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【古代オリエント1】 オリエントとは・・・

●世界史シリーズ Sec.1

 「世界史」のベーシックな通史を,できるだけ因果関係明らかに,適度にくわしく,しかしマニアックにならない程度に記していくことを目標としています。

 原則として,高校「世界史B」のカリキュラムをベースに進めますが…

 700万年にも及ぶ「先史時代」はいったん省いて,「古代オリエント」から始めます。

 直立二足歩行の人類誕生に始まる「先史時代」は,本来,人類学や考古学の範疇にあって,歴史学(文献史学)では扱えない領域だからです。

 まずは,古代オリエント史を,9〜10回ほどに分けて書いていく予定ですが,その範囲をどう定めるのか…

 始まりは,およそ9000年前の農耕・牧畜の開始になることは,まず間違いありません。

 終わりは,一般に,アレクサンドロスの東方遠征(紀元前4世紀)までとするのが通例のようですが…

 イラン文明のまとまりに配慮すると,イスラーム登場の直前(紀元後6世紀)まで通すのがベターかなと考えています。

<ザックリ> 古代オリエント史

▶︎「歴史」の夜明けはオリエントから。人類最古の文明は,乾燥地帯が広がるオリエント(→中東)で起こりました。
▶︎ 紀元前3000年以前からオリエント各地に都市が発達し始め,やがて都市国家に成長します。
▶︎ 前2000年紀(前2000年から前1001年)には,異民族の侵入や征服活動によって,いくつもの王国が興亡を繰り返します。
▶︎ そして,前1000年紀から紀元後1000年紀にかけて,いくつかの強大な世界帝国が成立することになります。

1) 日の昇るところ

 オリエントは「日の昇るところ」を意味し,ラテン語の「オリエンス」からきています。古代ローマ人がギリシアを指してこう呼んだのが始まりで,やがて,ヨーロッパから見て「東方」,すなわちアジア全体を指すようになりました。

 そして現在,日本で「世界史」を学ぶ際の「オリエント」は,おおよそ「中東」を指しています。ざっくり,西アジアとエジプトが含まれると考えて良いでしょう。

2) 5つの舞台

 古代オリエント史のおもな舞台は5つ。
 まず,ティグリス川・ユーフラテス川流域のメソポタミアと,ナイル川流域のエジプトの2つが軸になります。

 そして,その周辺の3つの地域・・,黒海と地中海にはさまれたアナトリア(小アジア),東地中海沿岸のシリア・パレスチナ,イランからアフガニスタン・パキスタン西部にまたがるイラン高原を舞台とします。

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デジタルチェック▶︎ 古代オリエント 5つの地域

★それぞれの地域の概要は以下の通り。

◆メソポタミア◆
 「メソポタミア」とは川と川の間の地を意味し,ティグリス川・ユーフラテス川の流域を指します。現在のイラクからシリア北東部にあたります。
 大河の水を利用して古くから農耕が行われ,特に南部のシュメールでは最も早く文明が起こり,多くの都市国家が成立しました。
 一方で,豊かな富は外部から異民族の侵入を招きます。セム語系をはじめとして諸民族が都市国家を築き,そこから発展した数々の王国が覇権争いを繰り広げることになります。
◆エジプト◆
 「エジプトはナイルの賜物」と呼ばれる通り,ナイル川の定期的な氾濫を利用して農耕が発達し,各地に小国家(ノモス)が生まれました。
 それらが統合されてナイル川中流域(上エジプト)に強力な王権が生まれ,エジプト全域を統一します。王(ファラオ)を中心とした統一国家が,メソポタミアより早く成立しました。
 メソポタミアと違って外部からの異民族の侵入が少なく,エジプト人を中心とした王朝が長く続くことになります。
◆アナトリア◆
 
現在のトルコ共和国西部にあたりますが,トルコ系民族がこの地に流入するのは,ずっと後のイスラーム王朝の時代です。
 前2000年紀,インド=ヨーロッパ語系民族(印欧語族)が侵入して先住民を征服し,王国を築きました。
 彼らは馬に引かせる二輪戦車を用いるなど強力な軍備を誇り,メソポタミア南部(バビロニア)に遠征して統一王朝を滅ぼすなど,オリエントの覇権争いの一翼を担います。
◆シリア・パレスチナ◆
 地中海の東岸にあたり,北部をシリア,南部をパレスチナと呼びます。
 メソポタミア・アナトリアと地中海・エジプトを結ぶ「文明の十字路」であり,交易の拠点でもありました。そのため,古くから周辺の諸勢力がこの地に侵攻し,対立と抗争を繰り広げました。
 もともとはセム語系民族が交易や農耕に従事しており,前1000年頃から,ヘブライ人(ユダヤ人)の王国も栄えました。しかし,結局はメソポタミア等の勢力に征服されてしまいます。そういった経緯から,ユダヤ教とその聖典「旧約聖書」が生まれ,のちにキリスト教の発祥へとつながります。
◆イラン高原◆
 
古代オリエント史において,表舞台への登場はやや遅く,前1000年紀に印欧語族の一派であるイラン系アーリヤ人が侵入してから活発化します。
 イラン系民族を中心に,巨大な王国がいくつも生まれましたが,特にペルシア人が築いた2つの帝国(アケメネス朝・ササン朝)は,イラン高原を発祥地としてオリエント全域を支配する世界帝国に発展しました。
《参考文献》
・岡田明憲他『別冊 環 8「オリエント」とは何か』藤原書店(2004)

★次回「古代オリエント2 農耕の始まりと王権」へつづく