ライカ太郎、父の五十回目の命日を迎える
五十回忌法要。
ほとんどの方が経験は無いでしょう。私もそう思っていました。
しかし今年で父が亡くなって五十年の節目の年を迎え「いかん。数え年で昨年のお盆に五十回忌法要をしておかなければいけなかった」と覚ったのは、母が亡くなった7月のことでした。
ライカ太郎の菩提寺は長崎県の離島。ご住職に状況をお詫びしお話しをした結果、母の納骨と合わせて父の五十回忌法要を営んでいただけることとなりました。
先代のご住職の時代からお世話になっている菩提寺。
お盆の時期にいるのはおそらく40年近く前まで記憶を遡らなければならないかと思います。(私はお盆や年末年始、GWなどのタイミングには休めないサービス業に永く従事していたため、この季節にお休みをしたことが無いんですよね)
丁重に弔っていただきました。
そして昨晩。勤務を終えて帰宅途中のわたしは、不意に九州でひとりで暮らしている叔母に電話をしたくなりました。誰か、父のことを知っているひとと父のことを話したくなったんですよね。こんなこといままでの父の命日では無かったことだったのですが、今年は母も亡くなり急な寂寥感があったようです。
85歳の叔母は元気にしていてくれていて、父との懐かしい思い出話に2時間も付き合ってくれました。叔母様、本当にありがとうございます。
生前の父と過ごした記憶はほとんど無い私ですが、父の思いや願い、やりたかったことなど、知らないことも多く、叔母から聞かされた父の新たな側面に感じ入る、そんな夜でした。
ひとはいつか居なくなりますが、亡くなった方を偲んで、そのひとのことをお話しすることは良い弔いになると思う、そんな夜でした。
扉の写真は命日から一夜明けた今朝11日の三日月と金星のランデブーの写真です。なんとなく気持ちが落ち着くお月様でした。
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