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メイドロボットターカス(SF小説)

初めに言っておきます。科学の知識もなく、SF小説を読んだ事もない人間が書いています。

馬鹿にするつもりはないのですが、もしかしたらSFへの冒涜となっているかもしれません…十分にそれを留意し、お読み頂けますと、有難いです…

この小説は、「小説家になろう」などへも、平行して投稿してございます。



第1話 「私を連れて逃げなさい!」



ここはアステカ高原。古代史によれば、そこにはかつて「アステカ帝国」が建っていたと推測され、元は湖の上の島だった場所は、何万年も変化し続けた地球の動きにより、隆起して大きな丘になっていた。

その丘の一番高いところに、白い小さな屋敷が建っている。屋敷に向かって伸びている道には馬車の轍のような溝が掘られているように見えたが、朝日にきらりと光ったところを見ると、何やら金属でできたレールらしい。

レールに沿って丘の上の屋敷に近づいていくと、その屋敷は二階建てで、玄関はあるが、ポーチはなかった。屋敷前には誰も居なかったが、庭の中にも段差はなく、奇妙なほどに平坦な家だ。だが、二階があるのだから、そういぶかしむことでもないと思えた。

とにかく私はここに、「お嬢様探し」に呼ばれたのだから、仕事をしなければ。

そう思って、「気難しく、気分屋な金持ちの娘を探すだけの仕事」と思って、少し怠い腕を持ち上げ、玄関にあったセンサーの前に、私は立った。




「ターカス!遊びましょうよ!ターカス!どこにいるの?」

私は自分の屋敷の中で、一番のお気に入りのメイドロボットのところまで歩いていくために、頑張って歩行器を使って進んでいた。私は生まれつき少し足が不自由だったから、半自動車輪付きの歩行器を使って、屋敷の中を歩き回っている。今の屋敷も、亡き父が私のために建てた、段差のほとんどない建物で、もちろん二階へはエレベーターを使って上がる。これはどの家でも大差ないけど。

でも私はターカスを見つけられなくて困っていたので、他のメイドロボットに聞いて回った。

「お嬢様、お部屋にお戻りになってください。そのままではお疲れになってしまいます。ターカスなら、わたくしが連れてまいりましょう」

最後に声を掛けたメイド長はそう言って、ワイシャツにベスト、スラックスの姿で、きっちり腰を曲げておじぎをする。でも、この間まではターカスがメイド長だったのに。

私は、メイド長に会った庭にあつらえられたベンチに座り込み、物思いに沈んだ。

“もう旧式だからと、以前に買われてきたロボットたちはみんな雑用係に回してしまって、新しい型のを急にメイドにするなんて…”

私は、薔薇の咲き誇る庭の中で、歩行器は隣に置き、部屋には戻りたくなかったので、そのままターカスを待っていた。

今は午後の稽古事の時間だったけど、私は部屋に戻る気分じゃなかった。

“どこかに行きたい”

ずっとそんな気がしている。屋敷での毎日は単調だし、この屋敷には私以外にはロボットしか居ない。それでつまらないなんていうことはなかったけど、それはターカスが私の部屋を去ってしまう前までだった。

お父様はつい先日亡くなって、葬儀にはたくさんの公人も来たけど、私はそれにはろくに応じることも出来ずに、後見人である叔母さんに頼ってばかりだった。

お母様は、もうずいぶん前に亡くなっている。お父様は元々、ロボット設計と製造の仕事でほとんど家に居なかった。足が上手く動かなかった私は、いつも家で誰かを待っているばかり。

お父様は、亡くなられる前に、「せめて私が娘を愛していたということを残せるように」とお言いになり、お屋敷を、私の好きなこの世で一番綺麗な白色の“ホラス”という鉱物でお建てになり、そして新しいメイドロボットまで買い揃えておしまいになった。

“私が「ターカスは今まで通り部屋に居てほしい」と言ったら、お父様は「新式のマリセルの方がお前の頼りになるよ」と言って、それからすぐに危篤になってしまったのだわ…”

私は亡き父との最後の会話を思い出し、今でも父に伝えられなかったこと、父が自分の望みをすぐには理解してくれなかったことを、悔やみ、何より、父がもう居ないことを悲しんでいた。

「お嬢様」

なじみ深い、少し割れた低い金属音のような声に顔を上げると、彼は樹脂に包まれた空洞の目の奥で、微笑みの形にランプを灯していた。彼はいつも通りに体を黒のカマーベストと黒のスラックスで包み、旧式ロボットらしい少し無骨な体をして、丸い頭を私のところまで下げて、私を覗き込んでいた。

「ターカス!探したのよ!どこに居たの?ねえ、私の部屋で遊びましょうよ」

「それよりお嬢様、今はお稽古のお時間ではございませんか。わたくしとお遊びになるのはまた夕になってからにして、わたくしは倉庫に戻ってはいけませんでしょうか?」

“倉庫…?”

「ターカス、どうして倉庫なんかに行くの…?」

私は、嫌な予感がした。倉庫は屋敷の裏庭の端にあり、そこには、壊れたロボットたちも入れられている。

「わたくしは今はあそこで休ませていただいております。亡きお父上も、わたくしのために特別にベッドを設えてくださいまして」

私はその時初めてターカスの今の処遇を聞いた。確かにターカスがメイド長の自室に帰って行くところは見ていなかったけど、父の死や、残された自分がこれからの身の振り方をどうするのか、後見人の叔母から教わって覚えるので、精一杯だった。

“お父様は、そんなことまでして、どうして急に新式ロボットを迎え入れたのかしら?ターカスが居てくれなくちゃ、私はとても悲しくて仕方ないのに…”

「ねえ、ターカス」

「はいお嬢様」

にこにこと大きな丸い目の形をした透明な樹脂の向こうでターカスは笑っている。

「あなたは…この間まで、メイド長だった…」

“そうよ、そうだわ。この間までは、わたくしに一番力添えをしてくれたターカスが、それに相応しいメイド長だったわ…それが急に家の隅に追いやられて…こんなのってないわ”

「そうですね」

ガラガラとしたターカスの声は、それでも温かい。

「急に仕事をしなくなって、誰とも遊ばなくなって…退屈じゃないの?」

するとターカスはまたにこにことしたまま、こう言う。

「お嬢様、わたくしたちロボットに「退屈」という状態はございません」

“変だわ、そんなの”

私はこんな風にターカスの心配をしているのに、彼がわかってくれないから、ちょっと自棄になって、こんなことを言ってしまった。

「そう…ターカスって、馬鹿なのね」

するとターカスは一度首をひねり、彼の頭脳のあたりにある動力炉が、一瞬「ヴヴン…」と唸るのが聴こえた。

ややあって、ターカスはこう言う。

「お嬢様、わたくしたちには、あなたがたから教えられた途方もないほどの情報がありますし、自在にそれを操ることもできます。「馬鹿」というのは、「記憶力や理解力の劣る者」という意味ですから、わたくしは決して“馬鹿”ではございません。充分にお嬢様のお役に立てます。もちろん、今は雑用係を仰せつかっておりますから、お嬢様のお近くにいられる時間は限られてはおりますが」

“そういうことを言ってるんじゃないわ…”

「いいえ、馬鹿よ。ターカスは馬鹿だわ!」

私はその時、ちょっとだけ屋敷を振り返り、それからターカスの手を取った。

“この家には、もう私の血族は誰も居ない。私は独りだわ…そして、私がひとりぼっちだった時になぐさめてくれたターカスがこのまま倉庫に押し込められてしまったら、私は本当に独りぼっちになってしまう…!”

“子どもである私の話なんか誰も聞いてくれない…でも、ターカスは違うわ。だから、彼といつでも一緒に居られて、誰も邪魔をしないところへ…!”

私はもしかしたら、父を亡くしてとうとう血筋の者が家から居なくなったことで、さびしかったのかもしれない。でも、それだけではなくて、ターカスと一緒に居られなくなるということの方に、より強いさびしさを感じていたと思う。もしかしたら私にとってターカスは、両親以上の存在だったのかもしれない。

自分がこれから言おうとしていることで、私は喉と手が震えた。でもこれは、ターカスが私の部屋を去ってから、もうずっと考え続けていたこと。時折屋敷の隅で花瓶を磨いていたりする姿を見て、少しの間話をしていたら、新しいメイド長のマリセルに見とがめられたりするようになってから…。

「ターカス、この家を出るのよ」

私は、その時の自分の声に驚いた。自分の言葉の確かさ、“最良の選択をしている”と強く感じたこと。私はじっとターカスを見つめる。

「出る、と、おっしゃいますと、どのような意味でしょうか。外出なさる前に、お稽古にお戻りください」

「いいえ!ターカス!私を連れて、どこか二人で住める場所を探すのよ!」

私は、ずいぶん前から、この家に嫌気が差していた。お父様は私をわかってくれないことの方が多かったし、お仕事で倒れてしまうまでは、私はいつもターカスとおしゃべりをしたり、チェスをしたりした。もちろん、ターカスに勝てたことはなかったけど。

そんなターカスが急に倉庫に押し込められてしまうなんて、やっぱりおかしい。だから、ターカスがいつまでも私のそばで世話をしてくれる場所に行きたい。ずっと望んでいたことを口にできたことで、私は一種の興奮を感じて、体が熱くなった。

でも、ターカスは慌てて両手を振り、私を引き止めた。

「お嬢様、それはなりません。あなたはこのお屋敷の現当主でございます。まだ後見人に叔母様がいらっしゃるとは言え、このお屋敷を離れてどこかへ行くなら、お散歩はいかがですか?」

「そういうことを言っているんじゃないわ!ターカス!ホーミュリア一族本家当主の名を持って命じます、私を連れて、この家から離れなさい!」

私がそう言うと、すぐにターカスはまたにこにこ顔に戻り、「承知しました。では、わたくしの背におつかまり下さい」と、後ろを向いて、背中を差し出してくれた。私はそこに圧し掛かり、「それでは、まいりましょうか」とにこにこ顔で振り返ったターカスに、「うん!行こう!」と返した。

「ところでお嬢様、どこにおゆきになるのでございましょうか」

「どこでもいいわ!私たち、二人で住みましょうよ!その方がきっと楽しいわ!」



第2話 「お空を飛んで家建てて」



「ヘラお嬢様、星の門まで来てしまいましたが…」

私を背負ってターカスは立ち止まり、振り返る。

「そうね…では、星の門を出ましょう!」

そこは、「星の門」と呼ばれている、亜空間へ続いているゲートだった。

「それはなりません。この門を出てしまえば、わたくしは全機能を停止させられてしまうように作られております。わたくしたちは区域ごとに管理されているのです。それに、星の門は区画外ですから、お嬢様はこの外へ自由に外出はできません。ヘラお嬢様、そろそろお屋敷にお戻りになってはいかがでしょうか」

「いやよ!ヘラ・フォン・ホーミュリアは拒否します!ではターカス、どこか人の少ない川を見つけなさい。そのほとりに家があったら、そこへ住みましょう!」

「拒否する」時と「命じる」時には、決まった形式があって、それを守ると、メイドロボットは主人の意向にはそれ以上逆らうことはできない。「本当にそうしなきゃいけない時にだけその言葉を使いなさい」とお父様から教わりもしたから、ずるいとはわかっていたけど、私はついついターカスにそれを使ってしまった。

「かしこまりました」




ターカスは一瞬黙り込み、その時私は、目の前にある荘厳な「星の門」の建物を見つめていた。それは「伝統の引継ぎ」がテーマとなったから石造りの古代の城壁のように造られていて、なおかつ修繕がほとんど必要ない特殊な材質なのだと、お父様から聞いた。お父様はロボットを使った建築にも携わっているから、「星の門」が造られた時、何台か作業用ロボットを納めたのだと。

私たちは、自分たちが住む区画、外出していい区画は決められて過ごしている。それは、その人が居る地位や能力、資格や職業によって定められていて、私はなんの資格も能力もないから、すぐにはこの「星の門」は通れないと、お父様から教わった。

でも、「外出していい区画」とは言っても、普通の地球の中だったら、誰もなんの制限もなく移動していいはず。動物保護区域などへは、ガイド付きで条件を満たしていないといけないけど。でも、世界連が「立ち入り禁止」と定めた場所だけは、誰も絶対に立ち入りできない。それは、私にはあまり納得がいかなかった。

ターカスがさっき言っていた「区画外」というのは、大きく分けて「地球外」、「次元外」、「時間外」になる。

たとえば、「亜空間旅行」に出るのには身体と筆記の試験があって、なおかつ念書に単独でサインができる、25歳以上の者でないといけないと、家庭教師に教わった。

それから、「星間内ツアー」に行くにはそれに備えてアカデミーで単位習得をしてからじゃないといけないとか。

そして最後に「タイムスリップ」は、世界連が「緊急に必要」と定めている条件下で、世界連に所属する「機関」の者だけが行うみたい。

「機関」に入るには、その機関から一方的に招待状が送られてくるほど優秀な人でないといけないと、聞いたことがある。でもそれは本当かはわからない。よくある都市伝説みたいなもので、「どうやらそうらしい」くらいの噂なんだもの。

現に、「招待状」のことをジャーナリストが世界連に問い合わせたら、「そんな事実はない」とだけの返答があったと、子供の頃のニュースで見た。でももし「招待状」が本当だとしても、そんなの、「ない」としか言えないと思う。

タイムスリップは大きな危険から人々を守るために行うから、私的利用は絶対厳禁。それくらいは13歳の私にだってわかるし、そうだとするなら、どんな些細な秘密であっても、世界連は何が何でも守ろうとするはず。タイムスリップを悪用したがる人なんて、考えたらキリがないほど居そうだもの。

でも、子供たちはみんな「タイムスリップ」がしたくてしたくて、いつか「招待状」を受け取るために頑張っている。私たち一般市民には、最後まで「職業名」すら知らされないし、タイムスリップがいつ行われているのかも、ニュースになることはないけど。

世界って複雑なのね。社会のことって、頭でなぞるだけで勝手に深みにはまりそうになるし、なんだか気分が憂鬱になってくるわ。別に悲しいことでもなんでもないのに。私はそう思って、ターカスに目を戻す。




私がさっき命じたことを考えているのか、ターカスの動力炉はまた起動音を立てていた。

“ところで、お父様は「ターカスの動力炉は旧式だから小型核融合炉でしかない」とおっしゃっていたけど、「核融合炉」って、何かしら?お父様も「原始的理論が発展途上だった頃のもの」と言っていたし、教師もあえて教えてはくれなかったわ…”

しばらくするとターカスは膝から下をカシャカシャと畳み、こう言った。

「お嬢様、「ケルン」という過去都市の川沿いにいたしましょう。ここから少し離れておりますので、わたくしは飛行することにいたします。お嬢様の周りにシェルターを組みますので、わたくしの肩にございます緑のラインの内側へ手を乗せて下さい」

「わかったわ。飛ぶのね」

「はい。少々の間ですので、ご辛抱下さい」

私がターカスの両肩にあった緑色の線の内側を持つと、ぽわんと何か温かい空気が私を包み、それからターカスの足元でパシュッと音がしたかと思うと、急に私たちは空へ飛びあがった。

途中までは景色が凄まじい速さで飛び去っていくのがかろうじて見えていたけど、あるところから突然、私は光に包まれた。

「ターカス!ターカス!なにこれ!光ってるわ!」

「高速での飛行ですので、お嬢様のシェルターは外気との摩擦で光を発します。体をはみ出させないようにして、我慢なさって下さい。もっとも、飛行中はシェルターからは出られないようにロックを掛けてはございますが」

「我慢なんてものじゃないわ!素敵だわ!」

きらきらとした光に包まれて、やがて地上へ降りようとターカスが速度をゆるめた時、やっと私は自分が青空の中に浮かんでいるのがわかった。

「見えてまいりました。あれがケルンの街です。水辺へ降りますが、家はございません」

「え?どうして?」

「先の大戦でここは甚大な被害を受け、人々はいなくなりましたが、家もなくなってしまったのです」

「そう…」




私たちは、雄大な川が横たわる草地に立っていた。ターカスが「先の大戦」と言ったのは、もう五十年も前の話だったけど、ここはいまだに世界連から没収されたままの土地で、誰も人は住めないらしい。

「ねえ、ターカス。私は「家のあるところ」と言ったのよ。これじゃ住むどころじゃないじゃないの」

「ふふふ」

その時、私は初めてターカスが笑ったのを聞いた。

「なあに?笑ったのね?どうして笑うの?」

ワクワクとしてそう聞くと、ターカスは胸を張ってこう答えた。

「“おかしい”という気分に少しだけなったのです。お嬢様はご存知ではございませんが、わたくしたちメイドロボットは、有事の際には存分に力を発揮できるように作られております。普段はお嬢様たちに危害が及ばないように、わたくしたちのパワーには制御が掛かっておりますが、今は少々それを外させていただいてもよろしいでしょうか」

「どうして…?何をするの?ターカス…」

私はターカスが怖いわけではなかったけど、ちょっとだけ怖くなって、ターカスの背中にしがみつく。

「ご心配はいりません。家を建てなければならないので、そのために、お嬢様のお声をお借りしたいのです」

私はそれで胸が膨らむようになって、一気にこう叫んだ。

「いいわ!ホーミュリア一族本家現当主の名において命じます!ターカス、家を建てなさい!」

「かしこまりました」

私が水辺にあった丸太に座らせられると、ターカスはまず、その丸太の半分を切り取って、裁断し、削り、磨き上げてから組み立てて、ベンチを作ってくれた。

「さあ、ここへお座りになって、10分ほどお待ち下さい」

「ありがとうターカス。あなたはすごいのね。こんなの見たことなかったわ!」

「もったいなきお言葉でございます。ではお嬢様、お住まいになるのはどのような家がよろしいでしょうか?」

「そうね…じゃあ、白く塗った木のおうちがいいわ!こんなにたくさん木があるんですもの!」

「承知いたしました」




ターカスがくるりと後ろを向いてから、10分ほど目の前が目まぐるしい嵐に包まれたかと思うと、見えないほど速く、おそらくターカスが家の周りを回っていて、それに従いどんどん木でできた家は白く塗られていった。

あっという間に白い家が建ち、でもそれはターカスと私が二人で住むのにちょうどいい広さだった。

「申し訳ございません。以前のようにたくさんメイドがいるというわけにはまいりませんので、少し小さな家を建てさせていただきました。でもこれで、いつもわたくしの目の届くところにお嬢様がいらっしゃいますので、万が一にも何かが起きようはずもございません」

「忠実なるメイド長」ターカスはそう言って、また私を背中におぶい、家のドアを開けてくれた。

「ありがとうターカス!二人きりのおうちなんて、素敵だわ!」



第3話 「私のためのカレーライス」



ターカスが作ってくれた家の中には、すでに家具が備え付けられえていて、ベッドの手前に白色のカーテンが渡してあった。

“どうやって作ったのかわからないけど、オート洗浄機もあるわ…部屋の中の掃除なら、ターカスはいつも「変形」して自分でやっていたけど…”

オート洗浄機は、食器も服も、家具も洗えるもので、なおかつ、家具を小さくする機能も付いているので、家の中にある大体すべてが、これ一つで洗えてしまう。

洗浄機はお父様が開発したもので、中に重力制御装置が付いており、洗浄のために必要とするのは主に水ではなく音波なので、食器も壊さずに洗うことができる。それから、洗浄機に付いてくるシートの中に家具を包んで、蓋の開いた洗浄機の上に置くと、それはあっという間にするっと縮んで、中に吸い込まれていってしまう。

音波が漏れないように蓋がロックされると、洗浄が済むまでは、大体の物でほぼ1分ほど。みたいだけど、お父様が説明してくれた複雑な作りは、私は覚えられなくて、忘れてしまった。

すると、丸型オート洗浄機に気を取られていた私に気づいたのか、ターカスはまた胸を張って思い切り笑った時の、ぎゅっとつぶったようなにこにこの目になった。

「お嬢様、それは水と木と土から元素を取り出して私が樹脂を組み直した洗浄機です。お嬢様のお召し物もそれで洗浄ができますよ。あとでわたくしがドレスもお作りいたしましょう」

「そ、そうなの。ありがとう」

“ターカスって…なんかすごい。この人、できないことなんかなかったのに、いつもわたくしたちのそばにいてくれたんだわ…”




私たちの時代、ロボットに対して「ロボット」と呼ぶのは、工業用製品のロボットだけに限られていて、心の中だけでも、名前や、「この人」などと呼んでいる。

もうロボットたちが人間の生活に溶け込んで、千年になるらしい。実はロボットが反乱を起こしたりしたこともあったらしいけど、今は私たちは仲直りして、同じように接している。メイドロボットに対しては、そりゃちょっと命令口調になってしまうけど、彼らもそれは不服ではないみたい。

それに、今では「意志のあるロボットの処遇に関する法」も整備されて、工業用ロボットはこれにあてはまらないけど、ロボットにエネルギーを与えずに動かそうとしたり、ロボットに対して直接に有害とされることをしたり、理由もなくロボットを壊そうとすると、見合った量刑が人間に課される。

“お父様は、その法整備にも関わるほど、権威あるロボット工学者であり、技術者だったわ…でも、その仕事ばかりで、私たち家族は、あまりかまってもらえなかったようにも思うけど…”

“でも、お父様は「これで理不尽に壊されるロボットは減るだろう」と言った時、とても優しいお顔をしていた…”

“その気持ちは、私にだってわかるわ”

私は洗浄機を見るのをやめて、カーテンの後ろのベッドを覗き込んだ。するとそこには、可愛らしいクマのぬいぐるみがあった。

「わっ!ターカス!これ、「ミミ」じゃない?」

「ええ、そうです。お屋敷にあった、「ミミ」を再現しました。「ミミ」のおそばなら、お嬢様もよくお休みになれるようですので。それから、テーブルに据えた椅子の高さは、このくらいでよろしかったでしょうか?」

「座ってみるわ」

ターカスは私を床に降ろしてくれたけど、私は足が上手く動かないから、一瞬、体がグラッと後ろに傾く。するとその背中をターカスが支えて、椅子に座らせてくれた。

「歩行器もお作りいたします。椅子に座って少々お待ちになってください。高さはどうでしょうか?」

「ちょうどいいわ!屋敷とおんなじね!」

「それはよかった。では2分ほどお待ちください」




ターカスが出て行ってからの2分間で、私は“そういえばここに食べるものはあるのかしら”と考えていた。

“川があるから魚はいるけど、魚は好きじゃないし…小さい頃からお父様は私が食べたがるチョコバーをよくくれたから、そのうちそればかり食べるようになってしまって、よくターカスを困らせたわ…もちろん、一食でしっかりと栄養は摂れるものだったけど…もう、それは食べられないのね…”

そして、外で聴こえていた「カキン」とか「バチン」などという音が止んだと思うと、ちょっとの間、外は静かになった。風と、木の葉のそよぐ音が聴こえていた。

「お待たせしましたお嬢様。それから、お嬢様のお召し上がりになるものをと思いまして、ウサギを捕まえてまいりました」

見ると、ドアを開けたターカスの胸には、小さな黒いウサギが抱かれていた。

「ウサギ!?可愛いわ!ターカス!その子は私たちで飼いましょう!こちらに連れていらっしゃい!ちょっとだけ、テーブルに乗せるの!」

「かしこまりました。それではお嬢様、今夜のディナーには何をお召し上がりになりますか?」

ターカスがその子兎をテーブルに乗せると、ウサギはテーブルの真ん中から、少しずつだけど私に向かって鼻をふんふんと鳴らしながら、近づいてくる。もしかして、あまりほかの動物を見たことがない子なのかしら?好奇心旺盛なのね。

「そうねえ…じゃあ、今晩はお魚にするわ!でもいいことターカス!私はお魚が苦手なのよ!だから、「これはお魚じゃない!」ってくらいのお料理を作りなさい!」

「かしこまりました。では夜は白身魚のカレーライスにいたしますが、よろしいですか?」

「いいわね!お願いするわ!」

それからとっぷり日は暮れるまでに、ターカスは「調理器具をお作りして、魚を捕まえてまいりますので」と言って、また外に出て行き、ウサギにあげる野菜も探してきた。

「ウサギ、ウサギ、いい子ね…。あなたは「コーネリア」と名付けましょう…」

コーネリアは鼻をひくひくさせながら、おなかがすいていたのか野菜にがっついていた。そして、私の手からキャベツがなくなってしまうと、私の指につかまって、まだキャベツが残っていないか、手のひらをくまなく探してまわっていた。

「まあ!本当にこれ、お魚が入っているの?お魚のにおいなんかしないわ!」

目の前には、美味しそうなカレーライスがあった。でも、魚の切り身は見えないし、いつの間にかにんじんやジャガイモも用意されていたみたいだ。

「魚は砕いた上でフライ調理を致しましたので、肉とあまり見た目は変わりません。それと、新開発のスパイスをご用意いたしましたので、これからはいつでも臭みを気にすることなくお嬢様は魚をお召し上がりになれますよ」

「本当!?じゃあ食べてみるわ!」

カレーライスは、てらてらと油で光り、スパイスがとてもいい香りだわ。甘さと刺激の絡まり合った、なんとも言えないカレーの香り。木のスプーンですくってみると、ぽとっと何かが落ちてしまった。

「お嬢様、それが白身の魚です」

「そうなのね」

私はそれをすくい直して、口に入れてみる。

「美味しい!これ本当にお魚?だって脂身が美味しいわ!」

「カレーに使いました人口油脂を、魚にも練り込んで肉に少し近くしてみました。お気に召していただけましたならば、何よりでございます」

「ええ!明日もこれがいいわ!」

「そうですか。では明日は別の具材を入れてみましょう」

そうして私たちは食事をして、ターカスは眠る前の10分だけ、外にエネルギーの「水素」を取り込みに出かけていった。



第4話 「ターカスの秘密」



私は「お嬢様を探して欲しい」との依頼で、ホーミュリア家に招かれて、メイドにお茶を振舞われていた。

過去に「インターポール」を前進として作られ、各国の法整備と共に全世界に支部を持つようになった「ポリス」の「次長」、それが私の立場であり、大きな責務だ。

私はアステカ高原のあるメキシコシティに住む貴族の娘が居なくなり、3日ほどもらっていた休みを返上して、すぐに大きな決断を下せる者、すぐに下部組織を動かせる者としてここに呼ばれ、捜査をすることになった。

お茶はいい。人類が何万年と繁栄を重ねた今でも、暇を持て余せばこれに頼る。だが、今回は仕事なのだから、高級茶や、甘くふんわりした焼き菓子“バステマ”にも、あまり構ってはいられなかった。




「それで、ヘラ・ホーミュリア様はいつ消えたのです?」

「昨日の夕でございます。アームストロング殿。わたくしがヘラお嬢様が居なくなったことに気づいたのは、17時32分でした」

この屋敷には、どうやらその令嬢以外は、メイドロボットしか居なかったらしく、私はさっきからずっと「メイド長」らしき者と話をしていた。

お茶とお茶菓子を用意してくれた者は、メイド長より背丈は小さいロボットだったが、そちらは旧式のようだ。

「行き先に心当たりは?」

「まったくございません。お嬢様はこのお屋敷をほとんどお出になったことがないとの情報を、わたくしは引き継いでおります」

「ほう、ではなぜ、今になって急に家出を?両親が居ないさみしさからですかな?」

すると、しばらくの間、「マリセル」と名乗ったロボットが下を向く。おそらく、「お嬢様」の胸の内を推し量ろうとしているのだろう。

「わたくしにはまだよくわかりません。でもおそらく、お嬢様は「ターカス」という、元メイド長のロボットとお出かけになったきり、昨晩遅くなっても、今も、お戻りになりません」

「「ターカス」…その人は何がお出来に?」

するとまたマリセルは言い淀み、ややあってこう言った。

「ターカスは旧式ロボットですので、戦場に出るための機構まで備わっております。平和な世が盤石となる、ずっと前に開発されたものなのです。ですから、いざとなれば位置情報システムに掛からない移動もできます…」

“旧時代の遺物か…これではお手上げだ”

私はのっけから、少々厄介だなと思った。

もしこれが連れ去りなら、向こうは「武力」も備えているということになるのだから。

「今、ターカスの移動情報の途中までをお見せしましょう」

そう言ってマリセルは、応接間のテーブルの上に仮想スクリーンを出した。地図の上をポインターがだんだんと動いていく。

「星の門…まさか!」

ポインターが止まった「星の門」は、政府高官くらいでなければ、急遽の通過は禁じられている。だったらおそらくここを通ったわけではないだろう。

「ええ、ここをお嬢様がお出になったということは、考えづらいと思います」

「では、一体どこへ…」

「このあと急にターカスの移動情報は削除されており、それでわたくしたちは、アームストロング殿をお頼りしたのでございます」

「そうでしたか…ではまず、ターカスについて調べてみたいので、同じ型のロボットの図面を取り寄せてください」

「少々お待ちください。今、ウェッブ上からお取り寄せ致します」




「コーネリアー!こっちよー!」

あれから一晩明けて、私たちは「前ライン川」という川のほとりで、散歩をしていた。

ターカスが作ってくれた歩行器は座れるようにもなっていて、車輪式ではなくホバー式なので、私はウサギのコーネリアを連れてそこらじゅうを走り回り、後ろにはターカスが浮かびながらついてきてくれていた。

コーネリアはウサギだからぴょんんぴょん飛び跳ねていってしまうし、私の歩行器のスピードが速くなったのは、けっこうよかったみたい。

でも、私にも心配事があった。

“もしや、叔母さんが私を探そうとでもしたら、ターカスを追跡すればすぐにわかってしまうんじゃないかしら…ロボットたちはみんなそれができるように作られていると、教師が言っていたわ…”

朝は、ターカスが見つけてきた麦のお粥を食べた。麦といっても、それは指定改良作物となっているから、栄養面ではすべてをカバーできて味もよい。家庭料理の定番だ。私も、旧時代の麦は食べたことがない。今は作っているところはなくなってしまったから。

そして昼には、ターカスはまたカレーを作ってくれた。


「まあ!今度はフルーツね!」

目の前には、とてもフルーティな香りのするカレーがあった。

「ええ、そうです。こちらは栄養面でじゃがいもなどに劣らない、「ハーベス」と「ナバス」を使いました。魚はすり身にして衣をつけ、揚げ焼きしておりますので、食べ応えもありますが、ふんわりとしていますよ」

「わかったわ、いただきます!」

「ハーベス」は、古くは「マンゴー」と呼ばれていたものが原種だと「中世進化学」の時間に習ったけど、私は「ナバス」を食べるのは初めてだった。でもそれは、小さくて丸いシャリシャリとしたフルーツだった。

フルーツはどちらも甘くて、酸味はほとんどなく、まるで子供の頃に食べた甘口カレーのように、ルウにその甘みが溶けていた。

魚をすったものは、分厚い衣にカレールウが染みてじっとりと重かったけど、その中の甘く味付けされた魚のすり身がふわふわとしていて、どんどんごはんが進んだ。

「合格だわターカス!いいえ、100点よ!」

「ありがとうございます、ヘラお嬢様」

ターカスは頬の中にあるランプをピンク色に灯して顔を赤くし、にこにこと笑ってくれた。

「コーネリアのごはんは、ずっとキャベツでも大丈夫なのかしら?」

「ウサギは草食動物ですので、植物からの栄養摂取をしているのです、お嬢様」

「そうなのね。知らなかったわ!わたくしも、不勉強ね」

「お嬢様がお住まいの区域にウサギは今住めませんから、お習いにならないのも無理はございません」

「そうね。でも、ターカスが知ってるなら、私、安心してコーネリアの世話ができるわ!ねえねえ、今度は違うものを食べさせてあげましょうよ!」

「そうですね、それではお嬢様、午後はコーネリアが食べる草について、わたくしがお教えさせて頂きながら、採集に行くというのはどうでしょう?」

「素敵だわ!そうしましょう!」




「なんと、これは…ターカスの元々の基盤は、工業用ロボットの発展型でも、ヒューマノイドロボットでもなく、戦闘用ロボットだったのですね。わたくしも気づきませんでした…」

目の前でマリセルは複雑な表情をしていた。私だって驚いている。家庭にヒューマノイドロボット以外のロボットが迎え入れられることはほとんどないからだ。

世界についぞ「戦争」という言葉が聞かれなくなってからも、やむなく戦闘用ロボットを使うことはある。でもそれは本当に「やむを得ず」という形のはずだ。

裕福で、かつロボット工学の権威であるこの家の前当主が、そんなロボットを「娘の世話」のために購入するだろうか?私はそれが疑問だったし、そこには何か大きな理由があったのではないかと思った。

とにかく、そんなものに13歳の少女を任せておくわけにはいかない。私はここで、「お嬢様探し」に本腰を入れることに決めた。

「では、ターカスを遠隔操作をすることは?」

「方法がございません。通信と位置情報送信が拒否されているため、こちらからは個体確認すらできないのです」

「だが、拒否信号を解析すれば必ずわかるはずだ。やってみてくれないか」

「承知しました」



第5話 「コーネリアが!」



「アームストロング殿、それは?」

時間は掛ったが、私とマリセルは、ターカスの個体に衛星を通じてコンタクトしようとした時に受け取った「拒否信号」のうちから、中継基地を割り出すことができた。ヘラ嬢が居なくなってから、3日が経った。

私はそのあたりの地形マップを、指先からホログラムとして映し出していたのだ。

私は、我ながら子供のような悪戯をしてしまったなと思いながらも、マリセルに向かって笑ってみた。

「私もヒューマノイド型ですから、このくらいのことはできます。しかし、いかんせん遠すぎる…ここは今は分かたれた西ヨーロッパ大陸の、しかも、世界連に没収された地です…」

するとマリセルはびっくりして、急に背を正した。

「そうでしたか、わたくしはつい、アームストロング殿をロボットではないと思っておりました」

そのマリセルの素直な様子に、やっぱりちょっと申し訳なかったなと思いながらも、私は片手を上げる。

「いえいえ、私は気にしていませんよ」

「それにしても、バステマを始め、お出ししたお食事を、お召し上がりになっておりましたが…」

「ええ。私は警察用のヒューマノイドですから、人間に紛れての捜査活動も命じられます。その時のために、こうしていろいろと、人と同じことができるようにと設計されたのです」

「それは、大変失礼を致しました」

「とんでもない。おもてなしに感謝いたします。実は、いつ気づくかなと思って、猫をかぶっておりました。こちらも、申し訳なかった」

「いえいえ、そんなことは…」

私たちは、お互いにちょっとくすぐったいような仲間意識を持ち、少しマリセルとの距離が縮まったように思った。

でも、マリセルはふっと、とても不安げな顔をする。

「それにしても…世界連に没収された地、ですか…どうりでお嬢様の右腕に植え込まれたパーソナルチップも、どこにも反応しないはずです…」

初めから、引っかかってはいた。

人間を探すのなら、わざわざ連れ去ったロボットの位置から割り出すようなことなどしなくていい。

生まれた時からその人物の腕に植え込まれているパーソナルチップを、ロボットの位置と同じように、衛星で追跡すれば済む話だ。

それもできない、ロボットの位置もわからない。そんなのはおかしいと思っていた。ロボットなら追跡に対して拒否信号は遅れるが、パーソナルチップにはそんな機能はない。

でも、衛星追跡など届かない世界連が個別に所持している地なら、それも納得できた。

「ええ。問題はどう連れ戻すかです。この土地は今では、シップで近づこうにも、自動追撃されてしまいますからな…」

世界連の独自所有の地については、何人たりとも立ち入り禁止で、もしシップで近づこうとすれば撃ち落とされてしまう。

それは、過去に“テロリスト”と呼ばれた輩が、世界連がほったらかしにしていた広大な草原地帯の地下を根城にして世界中を荒らしまわり、最終的に大戦にまで広がったことがあるからだ。

致し方ないとは言え、解決策としては少々過激すぎるのではと、私には思われるのだが…。




「ターカス!ターカス!大変なの!」

「どうなさいましたか、お嬢様」

私は歩行器から降りて、じたじたとおなかをよじるコーネリアに向かってかがみこんでいた。コーネリアはさっきからずっとそうやっていて、草を見せても顔を向けてもくれない。

“きっと苦しいんだわ!”

