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映画と夢野久作

久しぶりにパンを食べた。(写真にあるオーバカナルの横を通ったので(笑))
しかし日常の食事は、今はすっかり和食。

冬が一番、あったかい「おみおつけ」を食べるのが心地いいのだけれど。
ラーメンというのは人気だし、カレーというのも人気だけれど、母の料理だと、カレーなど年に1,2回、ラーメンを食べるというのもほとんどなかっ今の自分も、ラーメンを食べるというのは何年かに一度、しかしカレーは夏はスパイス沢山で作ることが多い。

さて昔の同人誌仲間の友達から、こんなのあるよときた。それが、夢野久作文学賞、童話賞の話。すっかりものを書いていない私としては、どうしたの突然!(その友達は何十年か作家をしていたので不思議はないが)私が夢野久作を好きだったのを覚えていたんだろう。そして、音楽にも(正確には業界にも)飽き飽きしているのを知っている数少ない友達だからだろう。
作家になりたいとか、作曲家になりたいとか、詩人になりたいなどと思ったことはなく「小説を書きたい」「翻訳をしたい」「曲を書きたい」「詩を書きたい」という心持でしか生きてきて来なかったので、もちろんそういうのがきても、構えることはないのだが、なんだか久しぶりに夢野久作という名前を聞き、心が揺らいだのだ。童話の方が難しそうというイメージですけれどね。

夢野久作

そして、本棚の奥(手前は文庫で背表紙が見られていなかった、それは本棚としては致命的だが)学生の時に、これを片手に電車に乗ってよく読んでいたなと出してみた。読み込んでいたので、シミもついている。若いころは本につくシミはイコール汚いと思ったものですが、どうも今はそんな気持ちも薄れてきています。この三一書房の本体の裏表紙はなかなかえぐい絵がかいてあり、私が読んでいて友達が「みせて」と開くとどんびかれることもあったが、一番親しい友達は、そんなことはなくというか、同じものを読んでいましたからね。その友達が「「ドグラ・マグラ」が映画化されるんだって、一緒に行こう。だけどさ、ラヴクラフトの映画化も、人が増えたり、エロが入ったり商業的にいれるというパターンとしても、ドグラ。マグラがそんな風になる可能性も否めないよね。そうしたらがっかりするわ」と語りながらも、初日に学校帰りに渋谷へ。
 そして、まさかの結構原作に忠実なことに、映画館を出る私たちは満足し、夜だったので、渋谷という場所柄、夢野を知らずに入ったカップルも多く「意味が分かんないんだけど~」といいながら彼氏にすり寄る人もいた。
映画といえば、ジャン・ジュネの映画を観に行った時(「ブレストの乱暴者」が原作の)、そこは普段ポルノ映画館なのか、予告のポスターがそんなのばかりで、しかし客席は適度に混んでいるけれど、女性は私たち二人(笑)そしてなんか床には。。そして独特のにおい。女子学生には強烈な体験だったのを思い出した。
あのころ、「ぴあ」という雑誌があって(銀座なんかで土曜の朝一で見ると取材陣がいて、写真を撮られて載せられたりするの。でも1000円くらいの何かをもらうくらいですが)チェックしていたのです。しかもマイナーなものを。オカルト好きだった私たちは、非常に美しいロシアオカルトを見たのですが、そこも普段は違う映画館で、これまた東京の端っこで、観客も私たちだけ、2週間限定でしたが、これ大丈夫なのかな?という微妙な気持ちでしたが、題名も何もかも忘れたけれどあの美しいグリーンの深い森。あれは絵としてずっと残っています。東京で映画を見ると、こっそり帰りのエレベーターなんかで、こっそりと見に来た俳優と一緒になることがあるのですが、マイナー尽くしの趣味だった私などは、へえ、この人、こういうの見るんだとか、それはそれで芸能界には詳しくない私でも思うことありました。

映画は、もうそんなに見ることはなくなってしまって、行きつけの銀座のあそこを通った時に、何やってるかな~とよさそうだと入るくらいで、調べていくというのはなくなり、年々音楽の方で時間もなく、祖離れていきましたね。もちろん大好きな映画はと言われればゴッドファーザー。あれは人生のすべてが入っている気がします。人間の感情、くだらなさ、やさしさ、寂しさなどなど。劇団四季にいた友人が「黙秘」いいから見て!といわれて、あれは母娘のその深い愛と時間というのに、いつ見ても心がギュッとなるのですけれど。

夢野久作から離れてしまいました。女あるあるですね・・・と、姉御って言われる私でもそう言い訳してみよう。
とにかく、全集久しぶりに全部読んでみよう。個人的に好きなのは「あやかしの鼓」。他にも「太陽」という雑誌で特集がされているのを持っていて、楽しい。

