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君の心よ、いつまでもそのままでいて。

新卒1年目が、もう少しで終わる。いろんな変化があったこの一年のあいだ、わたしはある手紙と歌に幾度となく救われてきた。

それを贈ってくれたのは、大学時代に仲の良かった男友だちだ。卒業式の4日後くらいに会ったとき「曲を作ったんだよね」とギター片手にうたってくれた歌が、それである。

わたしには最高にナイスガイな男友だちが何人かいるのだけど、このシーズンでもっともホットな人として、その彼のことを書きたいと思う。

真面目ぽく書いているけれど、簡単に言えば、もうめちゃくちゃエモーショナルだからみんな聞いて!!!というテンションなので、ゆるりさらりと読んでもらえたらうれしいです。

◇ ◇ ◇

彼とは大学1年生の頃に英語のクラスが一緒だったのだけど、最初から仲が良かったわけではなかった。端正な顔立ちをしているのに、仏頂面で寡黙でとっつきづらく、あまり他人を寄せ付けない雰囲気があった。

しかし実際はクールぶっていただけで、蓋を開けてみたら昭和の時代をこよなく愛するフォークソング野郎だったので、それがわかってからは一気に仲良くなった。

吉田拓郎の「ガンバラナイけどいいでしょう」という歌に感銘を受けて一度高校を中退していたり、吉田拓郎が吸っていたhi-liteのたばこを吸いながら、裾がやけに広がったパンタロンを履いて大学に来るくらい、ロマンチストで変なやつだった。

仲が良かったからといってずっと一緒にいたわけでもない。授業がかぶったときにだけ一緒に帰ったり、お互い悲しいことがあったときに電話をしたりするくらい。

あとはたまに行きつけの純喫茶や、高円寺のパンタロンの店に付き合ったり、夜遅くに東中野のミニシアターでB級にも及ばない映画を観て池袋までだらだらと歩いて帰る、みたいなことをしていた。

今思えば、めちゃくちゃちょうどいい距離感の男友だちで、たいへん貴重な存在だったなあと思う。一緒にいても、だいたいいつもひとりで歌っているか、曲の解説をしているかのどちらかで、会話という会話もしていなかったような気がする。恋人だったらもう!と思うのかもしれないけれど、気兼ねのない友だちだからそのテキトウさが心地よかった。

そんな彼は、大学4年生になる直前にほとんど誰にも言わずふらっと一年間アメリカに留学した。

本気で死んだかと思ってたら何事もなかったかのようにふらっと12月に帰ってきて、彼はもう一年、学生をやることになった。

卒業式の日は、一緒に写真を撮るためだけに卒業しない彼をわざわざ学校に呼び出した。引っ越した直後だったので住民票の異動やらいろんな手続きのために、後日彼に車を出してもらうことにした。というのもちょっとした口実で。

その当時、わたしは「大学時代に価値観を広げてくれた大好きな人たちにつらつらと手紙を書こうプロジェクト」を勝手にやっていて、彼にも丁寧に2枚くらいびっちりと書いた。

きっとなかなか会わなくなるんだろうなあと思っていたから、きちんと挨拶とお礼がしたくて会う約束をしたのだ。

だから、わたしが仕掛けてちょっとにやつかせてやろうくらいの気持ちだったのに、まさかの先手を打たれてしまった。

それが、彼が作詞作曲した歌のプレゼントだった。

これはたぶん、人によっては「うへえ」となるだろうし、キザだなあと思う人もいるかもしれない。でも、彼は昭和を愛するロマンチストで、何を隠そうわたしもロマンチストだから、素直に「すごい!!!」とはしゃいだのを覚えている。

しかも、何曲か既存のフォークソングを弾き語りしていたなかで、「吉田拓郎のいかにも青春ぽい曲やろうか」と言われて素直に聴き、「拓郎っぽいでしょ」「うんうん」「これ俺が作ったの」「ええええ!?!?」という感じで、なんかもう自分で言うのもなんだけどパーフェクトなリアクションをしてしまった。

歌はそんなに上手くないのだけど、それがまた彼っぽくて笑った。そのときは歌詞の一部を指して、「20%だけおまえのこと入れた」と言っていた。「無理やりに僕を呼び出す 君にもそんな今日は旅立ちの季節」という歌詞だった。卒業式のときに呼び出したこと、根に持ってるなとまた笑った。

