「考えるコト」と「マネタイズ」のお話。
こんにちは。ネコぐらしです。
ちょこっと心機一転
ホーム画面のヘッダーやらアイコンやらを変えてみました。
noteの世界では、光速道路を横切る時の看板みたいにスルスルと記事が流れていく。
「ちょっとは目に止まりたいなぁ」と欲を出してもバチはあたらないんじゃないだろうか。
と思って、ビジビリティ(パッと見た時のわかりやすさ)をあげてみた。
うん、丁度いいガチャガチャ感。
うん、でも、いや、どうだろう。
不思議な事に、こういった「目に止まりたい!」みたいな承認欲求の形を認識した瞬間に、罪悪感や倫理観の反発がおこるのよね。
「悪くないことだよ」「大丈夫」「誰にでもあること」
と、対症療法的に落ち着くことはできるのだけど
自責の念が湧き出てしまう事象自体は止められない。
自然発生。
これは繊細さん(HSPやHSE)の宿命でもある気がする。
マネタイズ、お金稼ぎって話題になると、とにかく心の反発がすさまじかった。
でも、それも大分克服してきてる。
最近は「マネタイズ」を「考えるコト」に対して前向きになってきたよ!
ってお話をしたいのです。
あ、といっても難しくは書いてなくて、どちらかといえばエッセイっぽい文体。
ちょっと長いので、やすみやすみお付き合いいただければ幸いです。
私たちにとっての「考えるコト」って一体なにさ?
「考えるコト」って、私にとってはオートマチックなこと。
何もしなくても溢れてくるし、自己意識下でのコントロールがほとんど効かない。
こうして「書くこと」においては、歓迎される特性かもしれない。
でも、反面「生きづらさ」の源でもある。
『「考えられる」なら、それで上手に生きていける方法を「考えたら」いいんじゃない?』
なんて、意見もあるかもしれない。
でも、根本的に「考える」そのものにもいろんな種類がある。
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思考の単純なプロセス
「考えるコト」について、この記事が素晴らしかった。
内容を抽出しながら、私なりの解釈を加えてめちゃくちゃシンプル説明してみる。(できれば全文読んでみるのオススメ!)
おおむね、人とコミュニケーションを図るときの「考えるコト」は、2番目にあたる「思考の試行」といった意味で使われる。
ウミガメのスープでおなじみの水平思考。
ビジネスシーンで的確に相手に意図を伝える為のロジカルシンキング。
システムエンジニアさんたちがよく実践しているオブジェクト思考。
色んなアプローチが、ありがたいことに私のような一般人でも使えるくらい気軽なものになった。
しかし、私の「考えるコト」はこの1番目「思考の発生」に大きく比重が偏っている。
幼稚園通いたての園児が、世界のすべてに疑問を持つように…というのは言い過ぎかもしれないが、おおよそ好奇心という形で思考が溢れ出してくる。
ADHD(注意欠如・多動症)傾向の方であれば共感してもらえるかもしれない。わたしも多分にもれずADHDの傾向が高い。
好奇心や思考がランダムに発生し続けるので、没頭とか集中が難しい。目移りする。
そして悲しいことに、私の場合、興味/関心というのがどうにも社会に適合しにくい方向にむかいがち。
「考えないこと」は、難しい。
例えば仕事中だったり、集中しなきゃいけない時。
突然、善悪について思考し始めちゃったり(本当に全然関係ない。)
そんな時の私の頭は忙しい。
まずはロジカルシンキングで「今は必要ないことだよ!」と不要判定してから、アドラー心理学の「周囲の目を気にしない」精神で感情を切り離して、心理学者カール・ロジャーズの提唱した「傾聴的対応」を自分自身に行ってメンタルケアを行いながら、ほら、作業に集中するのよ私って自己暗示かけながら一息つく。
って、言語化すると一瞬の内にこんな思考が巡っていたり。
この間2秒、みたいな。
でも、やっぱりミスは減らないわけでして。
「君は余計なことを考えすぎなんだよ」といわれてしまったり。
その事について⇩この記事⇩で触れてみたり。うん。ちょっぴり辛いね。
世の中にある論理思考方法で改善はすれども、思考の発生については根本的に解決できない。
一応、考えない方法がないわけじゃない。
「忙殺される」という手段もあるにはある。
思いっきり身体を動かしたり、踊ったり、歌ったり。
そういった事をしている時は、思考の枷から上手に離れられるから、とてもよい。
ネコぐらしはゲームスキーなこともあって「ゲームで忙殺」されてみたりもしたが、慣れとはコワイもので、どんなに忙しいゲームでもその内脳に考えさせる隙間を与えてしまうみたい。
あくまで一時しのぎの杖。
生活している限り「考えるコト」からは逃れられない。
結局、わたしは仕事を中心とした社会生活がほとほと苦手らしい、ということだけが分かっちゃったのです。
「考えること」で生きていけないかな?
