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年の瀬2020

毎日コロナ感染者数を追っている間に年末に。
今になって献血に行くの忘れていたことに気付いて焦る。子宮頸がんのワクチンも射ちに行っておけば良かった。

今年は女性による女性蔑視についてあれこれ考えた年だった。
特に、「男っぽい」女は、「女っぽい」女よりも地位が高い、といった物の見方をどう「そんな事はない」とやっていけるか考えた。
やっていけるか、というところは到底遠くて無理で、むしろ今はそういう事が起きる状況を知って眺めている最中だ。
具体的になにが「男っぽい女は女っぽい女よりも地位が高い」に当てはまる例か挙げてみる。「子供の頃から鉄道や戦隊ものが好きで、少年漫画を読んでいた。遊びもサッカーや虫取りみたいな男の子の遊びの方が好きだった」という女性は、男性から好まれる事がある。女みたいに「程度の低い」人形遊びや塗り絵を好む事無く、「程度の低い」少女漫画を好む事もなく、「程度の低い」手芸や菓子作りを趣味にする事もない、「程度の高い女」という話である。時に男性もまた、「女がするような」「程度の低い事」を嫌悪しており、その「女の界隈」にとどまる事を好む女を軽蔑している。「女」という枠から出て来ようとしない「弱い」存在だと見做したがる。そして「程度の低さ」を忌避し、「程度の高さ」に関心を示しそこで「男と重なる界隈」にやって来る女を「程度が低くはない女」として認める姿勢を示す。「女にしては」「程度が低くない女」として。

私はここに強い女性蔑視を感じる。
女は生まれつき劣った性であり、「女のすること」とみなされている分野は「程度が低い」と考えられ、「女のすること」を好み、それに終始する女は「女でしかない女」という物の見方。
一体女がこの社会から求められがちな役割、または担う事を一体どれだけ侮辱しているのだろうか。
あるいは、もしも本当にそれが「程度が低いこと」なのなら、いかに女にそれらを押し付けて来ているのか。
そしてこの視線を、実は女も内面化している。
「サバサバ女子」が女性に対する褒め言葉になるのも、女性ジェンダーの類型としての「本来の女はサバサバしていない」という前提が存在するからだ。本来はもっとジメジメ(?)しているのが「女というもの」なのに、それにもかかわらず、「サバサバしている女」は、「程度が高い」ということだろう。
そして、この「サバサバ女子」は男性に受け入れられやすく、女性にも人気がある。実際には、男性が受け入れやすい程度の女のサバサバなど、男に都合が良いだけで男にとっての好もしい女のあり方の一形態でしかないから受けいれられるだけだと思うが。
というのは、男の側も日頃からあまり女性の規範を外れた女性に接する準備がないので、社会がなんとなく女に許している規範の範囲を逸脱した女に会うとたぶん対処に迷うと思う。「サバサバ」を超えて「変な女」「頭のおかしい女」とさえ思うかもしれない。
この認識をなんとか出来ないかと思う。
単に「程度の低いもの」という認識をやめればいいだけのことなのだけど。
「程度が低い」という認識をするから、「程度が低いなりの扱いで構わない」と考えて、その結果が侮辱的な言動に至るようにも思う。

女らしい女を好きな男性は多いので、女らしい女を演じている方が生きやすい女性もいるというのがまた、話はややこしいのだけど。でもねえ、男に好かれても男並みの「まともな人間」と認識されないんだよね。男の庇護を求めている限り。何かあれば性の対象として人間以下の扱いに転落か、男の仲間とはみなされずに別枠で非人間扱いだと思う。「男ではない」というのは、少なくとも日本の社会ではそのくらい扱いの悪い事だ。女自身がその事を受け入れて、自分自身ばかりか、同性にも「あなたなんか女なんだから駄目だ。一人前じゃないんだ。まともな人間ではないんだ」と抑圧する。

私自身がこのいわゆる女性蔑視を克服出来ているわけではない。自分の中に危うさがあるから気になってたまらない。
しかし、この話も繊細なものだし、難しいんだよな。来年はもう少し知識を増やして考えられるようになっていたいものです。

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