「これは…少々お待ち下さい、お嬢様。少しコーネリアをスキャン致しますので、そちらの方へ…」

「ええ、わかったわ。本当にどうしたのかしら…」

私は背の低い歩行器にしがみついて木の床に座り、ターカスの両目から発した光が平面のスキャナーを作り出して、コーネリアを覆うのを見ていた。

すると、すぐにターカスは真剣な目をする。

「わかりました、お嬢様。コーネリアの胃袋の中に、お嬢様が昨日なくされたとおっしゃった髪飾りの影が見えます。おそらく誤飲してしまったのでしょう」

「えっ!?どうするの!?」

「手術で取り出すのです。もしくは吐かせることができればいいのですが、何分髪飾りには金具がありますから、それは難しいでしょう」

「そんな!コーネリア!ごめんなさい!」

私は、スキャンが終わったあとも苦しみ続けるコーネリアを覗き込もうとした。でも、ターカスはそれを止める。

「お嬢様、一刻を争うかもしれませんので、わたくしはこれからお嬢様のベッドの上をお借りして、無菌室を作ります。お嬢様は、テーブルに就いて待っていてください」

「わ、わかったわ…ターカス…!」

“きっと成功させてね”

そう言いたかったのに、自分の過ちでコーネリアを苦しませている私には、それが言えなかった。でもターカスはコーネリアを手で運ぶのではなく、浮かばせて運び、上に着ている服を脱いでから腹のあたりを開いて、手術器具らしき硬化樹脂をいくつも取り出した。




「お嬢様、ヘラお嬢様」

私はテーブルに伏して泣いていた。

“私がなくした髪飾りを惜しがっている間にも、コーネリアは苦しんでいたかもしれないわ。それなのに私ったら、コーネリアを抱き上げたり、おなかを撫でたり…何も知らずに…ごめんなさい、コーネリア…”

「お嬢様、顔を上げてください」

ターカスの声に顔を上げようとしたら、なんと目の前からコーネリアが私の顔めがけて突進してきた。

「きゃあっ!コーネリア!?」

一体どういうこと!?さっき手術をすると言って、コーネリアは…?

でも、コーネリアはもう苦しがっていないし、いつものように私の首元や唇をふんふん嗅いでいて、ふわふわの鼻を押し付けてきた。

不思議に思ってターカスを見上げると、彼は元のように黒いカマーベストにスラックス姿に戻っていて、まるで何も起きなかったかのようだった。

「もう大丈夫でございます。傷口の部分的な成長促進によって、コーネリアは回復しました」

なんとなく意味はわかったけど、私はやっぱり感嘆してしまった。それから、どんどん涙があふれる。

「ごめんね、ごめんねコーネリア…もうよくなったのね、本当に、よかった…!」

「お嬢様、お目が腫れておしまいになります…」

「いいえ、今くらい泣かせてちょうだい。わたし今、とても嬉しくて、苦しいのよ」

私は、できるだけそっとコーネリアを抱きしめた。ターカスも私をいつもよりずっと優しく、包んでくれた。




「問題はどうしてお嬢様がそんなところへ連れて行かれたかです。それによって、われわれの選ぶ手段は変わってくる。つまり、「お嬢様奪還」か、もしくは可能性は低いですが、「お嬢様の説得」か。これは、「連れ去り」か「家出」かで決まります」

「ええ、でもお嬢様は確か、いなくなられる前にターカスをしきりに探しておいででした…ですから、もしかすると、ターカスに命じてこのお屋敷をお出になったのかもしれません…」

「それか、もしくはターカスがメイド長を辞めさせられたことが不服で、なおかつもっと大きな見返りが欲しいからと、現当主であるヘラ・ホーミュリア様をさらうことで、あとから脅しを仕掛けてくるかもしれない…」

「そんな!ターカスはそんな者では!」

「ないと言えますか?ターカスは戦闘基盤なのですよ?彼は戦闘、および交渉、そして参謀のスペシャリストとしての素質を持ち、本来なれば戦場で人間の命すら奪えるように設計をされている…もちろん、初めにこの家でどんなプログラミングをされたかはわかりませんが…」

マリセルは愕然と項垂れ、私は少しの間考えていた。

“とはいえ、交渉ならばもう3日も過ぎていることを考えれば、遅すぎる。何か他の狙いか、もしくは本当にヘラ・ホーミュリアが家出をしたがったのか…それにしても、厄介なことになった…世界連か…”



第6話 「誘拐犯ターカス」



私たちは、二人で暮らし始めてまだ3日。でも、その間ターカスを見ていて思ったけど、なんだかターカスは前より毎日が楽しそうに見えた。

私のお屋敷に居る時には、ほかのメイドたちの統括や自分の仕事に追われていたけど、この「過去都市ケルン」に来てからは、毎日私のそばで、私の勉強を教えてくれたり、それからウサギのコーネリアと遊んだりしてくれて、いつでもにこにこと笑っていた。

一度、コーネリアの毛玉がターカスの口の中に入って、ターカスが喋ることができなくなったときは驚いたけど、その時もターカスは自分でなんとかできたし、私の世話も、教育も、新しい服作りだって、なんでもできた。

「ねえ、ターカス。あなたはどうしてそんなにたくさんのことができるのに、わたくしのそばにいてくれるの?もしかしたら…もっといい居場所もあるかもしれないのに…」

ある晩私がそう聞くと、ターカスは悲しみを表す時のように、片目から涙が出ているランプサインに顔を変えて、こう言った。

「…わたくしは、お嬢様のおそばにいられること、お世話をさせて頂くことが幸福なのでございます。ほかの居場所など、考えもしません…」

「そう。ありがとう。じゃあまた明日。おやすみターカス」

「おやすみなさいませ、ヘラお嬢様」




「はい、はい。わかりました。では銭形殿。こちらとの連携を取る態勢を早く整えて下さい。それから、世界連のおえら方に、「自動追撃システム」をあの一帯で止められないかの交渉を」

“とは言ってもアームストロング、貴族の跡取りとはいえ、13歳の少女を守るためだけに、世界防衛のための装置をあいつらが止めるとはとても思えないぞ”

「ですが、連れ去ったのは戦闘基盤のヒューマノイドロボットです。そいつの目論見でこうなっているのだとすれば、世界連も考え直すかも…」

“どうかはわからん。それに、それだってただの推測だろう。あまり希望を持たずに、通信を待ってくれ”

「…承知しました」

私は、警察機構の同僚で、かつ現在は世界連の機動隊に居る知り合いに、大体の状況を知らせて、対応を打診した。

“銭形”は、過去に代々続いていた警察官僚の一家だ。

もちろんこの一万年もの新しい歴史の間、遥か昔に一度途絶えはしたものの、その名を冠したヒューマノイド警察ロボットが、私と同時期に作られたのだ。

「アームストロング殿、どうでしたでしょうか…?」

私は通話を切るとマリセルを振り返り、「あまり芳しくない」と説明してから、こう切り出した。

「前当主の日記か、もしくはロボットの管理に使っていたデータか何かはありませんか。どう考えても戦闘型ロボットがメイドとして雇われてくるなんておかしいし、今のままでは、“ターカス”を止めることはできません」

私は、高名なるロボット工学者が“ターカス”にどんなプログラミングを施したのかの、全容が知りたかった。

「当主がその時何を考えていたかがわかれば、おそらくは事を運ぶ手助けになるのではと、そう思うのですが…」

「かしこまりました。ですが、私は旧式ロボットの管理システムの情報は渡されておりませんので…それでも、ダガーリア様は日記をつけておいででした。少し倉庫の方へ行ってまいります」




そのあと、マリセルはすぐに倉庫から戻ってきたが、彼は真っ青だった。

「た、大変です…!お嬢様は…やはりターカスにさらわれておりました!」

「なんだって!?」

戻ってきたマリセルは、前当主が残した5冊の分厚い日記を抱えてはいたが、いの一番に、小さな紙切れを私に手渡した。その紙には、真っ黒な焦げ跡のような文字で、こう書かれていた。

“このままここで朽ちていくよりは、いっそお嬢様とずっと一緒にいられる場所へ”

おそらく、熱線照射で紙をうっすらと焦がして書いたロボットの文字だろう。間違いない。

「これがターカスの書いたものだとする確証は」

「それが…念のためと思いまして、ターカスの用意して頂きましたベッドを探っておりましたところ、枕の下にその紙が…」

半べそになったマリセルは、おろおろと両腕を揺らしている。

「ではマリセル。これは証拠としてとっておきましょう。それから、私はもう一本コールをしますが、これはわたくしたちの専用周波を使わせて頂きます」

「どうぞ、ご随意に…」

マリセルは心配そうだったが、私は上司に直接の通信で、「ロボットが令嬢を連れ去ったらしいことにほぼ間違いはない、場所が大まかにしか掴めず、危険な区域であるので、名うての捜査員を増やしてほしい」と願った。それはすぐに承認された。

「間もなく、私のほかに捜査に指名されたものがこちらに来るでしょう。彼らは普通の人間だったりヒューマノイドだったりしますが、泊まる部屋はあるでしょうか?」

「ええ、もちろん。客間もございますし、亡くなられた前ご当主や、それから奥様のお部屋、あと…弟様のお部屋もございます」

「弟?ヘラ嬢には弟がいらしたので?」

するとマリセルはちょっと周りを気にするようなそぶりをしてから、そっとこう言った。

「亡くなられた奥様は、ヘラお嬢様の弟様をお産みになる時に、お亡くなりになったのです…そして、弟様も助からなかったと…その前から用意されていたお部屋は、ご当主が閉めておしまいになったそうです…これは、引き継いだ情報です」

「そうだったんですか…」

“この家も複雑だったんだなあ。それにしても、ヘラ嬢は大変元気なわがまま娘だとか。よっぽどその「ターカス」とやらが甘やかしてしまったんだろう”

“ターカスを倉庫に下げた前当主の気持ちも、わからないでもない。これからは、大人として社交界に入らなければいけなかったわけだし。いつまでも甘えん坊盛りでは、困るだろうからな…”




「ターカス!こっちにおいでなさいよ!魚がたくさんいるわ!」

「ほう、これはおめずらしい。マスですな。今夜はこれをお召し上がりになりますか?」

私たちはターカスの飛行で、川の上を移動して、いい釣り場所を探していた。そこへ、魚がたくさん居る場所を見つけたので、今夜のメニューはマスの料理になった。

「コーネリアへのお土産ににんじんも見つけたし、帰りましょ!」

「はい、そういたしましょう」

私はまた飛ぶためにターカスに背負ってもらって、その時ターカスはこう言った。

「お嬢様、わたくしターカスは、今とても幸福でございます」

「なあに?あらたまって。これからずっと一緒なのよ!そうよ、私も幸せだわ!」

「ありがとうございます…」



第7話 「前当主ダガーリアの墓標」



「ターカス!私今日はコーネリアにおうちを作ってあげたいわ!」

「それでしたら、わたくしがご用意いたしましょう」

「いいえ!私が作るの!自分の手で、コーネリアのおうちを作りたいのよ!」

私がある日そう言うと、ターカスはにっこりと微笑んで、「それではわたくしと材料を探しに出かけることにいたしましょう。ランチのあとでよろしいでしょうか?」

「ええ!ねえねえ、今日はなんのカレーなの?」

「お嬢様、毎日カレーばかりでは栄養が偏っておしまいになります。ですから、今日のランチには油分の少ない、「ポトフ」を作ってみました。それをお召し上がりになってください」

「「ポトフ」?それはおいしいの?カレーより?」

「まずはお召し上がりに」

「はーい…」

私は初めて見たけど、「ポトフ」という煮込み料理はとてもシンプルなものだった。なんでもターカスの話では、古く古く、この西ヨーロッパがまだ東ヨーロッパ大陸と離れていなかった頃の料理で、古代のものに特有の長い調理時間が掛かるらしい。

「わたくしには今、時間がたくさんございますから、お嬢様のために、たくさんの手間を掛けて調理をすることができます。きっとご満足いただけることと思いますよ」

テーブルの横で、私の頭の高さまで顔を下して、ターカスはそう言った。

どうやら長時間煮られたらしいお肉に、それから玉ねぎと、じゃがいも、それからにんじん。

“でもターカス…これ、カレーと具材はあまり変わっていないんじゃないかしら?”

私はそう言いたくなったのをぐっとこらえて、「ポトフ」の野菜をナイフとフォークで小さく切って、口に運ぶ。

「…わ!美味しい!柔らかくて、それにとってもいい香りだわ!これは何!?ターカス!」

「今のスパイスにございます、「クラブ」の原種になりました、「クローブ」でございます、お嬢様。これは時代が下るごとに栽培が困難になりましたが、この近在で自生しているものを見つけましたので、少しですが、楽しむことができますよ」

「そうなのね、クラブはこんなに香りは強くないけど…元になったものだからなのかしら…?」

私はもう一度、大きなお肉を一切れ切り分けて、口に放り込む。それはほろりととろけていった。そんなことは初めてだった。

「このお肉も、柔らかくてとても美味しいわ!いつもはお肉と言えば乾燥肉を戻したものしか食べていないから…」

「それも、山で見つけた「ベアー」のものでございます。一度乾燥させることをしておりませんので、とても新鮮で、食味がよいですよ」

「そうなのね…」

私たちの生きる現代では、食肉を扱う「センター」は、世界に3つしかない。そこで生産された肉は冷凍乾燥され、そして世界中の食卓へ届けられるのだ。

「はるか昔には生肉も食べていた」という古代史の授業を思い出して、私は自分たちが本当に恵まれていたのかわからなくなり、それから、少しでも私にこうやって美味しいものを食べさせてくれようとするターカスに、感謝した。

「ターカス、ありがとう」

「いいえ、とんでもございません」




「アームストロング殿は、エネルギー補給はどうするのでしょうか?」

「私はA型永久機関を利用するので、エネルギー補給は必要ありません。それより、そちらにある5冊目の日記を貸してください」

「し、失礼しました。どうぞ…」

私は銭形捜査官からの折り返しの連絡を待つ間、ホーミュリア家前当主の「ダガーリア」の日記を読んでいた。

“それにしても、派遣されるのは、「アルバ」、「メルバ」、「シルバ」の3人と、あのミハイルか…私でまとめられるのだろうか…ん…?”

そのページはちょうど、ヘラ嬢の弟君の妊娠がわかった頃のものだった。マリセルの話では、ターカスがメイド長になるべく雇われてきたのは、そのあたりだったらしい。

“やっと目的のページに…それにしても、初めから終わりまできっちりと日記をつけている…よほどきちんとした性格だったらしいな、前当主のダガーリアは…でもこの次には…”

ページをめくっていくと、案の定そこには、「母体が危険」や、「リリーナの体のことを考えてやめておけばよかった」といった、悲惨な内容が書かれていた。

“辛かっただろう。それで余計に、ヘラ嬢を甘やかしていたのかもしれないな。だが、いつまでも自分が見守っていてやれないとわかってからは、急いで大人にさせてやりたいと考えた…だからダガーリアは、病気で倒れてから、即座にマリセルを迎えたんだろう…それもまた、辛い決断だ…”

その後の日記は、何ページかの空白を挟み、いきなりダガーリア前当主の死の前日と思しき日付へと飛んだ。

確かダガーリアは、過去に私たちポリスへロボットを納めたこともあり、葬儀にはポリス関係者も出向いたはずだ。だから私は日付も記憶している。

“おそらくは妻のリリーナの死がきっかけとなって、日記をつけることをやめたんだろう…それでも、ヘラ嬢が彼の救いにはなっていたはずだ…”

「うん…?」

私はそこで、驚くべき記述を発見した。信じられなかった。日記の最後のページには、中ほどから、こう記されていた。

“…亡き息子につけるはずだった「ターカス」の名と、そしてその魂のプログラムを持ったあのロボットは、どうしても廃棄してしまわなければいけない。そんなことをしたと世間に知れれば、私の家の者は裁判にかけられ、ヘラは不遇に突き落とされるだろう”

“マリセルに少しでもヘラが懐いてくれることを祈って、その役目はマリセルに託そう。私はもう疲れた。ヘラ、愛している。”

「なんということだ…!」

私の口から、ごく些細な驚きの囁きが漏れた。

ロボットに人間の人格の一部をプログラミングする行為は、現代では禁忌とされ、それをした者は一族を含めて厳しく断罪される。

“ターカスは、ヘラの弟…そして、彼はマリセルによって葬られる運命にあったのか!そうだ!人格のプログラミングは、近代ロボットに行おうとしても、シャットアウトされてしまうだろう!だから旧式のロボットでなければいけなかったんだ!”

私は、背後で涼しい顔をしてティーセットを扱い、そしてさっきまで談笑していたマリセルを信じていいものかどうか、危ぶんだ。するとそこへ、ドアが大きくノックされる音が響いたのだ。



第8話 「捜査員到着」



ドン!ドン!ドン!と私たちの居たホーミュリア家の居間の扉が叩かれ、すぐさま大きな音を立てて扉は開いた。

「ジャック!来てやったぞ!」

何かもごもごとしながらも、先頭切って部屋に立ち入って来た青い髪の子供はそう叫ぶ。“ジャック”は私のファーストネームだ。

「メルバ!私のビスケット返してよ!」

部屋の中を散策するように歩き回る「メルバ」について回っているのは、同年代くらいの子供に見える「アルバ」。

彼女はメルバとは正反対に赤い髪を持ちながら、メルバほど堂々とした振る舞いではない。大声を出しているのに、どこか落ち着きがなく、不安そうだ。

そして遅れて部屋に入ってきたのは、うつむきがちに銀髪を前に垂らした「シルバ」だった。

彼らは皆人間の子供と同じように見えるし、そのことでマリセルは驚き、ずかずかと窓辺に近づいてカーテンを開けたメルバを、じっと見つめていた。

「アームストロングさん、お久しぶりです」

メルバに気を取られていた私は、自分の右後ろにシルバが立っていたことに気づかなかった。

「ああ、久しぶり」

そして私はとにかく子供達をまとめようと、声を張り上げた。

「こら、お前たち!捜査に入るんだぞ!落ち着きなさい!」

そこへ、私のそばにマリセルが近寄って来た。

「アームストロング殿…あの、この子供たちは…?」

おそらくマリセルも、この3人がただの子供ではないことくらいはわかっているだろう。何せ、警報装置も作動させずにここまで入って来たのだから。

「お答えしましょう!私はアルバ!」

私が言葉に迷っているうちに、後ろからとんでもない音量でアルバが叫んだ。振り返った私たちは、小さな彼女が赤い髪を誇らしげにかき分けるのを見た。

「俺はメルバ!」

両手を腰に当てて胸を突き出し、メルバが窓辺の光を後ろに携えてまた叫ぶ。

私は何もこのシーンを見ていて、誇らしさばかり感じていたわけではない。それに、もう一人は絶対に同じことはしないだろうなと、知っていた。

思った通りにその後少々の沈黙があってから、アルバとメルバに睨まれたシルバが、私たち全員の目をおそるおそる見た。

「え、僕…?あ、その…シ、シルバ…です…」

アルバとメルバはため息を吐いて、「あいつのせいで呼吸が合わなかった」とでも言いたげにギロリとシルバをまた睨んでいた。

ここまでをずっと聞いていたマリセルは、腑に落ちていないだろうが、ぺこっとおじぎをしてくれた。

「は、はあ…どうも…」

「マリセル殿、ご心配には及びません。この子たちは私の部下としてずっと働いております、ヒューマノイドロボットです。シルバ、もう一人は?」

私はずっと後ろに立ち続けていたシルバをちょっと振り返る。

「あ、遅れてます…では、僕はシステムの組み上げを、ここでしていいでしょうか…?」

「頼む。それから…アルバ!メルバ!いい加減に喧嘩をやめて君たちもメンテナンスに掛かりなさい!すぐに出動になるかもしれないんだぞ!」

口喧嘩を続けているアルバとメルバを後目に、シルバは居間のテーブルに向かっていった。

「だってメルバが私のビスケットを食べちゃったのよ!」

「あのなぁ、君たちは何も経口栄養摂取は必要ないだろう?」

「美味しいんだもの!いいじゃないの!」

「わかった、わかったから。仕事に来てるんだから喧嘩はやめなさい」

「あのう…アルバ殿、と、おっしゃいましたか?」

いつの間にかアルバに向かってマリセルが体をぐうっと傾けていて、彼はアルバを覗き込んでいた。

「なあに?あなたは?」

「この家でメイド長を務めております、マリセルと申します。美味しいお菓子がお好きでいらっしゃるなら、我が家にございます、バステマなど、いかがでしょうか?」

「え!いいの!?食べたい!」

「こら、アルバ!」

「よろしいんですよ、アームストロング殿。それではお持ち致しますまで、少々お待ち下さい」

「やったわ!ほら見なさい!あなたがビスケットを盗んだって、私はお菓子がもらえるんですってよ!」

「へん、別に興味もないよ」

「なんですって!失礼ね!」

「ほらほら、よしなさいって…もう、困ったな…シルバ、彼らをなんとか…」

私が困り果ててシルバの居るテーブル前を振り向くと、彼はサイコロのようなものを額に当て、テーブルへと戻すところだった。

みるみるうちにあたりにはたくさんの仮想ウインドウが表れて、シルバはそのうちの一つに手を触れ、どうやらウェッブにアクセスしたようだ。

シルバの仕事は、完全に情報収集に徹すること。アルバとメルバは突入部隊代わりだ。

たった二人で何が出来るとお思いかもしれないが、彼らは一人ひとりが、一個師団くらいの実力を持っている。

そのうちにシルバはウェッブと「ポリス」のデータベース、それから今回必要と目したのだろう、衛星の情報へこの家からアクセスできるように、態勢を整えた。

もちろん、普通のロボットにそんなことはできない。「ポリス」に所属し、絶対に情報を悪用しないようにプログラミングされた「シルバ」だから許されているのだ。

そして彼は私を振り返る。その目の前には、すでに衛星の情報にアクセスしようとする小さな画面を出して。

「アームストロングさん、起動が終わりました。容疑者の個体情報を、送信して頂いていた中継基地の近辺から、探索しますか…?」

「待ってくれ。それには、世界連からの許可が必要だ」

「では、ミハイルさんが来るのを待ちましょうか。交渉役は彼です。僕は、このメキシコシティの自治データベースを立ち上げてもいいですか?」

「あ、ああ…」

私は久しぶりに見たシルバの仕事の始まりを、感嘆と共に見ていた。



第9話 「令嬢は死んでいる!」



「ターカス、おはよう」

「ええ、おはようございます、ヘラお嬢様」

その朝、私はもう長いこと住んでいた家で目覚めたような気分だった。

だって、ここには前のようにターカスが居るんだもの。それなら、どこだって同じだわ。

「シャワーを浴びますか?それとも先に朝食をお召し上がりになりますか?」

「今日はシャワーにするわ」

「かしこまりました」

私が作ってもらった歩行器はもちろん防水なので、私はターカスが部屋の隅に作ってくれたシャワールームに歩行器と一緒に入って座り込み、ターカスが扉を閉めてくれてから、朝のシャワーを浴びた。

熱いお湯で目を覚ましてからは、ターカスが私の長い髪の手入れをしてくれる。

「タオルドライはお済みになりましたか?ドライヤーでトリートメントを致しましょう」

「お願いするわ」

私はターカスの用意してくれた室内着に着替えてから、鏡台の前に座り、ターカスがドライヤーのトリートメントモードで髪を乾かしてくれるのを待った。

「終わりましたね。それでは、朝のお食事をご用意致します。今朝のスープにはジンジャーが使ってありますから、体が温まりますよ」

「コーネリアの分も、忘れないでね」

「もちろんですとも」

私が作ったコーネリアのおうちは、私がテーブルに座っていても見えるように、少し床の離れたところにあり、その周りには、コーネリアが逃げ出さないように、高い金網が立てまわしてあった。その中では、コーネリアが大好きなキャベツを食べようと四苦八苦していて、私はそれを見つめながら、もう食後のお茶を飲んでいた。

コーネリアは、ごはんを食べるのが上手じゃないみたいで、いつも口に入れようとしたキャベツを落っことしては、もう一度口にくわえようと頑張っている。

私はテーブルから離れてコーネリアに近寄ると、歩行器の高さを一番低くしてちょっとだけ金網を開け、床に落ちていたキャベツを拾い集めた。

「いい子、いい子ね、急がないのよ。まだまだたくさんあるわ…」




「ミハイル殿!やっとお着きですか!」

「いやいや、すまないね」

最後の捜査員、暴力犯対抗室のミハイル・マルメラードフが到着する頃には、アルバもメルバも自らのメンテナンスを終えて、シルバはメキシコシティの自治データベースから、前当主とヘラ嬢の全データを引き抜き終わっていた。

「それで、世界連からの許可は」

マルメラードフ部長はそこでにやっと笑い、かぶっていた帽子を脱いで、マリセルに一礼する。

「そのことで遅れておったんだ。大丈夫、やーっとお偉方も衛星の情報を利用することに同意してくれてね、もちろん、「探索のためにのみ」という但し書き付きには違いないが…。ああ、お茶ですか、ありがたい」

「ようこそお越しくださいまして」

マリセルはソファにどっかと座り込んだマルメラードフ部長にティーセットを出して、「ポーションはお使いになりますか」と聞いていた。

「いやいや、けっこう。こういうところでは格別のお茶が頂けますからな。かえってポーションを入れたら余計なのでね。…それで、みんなは出動できるのかな?」

「ええ、私たちはずっと、あなたが世界連からの許可を持ってくるのを待っていたところです」

部長はお茶を一口飲んで、あわててそこから唇を離して、テーブルに出ていたナフキンで拭った。

「そりゃいかん。じゃあもう作戦会議にかからないと」

私とアルバ、メルバ、そしてシルバは、壁に寄せられていたソファで一番入口近くに座っていた部長の近くに、それぞれ腰かけた。

「いやいやすまなかったね。何せあちらさんが相手にしている奴らはいつも大きかろう。こちらの小事には気を向けてくれなくて。再三の催促でやっと、というところだったんだよ。ではまず、位置情報の割り当てに…シルバ?」

ずっと黙って待っていたシルバは、部長に向かって一度お辞儀をした。

「マルメラードフさん、よろしくお願いします」

「はいよろしく。ところで、君たちは令嬢の位置情報は探索しなかったのかね?」

「それが、出ないんです…そちらの方がシャットアウトされている可能性ははるかに低いのに…」

「そうか。とにかく、私の端末と君のものを同期してくれたまえ。そうすれば世界連の衛星にアクセスできるんだから、きっと出るだろう」

いまだかつて、誘拐事件の際に、位置情報の割り当てに3日以上も掛かったことなどなかった。

シルバはさっきから頭を掻いたり爪を噛んだりしながら、忙しなく何度もウィンドウにコードを入力したり、別のウィンドウを出したりしている。

「ダメです…出ません…」

がっくりうなだれたシルバは、一度ウィンドウをすべて閉じた。

「出ない?だって、衛星にはもう接続できるんだろう?それなら令嬢のパーソナルチップは最低限反応するはずじゃないのかね?」

「それも、何度別のアクセス方法を試みても、シャットアウトされます…」

「そうか…わしは情報集めはからっきしだからわからんが、パーソナルチップへのアクセス方法はそんなにあるのかね?君はいくつやってみたんだね?」

すると、シルバはちょっと黙ってからこう言った。

「254通りです」

「ええっ?そんなに?それでなんで反応しないんだ?」

マルメラードフ部長は身を乗り出した。私は黙って聞いていた。アルバとメルバは、マリセルが出してきてくれたビスケットに夢中で、テーブルの端っこで取り合いをしているようだった。

シルバは首を振り、彼の首にある動力炉の再起動スイッチに指を当てようとしていた。

「政府のアカウントから、または自治アカウント、カルテのある病院からと、いくらでもパーソナルチップへのアクセスはできます。僕はそのどれもに入れますから、そのすべてからのアクセスを試みました…ですが、どれも返ってくるのは「アクセスの拒否」だけです…」

「そうかね…」

「すみません、念のため僕のシステムを再起動しますので、20秒ほど眠らせてください」

「かまわんよ。私たちも方法を考えておこう」

「お願いします、では…」

ププッと彼の動力炉がシャットダウンされた音がして、体からかくっと力が抜け、彼は腰かけていたソファに体を倒した。

そして次に起き上がってから、シルバは急に何かに取り憑かれたように急いである一つのウィンドウを立ち上げて、そこにヘラ・フォン・ホーミュリア嬢のパーソナルシグナルを打ち込んだ。

「居た!見つかりました!」

「やったか!」

「しかし、これは…」

私たちはやっと見つかったと思って歓喜に沸いたが、シルバはおそろしげに顔をしかめていた。

「どうしたんだね?そんなに大変そうな場所なのかい?」

「いいえ…場所の問題ではありません…」

「では、何が」

シルバは体を引いてこちらにウィンドウを見せ、ゆっくりと首を振り向かせた。

そこには、「ヘラ・フォン・ホーミュリア 死亡」と赤字で表示され、点滅していた。

「彼女はもう、死んでいます…!」



第10話 「銀色の閃光」



「とにかく…令嬢が生きていようと死んでいようと、その体を取り戻さなくてはなりません。マリセル、そんなに落ち込まないで…まだ、何かの間違いかもしれないのですから…」

「パーソナルチップのステータスなんて、そうそう誤ることなどございません…!お嬢様がもう亡くなられていたなんて…!わたくしはこれからどうすればいいのでしょう…!」

シルバが確認した「死亡」のステータスを見てからというもの、マリセルはおいおいと泣き始めて、私たち客人の相手どころではなくなってしまった。

「それで、アームストロングさん。出立前に、ターカスの画像を一応見せてください。令嬢を連れ去ったターカスが遺体のそばにいる可能性はとても高いです。」

「ああ。それと、君たちには彼の図面も見てもらわなければいけない」

「図面?なぜですか?」

私はシルバの方へ向けて、ターカスの設計図面を見せた。

「えっ…?」

「何よこれ…」

「これって…軍用の戦闘ロボットの図面に似てないか…?」

最後にメルバが言ったことに私が頷くと、三人は慌て始めた。

「待てよ!だって、この家のメイドだったんだろう!?」

「ただのメイドなのに、なんで戦争ロボットなのよ!こんなの、私たち全員でかかってやっとじゃない!」

私はその時、前当主の日記にあったことを言おうか言うまいか、考えていた。

“ターカスは、ヘラ嬢の弟の人格をプログラミングするために、それをシャットアウトされることのない軍用ロボットを、前当主が選んだのだ”