はい!
ねがてぃーーーぶ、な身の上話はこのくらいにして本題に入っていきたい。
実は最近、自然発生する思考の種類がけっこう変わってきたのです。
具体的に言えば「社会生活に前向きになってきた」という感じ。
楽しんで、稼いで、生活して、生きる。
(できればここに、「様々な世界の友人たちと」も加えたいところ)
そんなことが多く頭に浮かぶようになってきました。
正直にお話すると、ネコぐらしは文章で生活していきたいのです。
文字生生物、と名乗りたいくらいなので、文章で生きる。それくらいが理想なのです。
そこに壁として立ちはだかる『お金』の壁。
当初は、まるで禁忌のように触れることを控えてきましたが、ご飯を食べて、住まいで暮らして、夜穏やかに寝るためには、やっぱりお金のことを考えなければなりません。
理想や夢だけで生活はできない。
でも、そういった「お金」という概念を超越した先にある物語に、いつも心惹かれていました。
誰かの理想や夢がすごくスキ。
最近はなんだか、それらで生活をしていくことが単なる夢物語ではなくなってきたような、そんな感覚がするのです。
・・・
現代の『徒然草』たち
もともとネコぐらしが好きな文章は、主に随筆、エッセイでした。
鎌倉時代末期、吉田兼好が書いた随筆集『徒然草』。
徒然草のような現代の「よしなにごと」に心が惹かれる。
思い思いに筆を走らせ、ついにはそこに宿るパーソナリティに触れられることが、たまらく嬉しい。
特にのびのびと文章が突き抜けていると、なお良い。
心の奥底に触れる、その瞬間がスキなのです。
株式会社ゲンロンでは、ゲンロンカフェという長時間に渡る対談を通して考えの奥底に触れるイベントが開かれていたりします。
このイベントは端的にいっちゃえば「3時間サシで話してみてね、お酒もつまみもなしで」って感じです。めっちゃ面白いです。
でも、日常で唐突に「はい、同じことやってね」と言われても、ほとんどできないしそんな機会もない。
よっぽど心を開かないと無理です。
しかも、その心を開く機会というのも、現代ではとても貴重で希薄。
口頭や対面だと、これがなかなかどうして難しい。
だけど、noteの世界では、誰かが毎日それをやっている。
対談者代わり、真っ白なシートに文字をすらすらと綴っていってる。
だから、わたしは随筆を読みに行くのがスキだし、映画スキなのも多分この辺と関連してると思う。
映画は『映像による徒然草』だからね。
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noteは「pullコミュニケーション」の場所。
と、例えたnoter様の記事を先日拝見しました。
この記事を読んでいてハッとなりました。
やっぱり、と思いました。
私もpull型が好きなんだと。
個人個人の『徒然草』を読むこと好きな人が、他にもたくさんいらっしゃった、と。
やさしいイラストもあいまって、どこかコリのようなものがほぐれていく、そんな後読感でした。
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この、個人個人の『徒然草』を伝えるって、きっと自然発生しちゃいがちな思考とも、適正が高い。
もしも、頭の中に「よしなしごと」が溢れ出て止まらない人は、noteでもブログでも始めてみるとよいと思う。
紙のノートにバーーーっと書き出すのもきっと効果的。
ただ、わたしは筆圧がいやに強いのもあって、すぐ疲れてしまうので向かなかった。
力の塩梅くらいは調整できるようになったけど、意識してしまった時点で、「筆圧」について思考をこねくり回さなきゃいけないので、結局は向いてなかった、と思う。
厄介よね。感覚過敏という言葉があるけれど、私は「思考過敏」なのかもしれない。
今はもっぱらキーボードで、言語化してる。これは本当に便利な発明。
ラグがほとんどない。まぁ私、タイピングがそこまで早いわけじゃないのだけど…。もうちょっと頑張りたい。
「マネタイズ」を敬遠してきた私。