書いたものが手を離れてどうなるかはどうでもいいけれど、誰かに読んでもらえるのは、とてもうれしいものですよね。
いつか詩人の荒川洋二さんとみんなで出した時も、そんな気持ちになったものでした。詩は、合評会とかよくやりましたけど、私はそれが一番下手で、好きに読んでくれたらいいのにと心で思っていましたが、きっとそれではいけないんだろうな。。いや、いろんなやり方があってもいい。でも一応それを通った方が幅は広がるでしょうね。

鎌倉倶楽部

お茶をここで買うことが多くて、なんと在来種の茶葉が置いてあるのです。
色々試して、庶民の口の私には、900円(この前行ったら1000円になってましたが)お茶好きな私にはちょっと贅沢な、でも必要な茶葉なのです。


お茶


普段の無農薬のお茶も好きだし。
多分、よく濃く出した緑茶を飲みたいことがあるので、カフェインの取りすぎで体調悪いこともあるんですよね(バカですか(笑))。


オカルト好きな私は↓こんなのをペンダント代わりに下げて大学に行ったり。これ見る人が見れば、怪しすぎるというか危険というか。当時は何でも大丈夫な時代でしたから。

しかし、こんなに暑いと、これから先、歳をとっていく自分にはどれだけ大変な夏を毎年越さないといけないのかなと思うとぞっとします。
少子化といいながら、マンションがうちの方でもものすごい数が建っています。横浜の端っこなのに、です。しかもものすごく高い。
本当は私は地方に住みたい。
両親が東北の人で、私は東京生まれですが、お盆にかえるときに、お寺さんでお話を聞いたり、母方は禅宗ですので、おばあちゃまが、ご飯を食べ終わった茶碗にたくあんを入れてくれてお湯をいれて、お椀を綺麗にするとか、いとこ同士で遊ぶより、私はどうしても年配の人が好きで、おばあちゃまにお話を聞いたり、近くを一緒に散歩してもらったり。その祖母も22年という長い年月寝たきりだったり。おじいさんというのは、片方は生まれる前からいなかったし、もうひとかたのおじいちゃまは、私が小学校4年で召されましたし。だから、よくファザコンなんて言われて。
でも実際、学生のころから、おじさま方にはかわいがられて、単に「現代に同じ手の届く距離にいるんだから、好きな画家さん、作家さん、詩人さんに会いに行こう」という同時代人ならではの特典を使っただけではなく、そこからいろんなやさしさを頂いて、思えば個人情報なんてなかった時代だったからこそ、ピンポーンと住所を探して、いけましたし。

しかし、今、スマホなどがあるけれど、本当にない時代に青春を送った私の世代は、よく待ち合わせをしっかりしたとか、人の電話番号を覚えていたりとか、電話に出るのは親御さんだから挨拶ひとつきちんとしなければならないとか、なかなかなものでした。でも、なかったから、哀しいすれ違いとかもあったんだろうなと思うことも。
忘れっぽいから、今でもスマホ忘れて出かけることがあるけれど、人にどう思われてもいい方だから、「忘れちゃったわ」で済むけれど、数少ないいい人たちと縁があるからかな、何とかなってしまう。執着や嫉妬は醜いものだと思って生きているので。

体育会系でもあったから、人と比べているうちはまだまだ、自分との戦いが一番大変ということはわかっているつもりですし、グループ対戦では、だれが失敗してもそれはそのグループの責任ということで絶対本番では、その人を責めないというのもスポーツで勉強しましたから。
弱い者いじめはしない、人には必ず逃げ道を作ってあげなければいけない(追い詰めてはいけない)嘘をつかれても、つかないことが良いことだなど、会社まっしぐらな父でも食後にリラックスしているときに、こそっと、しかし、大事に私に語ったことは、大人になってもずっと残っていて。家庭教育というのは、子供にものすごく影響するのだなと、改めて思います。


最近、東映シアターon-lineというところが、YouTubeで無料で昔のドラマをやっていて、懐かしいなと思ってみることもありますが、気が付くと本に夢中になったりして。
久しぶりに大手本屋に半日いて、新しい本を購入。
あら?こんなの出ていたの?と遅まきながら買ったのはhttps://amzn.to/3OB50cM

本を読む人は、まずあとがきを読むと思うのですが、そこに「G・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を三年間にわたって繰り返し読み続けたという文学青年、(略)と書かれてあれば、もうそれだけで私は「よし,買う」となってしまう。帯では柴田元幸さんが推薦されているのですが、出たのは2011年8月10日。ん?何してた、私という感じです。楽しそうな中身はこれから。


あとは、手元からなくなっていた

復刊と聞いて岩波文庫の

これは、ぼちぼち読んでいます。

しかし、いろんな高騰で正直生活切り詰めるの大変。

あら、買った矢先に、夢野を再読だから・・

うまくこの暑さを乗り越えましょう。

ネックレス、ではないと思う


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