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檸檬読書記録 『亡き者たちの訪れ』(後編)

前回

に引き続き
若松英輔『亡き者たちの訪れ』

前回は「死者がひらく、生者の生き方」について書いたが、今回はもう1つの講演内容「死者の詩学」について。
これは、詩を通して、死者について探っていく内容になっている。

これもまた、心に残った箇所をいくつかあげていこうと思う。
1つ目として、宗教について。

「人間は、自分では本当だと思っていても、誰かがそれを本当だと認めてくれなければ、いつのまにか自分を疑いはじめるものです。認めてくれる人はたくさんはいりません。真摯な共感が1つあれば、人間は生き続けることができます。魂の領域の問題について、そうした不本意な疑いを生ましめないことが、宗教の役割ではないでしょうか。」

死者がいるかいないか、魂はあるのか、そういった点において、疑問を持たないために宗教があると言っているのだと、個人的に解釈した。(合ってるかは分からないけど…)
そして、もう少し続く。

「苦しむ人の傍らにひたすら寄り添うこと、だまってただ寄り添うこと、それが宗教の役割です。」

個人的には、宗教に関して、あまり強い思いはない。キリスト教だとか仏教だとか、他にもたくさんあるけれど、どれがいいとか、この宗教がだめだとかはない。
ただ興味はあるし、知りたいとは思っているけど、神は1人で(1人って単位で合ってるのか?)こんなにたくさんいないはずなのに、なんでこんなにバラバラなんだろうと不思議には思う。

ともあれ、少し余談がすぎたけど、個人的には宗教がどうのより、神は慰める存在でも叱る存在でもなく、ただ傍に寄り添う存在だと思っている。
それが神だとか宗教の役割ではないかと言いたいのではないかと思う。(多分、おそらく…)
そういう存在が常にいてくれていると知っているのは、思うことは、それだけで励みになるというか、安心する気がする。


そしてもう1箇所。

「死者の姿が見えないということは、その実在をなんらおびやかすことではありません。今日は雨で空は曇っています。曇っているから太陽は見えません。(略)太陽が見えないからといって、太陽がなくなったといってはならないように、死者が見えないからといって、死者は存在しないとはならない。」

見えないからといって、存在しないとはならない。そう思うのは尚早ではないかという。
なるほどなと思った。凄く分かりやすい。
確かに、今は死者になっていても、実際にその人は今まで生きていて、自分(や誰か)の中にはその人が生きていた証があって、思い出がある。
けれどいなくなって見えなくなったからといって、思い出や生きていた証がなくなることはない。それと同じことなのかもしれない。


自分は幼いころ、世界で1番大切だった人を亡くした。
好きで、ずっと一緒にいたいと思っていた。長生きしてほしくて「100歳まで生きてね」とよく無邪気にもお願いしていた。
それでもその願いは叶わなくて…。
だけどだからといって、いなくなってしまった時絶望したかといえば、そういうものはなく、寧ろ穏やかな寝顔を見た時、良かったねという感情を抱いた。いや、それが本当に良かったという感情だったかは微妙で、何とも形容しがまい感情だったけれど、後ろ向きなものではなかった。
おそらく幼かったからもあるけど、周りが泣いているのが不思議だった。
それは、何だかその人がまだ身近にいるような感覚がしたからだと思う。またひょっこり現れてきそうな、そんな感じ。
今でもそれは変わらなくて(流石にひょっこり現れてきそうとは思ってないが)、何だか身近にいるような、それでいて果てしなく遠くにいるような感じを抱いている。
見えないけれど、どこかで生きているような感覚。
そういう感覚があったからか、若松さんの言葉は凄く滲みた。
ストンと、言葉が落ちてきた気がした。

それに、生者も死者も、あまり変わらない気がする。
ただ、会わないだけ。
あの人は今何してるのかなと思い出せば、その人が近くにいなくても身近に感じられるし、死者もまた、あの人とはこんなことをしたなと思い出せば、近くにいるような気がしてくる。
どちらにしても、その人を思い出すということが何よりも大事なのではないかと思う。大切なことなんじゃないかと。


この本は、他にも若松さんが参考にしている本のリストなんかものっていて、凄くためになる。
増補も良くて(この本は以前刊行された『死者との対話』の改訂版らしく、今回新たに増補が加えられたとか)、水俣病と日蓮のことが書かれていた。

特に水俣病に興味をひかれた。同時に、恐ろしくなった。
水俣病は水が汚染されたために起こった人災で、その水は生活水にもなっていた。つまりはそれで作物を作れば食べ物は駄目になり、人が直接口に入れてしまえば命を落としてしまう。
何より知らず知らずのうちに口に入れかねないというのが、怖い。
そして水俣病、有機水銀は、人間の神経を冒し、体が動かせなくなったり、話せなくなったりと、深刻な症状が出るとか…。その苦難の末に、亡くなることもあり、そして年齢は関係なく襲ってくる。
水俣病のことは知らなかったけれど、今の時代と類似してる部分もある気がして、恐ろしくなった。
体はとても大事で、中に入れるものによって、変化していく。そして1度体内に入れてしまったら、元には戻れない。
だからこそ、よく考え選択して、体の中に入れていきたい。大切にして生きたいと思った。


自分たちは戦争や病気、他にもあらゆる危険と隣り合わせになっている。
だけど悲観するのではなく、あらゆる悲しみを知って、寄り添える人になりたい。そう思いを新たにしつつ、今回は閉じようと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
ではでは。


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