金子冬実

twitter:@lephantia

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最近の記事

ベランダに来る鳥

 夫は植物が好きな人で、たくさんの木を育てている。  マンションなので、ベランダに鉢を置き、最初は小さな苗木を買ってくる。辛抱強く水やりをし、成長するたびに大きな鉢に植え替える。そんなことをやっているうちに、柘榴もオリーブもシマトネリコもジャガランタも背丈を超えてきて、葉も花も(実も)いっぱいつくようになった。マンションの外から見ると、我が家のベランダだけ緑がもさもさと生い茂っていて、何やら「怪しい家」のように見える。  これらの木々のありがたさを痛感するのは、何といっても

    • 中東映画万華鏡02「エジプト映画とラマダーン」

       2012年の8月、私は久しぶりにエジプトの首都カイロを訪れた。早朝にホテルでチェックインしていると、ロビーに大きなランプが飾ってあるのに気 がついた。「ファヌース」と呼ばれる、ラマダーン月の飾りものだ。 断食月は祝祭月 イスラーム暦9月(ラマダーン月)に、ムスリムが日中の断食(斎戒)をすることは広く知られている。ラマダーン月は、預言者ムハンマドに神(アッラー)の最初の啓示が下された「聖なる月」と考えられており、ムスリムはこの一ヶ月間、暁の礼拝(日の出前の、夜が白み始める時

      • すべての穴がどよめき叫ぶ~漢文の素養、『荘子』、そして笹井宏之~

         Netflixのドキュメンタリー「Live to 100: Secrets of the Blue Zones」(邦題:100まで生きる: ブルーゾーンと健康長寿の秘訣)を見ていたら、「Health behaviors are contagious. (健康のための行動は人に伝染する)」という言葉が出てきた。周囲に健康的な生活を送っている人がいると、自然に影響を受けることがある、という意味だ。かくいう私も、長らく運動と無縁だったのが、ジョギングを欠かさない友人と知り合ったこ

        • 日本語字幕で見られるパレスチナ映画DVD

           2023年11月現在、ガザ情勢が悪化の一途をたどっている。自分に何かできることはないかと考え、とりあえず、日本語字幕で見ることのできるパレスチナ映画(パレスチナ問題について理解の一助となる映画)のDVD情報を整理してみることにした。  (抜けや誤りがあるかもしれません。ご教示いただけましたら幸いです。イスラエルを舞台にした映画も含めますが、力点がパレスチナ人に置かれていない作品など、いくつか除いたものがあります。なお、 人物名などアラビア語表記は、DVDの表記に従っています

        ベランダに来る鳥

          ヘダーヤトとともにイスファハーンを歩く(4)

          (3)より続く 大寺院(マスジェデ・ジャーメ)  イマーム広場から北東に1~2キロ離れたところに、イスファハーン最古のモスク、マスジェデ・ジャーメがある。ヘダーヤトははじめ拝火教寺院だったと記しているが、ガイドブックでは創建は8世紀とあるだけで、ゾロアスター教のことは書いていない。ちょうど昼の礼拝の時刻となったため、スピーカーから大音響でアザーンが聞こえてきた。モスクの周囲はバザールになっていて、どこが入り口なのかよくわからない。うろうろしていたら中庭に出てしまった、とい

          ヘダーヤトとともにイスファハーンを歩く(4)

          ヘダーヤトとともにイスファハーンを歩く(3)

          (2)より続く シェイフ・ロトフォッラー寺院(マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー)  ホテルに戻って朝食をとった後、今日の観光をスタートさせる。まずはイマーム広場でシェイフ・ロトフォッラー寺院へ。アッバース1世が、後に義父となるレバノン人法学者 、シェイフ・ロトフォッラーを迎えるために造営した、王族専用のモスクである。  チケット売り場には2人の男性が座っていた。うち一人が見たこともない程美しい青い目だったので驚いた。イランには色々な民族の人がいるから、青い目の人がい

          ヘダーヤトとともにイスファハーンを歩く(3)

          ヘダーヤトとともにイスファハーンを歩く(2)

          (1)より続く 四十柱宮(チェヘル・ソトゥーン庭園博物館)  ヘダーヤトが「イスファハーン的で巧妙な冗談(p.17)」と言った、20本の木柱をもつ宮殿である。前庭の池にそれらが映り込んで40本の柱に見える、ということだが、うんまあ、何本か映っていないこともない、という感じだった。時間帯にもよるのだろう。実は半分の柱には足場が組まれて修復中で、脳内で絶えずその足場のビジョンを削除しなければならず、なかなかに落ち着けなかったのだ。池の周りに、頂点が縮れた傘の形になっている「糸

          ヘダーヤトとともにイスファハーンを歩く(2)

          ヘダーヤトとともにイスファハーンを歩く(1)

           (先日、イラン映画「君は行く先を知らない」を見てきた。とある一家が、車でテヘランから旅をする様子を描いたロードムービーである。旅の理由と行く先が、家族の会話によって少しずつ明かされていく。  見ながら、2015年8月にイランのイスファハーン(エスファハーン)を訪れた時のことを思い出した。映画中の一家の行く先はイスファハーンではなかったが、イランの高速道路やサービスエリアの雰囲気が懐かしくなってしまい、映画館から帰宅すると、その時の手記を引っ張り出し、久しぶりに読み返してしま

          ヘダーヤトとともにイスファハーンを歩く(1)

          中東映画万華鏡01「ある女優の不在」(イラン)