さて、話を本筋に戻します。
どちらかというと、私はお金の話は苦手でした。
いわゆる「ギラついた」雰囲気が、どうにも苦手でした。
まぎれもなく社会不適合者であるネコぐらしです。
自然とそういう話から遠のいていく癖、みたいのがついていたかもしれない。
でも、最近noteを始めた影響もあってか、以前ほどの苦手意識がなくなってきている。
「誰かを支援したい」「誰かの為になりたい」という気持ちが純粋なものであればあるほど、マネタイズに対してすごく前向きになってきた。
その為に必要な情報や、様々なノウハウがnote上に発信されている。
玉石混淆ではあるけれど、意味のある情報が必ずある。
・だれかの気まぐれな発信かもしれない
・ビジネスモデルに従って無機質に発信されたものかもしれない
・悲痛なまでのだれかの心の叫びかもしれない
どれも面白いと感じるし、きっと「文章」にして綴られた想いに「偽物」はない。
ギラついていたとしても、その後ろには「幸せのために」といった野望や大志が、かならず文章の端々には漂っている。
「人のためになりたい」と切に訴える文章からは、その感情がまぎれもなくほとばしっている。
文字を読むというのは、そういう、心の機微を正確に読み取ることなのかもしれない。
うまく書きたい、上手に書きたい、テクニックを学んでも、どうしても書けない。
でも、その気持ちは、どんなに拙い文章にも自然と「宿って」いる。
世の中には上手な文章が溢れかえっている。
世の文豪たちと自分のかいた稚拙な文章を、すぐに比較できちゃうし、その度に自信も失う。
二の足を無限に踏む。
でも、わたしは、そういった文章に出会っていきたい。
その為にも、『文章で勇気づける』ことを生業にしていきたいのだ。
ある意味、「あなたの随筆サポーター」みたいな、ありもしない職業をこのnote上に創ってみてもいいんじゃないだろうか笑
…いや、笑、とか付けてみたけど、結構ホンキになってる自分がいる。
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現在はクロサキナオさんのメンバーシップを参考にしてたり。
こちらでは、たくさんの「伝える」為の手段が発信されている。
読めば読むほど、どれだけ「考えられて」作られているか、「舌鼓を打ち」たくなる。
…え?「舌鼓を打つ」はおいしい料理にしか使えないって?
私は文字生生物を目指しているのだから、ある意味表現はあってる!
霞や霧のかわりに、『文字』を食べていくが今後の目標なのです🐈
もちろん、クロサキさんの記事は星3つ…じゃたりない!星4つ!
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「書きたい誰かのため」のマネタイズ
この前、ほんの500円ぽっちだけど、いろんなnoter様をサポートさせて頂きました。
現代では受注システムや生産システムの進化もあいまって、お金の行き先が見えづらい。
「このお金は最終的に誰の手元に届くのだろう」
そういう確固たるものが欲しくて、youtuberやVtuberへのスーパーチャットが流行っているのかもしれない。
画面の先に確実に彼ら彼女らは『居る』から。
わたしも始めの頃は投げ銭を試したりしてみました。
でも、引き換えに得たのは下手な罪悪感。
コメント欄に「ネコぐらし 〇〇¥ うんたらかんたら」と表示されたときは、前身から冷や汗がでてしまった。
なんだか、自分が目立ちたいからこの人にお金を投げた「ふり」をしたような気持ちになった。もちろん、心の底から応援したくて投げたつもり。
その人の核心に触れられていたか、と言われれば、自信はなかった。
しかし、noterさんへの支援は、とても胸を張って出来た。
この人の記事が、色んな人に伝わってほしい。
そんな純粋な気持ちで、お金を添えることができた。
でも自分には微々たる影響力しかない。
だから悔しかった。
わたしにもっともっと影響力があれば、たくさんの面白いことをみんなに共有できるのに!
