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マレーの思い出~アルフィアン・サアット『マレー素描集』随想~

 初めてマレー半島を訪れたのは1987年の夏だった。伯母(児童文学者の猪熊葉子)と一緒にマレーシアに行ったのだ。私は大学一年生。初めての海外旅行で、見るもの聞くもの、何もが珍しく興奮していた。興奮しすぎて、伯母に精神安定剤を飲まされたほどだ。
 普通の旅行ではなかったということもある。当時の駐マレーシア英国大使夫妻が伯母の友人だったのだ。かつて植民地だったマレーシアに駐在するイギリス大使は、「アンバサダー」ではなく「ハイ・コミッショナー(高等弁務官)」と呼ばれる、ということも初めて知った。大使夫人の車でマラッカに連れて行っていただいたり、夜は大使のお宅に招かれたりした。
 広大なお庭のあるテラスで、大使夫妻と伯母と私の四人で鍋を囲む夕食。日本の鍋料理と違うのは、鍋自体は一つなのだが、一人一人に深い網じゃくしが渡され、各自でそれに食材を入れて鍋で煮るというやり方だったことだ。鍋という、人の和を重んずる料理でありながら、なぜか個が主張され、鍋の中におのずと陣地ができているのが面白かった。そうこうしているうちに、鍋の中で大使のフィッシュボールが転がって、私の領土に入ってきた。これ、いただいてもいいですかと大使に伺ったら、どうぞどうぞと大笑いされた。
 
 二度目に訪れたのは2007年の夏、この時はエジプトへのトランジットでマレーシアとシンガポールに数泊した。
 マレーシアでは、またしても普通の旅行では味わえない体験をした。ありがたいことに、友人のマレーシア研究者夫妻が現地で案内してくれたのだ。
   クアラルンプールに着いた日には、マレーシア研究者のKさんの導きで、マレーシアの人気女性歌手のお誕生会に参加した。パーティーの直前、参加者たちは導師とともにクルアーンの一節を読誦し、礼拝を行ったのだが、導師の前に、蓋をあけた水のペットボトルがたくさん置いてあったのが不思議だった。後で質問したところ、みなでクルアーンを誦んだことで、水にクルアーンの霊力がこめられている、この水を飲めば、言うことを聞かない子どもも言うことを聞くようになるのだ、とのことだった。
 翌日もKさんのご案内で、珍しいものをたくさん見ることができた。前夜のペットボトル同様、クルアーンのパワーが込められた干しぶどうを売る店があった。瓶にはその干しぶどうの前でクルアーンを読誦した導師の写真が印刷されている。食べるとクルアーンの暗記が進むのだという。またバザールで見つけた霊剣クリスも興味深かった。卓越した刀師が、依頼者のオーラに合わせてぴったりの剣を作ると、その剣は夜、自ら空を飛んでいって敵を刺してくれると信じられている。そうKさんは解説してくださった。

霊剣クリス

 その時はシンガポールにも行った。しかしシンガポールには知り合いもおらず、滞在もごく短い時間だったので、いわゆる観光地にしか行けなかった。マーライオン、ラッフルズ・ホテル、インド人街、中国人街、そんなところだ。
 ラッフルズ・ホテルでは虎のぬいぐるみを買った。1902年、一頭の虎がホテルに迷い込んだのを、銃で仕留めたという事件を記念したものらしい。その虎がかつて人間で、バイロン卿みたいな詩人だったら、そしてその時ラッフルズ・ホテルにいた客がかつての知り合いで、虎と会話をしていたりしたら、まるでマレー版山月記だなあ、などと思った記憶がある。
 全体的にどうということのないぶらぶら歩きだったが、一カ所だけ、脳天気な旅の気分が寸断される場所があった。シンガポール川のほとり、ラッフルズ卿の上陸地点である。シンガポールの観光案内にもよく写真が掲載される白いラッフルズ像、その目の前に、ツルハシをもった労働者の銅像が建てられていたのだ。

ラッフルズの目の前に立つ労働者の像


 労働者の像はラッフルズ像より小さいものではあったが、二つの像の距離はかなり近く、まるで労働者がラッフルズ卿に喧嘩を売っているように見えた。川のほとりには他にも、等身大の苦力たちの銅像がいくつか置かれていて、シンガポールが植民地支配を受けた場所だということ、実際に汗水たらして働いたのは彼ら現地の労働者であったことがアピールされていた。

☆☆☆

 と、このように取り留めもなくマレーの思い出を綴っているのは何故かというと、アルフィアン・サアット『マレー素描集』(藤井光訳、書肆侃侃房、2021年)を読んだからなのだった。
 シンガポールの、特にマレー系の人々を主人公にした物語集である。
 48の、ごく小さな短編のコレクション。一つの話が長くても7ページほど、短いと1ページで、話はそれぞれ独立している。三つおきに、「テロック・ブランガー 午前八時」といった風に、地名と時間がタイトルになっている話が挟まれていて、午前5時から翌日午前3時まで、転々と場所を変えながらシンガポールの一日を味わえるように構成されている。