だが、ここでそれを言ってしまうと、余計なことを捜査員に考えさせることになる。それは、我々にとってはマイナスでしかない。私は口をつぐんだ。

「私にも理由はわからない。だが、これがあったからこそ、アルバ、メルバ、君たちを呼んだんだ。心してかかってくれ」

「…了解。一応俺たちのシステムにその図面を送信しておいてくれ、ジャック」

「そうするよ」

「もう!新しい靴が壊されたら、アームストロングさんのせいだからね!」




「ターカス、見て見て!」

「どうしました、ヘラお嬢様」

「ほら!」

私はウサギのコーネリアの片手を自分の片手の平に乗せて、ターカスを振り向く。するとターカスは急にぱあっと微笑み、こちらに近寄って来た。

「なるほど、芸を教えたのですね」

「そうよ、この間ターカスが“ブック”で教えてくれたから、ずーっとコーネリアに挑戦させてたの!」

ターカスは時折、ウェッブからブック形式になった教本などを引いては、私に勉強を教えてくれていた。コーネリアの育て方も、その“ブック”を探してくれたのだ。

「では、わたくしは…」

そう言うとターカスは両手をぱっぱっと宙で動かし、しばらくして右手に、小さなにんじんを取り出した。

「“お手”のごほうびを、コーネリアにあげましょう」

「素敵だわ!貸して貸して!私があげたいわ」

「もちろん。お嬢様からあげてください」

ターカスからもらったにんじんをコーネリアの鼻先に持っていくと、コーネリアは大喜びで食べだした。

「頑張ったわね。いいこ、いいこ、食べなさい…」

私はコーネリアを撫でて、コーネリアはにんじんに夢中だった。

「お嬢様、わたくしは夕食の食材を見つけてまいります。今はコーネリアのそばにいてくださいますか?」

「ええ、いいわ。しばらくコーネリアと遊んでいるから、行ってきてちょうだい!」

「では、行ってまいります」




「マルメラードフさん、ヘラ嬢の遺体は、この付近ですよね」

「ああ。シルバ君が送信してくれたアドレスは、この真下のはずだよ」

ようやく国際連合が射撃システムを20分間だけ止めてくれることになって、マルメラードフとアルバ、メルバは、「旧ドイツシティ過去都市ケルン」の上空を、専用艇で旋回していた。

シップの床は樹脂張りなので下を見渡せたが、茫漠たる草原を大きな川が横切っている以外に、見えるものはない。

「変ね…何もないわ。川はあるけど…」

「マルメラードフさん、少し下に降りてほしい。俺たち二人で、令嬢の遺体を探すよ」

「了解したよ。ではタラップを出すまで、ドアの前に」

アルバとメルバはシップを離れ、川の付近を歩き続けていた。

「それにしても、こんなところに遺体を捨てて、ターカスは逃げたんだと思うか?」

「そんなはずないでしょう?誘拐事件なんだから、いるはずよ」

「そう思うよな。でも…」

「遺体もなければ、ターカスもいない…どうして…?」

その時、アルバの目の奥で、フォーカスが動く音がした。

彼女の意思とは関わりなく、彼女の目が、対象を捉えてスキャンが始まる。

「何よこれ、どういうこと…!?」

それでも、しばらくして、「スキャン不可」を示す警告音が彼女の頭に鳴り響いた。

「どうした?何かいたのか?」

「え、ええ、多分…でも、スキャンできないの。何かに阻まれているみたい…」

そこでメルバはターカスの図面とプログラミングをざっと確認し、「これだ!」と叫んだ。

「奴は軍用の“ステルス化”を使ったんだ!」

それを知るなりアルバとメルバは空中へ飛び立ち、今まさに迫っているかもしれない脅威から離れた。

軍用ロボットには、指定した範囲をステルス化できる技能が施されている。どうりで見つからないわけだ。でも、それなら、向こうからこちらが見えている可能性は高い。

二人はしばらくきょろきょろしていたが、自分たちが攻撃される気配もないと分かると、空の中で立ち止まった。

アルバもメルバも、考え込んでいた。そして、先にアルバが口を開く。

「ねえ、メルバ…私、思いついたことがあるの…」

「なんだよ…」

アルバの言葉に、メルバは少し切羽詰まったような目で振り返る。アルバは真剣に、さっき「スキャン不可」とされた空間を睨んでいた。

「見えなくても、私の目が反応したからには、“何か”はいるのよ。だったら、そこを爆撃でもすれば、ターカスは出てくるんじゃないかしら…?」

「ばっ、馬鹿言え!それじゃ令嬢が…!」

「でも、彼女はもう死んでいるんでしょう?それに、“これ”を仕掛けているのはおそらくターカスなんだから、もうターカスを破壊するか、確保する以外に、令嬢の体を取り戻すことはできない…」

宙に浮かびながらアルバとメルバはそんなふうに話をした。しばらく唸ってから、メルバは頷く。

「やってみよう。でも、爆撃と言っても、ごく小規模じゃなきゃダメだ。もしまだ令嬢が生きていたとしたら、本末転倒だからな」

「マルメラードフさん、聞いてた?」

アルバは、通信システムを通じて自分たちの会話を聞いているであろうマルメラードフに、指示を仰ぐ。

“聞いていたとも。少々荒っぽいが、もうそれしか方法はあるまい”

「オーケー。じゃあ、メルバ。行くわよ」

「オーケー」

「「それっ!」」

二人が両手を差し出し、手のひらから小規模の火炎を放つと、次の瞬間には、そこらじゅうを煙が包み込んだ。

「ちょっとやり過ぎたかな…どうだ?アルバ、何か見えないか…?アルバ…?」

メルバが隣を見た時、アルバは居なかった。ただ、アルバが居たはずの空間を、閃光が過っていくのが見えた。

その閃光の先を思わず目で追うと、空高く吹き飛ばされたアルバが落ちてくるのが見え、それを追いかける銀色の残像が居た。

「アルバ!」



第11話 「彼は知っていた」



「何!?今の音!」

私はその時家の中に居たけど、突如として大きな爆発音のようなものが家を包み、揺らした。

コーネリアがびっくりしてしまって、鉄網の中で走り回り始めたので、私は急いでコーネリアを抱き上げて、その背中を撫でる。

「コーネリア、大丈夫、大丈夫よ…」

私はおそろしくて、「外に出て確かめてみよう」と考えることができなかった。早くターカスが戻ってきて欲しいとだけ願っていると、ほどなくして家のドアは開き、ターカスが玄関口に立つ。

「…ターカス、どうしたの?何があったの…?」

「なんでもございません。少々のことですので、お気になさらないで下さい」

そう言ってターカスは服に付いた泥汚れを払っていた。

「でも、地鳴りみたいな…爆発音みたいな音が…」

「お嬢様…」

「ターカス、本当のことを言ってちょうだい」

私がそう言っても、ターカスは何も答えてくれなかった。

「…ねえ、どうして黙っているの?私、怖いわ!」

「大丈夫です、お嬢様。もう何もありませんから…」

私は歩行器に乗って、コーネリアを抱いたままターカスに近寄る。なぜかターカスは玄関から中へ入ってこようとしなかったから。

「ターカス…服が破けているわ…」

「ええ、少々、引っ掛けてしまいまして…」

「そう…ねえ、もう大丈夫なの?本当に何もなかったの?ちゃんと答えてちょうだい、ターカス」

「ええ、ヘラお嬢様。何もありませんよ。地鳴りがしたのは、私が着地を少々誤ったからでしょう。遠くから飛んで来ましたので」

「そう…」

「それより、今日は生きた蟹が手に入りましたので、どうやってお召し上がりになりますか?」

「え、ええ、そうね、どうしようかしら…」

私はやっぱり腑に落ちないままだったけど、ターカスは後ろに隠していた蟹を見せてくれたので、それから二人で家に入った。




「アルバ!大丈夫か!」

私は、「令嬢奪還の失敗」の報を聞いてから、心配をしながら3人の帰りを待っていた。

戻ってきた時、メルバはボロボロになったアルバの体を背負い、マルメラードフ部長はゆっくりとアルバをソファへ寝かせてやった。

「大丈夫じゃねえよ。機能停止にまで追い込まれた。俺が連れて帰って来たんだ…」

「メルバ、君は右目が…」

メルバもいくらか負傷しており、特に右目の部品が抜け落ちていた。

「大丈夫だ、俺の目は片目で足りる」

「マルメラードフさん、あなたは現場でロボットの修理もすると聞きましたが、彼女を直すことは…」

「ここじゃ無理だ。部品も工具もないんだからね。彼女を一度「ポリス」の本部に戻した方が早い」

「じゃあシルバ、本部に連絡して、シップを寄越すように言ってくれ」

「了解しました」

それからアルバは機能を取り戻さないままシップに乗せられ、本部へと戻されていった。


「マリセル。いつまでも泣いていないで、これからする私の質問に答えて下さい。これは捜査官としてのものです」

私たちはまた作戦を練るはずだったが、私はとにかくマリセルの話を聴きたかった。

「は、はい…なんでしょうか…?」

泣き顔を変えないまま、マリセルは私の方を振り向く。

「急にどうしたんだよ、ジャック」

「ターカスの出自についてだ」

「ターカスの…?わたくしは何も知らされておりませんが…」

「どういうことだね、アームストロング君」

私は、居間のテーブルの上にあったダガーリアの日記のうち、5冊目を取り上げて最後のページを開き、マリセルへ向けた。

「嘘をついてもすぐに分かる。この前当主ダガーリアの日記には、“亡き息子ターカスの名と、その魂をプログラミングしたあのロボット”、とあります。おそらくダガーリアが死の前日に書き残したものでしょう」

「そして、ターカスの廃棄を、マリセル、あなたに任せるとも書いている。マリセル、あなたは知っているはずだ。残らず話してもらいましょうか」

「そんな…!わたくしは、つい最近雇われてきただけです!そんなこと、知りようもございません!」

ただうろたえているようにも見えるが、日記に書いてあることが本当なら、「ホーミュリア家を守るためにシラを切っている」とも見えた。

「だが、さっきは「ターカスが雇われてきたのはヘラ嬢の弟君が亡くなった頃だ」と答えることができた。君はターカスのことをよく知っているはずなんだ」

「わたくしはつい先ごろ、ターカスがお嬢様を連れ去ったと確信して、さらにお嬢様が死んだと聞かされたのですよ!そんな根も葉もないことでこれ以上私を苦しめないで頂きたい!」

マリセルはまたおいおい泣き出して、ついにはそう叫んだ。だが私は疑いを捨てなかった。

「それは本当ですか?」

「えっ…?」

「本当にターカスがヘラお嬢様を連れ去ったのですか?私たちは、あなたが持ってきたメモを見ただけです」

「私が勝手にあれをでっち上げたとでも…?」

「あなたは早くターカスを葬りたかった。だが、軍用戦闘ロボットの寝首を搔くのは至難の業だ。そこへ、ターカスを押さえ込めそうな我々がやってきた…」

しばらく場は沈黙していた。マルメラードフ部長は話についてこれていないまま驚いていて、シルバは私が話を始めた時から、仮想ウィンドウをいじっていた。

当のマリセルは驚きと悲しみに打たれた時のように震えていたが、やがてまた叫び出す。

「わたくしが、あなた方を利用してターカスを破壊させようとしたと…!?なんてことです!わたくしはお嬢様の身の安全を考えていただけです!どうしてそんな疑いを掛けられなければいけないのですか!」

「ではマリセル、あなたは本当に何も知らなかったのですか?」

「知りませんよそんなこと!わたくしは今それどころではないんです!もう放っておいてください!」

「そうですか…」

「いいえ、あなたは知っていたはずですよ、マリセルさん」

そう言ったのはシルバだった。彼は多くの仮想ウィンドウのうち1つだけを残して、マリセルの方へとそれを向ける。

「へっ…?」

「ここに、僕が引き出した、このメキシコシティの、ロボット管理局のデータがあります」

「シルバ、君はさっきからずっとウィンドウを動かしていたが…」

シルバは画面に出たものを読み上げる。

「ホーミュリア家メイドロボット「ターカス」廃棄予定10月18日とあります。届出人は、ホーミュリア家メイド長「マリセル」、届出日は9月23日となっている。前当主ダガーリアが亡くなったのは、9月13日です」

「じゃあ、さっき君が言っていたのは…」

そう言ってマルメラードフ部長がマリセルを振り向くと、マリセルは急いでうつむいた。

「これはあなたがこの家に来てから、自分で届けたものです。メイド長とされるロボットにだけ許された権限を使って…」

シルバはそう言ってから、ウィンドウを閉じた。私は改めてマリセルに向き直る。

彼は怯えた様子はなく、だが、さっきよりよっぽど落ち込んでいるように見えた。

「マリセル…話してもらいましょうか」



第12話 「マリセルの思い」



マリセルは何度か迷うような素振りを見せながらも、やがて話し始めてくれた。

「あのメモは、わたくしのでっち上げなどではございません。それだけは誓います。それから、わたくしがターカスを壊したいはずがないことも、理解して下さい」

そう言った時のマリセルは、今にも泣き出しそうなのに、必死に泣くまい泣くまいと堪え、彼の電子の声は掠れて震えた。

「壊したくない?なぜです?」

そう問うと、途端にマリセルは顔を上げ、噛みつくような目で我々を見つめた。

「なぜって…!ターカスに、あの子には…なんの罪もないからに決まってるじゃございませんか!」

マリセルが放った囁き声のように小さな叫びに、私たちは全員深い深い悲しみを感じ、そこからはもう誰も口を挟まなかった。

「あの子は…ターカスは…この世に生まれいでることの叶わなかった、ダガーリア様とリリーナ様のご子息、そしてヘラお嬢様の弟様のお心をかたどりながらも、ヘラお嬢様に尽くすことのできるよう、お嬢様を敬愛し、そして誰よりも優しく接するようにと、ダガーリア様ご自身の手でプログラミングされたのです」

「ですから、具体的に本物の人格を乗せたわけではございませんでした…最初はダガーリア様はそうなさろうとしましたが、やはりそれでは、ダガーリア様自身が、いつまでも息子のことを忘れられないだろうとお思いになり…」

マリセルはだんだんと、昔のことを思い出すような、優しい声で喋ってくれた。

「ターカスは…自分がそんな期待を込められていたことも、やがては廃棄されるべき存在であることも何もかも知らずに、日々、ヘラお嬢様に尽くして、ヘラお嬢様も、ターカスを誰よりも信頼しておりました…」

「わたくしは、このお屋敷での日々のことを、ダガーリア様がお亡くなりになる直前に直接お聴かせ頂きましたが…ダガーリア様がお話になるのは、ほとんどがターカスとヘラお嬢様のことばかりで…そして、亡くなられたリリーナ様のことも少しだけ…でもそれは、辛すぎてお話になれないといったような具合でございました…」

「でも、それでも廃棄してしまわなくてはいけないとダガーリア様がおっしゃってから…ダガーリア様は、死の直前に一度ヘラお嬢様を部屋に招いただけで、わたくしたちメイドロボットにも「そっとしておいて欲しい」と願って…おそらくベッドの上でずっと、ターカスとヘラお嬢様のことを、考えていたのでしょう……」

マリセルはもう一度顔を上げて辺りを見回し、我々に強く訴えかけるようなあの囁き声で、こう言った。

「わたくしが、ターカスを壊したいはずがございません…それに、そんなことをしてしまえば、ヘラお嬢様が悲しみます…シルバ殿が見つけた届け出は…ダガーリア様のご遺志と思えばこそ、出したまでです…わたくしに、ターカスと同じ役目が果たせるわけもないのは、ターカスとヘラお嬢様を見れば、よくよくわかりました……」

「ターカスは…誰よりもヘラお嬢様を大事に思っていて、お嬢様といる時間が一番幸福そうでした…それを引き離し、ターカスを亡きものにしようなどと、一体あの光景を見た誰が、誰が願えましょう…!」

そこまでを喋って、マリセルはやはりもう一度泣いた。彼は長いこと顔を上げずに、今ではもう決まってしまったターカスの行く末と、そして亡くなった令嬢のため、泣いていた。




「うん!これは美味しいわ!蟹ざんまいの食卓なんて今までなかったのに、どれも美味しいわ!」

「そちらは蟹味噌のスープでございます、お嬢様。少しクセがありますので、ガーリックを入れ、ペッパーを強めに振っております。お口に合いましたでしょうか」

「ええ!とっても!」

テーブルの上には蟹サラダ、蟹味噌のスープ、蟹のクリームパスタ、蟹のほぐし身、蟹爪のコロッケが並び、私はその贅沢な料理を楽しんだ。

「ターカスはやっぱりすごいわ!びっくりしちゃった!」

「ありがとうございます、お嬢様」

それから寝る前までは少しだけ私は勉強をして、眠たげなコーネリアを撫でて眠らせてから、ベッドに入る。

「ターカス、おやすみなさい」

「おやすみなさいませ、お嬢様」

その時私は思い出した。

「ねえ、ターカス…今日のことよ、昼間の…」

すると、ターカスはベッドの横でかがみ込むのをやめ、少しだけ身を引いた。

「本当に、何もなかったのかしら…すごく大きな、爆発音みたいだった…びっくりして、コーネリアも怯えてしまって…」

ターカスはそこで、ベッドの脇にある、星空を映した四角い窓を振り返った。

「大丈夫です、お嬢様。もうあんなことはありませんよ」

そう言った時にはターカスは控えめに微笑んでこちらを見ていたけど、私はずっと気になっていたから、なかなか諦められなかった。

「あんなことって…?何があったの?教えてちょうだいターカス…」

「お嬢様が気に病むことではございません。もう決してあんなことは起きませんし、お嬢様に危険が及ぶことではございません。さあ、ミミと一緒にお休みになってください」

ターカスが一生懸命そう言うから、私はむしろ、「何か大変なことがあったんだ」という思いが確信に変わった。

でも、ターカスは「絶対に大丈夫」と言ってくれているし、ターカスが私に嘘をつくはずがないわ。きっと、本当に大丈夫なのよ。

私は自分を説得し、もう一度ターカスにおやすみを言った。



第13話 「ターカスには心がある!?」



「ところでシルバ、君はさっきどのようにして令嬢のステータスを確かめたんだね?」

私がそう聞くと、シルバは少し言い淀んだが、やがてこう返した。

「かつて国際的に使われていた、「遺体収容」のため、死亡のステータスを持つパーソナルチップを認識する、軍用システムです」

「なるほど。それで初めて令嬢のステータスが知れたわけか…」

マリセルはうわごとのように「ああ」とか、「なんということでしょう」などとつぶやき続け、私たち捜査官でさえ、それに呑まれて落ち込みそうになってしまった。

「だが、ここで確認しておかなければいけないことがある」

「なんだよ、確認って」

メルバは壊れた右目のあたりを気にしながら、前に身を乗り出した。

「まだ何か、ターカスについてかね?」

マルメラードフ部長も真剣に話を聴こうとはしてくれたが、彼は前に進めない現状を少し不満に思っているように、頭をかいていた。

私はそこで、初めからの物事を整理しようと、少し黙り込んだ。それを全員が見守り、私が次に口を開く時には、自然と皆、私の周りに集まってくれていた。

「皆さんもお分りとは思いますが、パーソナルチップや、ロボットの位置情報への拒否信号送信は、もちろんその主人の命令でなければ行えない範疇にあります」

そこで皆、不意に呆気に取られたような顔をした。

“そういえばそうじゃないか!”

そんな心の声が聴こえてくるかのように、メルバとマルメラードフ部長は顔を見合わせ、驚いていた。

「私は、今まで自分の意志だけで、そのようなことが出来るメイドロボットには会ったことがありません。そんなことはありえないのです」

マルメラードフ部長は少々頷き、「ふーむ」とため息を吐いた。

「確かに、そんなのは一ロボットが自発的に思いつくことじゃない…ありえないだろうな…」

メルバは今になって気づいたことに、驚いているようだった。

「俺たちが家を襲った時には、「令嬢を守るため」という自分の役目を果たしただけかもしれないが、彼女のパーソナルチップへのアクセス拒否は、おそらくターカスが軍用ステルス機能を使ったからだろう。それにしても、それだって…」

「そう。一ロボットに、主人の命令なくして、そのような行動の判断が出来る、または「そうしたい」と「希望する」ことはできない」

マルメラードフ部長はマリセルがやっと支度したお茶を一口飲み、怪訝そうな顔でこう言った。

「そんなことを、お嬢様が命令できるほど、大人ではないということだね。もしかしたら彼女は、ターカスがそのようなことができるか、知らない可能性の方が高いんだからね」

「ええ。ですから、我々は一つの認識を共有しなければなりません」

「ほう?」

私はそこで、こう言い切った。

「ターカスは、自然発生的に「自らだけが望む要望」を持つことができ、そして、主人の命令を待たずにそれを実行する、「ほとんど人間と変わらない意志がある」、ということです」

「そんなメイドロボットがいるかぁ?」

メルバは素っ頓狂な声を上げ、少々信じ切れずにいたようだが、状況を見ればそうなっている。

「そして、ここに新たな可能性が浮上する」

「なんだよ」

私は自分を奮い立たせながら、次の一言が全員に聴こえるように、少し声を高くした。

メルバもマルメラードフ部長も、次々と起こる出来ごとや、交わされる推論に半ばくたびれたような顔をしていたが、私はそれを励まそうと思った。

「ターカスがステルス化を使ってヘラ嬢の追跡を一つずつ潰していたのだとすると…」

そこで、マリセルがちょっと緊張した様子でこちらを振り向いた。

「彼女はまだ死んでなどいなくて、シルバが探し当てた「死亡」のステータスさえ、ターカスの手によって寄越された偽の情報かもしれない。という可能性だ」

「それはまた…」

マルメラードフ部長は、私の考えに難色を示すように険しい顔つきだった。

「本当にそうなんでしょうか、アームストロングさん」

シルバは、自分が引き当てた情報に自信があったようで、彼もまた怪訝そうな顔をしたが、ここまでの話は飲み込んでくれているようだった。

私はそこで、マリセルが腰掛けていた、遠くにある一人がけのソファを振り返った。

マリセルはぬか喜びにならないようにと、必死に不安そうな顔をしていたが、やはりその目はちらりと喜びに光る。

「アームストロング殿…」

「まだはっきりとは分かりませんが、確認できる情報が「死亡」で、なおかつそれが他のアクセス方法では分からなかったというのは、やはりおかしいのです。なんらかの情報操作が行われていたと考えるのが自然です」

「確かに、充分に頷ける推論とも言える」

「そうかもしれねえな…」

私たちはまた新たに作戦を練るため、少し休息を取ろうという話になり、メルバは持参した充電アダプターに体を繋げて目を閉じ、マルメラードフ部長はマリセルがやっと用意してくれた食事を摂ることになった。

私はその間で考えていた。

“もしくは、ダガーリア前当主がターカスに残したプログラミングは、自然と人間が成長するように、はっきりとした自我を持つようなものだったのではないか…”

“そうだとするなら、枕の下のメモも、令嬢の情報が、偽物らしいものしか得られなかったことも、頷ける”

“ターカスは今、何を考えている?どうして令嬢は彼についていったんだ?”

尽きない疑問の中で、私たちはアルバが修理から戻るまでの間に、少しだけホーミュリア家でくつろいでいた。



第14話 「武力が足りない」



「ではお嬢様、過去に行われた世界大戦の数をお答え下さい」

「えっ?数…?えーと、えーと、確か最後が…あっ!そうよ!歴史記述は途中で二度途絶えているから、三回分の歴史の中の大戦の数、よね…?」

「ええ、そうです。そこまで分かればあとはもう少しですよ」

「うーんと、うーんと…6…12…2……20回!」

「正解です、ヘラお嬢様。それでは次の設問で最後となります」

「わかったわ」

私たちはその日、「地球史」の勉強をしていた。ターカスがウェッブから「テスト」を持ってきて、ここ何日かで学んだところのおさらいをした。

「点数は89点。これはとてもよい結果ですよ、お嬢様。今日はごほうびに甘いお菓子を焼きましょうか?」

「わあ!やったわ!ええ、ええ、そうしてちょうだい!」

するとその時、私はある一つのことを思い出した。

“そういえば、私たちが家出をする前に、屋敷ではマリセルが「バステマ」を焼いてくれていたんだわ…”

「どうしましたか?お嬢様」

私はこちらを覗き込んできたターカスをゆっくりと見上げて、こう聞いた。

「ねえ、ターカス…マリセルが…心配してやしないかしら…?」

ターカスはちょっと気まずそうに表情を堅くすると、私たちが掛けたテーブルの真ん中あたりへ目を落とした。

「それに、叔母様も…置いてきてしまって、探してはいないのかしら…?」

突然ターカスは顔を上げて私を見つめ、なぜかとても驚いたように目を見開いていた。

「ターカス?どうしてそんなに驚くの?」

居なくなった家族を探す。それってそんなに変なことかしら…。

それからターカスは、驚いただけではなくて、だんだん悲しそうになっていき、とうとう彼の目には涙のランプサインが表れた。

「お嬢様は、お戻りになりたいのでしょうか…」

そう言った時のターカスは本当に今にも消え入りそうに肩を落としていて、「心配だから、少しだけ様子を見たい」というだけのことも言えなかった。

そうよ。私たちは、お屋敷に帰ってしまえば離れ離れに引き離されてしまうんだもの。帰らないわ。

“でも、マリセルや、叔母様は、私を探していないのかしら…?ここには誰も来ないし…もう私たちが家出して何日も経つのに、それはちょっと変だわ…”

私は胸の内に疑問を隠し、泣きそうにしていたターカスに「バステマが食べたい」とだけ言った。




“人間と変わらない意思決定をする、戦争兵器ロボット…それがターカスのある一面…だとするならば、武力面でこちらは圧倒的に不利だ…”

マルメラードフ部長は客間のベッドで眠っていて、メルバはもうエネルギー補充から覚めていた。シルバはさっきから、マリセルとバックギャモンをしている。

私はこれからこの事件に取り組むため、アルバが戻る以上の武力増強が必要だと感じていた。

現に、アルバとメルバではターカスには敵わなかったのだから。

シルバは情報探索のための捜査員だし、私には捜査の指揮と人員管理しかできないだろう。

そう考えて、私がポリスの端末を取り出した時、別のポケットからアラーム音がした。それは私のプライベート端末の着信音だった。

「はい、アームストロングです」

“遅くなってすまない、銭形だ”

端末の向こうからは、息せき切って話す銭形の声がした。まるでこちらに合わせたようなタイミングに、私は驚いた。

「銭形殿、かなり掛かりましたね。一体どうしたのですか」

“今回は相手の問題だ。そのホーミュリア家はロボット工学の大いなる権威で、世界的に貢献した一族だろう”

「それならむしろ、もっと早くても良かったのでは」

“逆だよ。君は私の端末に、対象のロボットが「人格をコピーされたに近い者だ」と書送っただろう。そこでかなりの間、お偉方が揉めたんだ。そんなスキャンダルを明るみに出すのは、とな”

「ああ、それでですか。でも、あくまで「近い」だけですから…」

“疑問を差し挟む余地は即ちスキャンダルとなるのは分かるだろう。とにかく、私と、機動隊の部下数人がそちらへ派遣されることになった”

「それは有難い。よろしくお願いします」

“ああ、よろしく頼む。もうシップに乗った。あと少しで着くだろう。では”

「はい、では」

私が通信を切った時にはシルバとメルバはじっとこちらを見ていて、メルバの青い瞳は鋭く冴え、シルバの赤い目は静かに動かなかった。彼らの良い耳には、通信端末の音声が届いていたんだろう。

「新しい人員がまた世界連からやってくる。今度は機動隊の隊員で、内の一人は“銭形”だ」

「分かりました」

「あの化け物か…」



第15話 「確保されたターカス」



「アームストロング、久しぶりだな」

「銭形殿、久しぶりです。このたびはありがとうございます」

私たちは通信のあと数分して、アームスーツに身を包んだ銭形と数人の部下を、ホーミュリア家に招き入れた。

「お前は相変わらず他人行儀だな」

つまらなそうにこちらを睨む銭形は、後ろの数人に顎をしゃくる。

「こいつがピーター、それからジョン、あとはリチャードだ。充分場数を越えてきた奴らを連れてきたつもりだが、“ヤワな方”だ」

銭形が“ヤワ”と言ったし、確かに彼らは見たところ人間のようだった。でも銭形も人間のような見た目に造られているため、話がややこしい。

ピーターと呼ばれた時に首を傾けた彼は、かなり背が高くくせっ毛で、リチャードは小柄で鼻が高く、そしてジョンは、大柄で筋肉の盛り上がった男だった。

銭形は細身で背が高い方だが、彼の目は薄い薄い赤色で、それは遥か遠くまで見通せる予測補正付きレンズであり、彼の腕はあらゆる近接武器の格納庫であり、そして足は爆発破壊のための燃焼室だ。

「どうぞ、お越し下さいまして…」

マリセルが彼らにお茶を出そうとすると、彼らは首を横に振った。

「アームストロング、時を争うんだ。詳細な説明を受けて筋道が立ったら、我々はすぐに飛ぶ」

「わかった。ではシルバ、メルバ」

私がソファで並んで待っていた二人を振り返ると、彼らは自分に保存された映像や文書データを用意して、もうこちらへ向けていた。

「はー…こりゃあ確かにお前さんらじゃ、ちと敵わないな」

メルバの目を通して保存されていたのは、おそらく「ターカス」とおぼしき残像に、アルバが次々と破壊されていく映像だった。

「あなた方の装備は」

メルバはいくらかイライラとしながら、銭形にそう聞く。

「こいつら三人はシップの中にレーザー砲なんかを積んでる。俺はこの体で足りるさ。だから先頭は俺だ」

そこでシルバはもう一度念を押した。

「できれば、ターカスは生け捕りにお願いします。令嬢の居場所が分かっていなければ、破壊はしないで下さい」

「わかってるよ。じゃあお前ら、話は聞いたか?」

「「「承知しました」」」




「コーネリア!これはダメよ!」

私がターカスに焼いてもらったお菓子を食べていた時、ちょうど網の外に出て家の中を歩き回っていたコーネリアがぴょんとテーブルに乗ってきて、私のフォークからお菓子を奪い取ろうとした。

「おやおやこれは」

ターカスがコーネリアを急いで抱き上げてくれたので、私はほっとする。

「ありがとう、ターカス」

コーネリアはじたばたとターカスの腕の中で暴れていて、私の方へ腕を伸ばしていた。私はそのコーネリアの鼻をちょいちょいとくすぐって話しかける。

「コーネリア、人間の食べものはお前には毒なのよ。いけない子ね」

そう言ってちょっと笑ってしまってから、私は最後のバステマを飲み下す。すると、ターカスは食器を浮かせて洗浄機へと運んだ。

「さて、お嬢様。お勉強もおやつの時間も済みましたようなので、食器をしまいましたら、わたくしは夕の食材の調達に参ります。よろしいでしょうか?」

「ええ、いいわ。私、今晩はフルーツがたっぷりある食事が食べたいの。探してきてちょうだい!」

「かしこまりました」

そうしてそのあとターカスの背中を見送った時の私は、自分たちがどうなるのかなんて、何も知らなかった。




「目標地点はかなり近い。お前ら、レーザー砲を準備しろ。私は空からの爆破を行う。煙幕が途切れた時にターカスがこちらに向かったら、迷わずに打て。アレはそんなにヤワじゃない。ちょっとやそっとで破壊なんかできんぞ」

「はい」

リチャードが注意深く下を眺めながら答えて、残る二人もレーザー砲が熱くなりすぎないように気をつけながらエネルギーを上げた。

「それから、1分して私が令嬢を連れ帰らず、ターカスもお前たちに攻撃をしない場合、ターカスと闘っているのは私だろう。その時は私を見つけて、援護射撃を頼む」

銭形が部下にそう命令を与えていた時、マルメラードフは緊張気味に後ろにある戦闘員が座ったシートを振り返っていた。

やがて、専用艇は空中で停止する。

「いいか。お前たちだけでターカスと対峙しなければいけない状況が避けられなくなったら、破壊覚悟で全力射撃だ」

「「「了解!」」」




わたしの耳にその時、小さなエネルギー体からの音声が入った。

「いけない、お嬢様が!」

わたしは水辺で捕まえようとした鯉を投げ捨て、慌てて飛行の体勢を立てようと振り返る。その時だった。

「お前がターカスか?」

わたしの目の前に、見たこともない人間が居て、でもすぐに彼が人間ではなく、私より高次の戦術用ロボットと分かった。

「待ちな!逃がさんぞ!」

私は飛んだ。走った。しかし相手はあくまでも私を追い続け、私たちは林の中に飛び込み、そこでもつれ合った。

ずざざざっと林の斜面を削りながら、私は彼を吹き飛ばそうと何度も爆撃を試みたが、彼の体には傷一つ付いていなかったようだった。

“こんなことをしていたら、お嬢様が!”

