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『階段が上れない』って言えるようになった【心不全といっしょ vol.3】

突然ですが、皆さん階段って何階分上れますか?恐らく私と同年代=20代後半なら3階くらいは余裕でしょうか。私は2階ですら上りきった後に「ン゙ ア゛〜〜〜」と声が漏れることがあります。

友人や同僚と一緒に歩いていると、歩道橋や駅のホームに上がる選択肢が階段しかないときや、エレベーターが近くに来ない・すぐ来ないときに「階段で行くか」という流れになります。明らかにその方が早いので。

以前の私はこういう状況になった時、何も言わずに一緒に階段を上っていました。で、上りきった後あたかも疲れてない感を出す術として「ン゙ ア゛〜〜〜」という声を鼻息として出す技を習得しました。

どうして「階段が上れない」と言わなかったのか

  1. 皆スイスイ上れるのに自分だけキツイという事実を直視したくない

  2. わざわざ階段を探させることが申し訳ない

  3. 内心面倒くさい奴だと思われそうで嫌

私は割と自己主張はしっかりするタイプなのですが、階段昇降についてはなぜ言えないんだろうと自己分析した結果がこの3つ。

①については、自分だけが病気という事実を心のどこかで否定しながら生きている節があることに起因するのかなと。「そんな大したことない」と見栄を張りたい気持ちもあるのかもしれません。

②は他人に気を遣いすぎる性格が、③は嫌われたらどうしようみたいなビビリな部分がモロに出ていますね。

20代後半とあって周りは概ね健康体・ライフステージも360度バラバラなことから「私だけが病気」「周りはやりたいことができて羨ましい」「病気が理由で人が離れるのでは」みたいな暗い感情は常々あるわけで。

『階段が上れない』は単なる身体的制約の話ではなく、そういう病気全般に対する暗い部分が染み出していることから言えなかったんだと思います。

「階段を上るのが怖い」という気持ちもあった(でも上る)

主治医から過度な運動は控えるよう言われていますが、階段を上るなとは言われておらず、実際上れはするわけです。ここまで「階段が上れない」と書いてきましたが、「階段を上るのが怖い」が正確な気がします。

数年前、職場到着がギリギリで階段を1階分駆け上がったところ、頻拍系の動悸が30分続き救急搬送手前になったことがありまして。

当時は医療機関勤務だったので院内スタッフに即対応してもらったのですが、入院が嫌だと泣き喚いたところ不整脈が収まり、その後事あるごとに「あの泣いて解決した不整脈ね」とネタになっています。

階段を駆け上がったことが直接原因なのかは分からずじまいでしたが、トラウマとまではいかないものの、今でも階段を上ると「大丈夫…だよね?」と不安になることは少なくありません。でもそれでも「階段が上れない」とは言えなかったのです。

どうして「階段が上れない」と言えるようになったのか

  1. 無理した結果不整脈が発生したときの方が迷惑をかけることになるから

  2. 階段が上れないという要素だけで面倒くさがられる相手に気を遣っても仕方ないから、また無理に関係を続けることは難しいから

理由は上記2つ。前者に関しては「階段が上れない」と言えない時代から思っていたことではありますが、昨年転職してからこの考えが強くなりまして。

先程チラッと述べましたが、現在は医療機関とは全く別の業種の会社で働いています。企業体質もあってかしっかり配慮いただいているんですが、もし私がそれを無視して体調不良を起こした場合、管理者および会社全体が配慮不足や責任を問われかねないという自覚がなんか急に湧いてきまして。

「一時のエレベーター探し」と「発作時の対応」、どっちが迷惑をかけるかは考えるまでもありません。私だって上れるというちょっとした意地よりもそちらを重視できるようになったとは、私も成長しましたね。


後者については…と、自分で書いてて内容忘れちゃったのでもう一度。

階段が上れないという要素だけで面倒くさがられる相手に気を遣っても仕方ないから、また無理に関係を続けることは難しいから

これです。目の前に階段があるのにわざわざエレベーターを探すのは確かに面倒ですが、「あの人は階段使えないから面倒くさい」と思われる相手であればそれまでの関係だなと思うようになりまして。

念のため断っておくと「気を遣うのをやめた、私に合わせてくれない人はクソ」みたいに思っているわけでは断じてありません。

ただ、階段が上れないことだけでものすごく気を遣う相手と長く付き合うのは私の身体上難しい。それなら今の自分の体調を優先した行動を最初から取っておこうという意味です。そもそも自己犠牲と気遣いは別ですし、私のやってることは前者に近い。それを相手が望んでいるかも謎ですしね。

「私階段ない入口から帰るからここで解散で」「階段ない迂回ルートで行くので先行っててください、追いかけます」というのも最近ではアリだなと思っています(言う場面にまだ出くわしていませんが)


階段ごときで何を大袈裟な…という感じですが、私にとっては階段が上れないと言えるようになったのはすごく大きな進歩です。

年を取って図太くなったのか精神的に成長したのか分かりませんが、私が生きやすい状況は私にしか作れないという気持ちで生きていきたいところです。おしまい。

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