 私が最も好きなのは「パヤ・レバー 午前五時」だ。マレー系のムスリム少年(青年かもしれない)がパヤ・レバー地区の家で暁の礼拝を行う、ただそれだけの話。読み終わって、たった12行の物語にこれほど胸を打たれたことが今まであったろうか、と思った。
 主人公は、暗がりで礼拝を行うのが好きで、それは、暗がりの方が「神も含めてすべてがより近く感じられるからだと気づいた」かららしい。楽園もまた、暗がりの場所かもしれないのだ。そして彼は祈願(ドゥアー)の手の形(胸の前で両手を上に向け、小指と小指を合わせる)を作る。

 彼の両手は胸のところでお椀のような形になっている。ひょっとすると、神からの祝福もまた、暗がりのなかで、一筋のクモの糸のような光として受け取られ、彼の手のひらが作るくぼみに注がれているのに、それは姿を現さない天使たちにしか見えないのかもしれない(pp.25-26)

 暗がりの中、天から差し込んでくる一筋の光のイメージが尊い。かつてこんなに美しく礼拝を描写した文学を読んだことはなかった気がする。人はただ、お椀のような手の形を作り、見えざる神の光を受けるだけで良いのだ。祈るという行為が、こんな風にシンプルで静けさに満ちたものだったことを、私は忘れていた。

☆☆☆

 シンガポールのマレー系住民は人口の15%である。シンガポールの地で最も古くから暮らしている人々なのだが、後に流入してきた中華系(現在は人口の76%)、インド系(7.5%)の人々によって、次第に社会の周縁に追いやられていった。教育や就業、収入面で、マレー系住民のレベルは中華系・インド系住民より低いと言われている。格差解消はなかなか難しいようだ。

 『マレー素描集』は、そのようなシンガポール社会で、どちらかと言えば社会の下層に置かれているマレー系の人々の感情を丁寧に描き出す。表彰式の晴れ舞台で、大統領(非近親者男性)と握手できなかったムスリム女子学生、中華系の同級生に指示され、マレー系の妊婦に対応する医学生、ボディビルに血道をあげるフィットネストレーナーと、彼にまがまがしき女幽霊の姿を見いだすその妻…、出てくる人々は、年齢も仕事も悩みも様々だ。
 どの話もどこか「かなしみ」をたたえている。「悲」「哀」「愛」、どの漢字を当ててよいかわからず、ただひらがなで表現するしかない時の「かなしみ」だ。著者はマレーを素描するにあたり、絵の具を溶く水に「かなしみ」のエッセンスを一滴二滴、落としたのだろう。だからページをめくるたびに、心が少し、痛むのがわかる。

 マレーシアの話もある。カラオケの映像で、音信不通の息子の姿を見てしまった父親の話。シンガポールでは仕事がないからと、俳優志望の息子はチャンスを求めてクアラルンプールに行ったのだった。マレーシアへの移住をめぐって口論する兄弟の話。マレー系住民(シンガポールではマイノリティ)にとって、人口の7割がマレー系であるマレーシアという国家が、複雑な感情を呼び起こす地であることがよくわかる。
 そして、休みのたびに長距離バスでクアラルンプールに遊びに行ってしまう二人の女性の話。そう、私も乗ったあの長距離バスだ。私が、座席がゆったりして足が伸ばせて楽ちんだ、などと無邪気に喜んでいたあのバスに、もしかしたらマレー系シンガポール人が乗っていたのかもしれないのだ。自分が何者かを知りたくて、あるいは、自分が何者でないのかを知りたくて、シンガポールとマレーシアを行ったり来たりしている若い女性が、隣に座っていたのかもしれないのだ。

☆☆☆

 これらの物語を読んだ時、かつて訪れたマレーシアとシンガポールの風景が脳裏に蘇ったのと同時に、自分はあの2回の旅で、両国の社会や人々について、実は何も見ていなかった、ということを思い知らされた。一つ一つの体験は記憶している。ただそれが、社会の全体像や、個人の人生に思いを馳せることにつながっていなかったのだ。

 優れた映画を見終わって映画館から出てきた瞬間、街が全然違って見えるように、優れた小説もまた、世界の解像度を上げてくれる。通りやお店で出会った人、バスや地下鉄で隣に座った人、それぞれに人生の物語があることを、そして一つ一つの物語が等しく尊いことを教えてくれるのだ。この本を読んだことで、ばらばらだった旅の思い出がゆっくりと縫い合わされて行き、それらの背後にある、何か大きな流れを感じられるようになる気がした。ということで、この本に出会えたのはとても幸運だったと思う。

 そして今や、私は確信している。きっと次にマレーに行く時には、これまでの旅の時よりも人々をよく見て、注意を払い、心をこめて接することができるだろうと。
 そしてそれは私が住んでいる街、東京においても同じなのだ。マレーシアでなくとも、シンガポールでなくとも、世界のどこにいても、そのような態度をとることはできる。例えばもし、一人の才能ある作家が出てきて、『マレー素描集』ならぬ『東京素描集』という短編集を書いたなら、今日、駅ですれ違ったおばあさんや、そして私でさえも、物語の主人公になる可能性があるのだから。
 

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