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50歳を過ぎても未だ大人の女性になっていない。なりたかった大人になれていますか?

2024年2月10日。
今日から3連休。やるべきことが溜まっているのでちょこちょこ進める。
まずは定期便のプロテインを解約。配送日を変更してできるだけ受け取りを延長し、出費を控えていたけどきっぱりやめた。
それからイデコの資産を確認すること。離婚後にぼちぼち始めたけれど半年ほど経過を見ていなかった。
あとは確定申告も着手しないと。
金融に関する知識がないので無駄が多いのではと思う。(そんな私の妹は銀行員。だがしかし、過去に彼女は日産の株で大変な目にあっている)

それから、政治、歴史、文学、マナー・・こちらに関しても、透けて見えるペラペラの薄い知識で生きている。透け感は網戸レベルだ。向こう側見えまくり。博識ではなく「薄識」で大人をやっている。

ティーンの頃は(この言い回しを聞かなくなったので敢えて使ってみた。ものすごい違和感)40歳くらいになったら、あの世のことは知らなくてもこの世のことはおおよそ把握しているものだと思っていた。
それに加え何か1つでも物事に精通しており、くだらないことは考えず、落ち着いて物事を捉え、誰もいない場所でもスマートな振る舞い・・が、大人の女性のあるべき姿だと考えていた。
それは自然に身についていくものと思っていたが、甘い!!
現状の「薄識」は自ら知ろうとしていなかったことが原因だ。


だから真面目に振る舞うシーン(働いていた職場や息子たちが通っていた学校のPTAなど)では、世を忍ぶ仮の姿となり(遠山の金さん&デーモン小暮現る)くだらないことなんて浮かびもしない、落ち着いた大人を演じてきた。

「étoileさんに何をプレゼントしたらいいか迷いました」と、美味しいものや素敵なものをいただいた時は、「うわ〜〜!マジか。やったやった!!ワイワイ!!」と心の中でジタバタ駆けずり回り、はしゃぎまくりの興奮した犬状態になってジャンプしながらワホワホ喜んでいても、「わー!ありがとうございます!嬉しい〜♡」と表面上はすっきりと返していた。
遠山金四郎景元・・じゃなかった、聖飢魔II・・でもなかった、外見は大人だからね。

30代の頃、「étoileさんはお風呂上がりにバスローブを着ていそう」と言われ、周りにいた人たちも「わかる〜!絶対そう!」と言っていた。
「石原裕次郎似ってこと〜?それならお風呂上がりはバスローブにサングラスかけて、素肌に喜平の金のネックレス、口には葉巻、大きなブランデーグラス持つようにするわ」とひとまずジャブをかましてみたが、「違う違う、そんなわけないじゃない」と真顔で返された。

まじめか!!!!!


・・・確かに20歳の頃、バスローブに憧れて購入したことは認める。
が、その時初めてバスローブは夏暑く冬寒いことを知った。すまし顔の後ろで、裕次郎は空調をしっかり管理していたのだ。抜け目ないわ。
仮の姿で生きると、本来とは随分かけ離れたイメージができるものだとその時しみじみ思った。

私の日記によく登場するコモのパン。
バケットとかクロワッサンじゃなくて残念。
ビーフじゃなくてローストポークで残念。
何より食べてる本人が大人として残念。

高校生の頃は阿川泰子に憧れていた。
銀座のバーの片隅で1人、ロックのウイスキーを傾けるような大人もいいなと思っていた。
それから、おばあさんになってもシンプルなファッションにヒールを履きたいと思っていた。(現在ヒールは1足もございません)
少々の知識と教養があって、自立した思考と行動力、何事にも屈しない精神を持ち、確かな分析力で、審美眼があって・・・。

聖書の次に読まれているという「AS A MAN THINKETH」(もちろん日本語訳版)を持っており、そこに書かれた「思考という原因と、結果の法則」に深く共感している。「人は自らの思考によって、考えの通りに形成される」ということだ。
とすると、未開封のうまい棒を上から叩き、「中身が綺麗に割れた♡」と喜んだりしている私って・・これが求めていた姿なのか?!
ヨソウガイデース。

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