「放してください!お嬢様が!」

私がそう叫ぶと、彼は自分の両手で私の両手首を掴んだ。

すると私の両手首は離れなくなり、すぐさま両足も同じように何かで縛り上げられた。

私は林を突き抜けた芝生の上に転がりながら、自分を打ち倒した者を見上げる。

「磁力錠だ。同じ戦闘ロボットの君になら分かるだろう。さあ、ヘラ嬢はどこだ?」



第16話 「ターカスがいない!」



「おかしい。メルバたちの時には、爆撃をしたらすぐにターカスが現れたんだろう?」

銭形は首を傾げて、まだ何も見えてこない川辺の上で、専用艇から降りずに下を窺っていた。

専用艇の運転をしていたマルメラードフは振り返る。

「確かそうだったはずだよ。おそらくはターカスも遠隔監視ができるのか、音声認識が良好なはずだからね」

「それにしては遅い。すでに12秒が経っている。リチャード、私は下へ降りる」

「了解しました。こちらはエネルギーを充填し直します。30秒後に発射可能です」

銭形の言葉に、部下3人は頷いた。銭形は足の燃焼室を開いて滑空した。

「相変わらず、銭形さんの飛行は美しい。燕のようだ」

不意に、銭形の部下、ピーターはそう口走る。その声に、リチャードとジョンは彼を振り向いてから、物凄い速度で落下してからひょいと地上に足をつけた銭形を、じっと見つめた。

「人類は地下に潜ったこともある。でも空を諦めることはなかった。俺たちはコンプレッサーを背負えば飛べるようになった。ただ、銭形さんはどんな気持ちなんだろうな…」

ジョンがそう言うと、リチャードが口を挟んだ。

「無駄口を叩くな。充填は済んだぞ。ファインダーウィンドウを出せ」

「「オーケー」」

彼らはレーザー砲のファインダーウィンドウを出して1km下の川辺を映し出す。

そのウィンドウを見ていたジョンが、次の瞬間叫んだ。

「消えた!?」

ほかの2人も慌てて確認をしたが、銭形の姿は突如として煙のように地上から消えたのだ。

「見つけたのか…?ヘラ嬢の遺体を隠してある場所を…」

「そうかもしれない。警戒しろ。危険だ」




私が地上に降りた時、かすかな違和感を感じた。

「何かが風を遮っている」

私の近くにあった狭い空間だけ、空気の流れが遮られ、まるで小さな剥離流のようなものが起きていると感じた。

すぐに注意深くその空間へと手を伸ばすと、木のような感触があったのだ。

「ターカスは、よほど優秀らしい。私の目をもってしても見えない煙幕を張れる。破壊してしまうのは惜しいな…」

そんな独り言を言い、私はそのあとすぐに、おそらくドアノブであろう金属を探り当てて、それを開いた。




「ターカス!?また何かあった…の…」

私が振り返った先には、知らない人が立っていた。

その男の人は険しい顔で私とターカスの家に勝手に上がり込み、私へと手を伸ばす。私は床に座り込んでいて立てなかったけど、思わず腕の中のコーネリアを抱きしめて、少しだけ体を後ろにずりずりと下げる。

「ヘラ・フォン・ホーミュリア様ですね」

「…いいえ」

その人は顔を顰めてから、「帰りましょう」と言った。

きっと私とターカスを連れ戻すために、警察の人が来たんだわ。何よ、そんなに真っ黒ででこぼこのスーツなんか着込んで。

「叔母様に呼ばれたの?それともマリセル?」

私はその人を睨みつけて、そう聞いた。すると、その人は急に悲しそうな顔をする。それから私のところまでしゃがみこんで顔を下げ、とんでもないことを言った。

「あなたはターカスに騙されていたのですよ。私たちが捜索した時のあなたのパーソナルチップのステータスは、「死亡」でした。ここを見つけられたのはまったくの偶然です」

何を言っているのか、全然分からなかった。だって私は死んでなんかいないんだから、そんな検索結果が出るはずがないもの。ターカスにそんなことができるはずがないもの。

「ターカスはこの家を目視できないように、軍用のステルス化まで行い、ここを隠したのです。あなたを探しに来た捜査員ロボットを、エネルギー停止にまで追い込んだのです」

「すべてはあなたを手元に置くためだ。マリセルはあなたがお亡くなりになったという誤報ですっかり落ち込んでしまっています」

私は、わけがわからなくて首を振った。泣いてしまいそう。そんなことがあるはずがないのに。

「さあ、お屋敷に戻って、マリセルを安心させてあげて下さい」

その人は私に向かって差し伸べた手を少しだけ振って、「手を取れ」と目で訴えた。でも私はうつむいて首を振る。

「ターカスと一緒じゃなきゃ…帰らない」




私がエネルギーを取り戻し、目を開けた時には、目の前は暗闇だった。

腕はまだ磁力錠で縛られているらしい。足を動かそうとしたら、分解されているのか、私の足はなかった。

ここはお嬢様の気配すら追えない、過去都市ケルンよりも600km以上は離れた土地のようだ。周囲の空気の動きや、感じ取れる音声からは、地下であることくらいしか分からなかった。

「誰かいないのですか。ほどいて下さい。私をどうしようと言うのです」

どうやら音声システムも正常に動作している。まだ破壊され尽くしてはいない。動力炉の隣にある、思考を操るスケプシ回路もこの通り正常だ。

するとすぐに近くに何かのエネルギー波動を感じた。それが先ほど私を追い詰めた彼のものであると分かったので、私は、自分が彼に捉えられたあとで拘束されているのを理解する。

「水素はもう充分かな?先ほどは失礼したね」

「…あなたは誰です」

「名乗るほどの者じゃない。こちらの言うことを聞いてくれさえすれば、足はすぐに元に戻してやるよ」

私は注意深くそのエネルギー体の動きを見張った。スキャンに使うセンサーは目を通さずとも、いくらかは動作する。

レーザー砲が内蔵されている。高機能な方だ…磁力を操っていた腕に付いているらしい…

飛行のための燃焼室は、私より高品質だ…追いつかれるはず、か…

動力炉は、もちろん私よりも後に開発されたものだろうと思っていた。しかし、意外にもそれはおそらく腹部に内蔵されており、私より少し大型だった。

燃焼室とレーザー砲は、もしくは後付けの可能性がある…だとするなら、個人的に違法な改造を施されたロボット…

ロボットに過剰な兵器機能を取り付ける人間がどのような目的を持つかくらいははっきりしている…

「あなたは、テロリズムを起こそうとしている組織の一員ですね」

私がそう言うと、私たち二人しか居なかった小さな部屋は、その彼の大笑いで空気が揺れた。

「アハハハ…こりゃあ一本取られたな。もちろんそうだ」

「そのような方に差し上げるものは何もございません」

「いいや、聞いてもらう。たとえばそうだな、“お嬢様”のためにな…」

私がそれを聞いて動転すると、急に目隠しが外され、視界が開けた。

目の前には、遠隔監視ウィンドウが出力されており、そこにはなんと、おそらく今のヘラお嬢様の姿が映っていた。

誰かに手を引かれて、お嬢様はうつむきがちに、私たちの家から出て行こうと歩行器を動かしている。

「お前を捕まえるのに手間取ったからな、この嬢ちゃんは捕え損ねたが…もしこのあと、屋敷に戻ってこいつらが帰ってからでも、俺たちならなーんでもできちまう…」

私が負わせた爆発で部品を破損したのか、彼の顔には、さっきまではなかった眼帯がされていた。

「…外道!」

世にもおぞましい笑い声が響き、私は必死でお嬢様を見守っていた。



第17話 「逃げられない理由」



「なあ?どうするよターカス。お前にとっては造作もない事だろう?」

片方が眼帯で隠れてはいるが、もう片方の晒された目では、彼は下衆のように笑っている。

しかし、「こいつらが帰った後なら、俺達はなんでも出来ちまう」と彼は言った。お嬢様を人質に取られている以上、私は従うしかなかった。でも、それはあまりに罪深い事だった。

“ある人物を殺すのを手伝ってくれさえすれば、令嬢には手を出さないし、お前の事も黙っておいてやるよ”

彼はそう言い、汚い笑顔を私に向けていた。

彼が言う“ある人物”とは、ひそかに武力を集め、世界にまた大戦をもたらそうとしている者だと言う。だから、眼帯をした彼は、「テロリストでもあるが、俺達はレジスタンスだ」と言った。戦争を止めるのだと。だが、そのために人を殺してもいいなどとは、絶対に言えないはずだ。それは私のスケプシ回路が許さなかった。

「…お嬢様を返して下さい」

私は、ただそう願う事しか出来ない。人殺しをした私は、お嬢様の家に帰るわけにはいかないのだから。

「返すさ。きちんとお願いを聴いてくれたらな」

私は、今度は怒って、彼をなじった。

「あなたの用いる手段はかくも卑劣です!そんな事は許されません!平和を願うなら平和的な解決しか方法はありませんよ!」

私がそう言うと、彼はまた大笑いした。

「ハハハハ!長いメイド暮らしで理屈もわからなくなったのか!ターカス!」

私が睨みつけていると、彼は私に近寄ってきて、ごく近くで私の顔を覗き込む。

「この世界にはな、言って聞かせて分かる奴と、それ以外が居るんだ。分からず屋がトップに立った時の悲惨さは、分かるな?だから俺達はそれを止めるために、手段を選んではいられねえんだよ」

呪文を唱えるかのように、神妙にそう言ってみせる彼。だが、私の心は揺らがなかった。

「あなたはやはり、ただのテロリストです」

そう言うと、彼は笑っていた。




私が家に帰ると、何人か、知らない人が家に居た。そして、マリセルは大泣きして私を抱きしめてくれた。

「お嬢様!お嬢様!ああ!ご無事で何よりでございます!」

「マリセル…」

私はその時、やっと自分のした事がなんだったのか分かった。だから、マリセルに「ごめんなさい」と謝りたかった。でもその前に、確かめておきたい事があった。

「マリセル…ターカスは?どこに居るの?」

それを聴くと、マリセルは急に俯いて脇を向いてしまった。

「ねえ、ちゃんと帰って来てるんでしょう?」

私は不安になってそう聞く。すると、居間のソファに座った、白い髪の男の子がこう言った。

「ターカスは行方不明です。フォーミュリア様」

私はそれを聴き、私を連れに来た黒いでこぼこスーツの人を振り向いて叫んだ。

「どういう事!?だってあなた、「ターカスと一緒に帰してくれる」って約束してくれたじゃない!」

私は、気まずそうに俯いているスーツの人に近寄ろうと、歩行器を動かそうとした。でも、それをマリセルが間に入って止める。

「お嬢様、落ち着いてください。ターカスは今探しているところです。きっと見つかります…」

まだ言ってやりたい事はたくさんあったけど、どうやらその人はただの警察官じゃないとは分かったし、ちょっと怖かった気持ちもあって、私はそれ以上何も言えなかった。




「さて、じゃあ心を決めてくれたところで…お前のお仲間に会わせよう」

私は、足を分解されて磁力錠で両手を結わえられたまま、地下の建造物内を移動させられていた。そこはとても広く、細長い鉄の廊下の左右には、皆同じ鉄製の扉が取り付けられていた。しかし、錆びてはいない。多分、衝撃に耐えうる錆びない鉄だろう。

私は、彼が嬉しそうに言った事に返事をする。

「そんな事をした覚えはありません。わたくしを帰して下さい」

「おやおや。じゃあ令嬢がどうなってもいいのかい?」

その言葉に私は何も言えず、やがて私が乗せられた椅子の前で、一際大きな扉がスライドして開いた。

そこには、私と同じタイプのロボットがズラリと壁際に並び、それぞれがっくりと項垂れたり、こちらを不安そうに見つめたりした。中には、退屈そうにしているだけの個体も居た。

私は、壁際に一つ余った鎖を手に無理やり結ばれ、それもまた磁力錠だと分かった。それから、ぞんざいに下に下ろされると、“彼”は高らかに演説を始めた。

「この世に争いをもたらそうとたくらむ不逞の輩を、俺達全員の手で追い出そうじゃないか!それは崇高なる使命だ!そのために俺達は生まれてきたと、知ろうじゃないか!さあ!闘いを終わらせるため、闘おう!」

その声に、真剣に返事をした者は居なかった。そこで私は、“全員が無理やりに集められた者達なのか”と理解した。



第18話 「捕らえられたワケ」



私は、腕を磁力錠で縛られたまま、彼に反論した。

「ここに居る者達は、自分の意思で来たわけではないのでしょう。あなたに従う者など居ないはずですよ」

そう言うと彼はつまらなそうな笑いを漏らし、私をじっと見詰める。その時初めて、彼が真剣な顔をしているのを見た。そしてその表情は、だんだんと苦悶に歪むように力なくなっていった。

溜息を吐いて、彼はある話を始めた。

「俺の主人は、ポリスの一職員だった。データ管理の一部を担わされていた…」

初めは、私のほかに居た同じ型のロボット達も、大して興味を持っていなかったが、あるところでみんな顔を上げた。

「改ざんを発見したのは偶然だったが、それが主人の命取りとなった…」

彼は地下室より上を見上げて、天に昇った主人を恋しがるような顔をした。

「よく調べてみれば、ポリス自体が、武器密輸、及び売却に関わっている証拠が出てきたんだ…もちろん主人は真っ向から勝負したりはしなかったし、メディアに売ろうともしなかった…だから、グスタフという、自分のよく知る上司で、それなりの地位にある者のところへ、その話を密告するつもりでいた…それは日記に書いてあった…俺がその日記を読んだのは、主人が何者かに密かに殺された後だ…」

その場に居たロボットは、もうあっという間に、釘付けになって話を聴いていた。

「その後は俺が調べた。グスタフこそ武器売買の指図をする張本人で、奴は更に上からの指令で…これは誰かは分からないが…とにかく上の人間から、領地を広げるための戦争を助けるよう、指示されていたらしい…原因は、食糧問題だとよ…俺の主人は、そんな事で殺されたんだ…!」

だんだんとロボット達は彼に向かって同情に満ちた目を向けるようになって、彼は最後にこう言った。

「まあ、他人様の弔い合戦のために人を殺そうなんて、思うはずもないだろう…でも、俺一人じゃ、この世界を牛耳るポリスの権力には、勝てない…だから、頼む…」




「ねえマリセル。ターカスはどうして帰って来ないのかしら?」

「さあ…それは本当に、わたくしにも分かりません、お嬢様…」

「変だわ。私が居る所にはいつも駆けつけてくれたし、私を放っておいてどこかに行くはずないもの」

私とマリセルはそう話して、二人でお茶を飲んで、「バステマ」を食べていた。ふわふわの生地にクラブの香りが華やかに香る焼き目。それはとても心が和んだけど、ターカスが帰ってくるまでは、心配が拭えないもの。

私は後ろを振り向き、歩行器をちょっと動かした。ソファに陣取って、何事かをひそひそと喋っている「捜査員さん」達に、私は近寄っていく。

「ねえ、あなた方。あなた方のお話ししている事を、私にも分かりやすく聞かせて頂くのはいけませんかしら?」

すると、私を振り向いた、アームスーツ(と呼ぶらしい)の戦闘員さんは黙り込み、もう一人居た大人のポリス捜査員さんも、口を噤んだ。でも、白い髪の男の子は答えてくれた。

「本当は、一般市民に聴かせてはいけないのですが、ホーミュリア様、あなたの意見も伺いたかったのです」

「おいシルバ!」

大人二人が慌てだすのがなんだかおかしくて、私は「じゃあ、聴かせてちょうだい」と先を急かしてしまった。

白い髪の少年は少々俯いていたけど、何かを整理し終わったのか、顔を上げて私の目を見る。

「ターカスが居なくなったのは、あなたが僕達に連れられて行く時の前後、数分もないでしょう。あなたは、「家に銭形殿が現れる数分前に、ターカスは出かけて行った」と言いました。そして、あなたがその場を離れるとなったら、ターカスは遠くに居てもそれを確かめられますから、すぐにあなたを追ってくるはず…」

私は、あんまり男の子の言う事が正確だから、びっくりしてしまった。

「え、ええ、そうね…」

男の子はなおも真剣な顔で、私にこう訴える。

「ターカスが負傷して破損する可能性は低いです。それなら、今度はターカスが家出をしたのかと思いたいですが、彼は必ずあなたについてくる。それが出来ないとなると、誰かに破損されたのかもしれません。でも、その時刻が問題なのです」

「問題って?なぜそんなに時間が問題なの?」

大人達は必死で私達の話を聴いていながら、どこか気まずそうな面持ちだった。

「あの時、自動射撃システムは、あなたがいらっしゃった付近では、完全に停止していた。可能性は低いですが、あの土地に元々居た者か、もしくはシステム停止の時間を知っている者以外に、ターカスを破損出来た者が居るはずがないんです」



第19話 「大いなる陰謀」



「ねえ…その、“自動射撃システム”って、何かしら…?」

私が聞いた事に、青い髪の男の子が答える。

「あなたが居た「過去都市ケルン」の一帯は、世界連によって人類が締め出されてるんだ。近づこうとすれば射撃されて、シップも簡単に墜落する。どうやら、ターカスはそれを跳ね返せるらしいけどな」

その男の子は、なんだか納得していない様子で、私を見て、文句みたいにそう言った。

「そ、そんな事に…そんな場所にターカスを残してきて、大丈夫なのかしら?」

私は慌てていたのに、青い髪の男の子は動じないで、やや呆れたように、脇を見てこう言う。

「大丈夫だろ。まだ銭形とは勝負してねえけど、アルバを一瞬で破壊出来るんだからな」

「えっ?破壊って…?アルバって、何…?」

私がそう聞いても、青い髪の男の子は「それはいいんだよ」と言って、こっちを見てくれなかった。そのまま、話は移り変わる。

「要は!ターカスが捕らわれるとしたら、よほどの力が必要で!銭形達がケルンに侵入する時間を知ってなきゃ無理って話!」

私はそれを聞いて、なんだか物語を目の前で読まれているような気分になった。だって、それは多分、とても強い人達にターカスがさらわれていったって事だろうし、そんな事、本当にあるのかしら…?

「じゃあ、ターカスは…」

そこで初めて、お洒落な上下揃いのスーツを着た「捜査員さん」が口を開いた。彼は私に向かって、ゆっくりとこう話す。

「あなたを置いて家出をしたか、もしくは何者かに捕らえられているかのどちらかです。どちらがより可能性が高いですか?」

私はもちろん、「ターカスが私を置いていくはずがない」と言いたかった。でも、家庭用のメイドロボットを、殺されるかもしれない局面に立ち向かってでもさらいたい人なんて、居るのかしら…?

私には、確かめないといけない事がある。この数日のケルンで起きた事だって、全部知ってるわけじゃないから。私は少し顎を引き、捜査員さんを見詰めた。

「ターカスが、私を置いていくわけはありません。でも…もしターカスがさらわれたんだとしたら…今度はあなた達の思い当たる理由を、伺いたいわ」




眼帯をした彼は、名前を「エリック」と名乗った。亡き主人にそう呼ばれていたと。「型番はΨ-AH56602だよ」と何気なく彼が言った事で、少々古い型なのは分かった。ギリシャが大戦で滅んでしまってから、ギリシャ文字はこの二十年ほど、あまり使われなくなったからだ。

亡き主人の事を話してからのエリックは、部屋の真ん中に座って私達に囲まれ、胡坐をかいたまま俯いていた。

エリックは、私達が今居る場所を、「以前、世界連が持っていた凶悪犯の収容所だ」とも説明してくれた。それから彼は、こう言った。

「お前達にしか頼めないんだ。お前達は、戦闘と諜報のスペシャリストたるロボットだ。もしポリスのトップが世界連にでも話を持って行ったら、俺一人じゃ、絶対に太刀打ち出来ない。それに、兵器として発明されたロボットの内で、世界連が保有している以外に残っていたのは、お前達だけだったよ…」

私の心は、やはり痛んだ。エリックの言う事が正しいのだとしたら、これは、大いなる陰謀によって理不尽に殺された人のための、報復であり、遺された意志の貫徹だ。でも、選ぶ方法によっては、エリックもただの殺人犯となってしまう。だから、言葉を慎重に選んだ方がいいと思った。

「エリック。あなたは、亡きご主人の意志を貫ければよいのですね?それなら、どこかに、その「グスタフ」の息の掛かっていない人物は見つけられなかったのですか?」

エリックは俯いたままで、ゆっくり首を振った。めまいを起こしているように。

「居ないよ…ポリスを直接動かせる権限を持った者は、全員グスタフの手駒みたいだ…俺は、それもおかしいと思ってる…要は、ポリスを動かしているのは、グスタフだって事になる…」

「グスタフがポリスを?グスタフより上の立場の者は居ないのですか?」

「居るよ。でも、全員強い権力は持ってない。グスタフの方が、現場指揮のトップであるがために、即座に権限の行使が出来て、発言力もある…」

私は、彼が話している事を聞いていて、ますますエリックの話を信じる気になった。でも、だとしても、その「グスタフ」を葬るより、その企みを白日の下に晒して彼の罪を裁く方が、正しい道だと思えた。

「エリック。あなたは認めないかもしれませんが、やはりあなたの起こそうとしている事は、非道な行いなのです。そんな事は、あなたの主人も望みません。あなたさえその陰謀の犠牲となるかもしれません。そんな事は、あなたのご主人は許しませんよ」

私がそう言うと、エリックはゆらりと首を上げ、私を睨みつけた。

「…そうだ。これは、俺の意志だ」



第20話 「追跡」



エリックは、「これは自分の意志だ」と言った。エリックには、主人を想う気持ちと、義憤に燃える心があるのかもしれないと、私は思った。しかし、やはり私には出来ない。人を殺すなど。

「エリック、私はメイドとして、家庭に居たのです。だから、人を殺すなど到底出来ません」

私がそう言うと、エリックはまた元の毒々しい笑い顔に戻ってこう言った。

「ロック機能の事だろ。でも、ターカス。お前達からそれを外すのは簡単だったぜ。だってお前は元々は兵器なんだから、むしろ人を殺せないロック機能の方が後付けなんだよ」

私は驚愕し、戦慄した。まさか。

「エリック!あなた、まさか…!」

エリックはやけにゆっくりと頷いた。

「ああ。もうロックは取り除いてある。お前は今や、戦争兵器だ」

“ああ!私はもうお嬢様のところへ戻れないかもしれない!”と、私は思った。

人殺しのための道具に戻ってしまったら、私は、ヘラお嬢様を守る者としては生きられない。そう思った。だから私は動かない体を動かし、エリックに掴みかかろうとした。でも、足が取り外され、磁力錠に腕が捕らえられた私は、床に転がる事しか出来なかった。

「なんという事をしてくれたのです!あまりに酷い!」

私がそう叫んでも、エリックは相手にしてくれなかった。彼は今度は、笑いもせずにまた真剣な顔になり、こう言った。

「言っただろ。手段を選んでいられねえんだ」




「捜査員さん」は、アームストロングさんと言い、でこぼこアームスーツの人は「銭形」と名乗った。それから白い髪の男の子は「シルバ」、青い髪の子は「メルバ」。そして、私がケルンに居た時、「アルバ」という子を、ターカスが破壊したのだと。そして、ターカスは元々は兵器としても働けるように作られたロボットで、“ある理由”のため、私の家に連れてこられたと。アームストロングさんが教えてくれた。

「ねえ、その“ある理由”は、どんなものか分からないの?」

私がそう言うと、アームストロングさんは首を振る。

「わかりません。ダガーリア氏が生前そうしたのだという記録しか読み取れませんでした」

でも、そう言った後のアームストロングさんは、しかめっ面になって黙り込み、それ以上話をしようとしなかった。

“何か隠しているわ。彼はまだ話し切っていない事がある”

そう直感した私だったけど、これ以上尋ねても答えてくれなさそうだと思ったので、話を先に進めた。

「でも、ターカスがそんなに強いロボットだったなら、さらわれたと考えるのは、おかしいんじゃないかしら?だって、そんじょそこらのロボットじゃ、歯が立たないんでしょう?」

その時、もう一度シルバ君が口を開く。

「ええ。だから我々は困っているのです。ですが、もしあの時間に射撃システムが止まる事を知る者が居たのだとしたら、もっと困る。それはお分かりになりますか?」

私は、その時自分が言う事が、まるでドラマの中の台詞のように感じた。

「何者かが…あなた達の情報をこっそり抜き取っていた、って事よね…?」

こんな言い方をした事もないし、こんな場面に自分が遭遇するなんて思わなかったわ。

シルバ君は仮想ウィンドウをいくつも立ち上げたままで話す。

「僕が管理する情報ではないかもしれませんが、何者かが潜り込んで情報を盗み取っていたとするなら、これは新たな事件になります。今度はターカスを探してみているのですが、今度も、彼の追跡は不可能です…」

そこで、ソファに居た壮年の、少し小太りの男性が口を挟んだ。

「君は位置情報検索にばかり手を焼いているね」

シルバ君はこう言う。

「ええ、まったく。ターカスの位置情報にアクセスしようとしても、拒否信号すら送られてこないのです。もしや、本当に破壊されて、全壊にまで追い込まれているかも…」

横からアームストロングさんが声を掛ける。私はもう、蚊帳の外になりかけていた。

「拒否信号がないとなると、全壊かもしれないな…誰がやったのかは、分からないが…」

「ええ。今それを突き止めるため、マルメラードフさんが渡してくれたタブレットで、過去都市ケルン付近に侵入者がなかったか、世界連の衛星から、また調べているところでもあります。並行して、ターカスの捜索を」

シルバ君は右手でタブレットを、左手で仮想ウィンドウを操作していた。

私はなんと声を掛けたらよいか分からなかったけど、彼らにターカスを見つける手助けをして欲しかった。でももう、「全壊かも」と聞いて、私は落ち込み掛けていた。その時だった。

「あった!ありました!」

シルバ君のその声に顔を上げると、周りのみんなも全員彼に注目していた。

「居たのか!ターカスが!」

アームストロングさんの叫びに、シルバ君は首を振る。

「いいえ、ターカスの追跡情報ではありません」

シルバ君はマルメラードフさんのタブレットを持ち上げて私達に見せ、隅の方を指さした。全体が青く染まっているタブレットの画面に、小さな黄色い点が二つある。

「これは、ロボットの動力炉に微かにある、熱源です。アクセス解析ではありませんからこれがターカスであるかは分かりませんが、ここに二人のロボットが居た事になります」

私は話についていけなかったけど、アームストロングさんは分かったようで、シルバ君の方を見てびっくりしていた。

「という事は…」

「やはり、ターカスは何者かに捕らえられたのかもしれません」



第21話 「捜索」



私はとりあえず、起こった事を整理しようと話を始めたかった。でもその前に一つ、ヘラ嬢に肝心な質問をした。

「ヘラ・フォン・ホーミュリア様。あなたは、誰の意思でこの家をお出になったのですか?」

ヘラ嬢は言いにくそうにしていた。それはそうだろう。事がここまで大きくなってしまったのだから。でも彼女は、顔は俯かせながらも私の目を見て、こう言う。

「わたくしが家を出たくて…ターカスに命じて、そうしました…ごめんなさい」

その言葉を聴いてマリセルを振り返ると、彼は思った通りにショックを受けていたようだった。私はまた前を見て、ヘラ嬢に聞く。

「命じたという事は、“命令の句”を使ってしまったのですか?」

ロボットに自分の意思を絶対的に示す時には、肩書きとフルネームを使い、「命じる」と断言しなければいけない。

ますます気まずそうに、もう泣きそうな顔をして、ヘラ嬢は「はい」と答えた。

「そうですか…」

ヘラ嬢は何も、ターカスに犯罪を起こさせたわけでもない。問題は、ヘラ嬢の望みを徹底的に完遂出来る以上の能力を持ったロボットであるターカスが、屋敷にも戻らず、どこかへ消えた事だ。

私はその場に居た全員を振り返り、こう話し始めた。

「ターカスが戻るまで、私達は安心出来ない。彼は兵器ロボットで、どうやらその実力を発揮出来るのだから。彼がどこに居るのか分かるまで捜査が続けられるよう、私は上に報告をする。シルバは続けて捜索に当たり、メルバは本部へ戻ってくれ。マルメラードフ氏、あなたはもう一度世界連への交渉にあたってくれますか?」

そこでマルメラードフ氏は、室内をきょろきょろと見回し、小さな声でこう言った。

「アームストロング君、いつまでもこのお屋敷を使わせてもらうのは、まずいんじゃないのかね?それに、本部の方が何かとやりやすいだろうし…」

そう言われるだろうと思っていた。私は、ヘラ嬢とマリセルが腰かけるテーブルに目をやる。予想通り、ヘラ嬢は私の目を見詰め、こう言った。

「ここで続けて捜査をして下さいませんか?こちらが出来る事はなんでもしますわ」

その言葉に私は頷き、マルメラードフ氏も納得してくれた。メルバだけは、不服そうに屋敷を去った。




マルメラードフ氏は、長い事、ウィンドウ越しに世界連の上司と話し合っていた。それで彼は、どうやらこうやら、継続して衛星の情報を提供してもらう許可を得た。

シルバはそれで情報探索のために使えるシステムが増えたが、だからと言ってすぐに見つかるわけではなかったらしい。

世界連の衛星をすべて動員しても、ターカスの痕跡さえ見つけられなかった。

「ダメです…出ません」

お茶を飲んでいたマルメラードフ氏は、顔を上げる。

「そんなはずはなかろう!衛星をすべて使えるというのに!」

「ええ、そのはずなんですが…どの衛星からターカスの型番、「GR-80001」にアクセスしようとしても、検索結果は0件なのです」

「ええ?という事は、彼はもう破壊されてしまったのかい?」

「そうなのかもしれません。なぜ、誰がそうしたのかは、分かりませんが…」

ヘラ嬢は食事をしていた時にそれを聴き、動揺してしまったようで、泣きながらテーブルを去った。

私はそれから、もう一度銭形とメルバに「過去都市ケルン」に行ってもらい、今度はターカスの痕跡がないか、捜査をしてもらう事にした。マルメラードフ氏は、上司に対して「戦争兵器が消えたんですぞ!絶対に捜査の必要がある!」と息巻いて叫び、今一度の射撃システム停止をしてもらった。

私とメルバは、マルメラードフ氏の運転で、また「ケルン」へと赴いた。そこには、もうステルス化の施されていない白い家があり、私達はまず、その家から始めて、近辺に何かターカスの痕跡がないか、探っていた。

家の中は、人が居なくなったもぬけの殻らしい佇まいで、キッチン、ベッドに、テーブルと、ウサギ小屋があった。大して見る物もなかったので、私達は家を出て、広範囲の探索をしようと話していた。

「俺はこっち、銭形殿、あなたは逆の方向を」

メルバは、私をあまりよく思っていない。私はそれが少々気になってはいたが、子供の機嫌になど構っていられないので、「そうしよう」と返事をして、私達はそれぞれ逆方向へと飛んだ。

燃焼室を開き、レンズをハイスピードモードにして、速く行き過ぎる景色を丁寧に確かめながら飛ぶ。私は、白い家の近くを通っていた川に沿い、地面すれすれを飛んでいた。

大分遡ったあたりに、木が何本も倒れている場所がちらりと見えた。

“あったか”

私は、やっと見つけたと思って倒木に近づいていった。




その辺りの草木は焼け焦げていて、地面も、ロボットが地上で高速移動をした時に特徴的な削れ方をしている。ただ、それは大きく、長く続いていた。

焼け跡を辿る間にメルバを通信で呼び寄せ、私は地面にまだ何かがないか、スキャンをしていた。すぐにメルバは私の所へ飛んできた。

「見つかったのか!?」

「痕だけだが」私は捜索を続けながら、振り向かず答えた。

「これは…」メルバは驚いたようにそうこぼす。彼にも、その焼け跡がどんな意味を持つのかは、分かったようだった。私達は二人で黙々と辺りを探し回っていたが、メルバが立ち上がった気配がして、私は振り向く。

「これ、目だよな」

彼は、片手にロボットのレンズを持っていた。それはターカスの物ではなかった。私はメルバに近寄り、慎重にその目を眺める。

「帰ってシルバに預けよう。誰の物か分かれば、ターカスを追う事も出来るかもしれない」

「ああ」



第22話 「敵の大きさ」




私達がフォーミュリア家に戻った時、シルバは居間のソファでパワーを落として眠っていて、もう半分のソファは片付けられ、仮想スクリーンが大きく壁に映し出されていた。

「戻ったぞ、アームストロング」

スクリーンを見詰めていたアームストロングは、こちらを振り向く。

「おかえり。収穫は?」

そこでメルバは、黙ってシルバに近寄り、彼の首にある電源をタッチした。2秒ほどで、シルバはパチリと目を開ける。メルバは、起き上がったシルバに、私達の見つけたレンズを渡した。

「おかえりなさい、メルバ。こちらが見つけた目ですか」

「焦げ跡がある。誰かの破損によって落ちたと考える方が自然だ」

「分かりました。図面から検索しますので、待って下さい。5分位掛かるかもしれません」

シルバの隣でお菓子をパクついていたマルメラードフが、こう言った。

「部品だけで検索しなくちゃならないのに、5分で済むのかい?」

シルバはこともなげに、「僕がアクセスを許可されている、ロボット管理の全データへの同時アクセスをします。5分掛かるのは、システムが重くなった時です」と言った。マルメラードフは「うへえ」と驚き、またお菓子をつまんでいた。