           イランの映画監督ジャアファル・パナーヒーのもとに、田舎の若い女性マルズィーエから自殺動画が届く。女優になる夢を絶たれた、人気女優ベーナーズ・ジャアファリーに家族の説得を頼んだが無視された、という。パナーヒーからそのことを聞いたベーナーズは、パナーヒーとともに、彼女の住むアゼルバイジャン州サラン村を訪ねる。そこでわかったのは、マルズィーエが村人から嫌われていること、そしてサラン村には、イラン革命前に活躍した名女優シャールザードが、ひっそりと一人で暮らしていることだった…。

          中東映画万華鏡01「ある女優の不在」(イラン)

          マレーの思い出~アルフィアン・サアット『マレー素描集』随想~

           初めてマレー半島を訪れたのは1987年の夏だった。伯母(児童文学者の猪熊葉子)と一緒にマレーシアに行ったのだ。私は大学一年生。初めての海外旅行で、見るもの聞くもの、何もが珍しく興奮していた。興奮しすぎて、伯母に精神安定剤を飲まされたほどだ。  普通の旅行ではなかったということもある。当時の駐マレーシア英国大使夫妻が伯母の友人だったのだ。かつて植民地だったマレーシアに駐在するイギリス大使は、「アンバサダー」ではなく「ハイ・コミッショナー(高等弁務官)」と呼ばれる、ということも

          マレーの思い出~アルフィアン・サアット『マレー素描集』随想~

          エジプトのシャイマ、日本のわたし~鳥山純子『「私らしさ」の民族誌 現代エジプトの女性、格差、欲望』を読んで~

           中東・イスラーム世界の女性、特にムスリムの女性をめぐっては、長らく「抑圧された、選択の自由が奪われたかわいそうな女性たち」というステレオタイプなイメージがつきまとってきたが、今日では、こうした言説が歴史の考察を欠いた、また女性たちの多様性を捨象した単純な見方であることが指摘されるようになってきている。  当該地域のムスリム女性をひとくくりにして「被害者」と決めつけることは、「道義的に正しい自分たちが、間違った世界にいる彼女たちを救うべきだ」という自画自賛に容易に結びつく。そ

          エジプトのシャイマ、日本のわたし~鳥山純子『「私らしさ」の民族誌 現代エジプトの女性、格差、欲望』を読んで~

          中東映画万華鏡00 女性が主役のチュニジア映画と、その周辺の映画7本

           かつてアラブ映画の中心国はエジプトだったが、近年、話題になることが多いのはマグリブ(チュニジア、アルジェリア、モロッコ)諸国、とりわけ女性監督の作品だ。ここではこれまでに視聴した、女性が主役のチュニジア映画を中心に、その周辺の映画とあわせ、7本の作品について書いてみたい。 マグリブの女性監督作品の幕開けとなり、映画として最も完成度が高いのが、1994年のチュニジア・フランス映画「ある歌い女の思い出」(ムフィーダ・トゥラートリー監督)である。2022年のイスラーム映画

          中東映画万華鏡00 女性が主役のチュニジア映画と、その周辺の映画7本

          世界を殺す詩人の、お墓参り

           (この文章は2019年に書いたものです)  12月24日の午前11時40分、今年最後の授業が終わった。  火曜日はいつもすぐに別の大学に移動して、さらに二つ授業があるのだが、この日はそれがない。  寒いけれど、とても良い天気。澄み渡る青空。  詩人のお墓参りに行こう、と思った。 ☆☆☆ 「詩人のお墓参り」という概念は、恩師の古賀登先生(1926~2014)から与えられた。古賀先生は20代の頃、大学院で中国中世史を学んでいた時の指導教官だ。  若い時にはとても厳しかっ

          世界を殺す詩人の、お墓参り

          水の温度を知る魚ー戦時下の知識人と本の運命ー

          立春前に家の大掃除をした。年末は忙しくてできなかったのだ。今年は久しぶりに本棚の整理もする。狭い家なので、たまにやらないと新しい本が入らない。  片付けているうちに、夫の蔵書の中に、同じ本が2冊あるのに気づいた。岩波新書の青版。1冊は1954年の第1刷で、紙が茶色くなっている。破れているページもあった。もう1冊は1991年の第3刷で、こちらは比較的新しい。夫に「何で2冊もあるの?」と尋ねると、古い方は父親の蔵書だったものだが、大好きな本なので学生時代に自分でも買ったのだと

          水の温度を知る魚ー戦時下の知識人と本の運命ー

          極東のトルコ帽始末(3)極東のあかい帽子

           トルコ帽はトルコ語ではフェスという。着用が広がったのはオスマン帝国時代、それも近代以降である。19世紀前半からのオスマン帝国の政治経済・行政・軍事の近代化に伴って、導入・着用が進んだとも言われている。中東のみならず、バルカン半島や、南アジア・東南アジアでも、色や形が少し違うものの、似たような帽子が流行し、やがてヨーロッパ世界ではオリエンタルなもの、エキゾチックなものの象徴と見なされるようになった。ヨーロッパ人のファッションとして取り入れられることもあり、例えばイギリスでは、

          極東のトルコ帽始末(3)極東のあかい帽子

          極東のトルコ帽始末(2)文士と詩人

          (この文章は、調べていることを記した備忘録です。新たにわかったことがありましたら、追記していきます)  前回の記事では、日本近代洋画家のうち、「黒田清輝をはじめ最低でも5人が、(もちろん常時ではないのだろうが)トルコ帽を着用していた」ということを述べたが、実はその後、和歌山県出身の画家・彫刻家、保田龍門(1891~1965)の、「トルコ帽の自画像 」(1913~1914(大正2~3)年頃)という絵があることを知った。これで6人目である。保田もまた東京美術学校出身で、フランス

          極東のトルコ帽始末(2)文士と詩人