私の記事が読まれるようになるのは、嬉しい。
しかし、noteには素晴らしい「随筆家」たちがたくさんいるのだ。
しかも彼ら彼女らの肩書はそれだけに収まらない。
十人十色、百人百色、いや随筆家って200万色あんねん!って叫びたい。
だから、私は身銭を切るだけの慈善活動でとまりたくはない。
継続的な支援と発信ができる、そんな環境を手に入れたい。
だから、「マネタイズ」は敬遠することじゃなくなった。
「書く」ために。「読む」ために。
私のスキの世界を広げるために必要なコトになったんだと思う。
少なくとも、マネタイズのために「考える」のが苦じゃなくなった。
この変化はとても大きいし、大事にしていきたい。
私が今後やりたいこと
といっても、まだまだnote歴1ヶ月半。
明確なビジョンがあるわけじゃない。
でも、備忘録代わりに、こんなことをしたい、というのをここに残しておこうかな~と思う。
『随筆サポーター』的な活動をする。人や作品を『おすすめ』するnoterになる。
多様な人達とどんどんと「つながっていく」。
kindle作家になってみたい。
メンバーシップを導入できるくらい、自分自身の「随筆レベル」をあげていく。
外部サービスで「書く」お仕事をやってみる。
執筆系のお仕事を頂く(一番理想の目標!)
さらに色んな人の記事やnoteや本を読んで、還元していく!
さすがに、「この実現に必要なコト」を書き出すと、それこそ「200個あんねん」になっちゃうので、個人的に進めておくことにする🐈
最後に
なんだか私の決意表明みたいな感じで落ち着いちゃいました。
しかし、私のこの『考える』と『マネタイズ』はおおよそ一般的ではない気がします。
たとえば、売れる仕組みを「考える」とか、売れる商品を「考える」的なノウハウ系のほうが需要がある。
無形資産をどう商品化していくか、といった焦点が必要になってくるところを、私は『自分の理想を支援する』ってベースから始まってるので、それこそ『思考の発生』の時点では的外れ、とも言えちゃう。
でも、概ね「サービス」ってそういうものかもしれないですね。
誰かが嬉しい、誰かの喜びにつながるものに、付加価値をつけて提供する。
そして「対価」として、お金を頂く。
…対価って言い方もちょっと変えたいですね。
「お礼」としてお金を頂く。
そうしたら、また尊敬するクリエイターさんに「お礼」を還元していく。
その輪の中で生活していくのって、きっと素敵ですね。
環境省の提案しているサーキュラーエコノミーという考え方が、少しこれと似ているかもしれない。
・・・
サーキュラーエコノミー(循環型社会)
自然システムを再生させる
製品と原材料を使い続ける
ごみや汚染を出さない設計
ここの右の図の、
・原料を『新規』
・生産を『記事』
・消費を『購入と還元』
・リサイクルを『拡散』
と読み代えてもらえれば、なんとなく私の理想の形が伝わるかもしれない。
・・・
ネコぐらしに要領の良さと、経営的な知識があれば、もっとうまく具体的なシステムを創れるのかもしれないけれど、あいにく持ち合わせていない。
このままじゃ問題点だらけ。
でも、それもコツコツ勉強していけば良いコト。
そいで余裕があれば、noteでアウトプット。
それこそが、こちらの「ネコぐらしの勉強暮らし」の本質なのですから。
今日もひっそりと頑張っていきましょう。
🐈気に入りましたら、ぜひサイトマップも覗いていってくださいな🐈
📒こちらは先週『コングラボード』を頂けたエッセイ記事📒
ネコぐらしは『文字生生物』を目指して、毎日noteで発信しています。📒
※文字の中を生きる生物(水生生物の文字版)🐈
あなたのスキとPVが、この生物を成長させる糧🍚
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