「お嬢様、マリセルです。お入りになってはいけませんでしょうか」

私の自室の扉をノックして、マリセルが控えめな声で呼び掛けたのを聴いた。私はベッドに伏して泣いていたけど、慌てて涙を拭いて、少し大きな声で、「いいわよ」と言った。

ドアを開けて慎重に上半身だけを現したマリセルは、私の顔を見て、悲しそうな顔をした。それから、扉をくぐって後を閉める。

マリセルには、泣いていたのは分かってしまったみたい。でも私は、言い訳をしようとは思わなかった。

「お嬢様、さぞご心配だと思いまして…お一人で居るのは寂しいでしょう…」

マリセルは、もうターカスの事を知っている。知っていて、私のために隠していたのだと分かった。彼なら、私にとってターカスがどんなに大事なのか、分かってくれる。だから、こう言った。

「ええ…とても…」

マリセルは、それ以上何かを口にするのも辛そうな顔をしていたから、私はすぐにこう言った。

「でも、大丈夫よ。ターカスが私を置いていくはずがないもの」

「そうですね…」

その時、私の部屋のドアが、別の人物によって、コンコンコンとノックされた。マリセルは振り向き、「どなたでしょう」と聞く。

「アームストロングです。ホーミュリア様に見せたい物があるので、居間においで頂きたいのですが」

私は少し怖くて、それから精一杯期待をして、「今行くわ!」と叫んだ。




「それで、どのように動くつもりですか?勝機はあるのですか?」

私は、エリックと押し問答を繰り返した上、彼の意志は絶対に曲げられないと分かり、ひとまず彼の作戦を聞いていた。

「ポリスに居る時のグスタフは、ポリスが保有する武力の強いロボットに囲まれてる。武力を行使出来る組織なんだから当たり前だ。ただ、奴はほとんど家に帰らないらしい。それに、家にも戦闘用のロボットがわんさか居る。でも、家の方が警備は手薄だ。あくまで個人宅だからな」

あちこちに目を走らせながらそう言ってから、エリックは私の目を見た。

「だから、家に居る時間を狙う。ただ、その前にグスタフに指示を出しているのは誰なのかを突き止めなきゃならない。だから、お前達には、グスタフの情報を集めてもらう」

「ふうむ…エリック、あなたの情報収集は上手くいかなかったのですか?誰かがグスタフに指示を出していると分かったのは、なぜです?」

私がそう聞くと、エリックは目の前に小さなメモ用紙を1枚出した。初めは真っ白な紙だと思ったが、よくよく見れば、文字を書いた下に敷いてあった紙なのか、凹凸が見えた。だから、何が残っているのかを私は読む。

“07.10 ウイスキー10本、ジン20本、サケ1本”

「これは…?」私はメモ用紙を手にとってまじまじと見てみた。確かに、日付と酒の名前が並んでいる。僅かな跡だったが、はっきりと読めた。

「おそらく、隠語にして書いた、武器売買の注文書だろう。同様のメモをあと2枚見つけた」

「それは、一体どこで?」

「グスタフのオフィスさ。俺は、主人の葬儀の日程を伝えて、今までの感謝をしたいと嘘をついて、ポリスに入る事が出来た。それで、なんとかグスタフが居ない時間に、奴のデスクを探ったんだ。その時に、主人が日記に書き留めていた内容と同じ、このメモを見つけた」

「あなたのご主人は、どんな事を書き残していたのですか?」

そこでグスタフはちょっと上を見上げ、思い出しているようだった。

「“ウイスキー”は銃、“ジン”はおそらくレーザー砲、“サケ”は多分…大型のボムだ」

私はびっくりして、「そんな!」と叫んでしまった。

大型のボムには、都市を一つ焼け野原にする位の威力がある。そんな物をポリスのトップが他に売り渡すなど、考えられなかった。

「そんなもこんなも、事実はそうなってるはずだぜ。主人は、こっそり忍び込んだ武器庫の中で、空っぽになったボムの格納庫を見てる。日記にそう書いてあった」

私は驚愕し、事の重大さを理解した。だが、やはりもう一度エリックの説得を試みる。

「エリック。事を明るみに出せばいいだけなのです。何も殺す必要などない。だって、もし彼が世界連の裁判に連れて行かれれば、死刑は免れないでしょう。それでは不満なのですか?」

私が喋っている間から、エリックは呆れ笑いと共に、首を振っていた。

「ターカスよ。ここまでする奴が、世界連に金を握らせてないと思うのか?これがもしかしたら、世界連すら巻き込んだ、いやさ、世界連こそが主導する争いだとは、想像しないのか?」

私はそれを聞き、絶句してしまった。




第23話 「潜む者」



「世界連が主導して…!?そんな事、あるはずがない!」

私がそう言うと、エリックはまた呆れ笑いをした。私は更にこう言う。

「だって、グスタフに指示をしている者が誰かも分からないんでしょう!?それに、そんなのは非現実的な虚構です!」

その時グスタフは俯いていたが、もう一度顔を上げると、こう言った。

「じゃあ、汚職を見抜いた職員が変死をするのは、現実的なのか?」

私は何も言えなかった。確かに、もうそんな事は言っていられない非常事態だったのだ。

「グスタフが利用しているいくつかのキャッシュサービスのデータへ、俺は潜り込んだ。うまーく隠された一つの会社で、給与や賞与なんて目じゃない、とんでもない金額の送金がされた記録があった。そして、相手のアカウントを探って…長い時間は掛ったが、送金をした人物の名前を確かめられた」

私は緊張し、興奮しながら「誰だったんです」と聞く。エリックは立ち上がりながら答えた。

「ミハイル・マルメラードフ。世界連、暴力犯対抗室の室長だ」

「それは、どこからお分かりになったので…?」

「初めに見つけたのは、偽装された捨てアカウントだったさ。でも、アカウントの情報を得るために、キャッシュサービスのネットワークへ侵入した。一時的にジャックしたんだ。すると、デバイス使用者の氏名と住所が出てきた」

「でも、それは…」

そんな事をする人物が、当たり前に正しい情報を入力しているはずがないと思った。思った通りに、エリックは頷く。

「ああ。偽名で、デタラメな住所が登録されていたよ。ご丁寧に証明も偽造したらしい。デバイスの情報も、位置情報まで偽装されていた。でも、デバイスと位置情報の偽装は、元々あったデータに上書きをしなきゃできないものだ」

「そこから割り出したのですね…」

エリックは壁際まで歩き、そこへ背を預けると、腕を組んでこちらを向く。

「そのアカウントからは、2年間で計4回の送金がされ、どれも莫大な金額だった…世界連からグスタフへ送金をした記録は、帳簿に残されているはずがない。そんな必要はポリスにはねえからな。だからこれは、俺の主人が睨んだ通りの、一大汚職事件のはずだ」

「そうだったのですか…」

「ただ、分かっているのは、世界連の職員から、グスタフへの莫大な送金があったって事だけさ。マルメラードフが指示を出しているのかまではわかっちゃいねえ」

私が下を向いて事を整理していると、エリックは壁際からドアへと歩き出した。

「事情の説明は済んだな。お前の足を持ってきてやるよ」

私はそれを聴きながら、“このままでいいはずがない”とだけ考えていた。




「これは…」

私の手の中に、ロボットの目の部品があった。それは、アームストロングさんが渡してくれた。

「見覚えはありませんか?ヘラ嬢」

私に心当たりはなかった。だから私は「ありません」と言う。

その時、ソファで仮想ウィンドウをタップしていたシルバ君が振り向いた。

「ありました、アームストロングさん」

それでアームストロングさんも後ろを向き、シルバ君のウィンドウへ近寄っていく。私は手に持った目をどうすればいいのか分からなかったけど、そのまま持っていた。

「ほう、真っ当な家庭用ヒューマノイドだな」

「主人は、ポリスの職員のようです」

遠くに居た私にも、ポリスの職員さんの名前が見えた。

「ジミー・マクスタイン、か。ではまず、この家に行ってみよう。銭形、君も来てくれ」

アームストロングさんと銭形さんは頷き合って、シルバ君は仮想ウィンドウをすべて閉じる。私はその時、ドキドキして、怖かったけど、居間を出て行こうとした二人にこう言った。

「私も連れて行って!」

二人は振り向いて、怪訝そうに首を傾げる。それからすぐに「ダメです」と言った。

「お嬢様、これは危険な仕事です。あなたを連れて行くわけにはいかないのですよ」

アームストロングさんがそう言うから、私はもう一度繰り返す。

「いや!ターカスを連れ戻すんでしょう!?私が行かなくて、どうするっていうのよ!」

銭形さんはため息を吐いて額に手を当てた。

「我々はあなたを守るのが仕事なんだ。こんな事に関わらせたなんて知れたら、クビが危ないんです」

その言葉に私は反論出来ず、その間にドアをくぐっていった二人を睨みつけ、じっと黙っていた。

何も出来ない自分が情けなかったし、ちゃんとターカスが帰って来るのか分からなくて、私は不安だった。

「お嬢様…」

マリセルが心配そうに私を呼ぶから、仕方なく私はテーブルに戻った。




第24話 「二人とも消えた」



私はそわそわとしたまま、アームストロングさんと銭形さんが戻るのを待っていた。やがて二人が帰って来るまで、お茶を飲む気にもなれなかった。でも、その途中でシルバ君が何かの通信を受け取り、彼はまたいくつもの仮想ウィンドウと闘っているみたいだった。

私はその時、不安な想像に囚われていた。

ターカスはもうぼろぼろに壊されていて、マクスタイン家でその様子が見つかり、アームストロングさんと銭形さんが、バラバラになったターカスを連れて帰って来る…そして、「こうなった以上、もう直す事は不可能でしょう」と私は言い渡され、泣く事しか出来なくなる…。

不意に私の耳に足音が届いて、ハッと顔を上げた時、私は自分が居るのが自宅の居間だと思い出し、足音が廊下からだと分かった時、慌ただしく居間の扉が開いた。

「シルバ!わかったか!」

そう叫んだのは、アームストロングさんだった。銭形さんはもうアームスーツを脱いでいたけど、彼は、ソファに放ったスーツをもう一度着ようと、手を伸ばす。

シルバ君は二つのウィンドウを出していたけど、首を振ってこう言う。

「ありません」

「ない!?じゃあ、“エリック”はどこへ!」

「わかりません」

私には、彼らが何を話しているのか分からなかったし、説明して欲しかったから、歩行器を近くに寄せて、「どうしたの?」と聞く。私の質問には、銭形さんが答えてくれた。

「あなたが先ほど手にしていた目を持っていたロボットが、消えたのです。ロボットの所有者は死亡していました」

「え…?それって、どういう事…?」

「まだ分かりません。ですが、シルバの検索では、そのロボットも見つからないようなので、ターカスもそのロボットも、何者かに破壊されているかもしれません」

「どうしてそんな事に…?」

「現時点では、分かりません。これからまた捜査をします」

「ねえ、銭形さん…またスーツを着たのね?」

「ええ。万一の事を考えまして」

私が「万一って、どんな事情かしら」と聞くと、銭形さんは言い渋っていたけど、後ろを向いて、扉に向かいながらこう言った。

「ターカスがそのロボットに捕らえられて、どこかに隠されている、という可能性です」

私は、広がり続けるこの事件を、だんだんと受け入れられなくなっていた。

“どうしてターカスがそんな目に遭わなくちゃいけないのかしら?だって、彼は何もしていないはずだわ…それなのに…”

私は心細くて堪らず、“早くターカスを連れ戻さなくちゃ”と強く願った。




私は足を元に戻してもらって、腕の磁力錠も外された。だから私は飛行や走行が出来るようになったし、腕に付いているあらゆる火器も使用可能になった。それは意外な事だった。

「エリック。私達を自由にした途端、私達があなたを害するとは思わなかったのですか?」

そう聞くと、エリックは首を半分振り向かせ、「へえ?そんな威勢があるのか?」と言っただけだった。

「まず、ポリスに潜り込む奴と、グスタフの自宅に潜り込む奴に分ける。お前らの希望は?」

エリックがそう言った時、意外にも、多くの個体が自分の希望を持っていた。中にはまだエリックを止めようとしていた者も居たし、興味がなさそうに話を聴いていなかった者も居たが。

私は、“エリックを止めなければ”とやはり感じていた。

もし成功したとして、残忍で巨大な争いは葬られるかもしれないが、それをしたエリックはきっと破壊され、貶められる。そんなのは許せない事だと思った。

「エリック。もう一度考え直して下さい。これが成功したところで、あなたは英雄ではなく、殺人犯になるだけなのですよ。私達も、一緒に証言をします」

私がそう言うと、エリックは大きなため息を吐き、こちらを見た。

「お前はまーだそんな事言ってんのか。そんなの関係ねえんだよ。そうさ、俺は殺人犯になる。そして解体されるだろう。そんなのは承知の上でやるんだ」

私はその時、大いに迷った。多分その時が、エリックを説得出来る最後のチャンスだろうと思ったからだ。

「では、どうなろうとも、グスタフを葬るのですね」

「ああ」

念には念を入れ、もう一度こう聞く。

「わたくしがその邪魔をしようとしたら、どうします」

エリックは胡坐をかいた膝に肘をついて顔を支え、私を睨みつけていた。

「お前を壊すまでだよ」




私は、居間に残ったシルバ君とマルメラードフさんの傍に居た。ずっと黙って、誰とも話をしようとしなかった。でも、私は様々に、動けなくなるまで壊されてしまったターカスの様子を何度も想像して、泣きそうなのを堪えていた。そこへ、マルメラードフさんがこう話し掛ける。

「ヘラ・フォン・ホーミュリア様、あなたは、ターカスと普段どんな風に過ごしていたんですかな?」

私は、非日常の中に差し込まれた日常に、逆に違和感を覚えながらも、質問に答える。

「どう、って…チェスをしたり、お喋りをしたりしたわ…」

「ほう!チェスを!彼は手加減をしてくれましたか?」

にこにことそう聞くマルメラードフさんに、私は「いいえ」と言って笑った。

少しだけ、元の日々のように私は笑ったけど、それもすぐに途切れてしまった。

「では…今回のように、彼が戦闘能力を有していると分かるような事は、なかったわけですね?」

私は、その質問の答えを考えた時、ターカスが私をおぶって高速で飛行していたのを思い出した。それが戦闘能力かは分からなかったけど、“きっと捜査の力になる”と思い、こう答えた。

「ターカスは…過去都市ケルンに行く時…私をおぶって高速で飛びました…摩擦でシールドの周りが光るほど、速かったわ」

「ほお、それは興味深い。まず、人を背負って周りにシールドを張るなど、戦術ロボットでない限りは出来ませんからなぁ」

唇の下に指を添えて上を向き、マルメラードフさんは何かを考えているようだった。私はその間に、シルバ君の方を向く。

「シルバ君、何か分かった?」

シルバ君は振り向かずに、こう答える。

「マクスタイン氏の死には、事件性が見られたようです。しかし、ポリスの捜査でも、結局真相は分からずじまいだったと」

「ええっ!?」私とマルメラードフさんは、同時にそう叫ぶ。

「そ、それは大変じゃないか君…」マルメラードフさんは、シルバ君のウィンドウを覗き込もうと、シルバ君の後ろに立つ。私もそうした。

「マクスタイン氏が所有していたロボットは、ポリスにも登庁しています。名前は“エリック”…もしかしたら、彼なら、僕や、ポリス内部の情報にアクセスしようと考えるかもしれません…どんな理由かは分かりませんが…」

事態はいよいよ深刻だと思えたし、私には、先がどうなってしまうのか分からなくて不安だったけど、息を詰めて、シルバ君のウィンドウを見詰めていた。




第25話 「事態の進み」



「それにしても、本当に大変な事になりましたな、ヘラ嬢。私はちょっと上司と通信をするので、少々失礼させて頂きますぞ」

シルバ君の出した仮想ウィンドウを見ていたマルメラードフさんは、そう言って席を立った。

「ええ」

私は続けてシルバ君が動かすウィンドウを見ていたけど、あっという間に文字が流れ去ってしまうので、何が書かれているのかはよく分からない。でも、シルバ君にはちゃんと分かっているようで、彼はスクロールをやめる事はなかった。でも、あるところでそれはピタッと止まる。

そこにあったのは、マクスタイン氏が所有する“エリック”というロボットの図面だった。

「変ですね」

「何が?」

シルバ君は唸りながらうつむいた。何を考えているんだろう。

しばらく彼は考えていたようだけど、やがてこう言った。

「“エリック”の仕様は、まったく普通の家庭用ヒューマノイドです。武器も内蔵されていない、飛行すら出来ない。それでターカスを追い詰めて拉致するなんて、無理なはずです。だから、過去都市ケルンに彼の部品が落ちていたのは、不自然なんですよ」

私は話を聴いてちゃんと理解が出来たけど、「じゃあどうして」という質問には答えられない。

「そうね、変ね…」

シルバ君はその後、考えながら別のデータを覗こうとしたみたいだったから、私は退屈になったし、マリセルはその時居間に居なかった。

“そういえば、マルメラードフさんの帰りが遅いわ。通信にしたって、これまではここでしていたのに…”

私はその時、何かをピンとひらめいた。それは、こんなような事だった。

“もしかしたら、何かターカスについての大きな秘密があって、マルメラードフさんはそれを隠すために、私の聴こえないところで通信をしているのかも!そういえば、アームストロングさんも、私に黙っている事があるようだったし!”

そう思うと私は居ても立ってもいられなくて、仮想ウィンドウに夢中なシルバ君を置いて、そーっと居間を出た。




居間の外の廊下では、人の話し声は聴こえなかった。いつもの通り、屋敷は静まっている。でも、人影を探して通路をいくつか折れた時、ぼそぼそとマルメラードフさんの声が聴こえたから、私は廊下の柱に隠れて、声のした方を見やった。それは、中庭の薔薇の影だった。

彼は何事かを真剣に話していて、どうやら敬語で喋っているみたい。

“何を話しているの?”

私は歩行器を少しだけ前に進めて、柱から耳だけを出す。すると、途切れ途切れにだけど、こんな話が聴こえた。

「ええ…はい、大丈夫です。あなたのお手を煩わせるまでもありません…はい、承知しております、“エリック”の始末は必ず…装う必要もありません、“連中”が勝手にやってくれるでしょう…」

““エリック”って、マクスタイン氏のロボットの“エリック”かしら?“連中”って、誰なの?”

私はなんだか、その話を聴いていて、不安な気持ちを感じた。マルメラードフさんが話す調子が、悪い事を考えている人達と同じような気がして。

“ここに居たら、まずいかもしれないわ。そうだ、帰ってシルバ君に相談してみよう!”

そう思って歩行器を翻した時、私の肩を誰かが強く引いた。




「じゃあターカス。お前にはポリスに潜入してもらう。だから、こちらで偽のIDを用意した」

そう言ってエリックは、仮想ウィンドウをスクロールさせていた。

「偽のIDですって?そんなものがすぐに用意出来たのですか?」

「すぐに出来るわけねえだろ。充分時間を掛けたし、手間も掛かったさ。でも、元は俺の主人が管理していたデータが、ポリス職員の個人データだったんだ」

そう言って彼は、ウィンドウの中にある一つのフォルダを開いてみせた。そこには、膨大な数の、顔写真とID、肩書きや居住区などのデータが入っていた。延々と開き続ける個人フォルダを、エリックはタップしてすべて消す。

「俺は、ポリスに赴いた日にはもう自分がやりたい事が分かってた。だから、少々ちょろまかして来たんだよ。そこから、解雇された者、死亡した者と引き出し、ポリスのシステムにこっそり復帰させて、IDをまた使えるようにしたんだ」

「それはどうも、大変な事で…」

欠伸をしながら、エリックは仮想ウィンドウの中に私の写真を貼り付け、私に「手を貸せ」と言った。

私の手には、ロボットとして家庭に登録されたデータが入れられている。それを照射すれば、私が何者なのかがはっきりする。

「これを上書きしなきゃならない。センサーに手をかざしてみろ」

私はそこで、「嫌だ」と言いたかった。データが上書きされてしまえば、私は「ホーミュリア家のメイドロボット」ではなく、「ポリスの偽職員」になってしまう。でも私は、こう思い描いた。

“大いなる陰謀を止めるため…”

だんだんそんな風に自分を説得し始めていた私は、エリックがこちらに向けた手のひら型のセンサーに、おそるおそる手を伸ばす。

サーッと私の手のひらに温かい温度が伝わり、バチバチと火花が散ると、エリックは「よし」と言った。

「次の奴、来い」

エリックはもう次のロボットの相手をしていたが、私は自分の手のひらを見詰めて、もうそこにはホーミュリア家の情報がないのを思い、項垂れた。




「何するの!放して!放してよ!」

私が暴れて叫ぶと、「分かりました、放しますよ」と後ろで男の人の声がした。それは、銭形さんだった。

「あれ、銭形さん…?」

「はい、そうです」

私は一瞬、呆けたように何も分からない気持ちになり、その後で「どうしてここに居るの?」と聞いた。すると銭形さんは、私を歩行器に元のように座らせ、「それはこちらの台詞です」と言った。

「こちらはあなたを警護している訳ではないが、突然居なくなったと、マリセルが心配していたんです。早くお戻りなさい」

「あ、ああ、そうなのね。私てっきり…」

私が言った事に、銭形さんは顔を近づけてきた。彼の赤い目が、私はちょっと怖かった。

「てっきり?てっきり、なんです?」

「いいえ、なんでもないわ。じゃあ早く居間に戻りましょう」




第26話 「“グローリー”」



“いいか。なるべくポリス職員との個人的なやり取りは避けろ。何か聞かれても、のらりくらりとやり過ごすんだ”

私達、ポリスの本庁に赴く個体は、エリックにそう言われた。グスタフのオフィスでの情報収集は、私に一任された。他の二個体は、武器庫と、キャッシュサービスオフィスだ。

手のひらの認証データは偽造され、首に掛けておくダミーの「通行証」も渡された。通行データが偽造されている事が分かれば、私達はそこで失敗してしまう。だから、読み取りセンサーには、手のひらで偽の通行証をタッチする手筈になっていた。

私は、ポリス本庁の足元に立ち、その建物を下から眺めた。ミスのない、無駄のない、更にデザインとして完成されたその設計は、お嬢様の御父上も関わっていた。その建物に、こんな形で入る事になるなんて思わなかった。

私が思い出に浸っている間で、一緒に来た二人は先に進んでしまったので、私は慌てて追いかけた。でも、門をくぐってからは歩みをバラバラにして、私達三人は離れ、別々のタイミングで建物に入った。




“いいか。グスタフは忙しい。会議なども自室からは参加出来るとはいえ、仕事内容でいったら、自室を離れなきゃいけない時もあるはずだ。それを探った上で、奴の通信データと、文書のやり取りをコピーしてきてくれ”

私達はエリックからそう頼まれたので、「他の省庁から出向してきました」といったような顔をして、実際にゲート前で呼び止められても、そう言った。私は、“エコロジー”の職員である通行証を持っていたし、難なくそれでゲートに入れたので、誰も気にも留めなかった。

目当てのグスタフの職場はガラス張りになっていて、中の様子がよく見えた。真ん中にあるデスクで忙しなく仮想ウィンドウをスクロールさせているのが、おそらくグスタフだったのだろう。

おそろしく細く、そしておそろしく背が高く、厳しそうな釣り目の、抜け目のなさそうな男だった。ぱっと見では、「優秀そうだ」と考えるくらいかもしれない。私は見咎められない内にそこを離れ、グスタフがオフィスを出てくるのを、近くの廊下にあるベンチで待っていた。

しかし、一向に彼は外に出てこなかったし、その内に日が暮れてしまった。私は彼のオフィスから廊下を曲がったところにあったベンチから、、少し身を乗り出して、彼のオフィスを見やった。

するとグスタフは音声通信をしていたようだったので、私は、音声システムの感度を最大に上げた。他の音声との区別がとても難しくなったが、なんとか、相手の声も聴き分ける事が出来た。


「ええ、グローリー。事はあなたの思惑通りに運びます」

グスタフの声は尖っているが悠々としていた。“グローリー”という、不自然な呼び名に戸惑っている間、通信の相手はこう言った。

“そうでないと困る。ここまでの準備に力を貸してくれて、感謝する”

それは冷たく、威厳に満ちた、老爺の声らしかった。

「間もなく開戦となるのですね」

“ああ。もう十分に力は集められた。そう日もなく、メキシコ自治区はUSAに落ちる”

「そうですか。では、ご満足のゆく事をお祈りして、失礼致します」

“ご苦労だった”

私はその会話を聴き、とても正気では居られなかった。まさかグスタフに狙われているのがメキシコ自治区だったなんて。ああ、お嬢様が!

私は、すぐに取って返して、ホーミュリア家に戻り、お嬢様を連れて逃げたかった。だが、その時聴いた通信の相手が誰なのか分からなければ、陰謀は止められない。

ほどなくして、オフィスからグスタフが出てきて、細い釣り目の中できょろりきょろりと周りを見渡してから、彼は私の前を通り過ぎていった。

グスタフのオフィスの鍵は、何重にも電子ロックが重ねてあり、不審がられない間に開けるのは至難の業だと思えた。だが、私はやらなければならなかった。

エリックが作った偽の鍵には、グスタフの情報が組み込まれている。もしかしたら、いや、もしかしなくても、鍵を開ければ、グスタフ本人の手元に、部屋が開けられた通知が届くだろう。彼が急いで引き返してくる前に、仕事を済ませなければいけなかった。

私は、偽の鍵に入った偽の情報を、ひとまずは中へ差し込む。思った通りに上手くいかなかったので、今度は別の方法を使った。

私の体に以前組み込まれていた、“人の不利益となる機能は使わせない”というロックは、すでに解除されている。私は人差し指の部分を細長く伸ばし、鍵の中に差し込んで、その鍵に入力され続けてきた情報を、一つ一つ順番に検索しながら、中へ送った。

“当たってくれ…!”

それは、一番よく使われている単語の並び順でパスワードを当てるような作業と言えば、分かりやすいかもしれない。運よくゲートは開き、私は誰にも見られずに、中に入る事が出来た。そして、デスクに据え付けられた通信端末へ駆け寄る。

直前に通信していた相手の番号は、やはり見られなかった。履歴は消すだろう。だから私は、システムの中で、消去の作業を施されたデータの復活を急ぎ、直近2カ月分の文書データも、スケプシ回路へコピーした。

“早く…!彼が戻ってくる前に!”

祈りと焦りでどうにかなりそうだったが、消去された最後のデータには、「U-01」とあった。私はそれを目の中で記憶領域に送り、足早にそのオフィスから離れた。




第27話 「正体」



「衛星の情報で熱源を確認するだけでは、この二人がターカスとエリックとする事は出来ません。でも、ほぼ間違いなくそうです。だからここに問題が生じます。エリックは家庭用ヒューマノイドです。彼ではターカスを捕らえる事は出来ない。そして、エリックに協力者が居た可能性もとても低い」

そこまでを言ったシルバ君の話を、私達は全員で聴いていた。アームストロングさん、銭形さんは不満そうで、マルメラードフさんはいらだっているようだった。メルバ君は下を向いて何かを考え込んでいた。シルバ君は続けてこう話す。

「あるいはターカスが何か弱みを握られたり、エリックがなんらかの装置を使えば可能かもしれません。ですが、今も二人は見つからないので、確かめようがありません。アームストロングさん、これ以上の捜査継続には、手段が足りません」

そう言われて、アームストロングさんは顎を片手でこすっていたけど、顔を上げてから、こう言った。

「出来ないと言うのか、シルバ」

そう言った時の彼は、恐ろしく冷たい表情をしていた。でも、もしくはそれは、彼が深く考え込みながら喋っているからかもしれなかった。

「ええ、これ以上は続けても無駄です」

その確認を終えると、アームストロングさんは私を振り返った。私は、不安で不安で堪らなかった。でも、そこでマルメラードフさんがこう言う。

「待ってくれ、アームストロング君。私は暴力犯対策室の室長として発言するがね」

そう言ったマルメラードフさんは、立ち上がってこちらを向いた。みんなその様子を見ていた。

「彼は戦争兵器だ。それを放置する事は、私には出来ん」

私はその時、「違うわ!」と叫びたかった。よっぽどそう言いたかったけど、メルバ君に見せてもらった、アルバちゃんが壊されていく映像を思い出すと、とてもそうは言えなかった。

「要は、探し方を変えればいい。シルバ君、君は防犯カメラへのアクセスは試してみたのかね?」

「ええ、何度も」

「しかし、新たに映り込んでいるかもしれないじゃないか。継続してそれを探るわけには?」

シルバ君は迷っていたみたいだけど、前を向くとこう言った。

「ターカスの不明から、もう3日は経っています」

「まだ3日だろう?」

まだ何か言いたげだったけど、シルバ君は黙り込んだ。そこで、アームストロングさんが場をまとめる。

「マルメラードフさん、分かりました。シルバ、その線で当たってみてくれないか」

「…分かりました」

後ろを向いてシルバ君が壁にウィンドウを映すと、それはすぐさま何十個ものコマに区切られ、そこにはあらゆる場所の防犯カメラの映像が早送りで流れた。すると、アームストロングさんが私の肩を掴む。そして私は歩行器ごと後ろを向かされた。

「あなたは遠慮して下さい、ヘラ嬢」

“そうだわ、あれはシルバ君だからやっていい事なのよね…”

私はそう考え込みながら、とりあえずは捜査が続けられる事にほっとしていた。




「「U-01」だって!?」

“アジト”に戻った私は(エリックは“アジト”という言葉をあえて使っていた)、エリックにグスタフが通信をしていた相手の番号を伝えた。しかし私は、それが誰なのかもう分かっていた。

エリックは驚愕してから俯き、両目を見開いて口元を手で覆っていた。顔を上げた時の彼は、初めて不安そうな表情を見せた。

「合衆自治区大統領…」

私は無言で頷く。

私達ロボットの頭脳には、いざという時のため、あらゆる情報が詰め込まれている。たとえばそれが、アメリカ合衆自治区大統領の部屋へ繋ぐ通信番号であったりする。

ただ、通常は私達はその情報を運用しないし、非常事態以外には他者に漏らす事もない。しかし今の私達は、「人間に不利益な行動をしない」というルールの足枷を解かれて、巨大な情報網を自在に操る事が出来る。

私は、驚いて黙ってしまったエリックの顔を覗き込んだ。

「エリック、状況はとても不利になりました。大統領の意志を曲げるのも、大統領を葬り去るのも、出来るものではありませんよ」

しかし、私がそう言うと、エリックは下から私を睨みつけてきた。そこにはもう一度炎が宿り、その向こう側には、強い悲しみが見えた。

「俺の主人が…なんのために死んだと思う」

私は何も言えなかった。エリックの主人は、陰謀を暴いて平和をもたらそうとしていたのに、裏切りによって亡き者にされたのだ。それを思えば、とてもエリックが諦めてくれるとは思えなかった。

「主人は、守ろうとしたんだ!止めようとしたんだ!そうだろう!」

私は思わず彼から目を逸らそうとしてしまったが、彼は、そうさせまじと私の両肩を掴んだ。そして、地を這うような低い声で、こう言う。

「大統領だろうがなんだろうが、関係ねえよ…絶対に止めてやる…!」




第28話 「3人のターカス」



私は、どうしてターカスが見つからないのかは分からなかった。まるで、私達の捜査から逃げているみたい。でも、それもいつまでもは続かなかった。

シルバ君が早送りの監視カメラ映像を見続けて、それは私の寝る前も続いていたけど、起きた時には状況が変わっていた。

「お嬢様、お喜びになって下さい!ターカスが見つかりました!」

私はそう言ったマリセルに起こされて、大喜びで居間に行くと、マルメラードフさんは通信をしていて、シルバ君はウィンドウにいくつもあったコマを一つにして、多分、映像の解析をしていた。そこには確かに、ターカスが映っていた。

「ターカス!見つかったのね!」

私は思わずそう叫んだけど、私に近寄ってきたアームストロングさんは、ゆるゆる首を振って、私の肩に手を乗せた。

「ホーミュリア様、事はそう簡単ではありません。ターカスは、“3人”見つかったのです」

私は、何を言われたのか分からなかった。3人?3人ってどういう事?仕方なく、それをそのまま口に出す。

「え?3人ってどういう事なの?」

アームストロングさんは、シルバ君の見ているウィンドウを一度振り返ってから、またこちらを向く。

「見つかったのがターカスなのか分かりません。ポリスの監視カメラに、ターカスと同じ型のロボットが、3人映っていたのです」

「え?じゃあ…」

その時、シルバ君が振り向いてこう言った。

「盗難届を調べましたところ、ターカスと同じ型のロボットが、すべて行方不明です。彼らはどこかへ盗まれ、集められた可能性が高いのです」

「一体、なんのために…?」

アームストロングさんがそれに続けてこう話す。

「ポリスの本部の監視カメラに映っていたので、その日、ポリスで何か不審な事が起きていないか、上層部へ質問して、各部署からコメントを集めようとしましたが、その必要はなかったようです」

「どうして…?」

私は、不安だった。ターカスは一体何をしているのかしら?彼と同じロボットが集められた理由は、何?

