見出し画像

『黄色い家』川上未映子 | 読書感想

読んでからしばらく経つのですが、衝撃が抜けず感想をうまく言葉にできなかった本。
少しずつ感想を書いていきたいと思います。

2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。
60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。
長らく忘却していた20年前の記憶――黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな〝シノギ〞に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい……。
善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!

中学生のころの主人公・花は、母の友人である黄美子さんと出会います。貧乏な母子家庭に育ち、学校にも馴染めずにいた花は、黄美子さんと生活をするうちに彼女の強さや奔放さに惹かれて心強く思うようになります。

ある日突然黄美子さんはいなくなり、それから数年の間、花は必死でバイトをしてひとり暮らしの資金を貯めていました。しかし、その貯金・70万円は盗られて無くなってしまい、無気力感に苛まれます。
そんな折、ばったりと黄美子さんに再開した花。「私と一緒にくる?」と聞かれ、ふたり暮らしが始まりました。

ふたりで始めたスナックで、順調に稼ぎながら一緒に働く友人もできたころ。なんと、スナックが火事で全焼してしまいます。なんとか再建しようと、犯罪に手を出します。ひとり、シノギの道で奮闘する花。お金はまた貯まっていきますが、ここで再度悲劇が……。

重かった……!
『金に狂った女たち』などの紹介文を見ましたが、個人的にはお金への執着がテーマではなかったように思います。

お金がないとなにも出来ない、安心もない。そんな中で、社会的な保証も最寄りの親戚もないまま自力で生活のためのお金を稼ぐ花。どこか能天気で楽観的な周囲にイライラしながらも、若さゆえに「どうしたらいいのか」「どうするべきなのか」という正しい解決策が出てこない。それでも足掻き、貯めたお金はまた消えていき……。

つらい、読んでいて本当につらい話です。
でもこれは、家庭に居場所のない未成年が陥る地獄でもあって、彼らが悪いと一概に言えるものではないですよね。売春や援交、詐欺、闇金、行き場がなくお金に困っている人にとって選択肢になってしまうものが、この世界にはたくさんあります。

複数人で暮らしてみんなで仕事をする、というのは詐欺やマルチ商法などでよく使われる手段です。花たちのように、ある日突然に姿をくらますしかそこから抜け出す方法はないとも言われています。

黄色い家、というのは風水に傾倒した花が家をその色に塗ったことからつけられたタイトルかと思いますが、風水は所詮、風水です。それをやっておけばすべて上手くいくというものではなく、頑張るためのお守りのようなものだと思います。でも、花はそれ自体で機能しないにも関わらず風水の金運・『黄色』に固執します。働かない思考しない黄美子さんも、花にとってはお守りのような存在だったのかなと考えてしまいました。

ほかの人の感想では、『作者が花の心情に寄り添いすぎ』『犯罪の話なのに、被害者の話が出てこないのはおかしい』『最後すっきりしない。罰せられるか救われるかしてほしかった』という意見が見られました。

たしかに、花の努力や焦りを見守るような書き方ではあると感じましたが、それこそがこの作品のよさなのかも、と。
犯罪はダメ、勧善懲悪の本ならほかにいくらでもあるけれど、幼いころから行き場がなくてもがいていた女の子が、ずぶずぶと犯罪にはまりこみながらも幸せとはいえず、罰せられることもない、そんな世界の話だからこそ価値があるのではないでしょうか。

この厚い本を買って読むことができる読者こそが、その世界の歪みや見えない人々の苦しみを理解する必要があるんだろうなと思いました。

また、この本のテーマは『搾取』かなと読んでいて感じました。
母親やその恋人にお金を搾取され、シノギの道で労働力として搾取され、花が先導して稼いだお金は仲間内で均等に割らせて搾取される。花からなにも盗らなかったのは、黄美子さんくらいだったのではないでしょうか。
だから、最後は黄美子さんのもとへ戻ったのではないでしょうか。

すっきりする終わり方ではありません。なにひとつ解決していないようにも見えます。犯した罪は罰せられず、とられたお金は返ってきません。黄美子さんの役割をするべきだった母親は死んでしまいました。救いがないといわれたら、救いがない終わり方だと思います。でも、現実って。
きっと、そういうものですよね。

一発逆転なんてそうそうない。幼いころ壊されたものは治らない。お守りはただのお守りであって、すべてを解決してはくれない。社会的信用は誰しもがすぐに積めるものではない。弱者はどこまでも弱者で、一度落ちたら這い上がるのはとても難しい。

だからこそ私たちは1歩ずつ、堅実に生きていくことが大事なのですが、それをできること自体が、家という基盤があり、居場所があり、信用があるから当然のように選べるだけであって。そうでない人は、本当に本当に本当に、たくさんいるんですよね。
それを、自己責任とひとくくりに言うのは暴力なのだなと思わされました。

この記事が参加している募集

読書感想文

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?