母の火葬が決まった。 東京の東の果て、一度も降りたことのない駅を降りて、火葬場へと向かった。 このときはじめて、母の死亡診断書を手渡された。 祭場の人の案内で棺…
正確には、母が死んでいた。 私に物心がついたとき、すでに家には母親がいなかった。私が3歳のときに失踪したらしく、行方が分からなくなってしまっていたからだ。 だか…
LEGIOん
2017年9月23日 16:54
母の火葬が決まった。東京の東の果て、一度も降りたことのない駅を降りて、火葬場へと向かった。このときはじめて、母の死亡診断書を手渡された。祭場の人の案内で棺の前へと行き、焼香をする。そういえば、焼香の作法など、頭に入れていなかった。抹香を摘まみ、目の高さぐらいに上げてから香炉へと落とす。これでいいのだろうか?後ろの通路へと移動し、最後のお別れをする。病院の安置室で見たときより、少し皮
2017年9月17日 20:55
正確には、母が死んでいた。私に物心がついたとき、すでに家には母親がいなかった。私が3歳のときに失踪したらしく、行方が分からなくなってしまっていたからだ。だから、私には母親に関する記憶がない。知っていることのすべては、少し大きくなって聞かされた伝聞でしかない。母親がいない家庭環境が、私にとっては子ども時代の日常だった。『腹を痛めた我が子を母親は捨てられる』その事実が、思春期の心を