アームストロングさんは、腕を組んで私を真っすぐ見た。

「「総監の部屋へ何者かが侵入した」という報告が、すでに持ち上がっていたのです。その日、3人分の“ターカス”がポリスへ入り込んでいた。どうやったのかは分かりませんが、なんの痕跡も残さずに。今、彼らがどうやってゲートを破ったのか、本部で調べているところです。やがてそれが分かれば、こちらへ情報共有がされます」

私は不安が胸を破り、歩行器から立ち上がって、思わず大声を出してしまった。自分の胸を手で押さえ、必死に訴える。

「ねえ…ターカスは何をさせられているの!?一体どういう事!?」

銭形さんがソファから立ち上がり、こちらへ近づいてきた。そして、私の肩を押してやんわりと座るように促し、「私達は、それを調べている。安心する事です」と言った。

「安心なんか出来ないわ!一体彼がどこに居て、何のために何をしているのか知らなくちゃ、私はとてもじゃないけど…!」

座ったまま私は涙を流し、アームストロングさんと銭形さんはあたふたしていた。その時、ソファに腰かけていたマルメラードフさんが、通信を終えたらしかった。

「破壊されていない事は分かった。それでも衛星に映らないとするなら、居場所は地下しかない。それも、かなり深い場所だ」

そんな言葉が飛んできて、私はびっくりして涙が止まってしまった。ソファの方を振り返ると、マルメラードフさんは視線を尖らせ、アームストロングさんを見ていた。彼はこう言った。

「以前の大戦では、地下に潜んだ過激派が引き金となった。私はそれを思い出しているんだがね」




第29話 「許さない」



「エリック、大統領を今亡き者にしたところで、開戦はまぬかれないかもしれません。この争いに関わっている者の企みをすべて明るみに出すまでは、安心出来ないのですよ」

私がそう言っても、エリックは聞いてくれなかった。あくまで、「大統領を殺す」と言って息巻いて、情報収集に乗り出した。




エリックは、様々に用意した偽のアカウントを持っていた。彼は、例えば、世界連職員の中で、死亡した者のアカウントを復刻させ、システムに弾かれないように認証を得て、内部情報へのアクセスをする権限を得ていた。

私を探す時も、ポリスのアカウントで探しても分からなかったので、世界連の権限を使って衛星で私のチップを探し、過去都市ケルンに居ると分かってからは、そのまま自動射撃システムが止まる時間を探ったと言う。

私達は、地下収容所の一角にある小部屋で、そんな話をしていた。

「よく、そんな事が上手くいきましたね。数分間違えば、あなたは黒焦げですよ」

「なあに、知っていりゃあ怖くねえよ」

「ふふ、大した方だ」

「知らなかったか?俺は大物なんだぜ」

「ご自分でおっしゃる方がいますか」

私達は、そんな冗談を言い合うようにもなっていた。しかし、私は依然として、大統領暗殺には反対した。

エリックが自分の冗談に機嫌よく鼻歌を歌っていたタイミングで、私はこう切り出す。

「…エリック。大統領一人を殺しても、戦争は止められないのです」

エリックは私を見なかった。彼は、大統領府が公表しているスケジュールを、仮想ウィンドウに引き出し、大統領が訪れる施設や近辺の地図などにアクセスしていた。私は、彼にはねつけられない内に、また続ける。

「いいえ。もしかしたら、大統領が殺されたとなったら、向こうは、報復のつもりでもっと酷い戦争を始めるかもしれません。予定していたより、酷いものになるかもしれません。そうは思わないのですか?」

私がそこまでを言うと、エリックはウィンドウをいじるのをやめて、くるりと振り向く。そして体を前に倒してぐぐっと私を覗き込むと、私を睨んでこう言った。

「じゃあ、ほかにどうしろってんだよ」

私は戸惑ったが、初めて彼が意見を聞いてくれそうだったので、こう話した。

「まずは、合衆自治区に居る、戦争の恩恵に与る者が誰なのか、明らかにすべきです。そして、それを世界に知らしめ、大統領についても同じ事をするのです。世界連についてもです。そうすれば彼らは裁かれ、戦争も起きるはずがありません。ポリスがあなたのご主人をどうしたのかも、明るみに出れば、グスタフも刑を逃れられるはずがありません」

私がそう話している間で、エリックはどんどん俯いて、落ち込んだような表情になっていった。だから私は、話の終わりには、口調に熱を込めるのもやめていた。

エリックは、俯きながらも脇を向いてウィンドウを見詰めていて、彼は小さくこう言った。

「ターカスよ。何が正しいのかは、俺は分かっているつもりだ。だから…俺は犯罪者になるさ」




「地下…?ターカスは、地下に居るの?」

私は、マルメラードフさんにそう聞いて、彼に近寄って行った。歩行器が前に着くと、マルメラードフさんは私を見て微笑んでくれたけど、その目元はひきつっていた。そして、またアームストロングさんを見て、彼はこう言う。

「エリックも見つからない、ターカスも見つからない、そして彼らはポリスに出向いて何かを企んでいたらしい…そして、ターカスと同じ種類のロボットは全員行方不明…これは、エリックが何らかの活動を起こすかもしれないと、私は思うんだがね」

その台詞に、アームストロングさんは下を向いてまた顎をこすっていたけど、隣で銭形さんが「確かに」と呟いた。銭形さんは、アームストロングさんにこう促す。

「ターカスは、兵器基盤のロボットなのだろう。それなら、それを集めれば、今ならどの国にだって盾突く事が出来る。“エリック”が何を考えてそんな事をするのかは後にして、彼らを見つけられなければ、とんでもない事になるかもしれないぞ。アームストロング」

アームストロングさんは考え込んでいたけど、銭形さんの顔を見て、こう言った。

「それは、ターカスを含め、テロリストとしての指名手配をするという事になる」

私はそれにびっくりして、言葉を失った。

銭形さんは、「そうだ」と言った。

マルメラードフさんが、「そうするしかないだろうね」と言う。

“違うわ…違うわ!”

私は自分の叫びに胸の中を掻き回され、もう黙っていられなかった。これ以上、ターカスがそんな扱いを受けるのには耐えられなかった。

“このままじゃ、ターカスは見つかっても壊されてしまうかもしれない!そんなの絶対に許さないわ!”

「違うわ…」

私は、ぼろぼろと涙をこぼし、ドレスの膝の辺りを握りしめて、その時はまだ下を向いていた。でも、私の様子に、周りの大人も注目していたから、私は顔を上げてこう叫んだ。

「違うわ!彼はテロリストなんかじゃない!この家の、メイドよ!わたくしの、一番の友達だわ!そんな事をしたら、わたくしは許しません!」

私は、その場に居た大人全員を睨みつけ、涙を止めなかった。しいんと鎮まった部屋の中には、私が息を切らしている音だけが響いていた。




第30話 「止めないと」



「まあまあ、ホーミュリア殿、落ち着いて。テロリストとしての指名手配と言っても、見つかって無実であれば、ターカスはどうともされませんよ」

マルメラードフさんはそう言ったけど、私は信じていなかった。その場に居る大人は、“エリック”やターカスを、“戦争を起こそうと目論んでいる”としか見ていなかったのは、明らかだった。

14歳の私に、戦争についての知識なんかほとんどない。この間、ターカスから、過去の大戦の数を教えてもらったばかり。でも、これだけは言える。そう思って、もう一度口を開いた。

「ターカスは、その“エリック”とやらに連れ去られたんでしょう!?だったら、戦争を企んでいるとしたら“エリック”だけで、ターカスは利用されているんだわ!“エリック”を探しなさいよ!」

私がそう叫んでアームストロングさんを見ると、彼は指で頬を搔いていた。その能天気な仕草が癇に障り、私はまた叫ぶ。

「ターカスに罪を着せるような真似は、わたくしが許しません!だって、彼は私の家のメイドとして働いていたのよ!そんなロボットが、急に戦争を始める気になるはずがないわ!どう考えても不自然よ!ついさっきまでは主人の夕食の材料を探していたのに、急に戦争をする気になんかなるかしら!?」

そこまでを言ってしまうと、アームストロングさんは困っているような目でこちらを見た。そして、私といくつか話をする。

「確かに、そんな事は普通ならありえません。彼は兵器基盤とはいえ、メイドロボットとして活動していた。「戦争をしよう」なんて、考えるはずもない。そういうふうにプログラミングされないと、ロボット達が一般家庭へ入る事は出来ません」

「そうでしょう?」

「でも、そうするとおかしい事が出てくる。彼はすでに、ポリスへと潜入しているかもしれないんです。ターカスでないなら、彼の仲間がそうしたはず。本来、彼らに課されているのは、「人間の利益となる」こと」

「え、ええ…」

「公官庁への無断での侵入が、私達の利益になりえるはずがない。彼らはすでに、私達の課したルールから外れている」

「それって…」

「ターカスが、前と同じターカスで居てくれるかは、分からないという事です」




「エリック…」

私は、エリックの「犯罪者となる」という台詞を聴き、なんとも言えなくなってしまった。

彼は、主人を慕うあまり、その報復のためであれば、犯罪者となっても構わないのだろう。多分、そういう意味だろうと思った。

でも、それでは誰も救われない。エリックがする事もただの犯罪で、なんの正当性もないし、死んでいったエリックの主人も、浮かばれはしない。

“やはり止めなければ”

私はそう思った。どうしても、強引にであっても止めなければ、事は最悪の方向へ動く。

私が考えた“大統領を殺されたら戦争が酷くなる”という予見は、おそらく概ね外れないだろう。

そんな事をすればエリックが真っ先に血祭りに上げられ、私達はテロリストとして捕らえられる。その後でどんな事を言ったところで、「テロリストの夢幻」として片づけられてしまうだろう。相手は合衆自治区大統領なのだ。

そしてメキシコ自治区に激しい戦火が上がり、人々は蹂躙され…

そこまでを思い浮かべて、私はエリックが仮想ウィンドウに夢中なのを確かめ、「水素を取り込みに行きたいのですが」と声を掛けてみた。彼はこちらを見ず、「廊下より先は行くなよ、衛星のレーダーに掛かる」と言った。




私は、廊下を歩いていて、その先にある出口の手前で立ち止まった。

“この先に行けば、誰かに見つけてもらえるかもしれないし、お嬢様のところへ帰れるかも…”

“しかし、私達の武力がなければ、エリックが大統領府と闘う事も、ポリスを相手取る事も出来ないだろう…”

“いいや!そもそもそんな事はしてはいけない!”

私は、いつの間にか自分が闘いを肯定している事に気づき、戸惑った。その上で、その思考を逃れてエリックを止める方法を考えた。

“もしくは、エリックの機能を全く止めてしまえば、私は逃れられる。他に捕らえられているロボットも解き放たれるだろう…でも、そうしてしまえば、おそらく戦争は止められない…どうすれば…”

その時、私の後ろから、エリックの声がした。

「水素は充分かな?ターカス、仕事だ」

私はそれに振り向き、仕方なく歩きながら、また“このままでいいはずがない”と考え続けていた。




第31話 「捜査の転換」



「それで、エリック。仕事とは?」

私達は収容所の廊下を歩いていた。各々の足が鉄の床に当たり、カチンカチンと音がする。

「聞くまでもねえな、大統領の暗殺だよ」

私は、跳ね飛ばされたようにエリックを見たが、彼は平然と元の部屋へ向かっているだけだった。

“そんな大それた事を私達が…!”

しかし私は、“そんな事が上手くゆくわけがない”とは思わなかった。なぜなら私は、兵器として造られたからだ。むしろ、そんな事は朝飯前だ。エリックが計画を練らなくたって、充分に可能だった。それに、今の私は、行為の是非を決定する“ロック”が外されている。なおの事、遂行は容易だった。しかしそれは、「やりたい事」ではない。

私のやりたい事は、お嬢様の元へ戻って、お守りし、もし戦争となったら、お連れして逃げる事だ。でも、エリックをこのまま放って元に戻れば、大志を抱いたエリックが犬死にとなってしまうのは明らかだった。彼を止める方法が分からなくても。




私達ロボットは、手のひらのセンサーを取り外せば、機能しなくなってしまうように出来ている。それは、活動してさえいれば、いつでもレーダーで居場所を特定出来るようにするため、とも言える。でも私は、レーダーに掛からない移動も出来た。だから後は、エリックがセンサーから、自分の型番の情報を除く作業をするだけだった。でも、それに一番時間が掛かった。

彼は何度か機能停止となり、その度に私は彼のセンサーのプログラムを元に戻し、目が覚めたらエリックはプログラムの修正をして、なんとか個体番号の除外をした。

「ふいーっ。こんなモンにこんなに手間を食うとは思わなかったぜ」

「一番大きな束縛です。仕方ありませんよ」

「けっ。自分が簡単に出来るからってよ」

「それで、エリック。どこへ向かうのです?」

そう言うとエリックは眼帯の位置を直す仕草をして、こう言った。

「決まってるだろ、ホワイトハウスさ」




““エリック”を探しなさいよ!”

私がそう言った事に、シルバ君だけが反応した。

「僕も同感です。通常で考えれば、ターカスがどこかへ紛れ込むのは可能かもしれませんが、エリックに出来るはずがありません。彼はターカスと違って、隠密行動の出来るロボットではありません。それが見つからないとなると、なんらか、悪事を企んで懸命に逃げている可能性の方が高いです。破壊されているわけではなさそうですし」

その場は少しどよめいたけど、結局、「エリックを探そう」という話にまとまった。私も涙を収めてテーブルに就き、マリセルとチェスをしていた。




「いいえ、アームストロングさん」

「はい、マルメラードフさん」

「わかりました、銭形さん」

シルバ君は、渡された意見へすぐにレスポンスをする。大人とまるで同じ地平で話しているみたい。子供の姿なのに。“ちょっと悔しいな”と思ったけど、私は普通の人間だし、ポリス特製の捜査ロボットに敵う訳がないのは分かる。

しばらく見守っていると、シルバ君は結論を出した。




みんなを集めて居間の真ん中を向き、仮想ウィンドウを背に、シルバ君はこう言った。

「“エリック”の存在を肯定出来る要素は、何一つありません。防犯カメラも、衛星検索も、なんらかのゲート通行履歴も、すべて。つまり彼は、もう破壊し尽くされている可能性の方が高いです」

アームストロングさんはそれを聴いて、ただ、「そうか」と頷いた。マルメラードフさんは、「本当にそうなのかね?」と食い下がる。銭形さんは何も言わなかった。

マルメラードフさんに向かって、シルバ君はこう言う。

「おそらくは、過去都市ケルンにおいて、僕達が見つけられなかっただけで、完全に破壊されていたのでしょう。ターカスに塵にされたかもしれません。そうなっていてもおかしくないんです」

「そうかね…」

私は、ここ数日の目まぐるしい状況の変化についていけなかったけど、一つ思い出した事があった。

「ねえ、シルバ君…」

「はい」彼はこちらを向く。

「エリックは、「自動射撃システムが止まる時間を知っていたかも」って言ってたでしょう?あれはそういう事なのよね?」

「はい、そうです」

「隠密行動は出来ないのに、そんな事が出来るものかしら?」

シルバ君は不服そうに俯いていたけど、私を見て「いいえ、出来ません」と言った。それで私は、ちょっと嬉しくなる。すると、私の右隣に居た銭形さんがこう言った。

「ホーミュリア様、それは、「彼にも隠密行動が出来るかもしれない」という意味ですか?」

私はその時、ちょっと怖かった。「そんなはずはない!」と叱られそうな気がして。でも、こうまで来たら、言うしかないわ。

「ええ、そうです」

意外にも、銭形さんは怒鳴りだしたりする事もなく、立ったまま下を向いて、「フーム…」と考え込み始めた。

でも、素人の私の意見を、捜査員が認めてくれるはずはないと思っていたので、私は後ろ向きに考えていた。そこへ、アームストロングさんがソファから立ち上がり、私を振り向く。

「ヘラ嬢。それは大変に難しい事です。ですが、エリックがターカスを連れ去ったと考えると、これまで確認した情報がすんなりとまとまるのも、事実です。シルバ、君が確かめた情報を疑うわけじゃないが、なんとか、今からエリックの居場所を特定する方法を考えてくれないか」

シルバ君は、さっきよりも不満そうだったけど、一つため息を吐くと、「わかりました」と言った。




第32話 「真実と企み」



「シルバ君、お菓子、食べる?それは何をしているの?」

私は、マリセルがケーキを焼いたので、一切れ皿に乗せてもらい、シルバ君のところへ持って行った。シルバ君はケーキの皿を見て頭を下げ、「ありがとうございます」と言ってくれた。それから彼は、仮想ウィンドウを指さし、こう説明する。

「これは、“エリック”の主人のケースです。しかし、どうにもおかしいのです。証拠らしい証拠もないのに、途中で捜査本部は解体され、ほぼ握り潰されたに近い状況で事件は終わっています」

「まあ。それは変ねえ」

とは言ったものの、それの何が問題で、どうしてシルバ君がそんな事を調べているのかは、私は分からなかった。でも、シルバ君は続けてこう言う。

「僕は、この一連の流れで唯一解消されていない問題に手を付けてみる事にしました。そうする事で、見逃していた物が見つかるかもと思ったのです。でも、それは難しそうです…何せ、記録が無い…」

すると、アームストロングさんがこちらへ寄ってきた。私は、シルバ君に早くケーキを食べて欲しかったけど、彼らは話を始めてしまった。

「どういう事だ、シルバ」

「おかしいんです。事件性ありと目されたジミー・マクスタイン氏の死の真相が、ポリスによって握り潰されているように見えるんですよ…」

「捜査の指揮は」

「グスタフ総監です」

「それでどうして分からないんだ」

「だから疑問なんです」

私はその会話を聴いていて、ちょっと思い出した事があった。だけど、あまり二人の間に割って入るような事はせず、やんわりとこう言う。

「ねえ…グスタフさんって、この間、部屋に誰か入ったって言ってなかった…?」

それに、アームストロングさんはこちらを向いて「ええ」と返事をしてくれた。シルバ君は、ウィンドウを見詰めてこう言う。

「グスタフ総監の周りに、何か不審な事が起きていないか、調べてみる必要があるかもしれません。それから、マクスタイン氏が結局どのような事情で亡くなったのか。“エリック”が消えたのはマクスタイン氏の死の直後ですから、彼は何らかの事情を知って、姿をくらましたのかもしれません」

「それはどういう意味だ、シルバ」アームストロングさんは、ちょっと切羽詰まったようにシルバ君に詰め寄る。

「分かりません。ですが、これらが繋がっているとするなら、筋が通るかもしれません」

「そうか…」




「エリック、ホワイトハウスを襲撃するとなったら、それこそ建物自体を攻撃する方が可能性は高いですが、あそこほど頑丈な建造物はないのですよ」

私は続けてエリックを説得していた。彼はかえってウキウキしているように私を振り返る。

「わかってるさ。お前にはまた、偽の通行証を持ってもらう」

「そんな!ポリスは騙せたとしても、ホワイトハウスを騙せるわけがないじゃありませんか!」

私がそう叫ぶと、エリックは立ち止まり、私を振り向いて不敵に笑った。

「あの建物で、唯一自由に動けるのは誰だと思う」

「誰です?」

「分からないのか?大統領本人さ。そのIDを偽造するんだ」

「まさか!」

エリックは前を向いて歩き始め、「そのまさかさ」と言った。私達はその時廊下を折れ、元の小部屋から漏れる灯りが見えてきた。

「大統領と副大統領のIDだけは、偽造を防ぐため、ワンタイムで生成される。それをシステムに侵入してコピーするんだ。そうすれば後は使いたい放題で、25分のタイムリミットが課されるのさ。お前は、声紋や虹彩くらいなら、偽装して情報送信が出来るだろう?」

部屋の中に居たロボットに声を掛け、彼らを立ち上がらせると、エリックはもう一度私を見た。

「言ったろ。俺は大物なんだ」




第33話 「不自然なケース」



「エリック。あえてホワイトハウスを狙うのはなぜです?大統領が外出したところの方が、楽じゃありませんか」

「奴らがぐっすり休んでいるところをガツンとやった方が、気分がいいからさ」

「本当にやるのですか?まだ戻れるのですよ?充分にやりようがあるのです」

「くどいなお前は。ないよ。俺にとっては、道はこれだけだ」

私達はまた押し問答をして、結局ホワイトハウスへ向けて移動する事になってしまった。




メルバはもう一度私と組んで、今度はマクスタイン氏の住んでいた家へ赴き、何か証拠のないものか、探っていた。

「まあ、捜査本部が探して無かった物を、俺達に見つけられるわけもない、か…」

そう言いながら、メルバは床の下足痕をスキャンし、空気中の残留物を分析していた。

私は戦闘用ロボットなのでそのような事は出来ず、慎重にくまなく周囲を観察していた。そして、一つ気づいた事があった。

「おかしいな」

そこはマクスタイン氏の仕事部屋だったので、そのデスクには仮想コンピューター端末が置かれているはずだった。シルバと同じような、サイコロ型の物が。

でも、死後にどこかへしまいこんだのかもしれないと思い、私はとりあえず、デスクの中で、鍵の掛かっていない引き出しを開けた。そこには、何も入っていなかった。

引き出しに何もないとは妙だなと思って、鍵の掛かった方を、突っかかって開けられないだろうと思いながらも引くと、意外にもそれは、すんなり開いた。でも、そこにも何もなかった。

私は後ろを振り向いた。するとメルバは床の痕をさらおうとしていたので、こう声を掛ける。

「メルバ、どうだ」

メルバは振り向いてこちらを見た。

「この家には、捜査本部の人間が15人入ってきている。中にはロボットも居たみたいだけど、それは多分、この家に元から居た“エリック”だろう」

私はメルバに近寄り、彼が照射したセンサーライトで照らされた床を見た。

人間の靴跡は大層絡み合っていて判然としなかったが、部屋の中を縦横無尽に歩き回った痕のようだった。

「一応この足跡をシルバに送って、データを特定させるよ」

メルバは何気なくそう言って、こめかみに手を当てていた。彼の目の奥が、写真を撮るように僅かに動いているのが分かった。それを確かめた後、私は、メルバと話をする。

「マクスタイン氏に、遺族は?」

「居ないはずだぞ」

「それなら、なおさらおかしい」

「何が」

私は、ちらとデスクを振り返った。

「この部屋からは、おそらく何かが持ち去られている。それも、重要な何かが」

「はあ?デスクをこじ開けた痕でも?」

「いいや、ない。だが、引き出しには何もなく、端末も残っていなかった。それに、鍵が掛かるはずのところも、何も入っていなかった。ただ、あのデスクでマクスタイン氏が仕事をしていたのは、確かのはずだ。死ぬ前にマクスタイン氏がそれらを片付けたとするのは不自然だ。事件性があるなら、誰かがそれを持ち去ったと考える方が、より理解しやすい」

私がそう言った時、メルバはピンときて目を見開いたが、それを収め、瞼を寝かせると、「それもそうだな」とだけ言った。

「それで、そういう記録を、君はポリスのケース管理書で見つけたか?」

「いいや」

私は彼と、しばらく見詰め合った。彼は何も言わなかったが、やがてデスクの方を見て、目を細めていた。

「どういう事だと思う?銭形さんは」

「私は、ポリス自体がマクスタイン氏の死に関わっているか、マクスタイン氏の死に乗じて、何かを持ち去ったと考えている。その品は、ポリスに不利な物だろうとも」

「帰ろう。大体分かった」




第34話 「暴かれた秘密」



マクスタイン邸から帰ってアームストロングに報告をすると、彼は顔を顰めた。

「それは、ポリスが汚職をしているという事か?」

メルバは首を振る。

「まだ分からないよ。ただ、遺族が居ないにも関わらず、マクスタインのデスクには何も残っていない。それは事件の特性と言えるのに、調書にはそんな事は書いてなかった。ポリスが見逃すはずのない事実が、もみ消されてる。ポリス自体が関わってる」

アームストロングはまだ訝しんでいたが、シルバを振り向いた。

「シルバ、足跡の解析は済んだか?」

「ええ」シルバはそう言って、ウィンドウをくるりとこちらへ向けた。そこには、それぞれ捜査員の名前があった。

メルバはあの後、デスク周りの足跡もデータにして送っていた。なので、私は彼にこう聞く。

「デスク周りの足跡は、誰か分かったか?」

シルバは頷いて、こう言った。

「そこには、ケリー警視監の足跡が多いです。他数名は、デスクに向かい合っていた様子はありません」

アームストロングは、「警視監…」と独り言を口に出していた。私は、慎重に口を開く。

「アームストロング」そう声を掛けると、彼はかろうじて考えるのをやめ、こちらを向いてくれた。

「…この事件は、この上なく不自然だ。おそらく、「職員の変死を究明するため」という名目で集められたのだろうが、総監や警視監が捜査員なのに、解決していないどころか、多分、ろくな捜査がされていない。そんな事は普通有り得ない。何らか、上層部の思惑が関わっていると考えるのが自然だ。そうは思わないか?」

そう聞くと、アームストロングは戸惑っていたが、やがて頷き、シルバへ向かってこう言った。

「シルバ。出来る限り過去から、グスタフ総監と、ケリー警視監の動きを洗ってくれ。領収書の一枚にあたるまでだ」

シルバはこくっと頷き、「分かりました」と言った。




私がお昼寝から目覚めて居間へ行くと、捜査員さん達は全員帰って来ていて、銭形さんやメルバ君は、お茶やお菓子を黙々と口へ運んでいた。シルバ君だけはいくつもいくつもの仮想ウィンドウを開いていて、なおかつ、それがよく見えないように、すりガラスのようなシールドで、シルバ君と私達は隔たれていた。

「アームストロングさん、お疲れ様」

そう声を掛けても、アームストロングさんは何か酷く思い悩んでいるような顔をしていて、「お嬢様」という、一言の返事を寄越しただけだった。

私の傍にはマリセルがついていて、テーブルに就いた私に、「ムスカをお召し上がりになりますか?」と言い、ミルフィーユにジャムを包んだようなケーキを勧めてくれた。

「ありがとう。頂くわ」

そう言いながらも、私は捜査員さん達の様子を窺っていた。

“どうしたのかしら…なんだか、みんな緊張して、考え込んでるみたい…”

ムスカは美味しかったけど、私は一口だけでそれを置いてナフキンで口元を拭い、歩行器を、銭形さんとアームストロングさんが並んで座っていたソファの前へ動かした。

途中で彼らは私に気づいて顔を上げたけど、顔を逸らして俯いた。まるで私に言えない事を隠しているように。私は不安になり、こう聞く。

「ねえ…何かあったの?」

アームストロングさんは、「いいえ、お嬢様」と返事をする。

「ターカスの事かしら?」

そう言うと、銭形さんが「違いますよ、ご安心を」と返した。

「でも…なんだか二人とも、いいえ、みんな、悩んでるみたいだわ。わたくしは心配なの」

私がそう言っても、アームストロングさんに「大丈夫ですよ、ちょっと捜査が難しい局面なのでね」と言われただけだった。

「あれ?そういえば、マルメラードフさんは?」

ふと気づいたのでそう言うと、メルバが「おっさんなら寝てるよ」と言った。

「まあ…捜査は昼夜を問わなかったものね…」

「彼は人間だからな、そりゃそうさ」

飄々とそう言ったメルバ君も、どこかにやり切れない気持ちを抱えているように、暗い面持ちだった。そこへ、シールドの向こうでシルバ君が振り向く。

「アームストロングさん、分かりました。それから、ヘラ・フォン・ホーミュリア様。申し訳ないのですが、機密に関わりますので、少々席を外して頂けないでしょうか」

私はそれを聴き、慌てて「分かったわ、ごめんなさい」と部屋を出た。




「シルバ。何が分かったんだ」

アームストロングは、シルバの脇に立って、目隠しの外されたウィンドウを見詰めていた。そこには、様々に、グスタフ総監と、ケリー警視監のプライベートにおけるデータが出されている。

「総監の、金遣いについてです」

「金遣い?」

そこでシルバは、一つのキャッシュサービスのプライベートページを引き伸ばして、こちらへ向けた。

「これは、あるキャッシュサービスからの支払い履歴ですが、グスタフ総監が常に使っているサービスではありません。巧妙に隠されていたアカウントです。それから、この額を見るに、莫大とも言えるものです」

そこには、3月31日に、アライアンスという不動産会社へ、3000万パスカの支払いがされた、という記録があった。

「使途は?」

「自宅の購入費の支払いです」

「なぜ、自宅の購入を、秘匿されたアカウントで?」

アームストロングがそう言うと、シルバは「では次に、こちらを見て下さい」と言って、総監の、おそらく給与支払い明細をこちらに向けた。

「これは総監の、過去4年間の、給与と賞与です。ポリスは過去に行った改革で、上役の給与も大幅に削られました。とても、3000万パスカの自宅を用意するなんて出来ません」

「バンクからの融資という可能性は?」

「キャッシュサービスアカウントに向け、そのような記録はありませんでした。そして、この3000万パスカは、ある人物からグスタフ総監へ、直接に振り込まれた物です」

シルバはわざと言葉を切り、間をもたせた。じれったくなったのか、私は「それは誰だ」と聞く。

「ミハイル・マルメラードフ暴力犯対抗室室長です」

「ええっ!?」




第35話 「彼の帰還」



私はその時、自室に居た。誰かが部屋のドアをノックして、「どなた?」と返事をしたけど、何も言われず、更にもう一度ノックが続いたから、ドアを開けようとした途端、ドアは開いて、立っていたのはマルメラードフさんだった。

「マルメラードフさん、どうしたの?」

彼は緊迫した表情で、声を低く、こう言った。

「お嬢様、大変ですぞ。ターカスがついに捕らえられました」

「ええっ!?」

私は大声を出してしまったけど、マルメラードフさんはそれを両手で制するように手を動かしたので、私は慌てて口を両手で覆う。でもそっとそれを下ろして、改めてこう聞いた。

「それは、どういう事なの…?」

すると、マルメラードフさんは人差し指を立てて、小声でこう話しだす。それは、訴えかけるような口調だった。

「ターカスは、エリックに捕らえられてから洗脳され、エリックが戦争を起こそうとしている思想に染まって、ついにポリスによって捕らえられたようです。私がシップを出しますから、お嬢様は捕らえられたターカスに会いに行ってやって下さい。拘束はされていますが、面会は可能ですぞ」

私はそれで、怖いのか驚いているのか分からないけど、とにかくターカスは見つかったのだし、「そうなのね、すぐにお願いするわ!」と、マルメラードフさんについていった。

廊下に歩行器を走らせている時、私はマルメラードフさんに「アームストロングさん達は行かないのかしら?」と聞いたけど、「彼らは捜査の後片付けで忙しいんです」と言われた。




マルメラードフさんが扱うシップは、運転席と座席の間に境目がなく、彼が操縦桿を握っている姿が見えた。それに、マルメラードフさんはたまに「ご心配には及びません。もうすぐ着きます」など話しかけてくれたから、私もあまり不安にはならなかった。

“でも…ターカスが本当に戦争を…いいえ、彼は洗脳されただけなんだから、きっと許しが…きっとそうなるわ…!”

私は、ぐるぐると思い悩みそうになる度に、腕の中のコーネリアを抱いていた。

コーネリアを家に連れ帰った時、「野兎を家の中に置くわけには参りません」とマリセルには断られてしまったけど、ターカスはコーネリアと遊んでくれたから、囚われの身になって元気を失くしているかもしれないターカスを勇気づけるため、私が連れてきた。マルメラードフさんも、コーネリアを撫でてくれた。

“私が心配しちゃダメよ…きっと大丈夫と思うのよ…”




やがて世界連暴力犯対抗室の専用艇というシップが地面に降りると、タラップが下ろされた。それは斜めになっていたけど、ターカスの作ってくれた歩行器にとっては、そんなのはなんでもない。私は、それに気づいた時も、早くターカスに会いたいと思った。

でも、下に降りて辺りを見回した時、私は「えっ?」と声を上げてしまった。

だって、その辺りには石や岩しかなくて、ポリスの建物なんかどこにも見えなかったから。私は、専用艇から降りてくるマルメラードフさんに、こう聞いた。

「マルメラードフさん、目的地は地下なの?」

すると彼はちょっと笑って、片手を顔の前で払う。

「いえいえお嬢さん。こんな所にターカスは居ませんよ」

「えっ?だってターカスの所へ行くんでしょう?」

マルメラードフさんは尚も面白そうに笑っている。私は、前に彼が庭にある薔薇の影で、誰かと通信をしていたのを思い出した。そしてそこから離れようと思って歩行器を動かそうとした時、マルメラードフさんは私から歩行器を引ったくり、私を地面へと突き飛ばした。

岩盤の上を転がって、私は体のあちこちを打った。

「痛い…何をするのよ!」

起き上がって彼を詰ると、彼はまだ笑っていて、自分の後ろにあった崖の下へと、私の歩行器を放り投げた。

「ちょっと!いい加減にしなさい!何を企んでいるの!?わたくし、許さなくってよ!」

そう言っても怖気づくこともなく、マルメラードフはこちらへ近寄ってきて、さも可笑しそうに笑った。私はそれを睨みつける。

事態はもう最悪の方向へ進んでいて、自分はこれから殺されるか、何かの取引に使われるだけかもしれないと分かっていたから、私は決して彼から目を離さなかった。思った通り、彼は私の手を引っ張って体を引きずり、崖の際まで歩いていこうとした。私はなんとか抵抗したけど、通じるはずがない。

「何をするのよ!卑怯者!ふざけないでちょうだい!」

「至って真剣です、ヘラ嬢」

「なお悪いわ!」

「おや、この状態で口答えを?」

彼はそう言った時、手を引っ張ったまま、私の体を崖の向こう側へと押し出そうとした。

「やめて!やめなさい!ええい!」


私は、何度か崖の際で揺らされて脅かされ、死ぬかもしれないと思った時、彼が憎くて憎くて堪らなくなった。だから、自分が見た事を言ってしまおうと思って、こう叫ぶ。

「あなた、わたくしの家の庭で通信をしていたでしょう!“エリック”の始末を“連中”に委ねるとかなんとか!自分の手は汚さずにやろうって魂胆なのね!卑怯で薄汚い人だわ!」

「いいえ。今まさに、自分の手を汚そうとしているじゃありませんか」

「その口を閉じなさい!よくもそんな事を!」

私達が言い争っていた時、急にその辺りに“ドシン!”という衝撃が走って、気が付いた時には、私は崖の際から零れ落ちて、真っ逆さまに下へと落ちていた。

“死ぬわ!”

