に入りたい人には以下のテキストがおすすめ。

タイ語をしっかり読んだり書いたりできるようになりたい人は、以下のテキストにじっくり取り組みたい。先生の勧めで自分は1年生の頃から辞書として使っていたが、結果的にはほぼ全てのページを参照した。

次に、エッセイでも紹介した「タイに関する文章+文法・語彙+ダイアローグ(+練習問題)」の構成のテキスト。こちらは毎日音読して、文章をじっくり身体に染み込ませたい。それがいずれ多様な読解や表現に耐え得る基礎となる。(『上級』は音声なし)

なお、これらは自分が受けた教育カリキュラムで使用されていたテキストで、現在のタイ語専攻のカリキュラムとは重なるところもあれば重ならないところもある。この文章を読んでくれているタイ語専攻の後輩たちは注意されたし。

その他、先生方独自の教材やタイの教科書、新聞、ドラマなどが随時使用されていた。先ほども触れたように、タイ語は文字・発音・基本文法さえクリアできればあらゆるタイ文字を前に辞書一つで勉強できるという言語である。学びはじめの辞書は例文付きが便利。中上級者には以下のWeb辞書が包括的でおすすめ。

日本はタイ語学習者が昔から一定数いるため、初級のテキストは飽和状態の傾向がある。その他様々なテキストや参考書が、新しいものも古いものも含めて存在する。言語学習の環境としては、マイナー言語の中でもとっつきやすい言語の一つである。

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