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50代、専業主婦から離婚、貯金0、ここから生きる楽しみをどう見出すか

2023年6月27日。
夫と子供たちに全てを捧げて生きてきた。いいか悪いかは別として。
長男は幼いころに発達障害と診断され、その後元夫も同じ障害だとわかった。(元夫を診察に連れていくまでの道のりも、めっちゃメラメラ苦労した)

多額の借金をすぐ作り、とにかく何でも私のせいにして周囲に妻に虐げられている夫だと言いまくり、暴力、浮気、・・それでも未来の幸せを信じて、血の涙を流す思いで「家族」を守ろうと必死だった。

そして、ある日突然夫に家を出て行かれ離婚に至るまで、離婚後の子供たちの猛烈反抗期(って言ったって長男は二十歳を越えていた)、難航する私の就職、などなど・・などなど・・すっかりくたびれてしまったではないか!!
おまけにや~~~~っと仕事が決まって、「きゃっ♡ これまでの苦労が報われて、ここから人生開ける ♡」と思ったら、人間関係が最悪ときたもんだ!!
なんでやねーん!ズコーーーッ!
・・と吉本新喜劇ばりに盛大に滑ってずっこけるイメージを頭に浮かべながら、そんな思いはおくびにも出さず、わたくし、本日もすまし顔で働いてまいりました。
仕事がない時期を思い返せば、それでも今は幸せなのだと思うようにしよう。思おう。

今宵の夕食は麻婆茄子、ほうれん草とゆで卵のサラダ、
母にもらった玉ねぎ入りの美味しいがんもどきを煮付けに。

食べたい!という意欲はないが、痩せない。
意欲はないのに食べてるからね。
ん?

こんなんだから、今は生きる気力が湧くはずもなし。
大変真っ只中でも「私は幸せ」「私はラッキー」「私はなんでもうまくいく」って、無理やりじゃなくナチュラルに思えていた時期もあったけれど(それもヤバい?)、現在は夢も希望も無くなったからっぽの感覚で、この先を考えないようにしながら静かにそっと二つの鼻の穴から細く息をしている。

数年前からやっている習い事は、どんなにお金がなくても続けている。
なんて美しく言ってみるものの、ところがところが一生懸命とは程遠い感じ!
「え?やってるって言える・・の・・?」程度。でも、これを辞めたらそれこそ自分という存在の根幹が揺らいでしまいそうなので、細々、微々、細密な感じで継続中。

空や木々を眺めたり、動物を見るのも大好きだけど、「見てみて!!雲がピンク色できれいだよ」「あの猫ちゃん、可愛いね~~」なんて言う相手がいないことで堪能できていない。
「一人を楽しむのじゃ」と、つるつる頭に白いあごひげ、杖をもった老人に人生の道を説かれそうだが(誰?)、そんなこと言われてもさみしいんじゃい。

映画を見にいくのも大好きだけど、一緒になって感動したり、見終わった感想を言い合えないので消化不良。
ま、元夫と見に行っても毎度「面白かった」「わからなかった」「○○が美人」「○○が不細工」といった固定された感想しか聞けなかったけど。それでもなんでも会話しくれる人がいないのは、さみしいんじゃい。

家族の為にご飯をつくるのも好きだったけど、その頃みたいに「誰かを喜ばせる」ことからかけ離れてしまったので、今は無理やり食べている。
箸で運んだ食料を口にグイグイと押し込んでいる感じ。
「これが食べたい!」もあまりない。
ちょっと豪華ないい食材を購入しても、心はシーンと静まり返っている。

今後は海外旅行にいく事はあるのだろうか。行くとしたら誰と?
少ないながらも友人知人はおりますが、みんなは旦那様や家族、はたまた仕事で行くから私と行く事はないだろう。
「頑張ってお金貯めるから2025年あたりに行こうよ~」と誘ってみたら、ふんわりした答えが返ってきた。
なんだよなんだよ、ふんわりは鏡月だけでいいんだよ。


昼は必ずランチを食べに行っていて(会社にいたくないからという理由もある)、化粧品だって買う。たまには素敵なカフェにも行くし、今後もおしゃれをしようと心掛けている。時々友人と食事をしたり、夜は音楽をかけながらキャンドルを灯す。
でもでも、何をやっても心から楽しいと思えなくなってしまった。
これは大問題である。



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