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戦争なんてなければ―10/9~ 週読んだ本

こんばんは。あっという間に水曜日!週の真ん中!
平日読み進めていた本を、週末に一気に読む時間が至高な私ですが、先週は、こちらの2冊を読みました。

  • 上間陽子「海をあげる」

  • カート・ヴォネガット「ガラパゴスの箱舟」

ルポルタージュとSF、系統の違う2冊でしたが、反戦感情は共通して感じられました。

上間陽子「海をあげる」

琉球大学教授で、沖縄県内の風俗で働く女性や若年妊娠を経験した女性への調査をしている上間陽子氏によるルポルタージュです。随所に、上間氏の娘さん・風花さんが登場するのですが、彼女の無邪気さと少しずつ成長していく様子に癒されます。

というのが概要なのですが、この本の感想は書きづらい…!というのが正直なところです。沖縄の基地問題、調査で出会った女性の深刻な状況、知ったうえで自分に何ができるのか?と、重い荷物を託されたという感覚が一番大きいです。

タイトルの意味は最後まで読むと分かるのですが、少しゾクッとします。

ただ、上間氏や沖縄の人、一部の人が苦い思いをしているのが今の日本の現状なのだと改めて気付かされました。この本で描かれている上間氏にとっての日常は、沖縄県外で生まれ育ってきた私にとっては非日常的です。
自分が無知で能天気に過ごしてきた裏には、基地問題や米兵による暴力に苦慮している沖縄の人たちがいる。そのことに自覚的になるきっかけを与えられました。

私は生まれも育ちも海が無い埼玉県で、沖縄の青い海にはあこがれを抱いていますし、旅行も何度かしました。けど、私が見てきた沖縄は表層的なもので、もっと違う側面にも目を向けて行かないといけないと考えさせられました。
読了後、3日が経ち、なにか実行できているわけではありません。まずは、この本のことをこうして紹介する。上間氏の心の闇の一部を、また別の誰かに共有することを、取り急ぎの第一歩としたいと思います。

カート・ヴォネガット「ガラパゴスの箱舟」

2冊目はうってかわってSFです。ただ、非現実的な物語かというと、全然そんなことはありません。
人類滅亡の危機に瀕した人類を描いているのですが、戦争、疫病、など現代にも通じるようなテーマが扱われています。

ヴォネガットは、ディストピアをイメージしながら描いたのだろうけど、戦争や疫病は、今の国際社会においてもリアルに感じられる。それって、悲しいことですよね。

物語自体は面白かったし、よく作られているなと、作者の鬼才ぶりに改めて感動していました。しかし、この世界観を実感をもって味わえることって、本当は望ましくないのだよなと…、どこか悲しくもなりました。

まとまらないまとめ

この2冊を読んで、改めて感じたのは「戦争なんてなければ」ということです。もう、これに尽きます。

まずは沖縄の基地問題について。沖縄県民の民意を無視して基地を建設することには憤りを感じます。かといって、「では東京で受け入れる?」と言われると閉口してしまう自分もいます。
「基地をどこに建設するか?」ではなく、「基地が必要ない社会をどう作っていくか?」という議論をして、その実装をしてほしいと強く願います。

次にヴォネガットの作風について。戦争経験も彼を特徴づけるものの一つだと考えると難しいところです。でもやはり、「昔はこんなことあったのね」と、遠い過去のものとして読みたいというのが自然な感情ではないでしょうか。現代を生きる私たちがそう読むことがヴォネガット自身が望んでいたことなのではないかと考えます。

「ガラパゴスの箱舟」の中には、「ベートーヴェンの第九交響曲を書ける見込があるわけではない」といったセリフが随所に表れます。この言葉は、戦争中若い兵士が亡くなったときに、一人一人の死を重く受け止め悲しまないように、という意図で使われていたそうです。
いつ誰が亡くなってもおかしくない、命を懸けてでも国を守らなければいけない状況の中では、このようなことを言わないと乗り切っていけなかったのだろうと思います。
ただ、本来は人の命をこんな優性思想的な言葉で軽んじるものではないと、切に感じます。

おまけ

YouTube で洋楽をランダムに再生しながらnoteを更新しているのですが、今日は「冬の稲妻」(谷村新司さん追悼)で始め、いつの間にかMarvin Gayeの"What's going On" になっていました(本当にたまたま!)

こちらもベトナム戦争をきっかけに作られた反戦曲です。
名曲ですが、この曲に共感できない・想像できないぐらいの平和な世界が理想的なんだよな、とも思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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