それは確かにわたしくしの胸に響き、心がパキパキと割れて砕け、絶望に涙を流す間もなく、私は地面に激突すると思っていた。

“悔しい!悔しい!こんな!こんな事って!”

すると、私の体は何かに支えられてふわりと浮き、また気が付いた時には、私を呼ぶ声がした。

「お嬢様、お待たせ致しました」

ガラガラと低く割れた、機械音声。私を包む、硬い体。私は大きく息を吸い、待ち侘びた彼に抱き着いた。

「ターカス…!」



第36話 「ついに始まった」



「エリック…」

私は彼に声を掛ける。でも、彼にはもう聴こえないだろう。私は彼を破壊したのだから。でも、彼を不名誉な殺人犯になどさせる訳にはゆかなかった。

目の前に、頭部と腹部をバラバラに破壊された彼の体が横たわっている。腹部のパワー供給機は、まだ発電をしようとしているのか、バチバチと火花が散っていた。それを私は、片手の小さな爆発によって、完全に止める。

彼を止めるには、こうするしかなかった。でも、彼に殺しをさせない為に彼を殺すなんて、どこの誰が許すのだろう。私は深い後悔を抱え、アメリカの裏路地を去った。




ホーミュリア家の屋敷へと飛んでいる間に、誰かが私のスケプシ回路へ、通信を寄越した。

“君はターカスだな?”

それだけ聞かれた。恐らく私はずっと探されていただろうと思い、“そうです”と音声通信を返すと、相手は矢継ぎ早にこう述べた。

“今見つかって良かった。私はポリスの次長、ジャック・アームストロングという者だ。ホーミュリア家で君を探す捜査をしていた。だが、令嬢が行方不明になった。恐らく、ミハイル・マルメラードフという人物に連れ去られたのだと思う。屋敷に停めてあったマルメラードフのシップと、令嬢が同時に消えたんだ”

「なんですって!?マルメラードフですって!?」

“知っているのか?”

相手に聞かれた事に私は答えなかった。

「お嬢様はどこへ連れられて行ったんです!」

そう聞くと、相手が慌てて何かをしている音がした。

“レーダーでは、ロシアクリミア部の、海岸に停まっているようだ。我々も追いかける。君はすぐ向かった方がいい”

「分かりました、すぐに」


そして私は、マルメラードフによって崖から突き落とされそうになっているお嬢様をお助けし、崖の上で動けなくなっている兎のコーネリアを見つけて、お嬢様を家に連れ帰った。




お嬢様は私の背に捕まって家に帰り、マリセルが用意した歩行器で廊下を通って、居間へと入った。お嬢様は嬉しそうで、でも、それを堪えて平静を装っているように見えた。

私は、お嬢様が椅子に座ってから、「ヘラお嬢様、お茶をお淹れ致しましょうか」と聞く。

「ええ、お願いするわ」

「どのお茶がよろしいですか?」

「今日はジャポネがいいわ。明るい方がいいから、お湯は多めにしてね」

「かしこまりました」

私達がそう話しているのを、アームストロング氏と銭形氏は黙って見詰めていた。一度見た事のあるメルバは、気に入らなさそうに私達を見ていた。白い髪の少年がメルバの隣に座っていたが、彼はこちらに疑わしげな視線を向けていた。

私は和紅茶をお淹れして、お嬢様の所まで運ぶ。お嬢様は切なそうに微笑んで、私に手を伸ばした。お嬢様の手は私の頬を撫でて、お嬢様は涙を流した。

「…不安だったのよ、ターカス。あなたが…あなたが、戦争に関わっているだの、地下でその準備をしているって、聞かされていたの…」

私は、すぐにその事を話さなければいけないと分かっていた。お嬢様にではなく、居間に居た、ポリスと、世界連の職員に。

「ねえ、ターカス。あなた、今までどこで何をしていたの…?」

お嬢様がそう言うと、アームストロング氏が、後ろから私の肩を叩いた。

「我々も、君に聞きたい事がある。すぐにだ」

私は戸惑った。事の詳細を、お嬢様にも聴かせていいものだろうか。お嬢様は心配しないだろうか。でも、これはメキシコ自治区の全員が知っていなければいけない事だ。私はこう言った。

「わたくしの話す事を、信じて頂けるのでしたら」




「メキシコ自治区に進軍だって!?」

メルバが、頓狂な声で叫ぶ。アームストロング氏は「続けて」と先を促した。

私は、「合衆自治区がメキシコ自治区へ、開戦を宣言しようとしています」と話し始めた所だった。

「私をさらったのは、“エリック”というロボットでした。エリックの主人は、ポリスで個人データを管理する職員でした」

「そこまでは調べがついています。その先は?」そう言ったのは、白い髪の少年だった。彼は“シルバ”と名乗った。

「偶然にデータの改ざんを発見し、そしてその内に、ポリスが合衆自治区へ、兵器を売り渡している事を突き止めました」

「“エリック”が消えたのは、それを止めるためか?」

「ええ、そうです。ですが彼は、合衆自治区大統領を殺害する事でそれを防ごうとしました」

「おい、そんな事…!」

メルバはソファから腰を浮かせてまで、驚いていた。

「させませんでした。わたくしはエリックを破壊し、彼は全壊しました」

その場は沈黙したが、アームストロング氏がこう言う。

「安心しなさい。君のその行いを罪に数える事は、我々はしない」

私は、それを聞いても、ちっとも満足に思えなかった。

「エリックが明らかにしたのは、それだけではありません。私は実際に潜入して確かめましたが、ポリスのグスタフ氏が、合衆自治区とコンタクトを取っていて、兵器を融通し、それから、世界連からもキャッシュを受け取っていたのです」

そこで銭形氏が、片手を顔の前に浮かせ、慎重にこう聞いた。

「それは…もしかして、マルメラードフからか?」

私が頷くと、彼らは全員身を引き、大いに驚いたようだった。その時だ。

ウー!ウー!という警報音が屋敷中に鳴り響いた。続いて、機械音声のアナウンスがこう告げる。それは、公共情報をいち早く受け取るシステムからだった。

“合衆自治区が、メキシコ自治区へ開戦を宣言しました。住民はただちに指定された場所へ避難して下さい。合衆自治区が、メキシコ自治区へ開戦を宣言しました。住民はただちに指定された場所へ避難して下さい”

「ちくしょう!」アームストロング氏は叫んで自分の膝を殴る。そして彼は立ち上がった。私はお嬢様の元へ駆け寄る。

「ターカス…」

話を聞いて混乱していた様子だったお嬢様は、精一杯不安そうにこちらを見詰める。私はお嬢様に笑って見せた。

「大丈夫でございます、お嬢様。きっとお守り致します」




第37話 「課された義務」




警報が鳴り響く中、捜査員達の持つ通信端末に一斉に着信音が鳴った。シルバの前には仮想ウィンドウが小さく表示される。私はお嬢様を脱出させようと、お嬢様の荷物を集めるよう、マリセルに頼んだ。

アームストロング氏は、ちらとだけ画面を見ると、端末をしまう。メルバは目を閉じて数秒、恐らく自分に来た指令を読んでから、もう一度開けた。シルバはウィンドウを一度タップして消す。銭形氏は、端末を眺めたまま、こう言った。

「我々捜査員は、この事件の捜査は終了だな」

アームストロング氏がこう返す。

「ああ。ターカスも見つかり、エリックは破壊済みだ。マルメラードフは後に裁かれるが、我々は、上への報告だけでいいだろう。彼のした事は、国際的な犯罪に当たる。全員、招集の通信だな?」

その場に居たロボット達は、全員黙って頷いた。アームストロング氏がこちらに振り返り、歩み寄ってくる。

「アームストロングさん…」

お嬢様は心細そうだった。アームストロング氏はきちんと会釈をし、お嬢様の手を取る。

「どうかご無事で。我々は呼ばれた場所へ行かなければいけません」

お嬢様は、何も言わなかった。メルバもシルバも、アームストロング氏も、銭形氏も、みんな戦争へ行ってしまうと思っていたのだろう。

私は、勇気を出して彼に聞く。

「貴方が配属となるのは、どこなのです」

そう言うと、アームストロング氏は、「君には言えない」とだけ言い、ホーミュリア家を去った。彼らはみんな、帰って行った。




「マリセル、シップの手配は出来ましたか?」

私達は、ドタバタとお嬢様の荷物を用意していた。私は部屋からお嬢様の着る物をお出しして、ぬいぐるみのミミを連れ出し、それから兎のコーネリアを庭に迎えに行った。

「ええ。すぐにこちらに着きます」

「それでは、携行食糧はどのように?」

「お嬢様が食べたがっていたチョコバーと、それから、数種類のパンや干し肉、野菜ジュースなどがあります」

「素晴らしい。ではお嬢様、行きましょう。避難所まで、シップでの移動になります。自治区の中枢へ向かうので、空路が混む事が予想されます。申し訳ございませんが、お許し下さい」

「ええ、大丈夫よ。行きましょう」

お嬢様は恐ろしさに気圧されながらも、気丈夫に振舞っているように見えた。だから私は、腕に抱いていたコーネリアを、お嬢様へと預ける。

「大丈夫でございます、お嬢様。コーネリアも、マリセルも、わたくしも一緒ですよ」

そう言うと、お嬢様はお笑いになり、少し元気が出たようだった。




「なあ、銭形さん。アンタはどこなんだ?」

俺は、前を歩く銭形にそう聞いた。

銭形は、完全な戦闘用兵器だ。今回の開戦にも、関わるに違いない。

“おそらく合衆自治区に呼ばれたんだろうな”と俺は思った。銭形からは、素っ気なくこう返ってくる。

「秘匿事項だ」

“やっぱりか”

俺達は、ポリスメキシコ自治区支部の職員だ。その俺達に言えないとなれば、要は銭形は「戦う相手」なのだろう。

もちろん、俺達はポリスの職員なのだから、戦闘に参加などしない。自治区内での、住民の警護に当たる。でも、銭形には充分過ぎるほどの戦闘力がある。どこかで出くわせば、俺達は真っ先に破壊されるだろうと思った。

「アームストロングさん、アンタは?」

アームストロングは、合衆自治区にある、ポリス本部の職員だ。もしやと思っていた。

「その質問に答える義務はない」

“アンタもかよ”

多分こちらは、アメリカでの何らかの任務に就くんだろう。戦闘ではないにしても。

俺達はその時、ホーミュリア家の敷地に停まっていた3つのシップの内、2つに分けて乗り込み、黙って別れた。

ポリス専用艇を操縦するロボットは、「シートベルトをお締め下さい」と愛想のない声で言う。俺は、横に居たシルバにこう聞いた。

「銭形は前線か」

「おそらく」

「俺のところには、住民の保護を自治区A地帯でするよう通告が来た」

「僕は、市民に向けての情報収集班へ、参加が義務付けられました」

「…そうか」

シップが飛び立ち、ふわりと浮遊する感覚に、俺は身を任せていた。





「お嬢様、わたくしは給水所でお水をもらって参ります。マリセル、少しの間、ここを頼みます」

「わかりました、ターカス」

「お願いね」

避難所の人込みの中でも住民が疲れないようにと、それぞれ割り当てられた面には高い衝立が立て回してあり、私はタンクを抱えてそこを出た。その時だ。

私の前からは、見知らぬ背の高い男性が歩いてきた。彼は、私の行く道を塞ぐように、目の前に立つ。

「君が、ターカスだな?」

そう聞かれて彼を見ながら、「ええ、そうですが」と返す。私ははっと気づいた。

彼は、軍人が着るような折り目正しいスーツを着込んでいた。胸元に勲章はないが、階級を表すバッジが付いている。

彼は、スーツの胸元から、黙って懐中時計を出した。どうやらそれは、通信端末をアンティーク調に作った物のようだ。ずいぶんと高価そうだった。彼の端末からは、私の設計図がホログラムで示される。私は驚いた。

「一体何の御用です?あなたはどちらの方なのですか?」

彼は私を見詰め、こう言い放った。

「私は、メキシコ自治区軍、中将の、ダグラス・ロペスだ。君を徴用に来た。君にはこれから、前線へ行ってもらう。これは義務だ。手を差し出したまえ」




第38話 「再びの別れ」



「わたくしを…前線にですって!?」

「そうだ。さあ、手をこちらへ」

そう言って、ロペス中将は恐らく軍用のコードリライティングを差し出した。私は首を振る。

「お断りします!わたくしはメイドロボットです!戦闘などしません!」

ロペス中将は首を傾げ、元に戻すと、「ククッ」と笑った。そしてこう言う。

「まさしく報告通りだ。君は通告に応じない事が出来るロボットなんだな。それならば交渉をしよう」

私は、中将に言われた事の意味がよく分からなかった。今の時代なら、ロボットでも意思決定の自由位はあると思っていたからだ。

中将は腕を組み、顎を引いて私を見る。

「ここ、メキシコ自治区の、中枢へは絶対に入らせてはいけない。それは分かるな?」

私は、頷いたり首を振ったりはしなかった。なるべく興味がないように見せかけた。

「そして、君は唯一、一般に残っていた13体の兵器の内の、1人だ」

話の帰着がどうなるのかは、私は分かっていた。それでも、お嬢様の傍に居たかった。

「君達が出てきてくれれば、勝てる可能性は高い。メキシコには軍費が少なかった。アメリカと戦えるほどの兵器など持っていない。でも、もう奴さん達はこちらへ向かってる。一刻の猶予もない。それに、私だって君より弱い。そんなのは当たり前だ」

私は、また抵抗する気力を失くし掛けていた。

“メキシコを守れなければ、お嬢様が…”

「この国で一番強い兵器は、君達なのだ。使わない手はない。分かったら家族の者に別れを言って、車に乗れ。待つのは3分だ」

そう言って中将は、返事も待たずに外へ向かって歩いて行った。私は仕方なく、避難所の奥へ引き返す。




「ねえ、マリセル…変だと思わない?」

「何がでしょうか?お嬢様」

私はマリセルに、ちょっとこっそりこう言った。

「あんなに団結して捜査をしていたみんなが、それぞれ別の土地で、互いに戦ったりする事よ。みんな嫌だと思わないのかしら?」

そう言うと、マリセルはこちらを向いて、こう言った。彼の様子は真剣だった。

「お嬢様。わたくし達はロボットなのです。主人の命令は絶対です。彼らは自分の主人からの通達を見て、それぞれ自分の家に帰ったのです。二国間で全く対立するのが戦争です。その対立によってロボットが別たれたとしても、それは彼らにとって不満にはなり得ません。命令を遂行出来なかった時の方が、彼らは悲しむでしょう」

私はそれを聞いて、びっくりしてしまった。

「そんな…じゃあ、ロボットには何も決められないと言うの!?」

思わずマリセルにしがみついて揺らそうとした時、ターカスが帰ってきた。

「ターカス、お帰りなさい」

そう言ったのに、ターカスは俯いてタンクを持ったまま、私達のバース入口に立っていて、こちらへ来ようとしなかった。

「どうしたのです、ターカス」

マリセルが近寄っていこうとすると、それを構わずマリセルとすれ違って、ターカスは奥に座り込んでいた私の所へ来た。

彼は、悲しそうな顔をしていた。でも、泣いてはいなかった。とても悲しそうな顔で、ターカスはこう言った。

「お嬢様、お嬢様はわたくしが元は兵器だった事を、もうご存じと思います。ですから、わたくしは戦場へ行かなければなりません。つい今しがた、軍の方から、「徴用する」と言い渡されました…」

私は驚いてしまって、でも充分有り得るとも思い、何も言わず、口元を押さえた。

「お嬢様、心配しないで下さい。きっと帰って来ます。ターカスはあなたの元へ戻ります」

「うん」と言わなければいけないと分かっていたのに、私はすぐにはそう出来なかった。ターカスの腕に両腕でしがみつき、しっかと放さずこう叫ぶ。

「ダメよ!そんなのダメよ、ターカス!」

その時ターカスは、私の腕を振りほどいた。彼は、一言を残して、あっという間に部屋を出て行ってしまった。

「必ず戻ります」




「お、来たな。あと10秒だ。乗んな」

私は、黙って軍用車の後部座席に乗った。そこには、私と同じ型のロボット達が、また集められていた。20人程は座れる車に乗っていたのは、13人だった。

運転手らしき軍人の隣で、中将は葉巻を吸っていた。外を見ると、私達の車が、避難所へ急ぐ人々の間を縫っているのが分かった。

「本部での会議が終わり次第、配属部隊を命令する。如何なく力を発揮してくれよ」

そう言って中将はまた、「ククッ」と笑った。




第39話 「開戦」




「よし。お前達には全員、軍曹の地位を与える。前線で班を引っ張ってもらう事になる。それから、兵器ロボットの操作は出来るな?」

これ以上に気まずい気持ちなど、今までなかった。「ええ」と答えた私は、まるで別人ではないかと思った。

“メキシコを守るため…お嬢様をお守りするため…”

右端から順に作戦の指示を出して、ロペス中将は最後に、一番左に立っていた私の前に来た。

「ターカス、お前には、合衆自治区ニューヨークシティにて、爆撃をしてもらう。ここだ」

そう言って中将は仮想ウィンドウの地図をこちらに向ける。

「あちらの住人が避難所へと向かう所を、焼き払って欲しい」

“そんな卑怯な!”

どれほどそう言いたかったか知れない。だが、私はすでに兵士となる事を承服した。今さらゴタゴタと文句など言えないのだ。

「それからもう一つ。13人がもう一度集まってから、合衆自治区の司令部、ホワイトハウスを攻撃する。人民に被害が出て、司令部を破壊すれば、降伏するだろう」

“ああ…私はそれを止めたばかりだと言うのに…”

下を向いていた時、ロペス中将が私のカマーベストをちょっと引っ張り、「これは頂けないな、ターカス。私の服を貸そう」と言った。中将は少しの間、部屋を出た。




私が居る部屋の中には、私と同じ型の兵器がみんな集められていた。彼らはそれぞれ、武器となるロボット操作のためにシステムを起動させたり、地図を仮想ウィンドウで出して、自分の見やすい位置に設定したりしていた。

“彼らは全く不服ではないらしい…違和感を覚えているのは、私だけ…”

私は、不可解な気持ちになった。

自分は、ごく当たり前のメイドロボットとして、戦争に反対したと思っていた。でも、ロペス中将も私の事を「通告に従わない事が出来るロボット」と言っていたし、私はどこか特異なのだろう。

“避難する前の住民を惨殺など…”

私は“今の内に逃げてしまおうか”と考え掛けたが、そうすれば、武力が減り、敗戦となるかもしれない。それでは何にもならない。

“私の気持ちを分かってくれる者は居ない…みんな当たり前に戦争をしようとしている…なぜ私だけ、こんな風に思うのだろう…でも、本当ならこうなるはずなのに…”

その時、また部屋の扉が開いて、中将が戻ってきた。

「ほら、これを着ろ」

そう言って渡されたのは、ヴィンテージ調のコートだった。名前ももう憶えていないが、首からふくらはぎの中程までに生地をストンと落とし、首元だけを留めるタイプだ。

“中将はヴィンテージが好きなのか”

「ありがとうございます」

私は仕方なくカマーベストとスラックスを脱ぎ、コートを羽織った。

「ヘヘ。様になるな、最終兵器よ」

“兵器…私はここでは、兵器としての価値しかない…”

何もかもが私を追い詰める。でも、やるしかないのだ。

「では、全員で移動してもらう。途中、奴さんがお前達を逐一ミサイルで狙うだろうし、爆撃機で狙撃されるだろう。全員避けろ。本部には、私の他に3人の参謀が居る。指定された地に着いたら速やかに報告し、状況が変わっていなければ作戦決行だ。もしこちらに大きな動きがあれば、すぐに呼び戻す。まだないとは思うけどな」

その言葉には、元気よく返事をした者がほとんどだった。私は、いつまでも下を向いていられないと思い、顔を上げる。

「では行け!屋上からの飛行だ!」




まるで虫が地面を蠢くように、人々が地上を逃げ惑っている。私は、その上空200メートル程を飛びながら、地上へ向けて熱線を発射しようとしていた。成功すれば、半径50メートルが灰になる。

“自分はなんて恐ろしい事を!”

そう思って躊躇っていたが、いよいよ覚悟を決め、右手のひらを開き、私はそれを人々に向けた。その時だ。

“なぜそんな事をするの!ターカス!いけないわ!”

お嬢様が耳元でそう言っているような気がした。それで私は一瞬の判断が遅れ、近づいてくるエネルギー体の振動音を聴き逃してしまった。


気が付いた時、私は、動けない体を地上に横たえ、傍で誰かが話しているのを聴いていた。それから、耳元でロペス中将の怒鳴り声がする。

“ターカス!返事をしろ!何がどうなってる!”

私のスケプシ回路はまた停止し、私は真っ暗闇の中で完全に沈黙した。




第40話 「再会」




私はまた、目隠しをされた状態で目を覚ました。今度も私の足は取り去られ、挙句には、両腕もだった。

もちろん私は、“自分は敵軍の捕虜になったのだ”とすぐに理解した。でも、まだ私にはメキシコ自治区民としての意識があり、ロペス中将の命令を憶えている。それはおかしな話だ。

兵器ロボットを捕虜として捕まえたなら、目覚める前に命令を書き換え、自軍の戦力とするだろう。

“もしかして、私にはそれも出来ないのだろうか?”

自分の特異な点についてを思い出して首を動かした時、傍でこんな声がした。

「おはようターカス。3時間ぶりだな」

それは、やや低いが快活な響きで、戦士たる一面を見せる、銭形氏の声だった。

私は、戦争という物が何を変えてしまうのかを段々と飲み込み始めていて、彼の声をそこで聴くのが意外だとはあまり思わなかった。

「銭形さん、ですか」

そう聞くと、「そうだ」と返事があった。でも、私達の立場はすっかり置き換わっていたので、その先のお喋りなど出来ないというのは分かっていたつもりだ。

小さく溜息を吐くのが聴こえ、私が確かめると、その場には2体のエネルギー体があると分かった。一つは銭形氏、もう一つは、誰かは分からないが、彼もロボットだった。しかし、そのロボットには妙な点が多かった。エネルギー供給は足からされ、腹部には大きな爆発燃焼室があるようだ。おかしな構造だった。

私がもう一体のロボットの様子を探っている合間に、銭形氏が喋るのが聴こえる。

「君には困った。君は、人からの命令を、全く自らの意思で選択するらしいな。今までメイドロボットとしてどう働いていたんだ?こちらで命令を書き換えようとしたが、君にはそのためのスペースさえなかった」

「そう、なのですか…」

私は、初めて聞かされた事に驚いていたが、“だとするなら、なぜ自分は破壊し尽くされていないのだろう”と不思議にも思った。とはいえ、この状態では、私は兵器として働く事は出来ない。それなら、合衆自治区軍にとっては、満足なのだろうか。

「そこで、だ」

急に目隠しが外され、アームスーツに身を包んだ銭形氏が現れる。すると、その後ろには驚くべき人物が立っていた。




「エリック!何をしているのです!」

私は思わず叫んでしまった。そうだ。あのエリックが、修復され、生まれ変わって私の前に立っていた。でも、彼は私を見ても黙っている。それに、ここは合衆自治区の軍内部のはずだ。彼がそんな場所に居るなんて、考えつきもしなかった。彼は私が全壊にしたはずだからだ。

私の様子を少し笑って、銭形氏がエリックを振り返る。

「彼には少し情報をもらって、こちらについてもらった。そうすれば我々にとって有益だ」

“卑怯にも!”

エリックには、抵抗が出来なかっただろう。彼は意思もなく裏路地に打ち捨てられていた。修復の合間にプログラムを書き換えれば、確かに合衆自治区の兵器ロボットに出来る。でも、そんな卑怯な手段が許されるのだろうか。

“いいや、私だって、自分の力を人々に向け、殺そうとした…”

もはや誰に文句を言えばいいのか、私には分からなかった。その間に、銭形氏はこう続ける。

「彼なら君について詳しいと思って、連れてきたんだ。これから彼に、君のシステムを書き換える事が可能か、調べてもらう。後から工学者も来る。よろしく頼むぞ、ターカス。私はこれから、メキシコへ飛ぶ」

私はそれを聴き、動かない体で叫んだ。

「待って下さい銭形さん!それはやめて下さい!」

“あなたが行けば、メキシコは終わりだ!”

私はそう言ったのに、銭形氏は高らかな笑い声を残し、廊下へと出て行った。




部屋の中には、黙ったままのエリックと私が残された。私はエリックを見詰めたが、彼はつまらなそうに俯いているだけに見えた。

“ああ、すべて忘れているのか…”

私は、かつての友と思っていたエリックを悲しい気持ちで見ていた。だが、彼はあるところですっと顎を上げてこちらを見下ろすと、にやにやっと笑った。

「よう。ヘマしたな?」

私は、エリックの様子があまり前と変わらない事に驚いたが、彼の記憶はすべて書き換えられていると思っていた。だから、彼が私の拘束バンドを解いているのを見ても、“これから解体され、私は研究されるのだろう”としか思っていなかった。でも彼はそのまま部屋を出て行き、すぐに戻ってきた時には、私の両腕両脚を持っていた。

「エリック!?」

私は驚き、そして喜んだ。

“私の腕と脚が揃えば、私は自由になれる。そうしようとするエリックには彼の意志が残っていて、軍に屈服などしていなかったんだろう!”

「大声出すんじゃねえよ、見つかるだろ。とは言ってもな、俺がお前の腕と脚を持ち出したのはすぐにバレる。早く抜け出すぞ」

「ええ!ええ!」

私は、エリックに早く話を聴きたくて、うきうきとした気持ちで二人で廊下へ出ようとした。エリックが本当は何者となっているのかも知らずに。




第41話 「ロボットたる理由」



私とエリックは連れ立って飛行して、エリックは、「ある施設を目指している」と言っていた。

彼は飛行が出来るようになり、兵器として生まれ変わらされてはいるものの、自分の意思は自由なのだと言った。「兵器として」というのには驚いたが、これで二人で逃げ出せば、私達は自由だと思えた。




そこは、小麦畑の真ん中だった。その時私は、ちらっと思い出した。エリックの主人が亡くなった思惑は、政府が食糧問題を解決するためだった、と彼が語った事を。

「さあ、着いたぜ。中に入ろう」

「エリック。ここは何なのです?」

「いいじゃないか。俺達は自由だ。まずは話でもしよう」

「え、ええ…」

私はなぜか不安になった。だが、エリックの様子は前と変わらないし、別にいかがわしい場所に連れて来られたとは思わなかった。

その施設に入るには、分厚く大きな、三人は並んで通れそうな扉をくぐらなければいけなかった。そして、長くて薄暗い廊下を通る。

廊下の両側にある部屋には人気がなく、話し声もしない。でも、扉が全て鉄で出来ていて、認証をしなければ入れなさそうだと思ったので、“何かの研究施設だろうか”と私は考えていた。

やがて廊下を曲がり、奥の扉を開けると、途端に景色が真っ白になった。

広いホールの先には幅の広い階段が見え、そこには白い絨毯が敷いてある。床の全面にだ。壁も白く、不気味なほど明るい空間だった。

「エリック、ここは誰かの家なのですか?ずいぶんと奇妙な所ですね」

「ああ、そうだな」

エリックは質問に答えてくれなかった。私はそれで、小さかった不安がさあっと胸を染め尽くすのを感じて、少し立ち止まる。エリックはすぐに振り向いて手招きした。

「どうした。来いよ」

私は何を言えばいいのか分からなかったが、とにかく、メキシコに帰ってもいいか聞こうと思った。

「エリック…わたくしは、メキシコに帰りたいのです」

エリックは首を傾げ、納得したように頷いた。

「そうだな。でも、帰るためにはやらなきゃならない事があるだろう。軍のロボットが一般家庭へ帰れると思うのか?」

そう言ってエリックは笑っていた。私は“それは確かにそうだ”と思い、“この研究施設で私を元に戻してくれるんだな”と、彼についていった。




その部屋には、誰も居ないように見えた。初めは、白い照明が部屋全体をうっすらと照らしている様子が分かり、次に、部屋の奥にたくさんの古い物理モニターが設置してあるのが分かった。最後に気が付いたのは、物理モニターの前に小さな椅子があって、そこに老人が腰かけていた事だ。

私は、訳を問うつもりでエリックを見た。彼は黙って頷き、老人に手のひらを向けて、私に、そちらに進むよう促した。

気が進まないながらも怖々と老人の前に歩み寄ると、私はその顔を見る。彼は恐ろしく背が小さく、小柄で、もう90歳位に見えた。

「ごきげんよう。ターカス」

老人は、しわがれて今にも絶えそうな声でそう言い、にっこりと笑った。その微笑みに、私も少し警戒心を解く。

“この人が優秀なロボット工学者で、私を元に戻してくれるのだろうか”

「私はね、デイヴィッド・オールドマンと言う。君の御父上と同じ、ロボット工学者じゃよ」

「えっ?」

私は、その時言われた事の意味がよく分からなかった。私はメイドロボットだ。父など居ない。老人は私の様子を見て、ちょっと咳払いをしてこう言い直した。

「いやいや済まない。父ではないな。主人か。ダガーリア氏がまだ企業の一開発者だった頃には、よく成績を争ったものじゃよ」

「そう、だったのですか…」

オールドマン氏は人の好さそうな笑い方をして、傍にあった修復台に乗るようにと促した。私は言われるがままにそこへ横になる。オールドマン氏は、私の両腕両脚を外しながら、こう言った。

「君のプログラムは、この世で最も優れたロボット工学者が書いたものじゃ。よく勉強させてもらうよ」

「え、ええ…」

そこで急にオールドマン氏の両目はギラリと光った。彼は私を覗き込み、今にも笑いそうになるのを抑えているような顔をする。その目は、爛々と光った。

「ダガーリアの技術を手に入れられれば、私の地位も盤石だ」

その時私は、「待ってくれ」と言おうとした。エリックがどんな顔をしているのか、一体彼は何のために私をここに連れて来たのか、もう一度聞こうとした。でも、沈黙へ向かう私のスケプシ回路は、もう動いてはくれなかった。




「エリックよ。君は、主人を私の組織に殺された」

俺は、オールドマンがそう言うのを聞いていた。そしてこう返す。

「今となっては、どうでもいい事ですよ」

オールドマンがエリックのプログラムを確かめながら、「ヒヒッ」と笑った。

「そうじゃ、そうじゃ。ロボットとは、本来は人間に絶対の服従をするものじゃ。それがこいつはそうではない。自由意志を持つロボットが、一般家庭でただメイドとして使われているなんて、誰も考えつきはせん」

「見世物にでもしようってんですか」

そう言うと、オールドマンはこちらを向いて、ニヒヒ、と笑った。

「永遠に廃棄するのじゃ」

「へえ。意外だ」

不敵に笑っていたオールドマンは、その内に悔し気に顔を歪め、僅かに開けた唇の隙間からは、食いしばった歯が見えていた。

「ダガーリアより、私の方が優秀だ!だから私は、穀物メジャーからも、工学者として優遇された!奴の研究は、不利益な物だったんだ!」

そう叫びながら、オールドマンはターカスを次々に分解していた。

俺は「どうぞご勝手に」と言った。




第42話 「決戦」



「ターカスは敵軍に捕縛された!指定したA班3名はターカスの奪還と、ニューヨークシティ司令部破壊へ!私と向かうB班は、ホワイトハウス本司令部破壊へ!」

私は号令を出し、ロボット達を取りまとめると、一人乗りのホバーバイクに乗って浮き上がった。

アメリカ軍は、ホワイトハウスの本司令部と、ニューヨークシティ分司令部に分かれて、ロボットシステムが完全停止しないように、システムが2つに分けられている。私達はそのどちらもを破壊しないと、敵の進軍を止める事は出来ない。

ロボットが主たる手段になった現代の戦争でも、その上司である人間、ロボットを操る人間が、やむを得ず戦場へ赴く、と、お偉方は言う。

“冗談じゃない。戦争は人間が始める物だ。得体の知れないロボット風情に任せきりになどしておけるか!”