その後、いろいろ話をしながら亀戸あたりでおろしてもらい、そこで手紙を渡した。わたしは当時付き合っていた人の家に電車で向かったのだけど、まさかの失念。着替えの服やらなんやらを車の後部座席に忘れてしまい、翌朝インターンの出勤前に新宿で受け渡してもらうことになった。あのときは本当にごめん。

翌朝、駅で会ったときに忘れた荷物と一緒に青い封筒を渡された。まさかの前日渡した手紙のお返事だった。わたしは出勤前で慌てていたので、驚きながらもありがとう!!!と言って別れた。

インターンのお昼休み、家まで待ちきれなくてそっと手紙を広げてみたのだけど、思いのほか長文でつい泣きそうになってしまったので、帰ってからもう一度しっかり読むことにした。

2枚の手紙には、メッセージと前日歌ってくれた曲の歌詞が手書きで書いてあった。それがあまりにもエモーショナルだったので、手紙の一部を抜粋させてもらう。

自分の中に持っている理想が俺達の場合には結構強くて、そうなると沢山傷ついたり、戦わないといけないことが多いんだけど、その分、人の温かい部分について村山はよく知っている人なんじゃないかと思います。
なんか悲しいことがあった時に、泣いてんだか笑ってんだか分かんないようになりながらも、自分の理想とか思いを守ろうとしていたり、時々危うかったりするのは、俺の他の友人にはいない、とても妙なるものだと思っています。

ああ、こんなこと言ってくれる男友だち、最高だなと思った。

ずっと一緒にいたわけじゃないし、わたしのことはそんなに興味なさそうだったのに、ちゃんとわかっていて、そんなふうに思ってくれていたことが何よりもうれしかった。

この部分は、社会人になって思うようにいかないとき、何度も読見返しては部屋でひとり泣いた。彼の下手くそな歌を聴きながら「負けてたまるか」と眠りについた。そんな夜を何度過ごしたか分からない。

そして手紙の文末に添えられていた一言。

詩の「君」は全部、村山のことです。昨日は恥ずかしくて20%とか言ったけど。

本当に、青春ドラマみたいでわたしまでこそばゆい。

照れ隠しなのはなんとなく気づいていたけれど、あの仏頂面で書いたんだろうなあと想像したらひとりで笑ってしまった。歌詞を改めて見てみると、それは頑固で泣き虫なわたしへのエールだった。

ただただエモくて、うわああなんていい友だちをもったんだああと、感情の赴くままに長文でLINEを送ったら、あっさりした返事が返ってきて拍子抜けしたことを覚えている。

◇ ◇ ◇

この一年、仕事と目指す姿とのギャップとか、自分がやりたいことを上手く周りに伝えられないもどかしさとか、焦りとかいろんなものと戦ってきた。それはやっぱり、自分の理想とか好きだと思うものを大切にしたいという気持ちがうんと強かったからだ。

そのぶん傷ついたこともあったし、逃げたくなることもあったけれど、そのたびにこの歌と手紙に励まされ、背筋を正されてきた。大丈夫、間違っていないよ、と何度も背中を押してもらった。本当に、自分が思っていた以上に支えられていたんだと思う。

最近は聴くことが減っていたけれど、本当にちょうど一年前の3/27の出来事だったので久しぶりに聴いたら、やっぱり泣きそうになってしまった。タイトルのないこの歌は、おばあさんになっても忘れたくないなと思う。

これは余談だけど、つい先日、彼が社会人になる前に会っておきたいなと思って、あの日ぶりに連絡を取って会った。
面と向かっては言えなかったのだけど、解散したあとにLINEで「本気でしんどいときに歌ってくれた歌を聴いたり手紙を読んで、めちゃくちゃパワーをもらっていた」という旨を伝えたら、「拓郎にまたひとつ近づいてしまったな」という冗談と、「しんどい時は声かけてくれよ、善処しますんで」という返事がきた。本当に、やさしいやつだなあと思った。

そんなこんなで、間もなく社会人1年目が終わる。

ここから先の一年、戦いはさらに激しくなるかもしれない。傷つくこともたくさんあると思う。たぶんまた逃げたくなる。でもやっぱり、自分の理想や好きだと思う人やものを諦めたくない。そのためにだったら、わたしは戦えると思うから。

「君の心よ、いつまでもそのままでいて」と彼が歌ってくれたように、自分のなかにある芯は何があってもぶらさず生きていく。やってやるぞー。

そんな決意新たに、もうすぐ社会人2年目の春がはじまる。

(おしまい)

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