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恐れや緊張への対処法

未知や未経験のことに対して、人は恐れを抱く。

そのことを活用して、得体の知れない生物を登場させ、観客に”未知の状態”を作り出して恐怖を煽る演出は、映画で多く用いられる。

代表的な作品として、最終盤までサメが姿を現さない『ジョーズ』(1975年)があるし、初代『ゴジラ』(1954年)も、最初は山の向こうに頭部だけが映り、全体像はなかなか姿を現さない。姿が見えないことで観客は恐怖の想像が掻き立てられる。

このように、未知のこと、もしくは未経験のことに対して、人はやはり恐れを感じる。

緊張と恐れ

”恐れ”に近い感覚として、緊張がある。緊張するから恐れを抱く。反対に、恐れを抱くから緊張する。

緊張する場面の一つとして、大勢の前で話すというのがある。これまで何百人を前に話をする機会が何度かあったけれども、初めて大勢の前で話す時は、やはり強く緊張したし「上手く喋れるだろうか」と恐れを抱いた。

しかし、しっかり準備をしていれば、一言喋り始めるとすらすら喋れるもので「大したことないな」という感想に落ち着く。そして、大勢の前で喋るということを、2回、3回と繰り返していくと、大勢の前で喋るということ自体に慣れてくる。けれども、だからといって、全く恐れを抱かないというわけでもない

初めての時程ではないにしても、やはり緊張するし「上手く喋れるだろうか」と恐れも感じる。何百回、何千回と経験した人であれば違うかもしれないが、大勢の前で話す際は、毎回、緊張して恐れを感じる。

しかし同時に、「喋り始めたら上手く喋れるから大丈夫だ」という経験から来る安心も感じている。そうして喋る始めると、やはりすらすらと問題なく喋れるものである。

勇気が持つ意味

恐れや緊張に対して「勇気を持て」はよく言われる言葉になる。同時に「恐れるな」「緊張するな」も言われる。しかし、それは無理がある。

上述したように、経験したことであっても恐れは抱くわけで、それが初めての事となれば尚更である。

未知や未経験の事に対して「緊張しないように」「恐れないように」と思っても、実際には、”そんなことは出来ない”ということを知ることになる。だから、恐れることや緊張することが嫌になる。自分は勇気がないと自己嫌悪に陥る。恐れや緊張に直面すると逃げ出したくなる。実際、逃げ出す人もいる。その結果、価値があったかもしれない知識や経験を得ることなく過ごすことになる。

しかし、勇気とは、本当に「緊張しない」ことや「恐れない」ことなのだろうか、という思いを抱く。

19世紀、ナポレオン軍に勝利したイギリスの軍人ウェリントンの有名な言葉がある。

恐れを知って、しかもそれを恐れざる者こそ、真の大勇者なり。

この言葉は、勇気の本質を言い表していると感じる。

勇気とは、恐れに対して抵抗することではなく、恐れを知らないことでもなく、恐れを受け入れることだと思う。恐れもせず緊張もしない人は、ただ不感症なだけで勇気とは異なる。

重要なのは、恐れを受け入れた後の行動で、ちょっとだけ、一歩だけでいいから踏み出してみる。そのたった一歩を踏み出せば、大抵のことは大したことなく上手くいく。上手くいかなくても何とかなる。

『ゴジラ』においても、ゴジラが現れて人々は恐れを抱く。その後、ゴジラによって東京の街は焼き尽くされる。ゴジラの被害は甚大だったけれども、それでも最後は、オキシジェン・デストロヤーという装置を使ってゴジラを退治する。やはり、何とかなるのである。

勇気とは、恐れを受け入れること。その後、一歩だけ踏み出せば、特にちゃんと準備してきたことであれば、大抵のことは大したことはない。

仮に大変なことであっても、何とかなるものである。そしてそれは、価値のある経験として積み重なっていく。

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