それが私の持論だった。

“間抜けにも捕らえられたターカスを、向こうの武器として使われる前に取り戻さなければいけない。それはA班に任せたが、たった3人で上手くいくのかどうか…”

私は、ホワイトハウスの見取り図を仮想ウィンドウで眺めながら、A班からの通信を待っていた。ニューヨークシティにはもう着いているはずだ。

“ロペス中将!こちら、A班です!”

ガラガラとした機械音が、耳にはめた通信端末から聴こえてくる。

「ターカスは!A班被害状況は!」

空の中を飛ぶ私は、風の音に負けないように喋った。

“ニューヨークシティ司令部は制圧しましたが、ターカスが居ません!逃げ出したと敵軍の将校“銭形”は言っています!A班の人員は一部負傷しましたが、リカバリー可能です!”

「でかした!お前達はそこで敵軍を見張り、奴らのロボット操作を止めろ!他に何かあるか!?」

“ロボット操作のシステムは、現在停止を試みておりますが、非常に複雑です!物理的な破壊は自爆に繋がると“銭形”は言っています!我々では停止出来ません!エンジニアを派遣して下さい!”

「なんだとぉ!?ああもう、分かった!エンジニアが行くまでぼーっと待ってやがれ!」

私はそう言って通信を切り、上司にロボットエンジニア派遣を要請しようとした。だが、上司は通信に出なかった。

“おかしいな…誰か居るはずだが…”

私は試しに、軍事衛星マップで、メキシコシティの現在の様子を見ようとした。その時、私は驚愕したのだ。

司令部の建物は、燃えていた。

「…ちくしょう!」

“エンジニアは全員人間だ…逃げ出していれば呼び出せるが、司令部がオシャカになったんじゃ、ニューヨークへ向かう乗り物もあるか分からない…これは敵軍の進軍スピードに間に合わない!ポリスならまだ安全だろう!あいつを呼ぼう!”

私は通信をポリスの本部へ回し、「シルバをニューヨークシティの敵軍司令部へ。制圧は完了している。システムを止めさせろ」と伝えた。

“シルバを?彼は市民のために情報収集をしている”

落ち着き払ってそう答えるロボットに腹が立ち、私は叫ぶ。

「こちとらエンジニアと連絡がつかねえんだ!敵のロボット進軍を止められなきゃメキシコは壊滅だ!メキシコ司令部にはもう火がついてる!早くしてくれ!」

“…分かった。向かわせよう”

応対役のロボットは、そう言って通信を切った。私は悔しかったが、憎きホワイトハウスめがけて、ホバーバイクを走らせた。




目の前では、ターカスがバラバラにされてしまっていた。オールドマンは驚くべき早さでターカスを解体していったのだ。

「おーおー。奴さん、ずいぶんと部品が多いんだな」

オールドマンはニヤッと笑って、途中からしていたゴーグルを引き上げる。

「こいつは戦術ロボットじゃ。要は、小さな艦隊じゃよ。部品は多くなけりゃ」

「そんなもんかね」

中のネジを一本摘まみとってから光に透かし、戻す。すると、オールドマンはこんな事を言った。彼は、ターカスの頭あたり、バラバラになった部品へと、異常な程尖った目の光を向けていた。

「スケプシ回路に、通常であれば無い部品を一つ見つけた。それを抜き去れば、恐らくこいつは自由意志など無くなる!私はそれを丹念に研究させて頂くんじゃ!こいつは木偶の坊で帰せばいい!誰も気づきなどしない!どうじゃ!」

アッハッハと笑うオールドマンに、俺も付き合いで少し笑って見せた。

「いいんじゃないですか」

「そうじゃろ!そうじゃろ!」

“自由意志、ねえ。そんな面倒な物と、こいつはおさらばってワケか…”

俺は、オールドマンがターカスの頭の辺りから一つの丸い部品を抜き取るのを見ていた。




“ロペス中将、シルバです。ニューヨークシティ司令部に向かっていますが、敵軍の爆撃を避けるので、少し時間が掛かります。そちらはどうですか”

通信端末の向こうからは、気に入らない平坦な声がした。

「もう着いてる。GR-80001達と、潜入中だ」

“失礼しました。それでは、ご武運を”

「ああ」

シルバとの通信は切れ、私達は、誰も居ない通路を、黙って屈んで進んだ。しかし、おかしい。

敵軍の司令部の中なのに、こちらの通信端末が使えた事。声を出しても音声認識システムに引っかからない事。まるで、このホワイトハウス司令部がもう死んでいるかのようだった。

私達は慎重に歩みを進めたが、それを馬鹿馬鹿しいと笑うように、要所要所にも、誰も居ず、途中から、壊れたロボットや、アメリカ軍将校の死体が転がっていた。

「どうなってんだ、こりゃあ…」

私は、廊下に転がっていた将校の死体を調べる。彼は眉間を正確に撃ち抜かれ、死んでいた。しかし、銃弾ではないらしい。銃弾ならもっと大きな穴が開く。

「先へ進みましょう中将。これなら、大統領も殺せるかもしれません」

「あ、ああ…そうだな…」

“おかしい…何が起きている…?”

私達が思い切って本司令部の会議室を開けると、その場で話し合っていたのであろう将校達は、全員死体になっていた。薄気味悪くなったが、そのまま大統領の執務室へ進む。

その時点でくぐってきたどの扉も、電子ロックが外れていた。まるで、誰かが私達のために道を開けたようだった。

「じゃあ、行くぞ」

「ええ。お気をつけて」

私は、後へついてくるGR-80001に頷いて、大統領執務室の扉を両手で引き開けた。

「ええっ!?」

そこには、今正に絶命したのであろう大統領と、大統領へ指先の熱線を向けていた、GR-80001が立っていた。




第43話 「残されたモノ」



私は、一瞬背筋が凍った。合衆自治区大統領の死という、極端に危機的な状況に相対した事で、恐怖すら覚えた。だが、相手がGR-80001だったので、すぐに警戒を解き、話し掛ける。

「お前は…もしかして、ターカスか?」

そう言うと彼は「ええ」と言い、指先に尖らせていた熱線砲を収める。大統領は眉間を正確に焼き抜かれ、死んでいた。ターカスはそれを顧みもせず、私に向かって頭を下げた。

「ロペス中将、任務を言い渡されてもいないのに、勝手な真似をして申し訳ございません。ですが、合衆自治区分司令部に戻った時、シルバから「メキシコシティ司令部は燃えた」と聞き、急ぎ敵軍の中枢を破壊せねばと思い、こうしました」

それはきちんきちんとした口調で、はっきりとしていて、それまでのどこか煮え切らなかったターカスの態度とは違っていた。

“自分の立場を自覚したって事か…何があったか知らないが…”

私も自分の立場を思い出し、彼に向かってこう言う。

「目的を達成出来た事は評価しよう、ターカス。だが、お前の奪還のために、A班は負傷ロボットが出た。お前のせいで自軍に被害が出ていたんだ。その最中に一人で先走るなんて、正気の沙汰じゃない。なぜ私達を待たなかった」

ターカスは少々言い淀んだが、すぐにこう言った。

「警備やロボット数をスキャンしましたところ、自分でも突破可能と判断しました」

私はまた、苦い気持ちがした。“こいつら”と向き合っていると、いつもそうだ。正しくて、否定しようがない事しか言わない。仕方なく、私はターカスから踵を返した。

「出るぞ。ここもすぐに危なくなる。いいか、ターカス。軍内での単独行動は、厳禁だ。覚えとけ」

「申し訳ございませんでした」




結果として、メキシコ自治区軍は勝利し、自治権は保持された。一体なぜ、今さらになって合衆自治区が攻めて来たのかは不明だが、彼らは負け、トップの首はすげ替えられた。

ターカス達は元居た家庭に戻す方針だったので、エンジニア達は、彼らのスケプシ回路から、軍内部の情報のみを削除した。それで済んだはずだった。

しかし私は、アメリカの進軍によってメキシコから何が奪われたのかがまるで分からない事で、落ち着かない日々を送っていた。




「ターカス!お帰りなさい!よかったわ、ちゃんと帰ってきたのね!どこも壊れてない?」

私は、マリセルと一緒に帰った自宅でターカスを迎え、嬉しくて嬉しくて、切なくて仕方なかった。

“戦争は終わったし、ターカスも帰ってきたわ!これで大丈夫なのよ!”

有頂天に喜びばかりが溢れて苦しく、私はターカスをぎゅうっと抱き締めて彼の胸に額を擦り付ける。

「有難うございますお嬢様。わたくしは大丈夫でございます。長く家を空けて申し訳ございません」

“ああ、ターカスよ。ターカスの声だわ…!”

私はとうとう泣いてしまって、ターカスは私の涙が止まるまで、傍に居てくれた。




それからしばらくして、私は妙な事に気づいた。

それはある日、私が、戦争によって爆撃された街の復興していく様子を映し出すメディアを開いていた時だった。

「まあ…酷い事…ターカス、大丈夫よね?みんな、元に戻るわよね?」

あまりに打ち壊され尽くした街々の様子に、私がターカスを振り返ると、彼は私を見もせずにこう言った。

「ええ、大丈夫でしょう」

その時彼は、私が着替えたドレスを抱え、部屋を出て行くところだった。

その時の違和感は、言葉にすらならなかったけど、そんな風に、ターカスが仕事に掛かり切りになって、私を構ってくれない事は何度もあった。

“おかしいわ…最近のターカスは、なんだかよそよそしくなって、あまりわたくしに親しくしてくれない…何かあったのかしら?”

私はその事を、何度かターカスに聞いてみた。でも、いつもターカスは家の仕事に追われていて、私の話など聞いてくれなかった。それで私の不安は、段々と、「疑い」と呼べる程にまで濃くなっていった。




その日、ターカスは、掃除をするため体を扁平に変形させ、腹側に大きなモップを着けて、壁を走り回っていた。

「ねえ、ターカス…」

彼はすぐに答える。

「お嬢様、申し訳ございません。このお掃除が終わりましたら、お話をお聞き致します」

私は口を結んで悲しみに耐え、最後の気力を振り絞って冷静になり、こう言った。

「どうして、わたくしの話を聴いてくれないの…?ターカス…」

それには、こんな言葉が返ってきた。彼は知らずに、私の心を引き裂いてしまった。

「お嬢様、少々の間です。お待ち下さい」

壁を磨くのに熱中しているような様子のターカスを、私は背中から睨みつけた。彼は私の視線になんか気づかない。落ちにくい汚れには苦労するのに、彼は私の悲しみになんか気づかない。そんなはず、ないわ!

“違う…!ターカスじゃないわ!”

私は、自分が何を言うのか分かっていた。そして、それをターカスが聴かないだろう事も。でも、“彼が何も気にしないなら、これくらい言ってもいいはずだわ!”と、私はほとんど生まれて初めて、激しい怒りを感じていた。

お腹が震える。喉も。上手く声が出るか分からない。そんな状態で、私は叫んだ。ちょうどその時、部屋にマリセルが入ってきたのを、私は目の端で見た。

「あなたは…あなたはターカスなんかじゃないわ!違うわ!あなたはターカスじゃない!別人よ!」




第44話 「虚ろなターカス」



私が部屋に入ろうとした時、まず扉の隙間から、お嬢様のお顔がちらと見えた。そしてその顔がとても悲しげで、どこか怒っているようにも見えて、動揺し掛けた時、お嬢様はこう叫んだのだった。

「あなたはターカスじゃない!別人よ!」

私は、突然の事に何がなんだか分からず、でもその場を収めなければいけないので、まずはお嬢様に駆け寄った。

「お嬢様、一体どうしたのでございますか」

私が近寄っても、お嬢様はこちらを向いてくれない。お嬢様はターカスを睨みつけていた。でも、お返事はして下さった。

「知らないわ!でもこの人はターカスなんかじゃないわ!そんなはずない!」

お嬢様はもう全く冷静で居られず、虫が収まらないでお怒りになっている。そんなご様子は初めて見た。とにかく私はお嬢様の肩を抱えて、さすろうとする。でも、そうすると、お嬢様は私の両手を強く払いのけたのだ。そしてお嬢様は、私を見て怒鳴る。

「マリセル!この人をどこかへやってしまってちょうだい!」

「ええっ!?」

“一体どうしたんだ!?”

私は、ますます何がなんだか分からなかった。だから、やっとターカスへ意識を向け、彼がどんな様子なのか確かめようとした。

ターカスを見てみると、彼はじっと私達を見ていて、どうやらお嬢様のお怒りに驚いているようではあったけど、慌てていたり、悲しんでいたりする訳でもないようだった。それもおかしいと思った。

「ターカス?一体何があったのですか?お嬢様に何かしたのですか?」

ターカスの返事を待つ間もなく、お嬢様がこう叫ぶ。

「いいえ!いいえ!何もしていないわ!何もよ!わたくしになんにもしないターカスなんて、ターカスじゃないわ!」

“なんにも?ターカスはお嬢様のお世話をしていたのでは?”

私はお嬢様の方を向き、立ち上がったお嬢様の肩を押して、落ち着かせるため、歩行器に座らせた。

「お嬢様、そんな事はございません。ターカスはずっと貴方のお世話をさせて頂いておりました。“なんにもしていない”とおっしゃるのは、一体どういった意味なのでございますか?」

私がそう聞くと、お嬢様は急に下を向いて、黙り込んでしまった。

「お嬢様…」

お嬢様は俯いて両目を悲しそうに見開き、唇をわななかせている。

私は、ヘラお嬢様が悲しんでいると分かり、お嬢様の肩を今度こそさすった。そうすると、お嬢様は私の片腕に寄りかかり、髪を斜めに垂れさせて俯いて、苦しそうに瞼を閉じる。そこから、大粒の涙がぽろぽろっと落ちた。

私がポケットからハンケチを取り出してお嬢様の目頭に当てると、お嬢様はそれを受け取って、わんわん泣く。

「こんな…こんな事があるはずないのよ!…うう…!ターカスは…ターカスは、わたくしの事を忘れてしまったんだわ!きっとそうなんだわ!…だって、わたくしと全然、お話もしてくれないなんて…!うう…!」

泣き声を半ば押し殺しながら、お嬢様はそう言った。私はしっかり事態を飲み込み、お嬢様の頭を撫でて、震える体を抱き締めてから、もう一度ターカスに向き直った。

「ターカス。お嬢様はこう言っています。お話の通りなのですか?」

その時私は、今まで見た事がなかったターカスを見た。

「ええ。その通りです。家のお仕事が終わってからお話を、と思ったまででしたが」


ターカスがそう言った時、お嬢様はゆっくりとターカスを首で振り向いた。

お嬢様は、信じ難い悲しみを見るような顔をしていた。

そしてそのまま、ふらふらとベッドまで自分の足でお歩きになり、「みんな、出て行ってちょうだい」とだけお言いになったのだった。




その通信が繋がったのは、私が連絡を取ろうと苦心し始めた、翌朝の事だった。

軍内部に居る人間と通信をするのは、一般市民は禁じられている。それは機密を漏らさないためだ。だから、初めはどんなに事情を説明しても、聞き入れてもらえなかった。

でも私は、軍に所属している間にターカスに何かがあったのだと思い、なんとかメキシコ自治区軍と連絡を取ろうとした。

通信は何度も勝手に切られ、その内に保留音が流れるだけになったら窓口を変えて連絡をした。

「でも、こちらのロボットは元々戦術兵器なのですよ!それが前と様子が変わったようだと知ったら、貴方方もご興味がおありなのではないですか!?」

私が思わず語気を強めてそう言った時、窓口応対AIはやっと、「承知しました。それでは、ロボットの型番をお教え下さい。こちらでお調べして、後からご連絡致します」と言った。私がそれに応じると、すぐに通信は切れた。




お嬢様は、お部屋で泣き続けている。ターカスは、お嬢様の朝食を作っているだろう。お嬢様は、お食べになるだろうか?

思った通り、お嬢様はAM10時になっても部屋から出てこず、私がベッドの傍へ寄って行ったら枕を投げつけられた。

「出て行って!」泣き腫らした目を布団で隠して、お嬢様はそう叫んだ。

仕方なく私は食事室に行き、お嬢様のテーブルに食事を並べていたターカスに、事情を説明した。それなのに、ターカスは大して心配する風でもなく、「それでは、これらは廃棄としますか?」などと聞いてきたのだ。私は混乱さえした。

「ターカス。一体どうしたのです?お嬢様が臥せっていらっしゃるのですよ?」

そう言うと、ターカスは食器と皿をワゴンに片付けながら、私を振り向かずこう言う。

「ええ。ご心配な事です」

“どうしたんだ…?本当に、別人のようだ…”

私はそのままそこに立ち尽くしてしまい、皿を片付け終わってワゴンを押し、部屋を出て行くターカスを見送った。




ほどなくして、一人の来客があった。

その日、久しぶりに玄関のセンサーが働き、私達は急な来客に大わらわになった。

「はい、どちら様でしょうか?」

そう聞くと、センサー前に立った背の高い男性がカメラの方を向く。強い目の光がこちらを見据えていた。

“問い合わせに答えに来た。ターカスの話をしよう”

私はその言葉に、一も二もなく、玄関のパスコードをキーボードに入力した。


その人は思った通り、軍の人間だった。「ロペス中将だ」と名乗り、彼はソファに掛けている。ターカスがその前にお茶を出した時、中将はちらっとターカスを見たけど、彼は不満そうに溜息を吐いた。

私は、空気の切れ目から、躊躇いながらも話を始める。

「中将は、何をご存知なのでしょうか…?お聴きしてよろしいお話なのでしょうか…?」

そう言うと、中将はゆったりとソファに背を預け、葉巻に火を点けた。私は、お嬢様のために葉巻はご遠慮願いたかったけど、その場は黙っていた。すると、中将はこう言ったのだ。

「いいや。実は、なーんにも知らねえ」

「えっ…」

私が置いてきぼりを食って唖然としていると、中将は大笑いして見せる。

「アハハハ…すまん」

“結局、無駄骨だったか…”

私はもう意気消沈して下を向いていたけど、目の前のテーブルに、中将が身を乗り出したらしい影が見えたので、顔を上げた。

中将は、ごく真剣な顔をして、こちらを見ていた。それはこちらが気圧される程だった。

「俺の見た限りでの話なら出来る。それでいいか?」

そう聞かれたので、私は少し元気を出して、「ええ」と頷いた。



第45話 「アメリカへ」



「お前さんらには何も知らせてないからな。初めから話そう」

そう言ってロペス中将は、威勢の良い身振り手振りをまじえながら、こんな話をしてくれた。

中将曰く、ターカスは軍での作戦行動中に敵軍の捕虜となった。でも、ターカスを奪い返しに敵軍司令部に攻め込んだ時にはターカスは居なかったのだと。中将がホワイトハウスに攻め入った時、初めてターカスが姿を現し、彼は自治区大統領に熱線を向けていたと。

私は、それらの話を、ターカスの身に起こった事として飲み込んでみたけど、やはり戦争とはあまりに日常を壊すのだと思わざるを得なかった。平然と話し終わったロペス中将がまるで悪人であるかのように見えた程だ。でも、私はすぐに気を取り直して、こう言った。

「つまり…ターカスはどこかへ消えた時があったという事でしょうか…?」

中将は細かく一つ頷く。

「そうだ。そして、その時に敵軍からもう一人人員が消えていたと、ターカス奪還に向かった班からの報告があった。その事は記録に残ってる」

私は、そんな話を聴いて良かったのかと危ぶんだが、中将が話しているのだから大丈夫だろうと思っていた。

「そのロボットの名前は“エリック”。型番は知らない。ただ、敵軍のロボットから聞き出したらしい」

「えっ…エリックですって!?」

中将はまだ驚いてはいなかった。ありふれた名前だからだろう。

「なんだ、知ってんのか?そんなはずねえよな?アメリカ自治区軍だぞ?」

私は「まさかそんなはずがない」と思いながらも、ターカスのこれまでの話をしようとして、少し身を乗り出した。

「実は、中将…私達も、まだ話していない事があります」


“ターカスは恐らく自由意志を持つべきロボットであろう”

“亡くなったヘラお嬢様の弟の代わりにするつもりでプログラミングされたロボットだ”

“ごく最近、“エリック”というロボットに連れ去られてテロリズムに巻き込まれ掛けた”


私は、以上の事をロペス中将に話した。中将はとても驚いていたが、納得出来なくはないようだった。

「はあ…まさか、そんな事情の深いロボットを借りたなんて思ってなかったぜ」

「す、すみません…」

訳も分からず、私は謝った。でも、彼はこちらの話に大いに関心を示したようで、自分の膝に寄りかかって、こちらへ近づいた。

「そいじゃ、“エリック”の型番は分かるか?以前の居住地や、スタイル、設計図なんかは?」

あまり期待をしていなかったのか、私が次にこう言っても、中将は落胆もしていなかった。

「さあ…それは、ターカスを捜索してくれていた、捜査員の方しか、ご存知でないと思います…」

「そうか。捜査員の名前は憶えているかな?」

「え、ええ。ジャック・アームストロング氏、アルバさん、メルバさん、シルバさん、銭形氏だったと、記憶しています」

私がそう言うと、ロペス中将は突然額を片手で押さえた。なので私はこう聞く。

「どうしたのですか?中将」

極まり悪そうに話したがらなかったが、中将は私から目を逸らすためのように俯き、こう言った。

「銭形は、ターカスの仲間達が破壊した。アメリカ自治区軍に徴兵されていたよ。アメリカ自治区出身だからな…」

「そうだったのですか…」

その後、中将は「俺が責任を持って調べて、また連絡する」と言ってくれて、ホーミュリア家を去った。私はターカスにどんな気分かと聞いたけど、「別段、何もありません」と言われただけだった。




“これだ”

ホーミュリア家に赴いて得た情報に、俺の頭に引っかかっていた心地悪さが、答えを得たように思った。要は、“カン”ってやつだ。そんなのはジンクスだとみんな信じないが、この世を全て科学で説明出来るなんて思ってる訳でもねえ癖に、何を抜かしやがる。

と、言う訳で、捜査員を全員集めた訳だが…

「ねえ!ちょっとメルバ!何するのよ!」

「うるっさいなー、さっきから。ちょっとエネルギー借りてるだけだろ。俺はさっきまで出先だったんだよ」

「携帯用のチャージャーを使いなさいよ!」

「わざわざそんな物持ち歩かねえよ!たった3地区先だぞ!?」

「ふ、二人とも、少し静かにした方が…」

二人の子供ロボットが言い争っていて、後の一人は止めたそうにしているのに、なんの役にも立っていない。俺はそんなのに付き合うのが面倒だったので、黙って“アームストロング”を待っていた。そこへ、子供ロボットがやっと俺に構う。

「ねえ、ところでロペスさん、今日は何の用なの?」

思わず俺は子供ロボットを睨んだ。

「あ?」

少したじろいだように見えたが、アルバは臆せず俺に話し掛け続ける。

「だから、何の用?私はアームストロングさんに呼ばれただけよ。あなたもそうなの?」

ポリスを代表する武力の高いロボットである“アルバ”、“メルバ”などは、国の共有財産かのように扱われている。だから俺達は何度か会った事もあったし、こいつらは鼻っ柱が強くて癇に障るんだ。

俺は、だーっと大きく溜息を吐き、そいつらにこう言ってやった。

「俺がアームストロングと君らを呼んだんだ。“ターカス”について、君達に二、三、質問をさせてもらう」

「えっ?ターカスって…」

驚いているアルバを放っておいて俺は端末を取り出し、レックのメニューで録音を始める。

俺達は互いに、まず自分の名前をレックに吹き込んだ。それから話が始まる。俺は、“ターカス”と“エリック”が、アメリカ自治区軍でどんな動きをしたのかについて話した。子供達はみな、驚き、意外だったようで、頬を引きつらせていた。

「エリックの情報をお伝えすればよいのでしょうか」

そう言ったシルバは、仮想ウィンドウを片目の前に映し出し、手元に出現させたキーボードに、パスコードを手入力していた。俺はこう言う。

「そうだ。一緒に司令部を出たかは判然としないが、元から繋がりがあるなら、何らか、二人が何かを示し合わせた可能性は高い。それについての情報を知りたいんだ」

すると、シルバは一度息を吐く。眠らせていたシステムの起ち上げだろう。

「承知しました。それでは、まず、“エリック”の正式名称です。「Ψ-AH56602」。こちらが設計図。彼は全く一般的なメイドロボットです。だから僕達は驚いたのです」

そう言ってシルバがこちらに見せたのは、確かに何の変哲もない、ヒューマノイドタイプの設計図だった。

「どういう事だ…?」

「これは僕も疑問でした。エリックは、戦術ロボットのターカスを連れ去る事など出来ないはずだった。その謎の究明を待たずして開戦となったので、訳は分かりませんでした。今、それを明らかにするべきかもしれません。あるいはエリックは、軍事的改造を施されたのかもしれないと、僕は思っていたのです」

「一般のヒューマノイドロボットに誰がそんな事を?」

そう言って凄むような目を作ってみても、シルバは薄く唇だけで微笑む。

「それをお調べするのが、貴方の仕事かと思います」

「参ったな…」




俺はその晩、アメリカ自治軍を監視させている子飼いへと通信をしていた。向こうさんが気付かない内に終わらせるため、いつも2分に限っていた。

“アメリカ自治区軍所属、“Ψ-AH56602”について、情報求む”

すると、こう答えがあった。

「その者、12月23日、合衆自治区軍、退役」

俺は、その次の休暇を利用し、アメリカに飛んだ。




第46話 「穀物メジャー」



「久しぶりだな」

「中将、お会い出来て光栄です」

俺はその者の家に直接行き、長年決めてはいたものの、一度も使った事のない合言葉で、玄関のパスコードを入力させた。

何年も前から俺が飼っている人間で、個人的に合衆自治区軍を見張りたくなった時、名乗りを上げてくれた、元部下だ。普段は下のテナントで花屋をしている。

“造花よりも、喜ばれるはずです”

そう言った彼は、俺と同じ通念があったように思った。




ロボットに支配されたこの世。判断のほとんどをAIに頼っているこの世界。

それでは、生きているのは誰なのか。

それをずっと問い続ける事を、放棄した人類。その中で俺達は、「敵国を殺す」という、一番生々しい、過激な判断を続ける組織に居る。だから俺達には解る。

“生きていくなら、自分で判断しなきゃダメだ”

そう思うから、自分でアメリカまでやってきた。その理由を、花屋のメルヴィンは聞いていた。

テーブルの上にはコーヒーサーバーが置かれ、沸いてきたら、メルヴィンが2つのカップへ注いだ。




「そうですか…それでは、“エリック”が同一人物と仮定したくなりますね」

「ああ。どうやらそいつは、“ターカス”が一度破壊している。誰かが修理して、軍に進呈したんだろう。“エリック”の所有者は?」

メルヴィンは、丁寧に撫でつけた、人当たりの良さそうな細い金髪を、癖のように片手で整えていた。

「デイヴィッド・オールドマン。現在83歳の、穀物メジャーの研究者です。「主に穀物生産や輸送のためのロボットを研究している」、という“触れ込み”です。特定には今朝まで掛かりましたが、衛星のデータから見るに、エリックが軍司令部を抜けた時には、一度博士の自宅へ向かったようです」

俺はコーヒーを一口啜り、美味いとも不味いとも言えない液体から、目をあげた。メルヴィンの目の中には、「してやったり」と言ったような、小気味よい微笑みがあった。しかし俺は、敵の大きさに尻込みし掛ける。

「穀物メジャー、ね…そんなこったろうと思ったぜ。メルヴィン。お前の推論を聞こう」

するとメルヴィンは慌て始め、少し赤くなった。

「わ、私、ですか…」

「この国に住む、俺の信頼する人間の意見だ」

「は、はあ…」

メルヴィンは一口二口のコーヒーで唇を湿すと、手短に話した。その時には、奴は勝ち誇ったように、自論を展開してみせてくれた。

「相手が“まっとう”なら、戦時中に戦術ロボットが連れて行かれるなんて事は、普通は有り得ません。合衆自治区軍にエリックが潜り込んで、諜報活動をしていた可能性があります。運良く、機能の良い戦術ロボットが手に入ったので、主人の元へ連れて行った…前々から戦術ロボットの研究をしていたのでなければ、そんな必要はありません。敵が博士であるか、穀物メジャーであるか…これは明白です」

俺の頭には、こんな言葉が過った。

“博士が組織を牛耳っている訳でもないが、主要たる科学者だろうからな。個人的な研究なんかではないだろう”

俺はそこで溜息を吐き、コーヒーをごくごくと飲み干した。そしてすぐに立ち上がる。メルヴィンも椅子から立って、俺に敬礼した。奴は、俺の足の速さを知っている。

「お寄り下さいまして、有難うございました」

「こちらも、貴重な意見と、コーヒーを」

「メキシコでは、もう飲めませんからね」

メルヴィンの冗談に、俺は葉巻を取り出す。メキシコで足りている物と言えば、小麦とタバコくらいだ。

「なあに。こいつは許されてるんだよ」

俺は火を点けたが、メルヴィンは慌てて止めた。

「中将。合衆自治区は、今期より優良の喫茶室以外が、禁煙となりました」

俺は頬を掻き、「フウン」と言った。

「邪魔したな」

「またお越し下さいますよう。お疲れ様です」

背中にメルヴィンの生き生きした若い声を聴いて、俺は扉の外へ出た。


外へ出ると、1月のニューヨークのむっとした湿気が頬を撫でた。

海が隆起した場所にまた新しい自治区が出来ている。この国ではコーヒーは飲めるが、タバコはいけなくなったらしい。俺はまた、歪な人間の掟を感じながら、話に聞いていたオールドマンの研究所を目指した。




白い建物の周りは、小麦畑だった。でも、その時期には小麦などまだ育っていない。

そこはカナダに近い農地なのに、全く寒くなどなかった。子供の頃に読んだカナダの山の小説は、かなり寒冷地だという話だったのに。

カナダもアメリカも、元より小麦の産出量は充分だったが、農地と品種の改良が進み、生産量が少なかった国も、小麦だけは絶対に育つようになった。グアテマラでさえだ。ただ、そこではもう、コーヒーは育たなくなった。

コーヒーはすでに贅沢品だ。

気候が温暖化して今までの農地で育たなくなったので、維持費の高い屋内栽培での品種が生み出された。

各国はそのように、輸出作物の問題を抱えている。それを「解決する」のが、“穀物メジャー”だそうだ。本当は、価格を操って利益を出すのが目的で、どの国からも鼻つまみ者の組織だがな。

そんな事を考え、俺は一応警戒して拳銃を手に持ち、建物に近寄ろうとした。その時だった。

何かの軽い衝撃が足に当たったと思って振り向こうとした時、俺の足からはすっかり力が抜け、どくどくと血が流れ出ていると分かった時には、俺はもう地面にばったり倒れていた。

「ちくしょう…」

“撃たれた!”

防犯にしちゃ警備が重過ぎる。

“これは絶対に怪しい。だが、とにかく殺されない内に、一旦は退却しないと…”

なんとか建物の外に這い出ようとするも、誰かに頭を殴られ、俺の意識はぷっつり途絶えた…




第47話 「隠されたターカス」



頭が痛む。俺は初めにそう思った。それから、耳元で誰かが唸っているのが聴こえ、それが自分の声だと分かる頃には、もう正気づいていた。

目を開けると、俺が居る部屋が見えた。薄気味悪い程白い部屋だ。壁があるのかどうかまで、よく分からない。

体を動かそうとすると、俺の体は、拘束帯のような物でその場に縛り付けられていた。どうやらベッドの上のようだ。ただ、ベッドがある他は、その部屋には何もなかった。

足も動かなかったが、さほど痛みがなく、出血も止まっているらしかったので、誰かが治療をしてくれたらしい。

“この状況で声を出していいものか…”

答えはノーだ。起きれば殺される訳でもないだろうが、とにかく拘束は外さなきゃならない。敵に気づかれていいのは、最低限自由を得てからだ。だから俺は、右手をぎゅっと思い切り握った。

すると俺の手は裂け、そこから小さなナイフがしゅっと飛び出てくる。それはいざという時のために仕込んでいた武器で、俺は、災害派遣の際に片手の首を失くしていた。

“やっと役に立ったぜ”

拘束帯はただの布ではなかったらしく、切り取るのにずいぶんと時間が掛かった。でもなんとか自由の身になれたので、俺はその部屋の出口を探す。




「ない…だと…?」

3分程その部屋を探し回ったが、ドアはなかった。壁の切れ目も、探してもない。

敵さんに気取られると思ってやっていなかったが、壁を一つ叩いてみた。それで何が起こるとも思っていなかったが、万一感応式のドアなどだった場合を考えてだ。

ところが、俺が壁を叩いた途端、壁全体が青く光った。そして、天井からこんな声が聴こえてきた。

“ああ、お目覚めかね”

それは、もうだいぶ歳のいった老人の声だった。それに、ここはオールドマンの自宅だ。彼本人だと考えるのが自然だろう。俺は天井を仰ぎこう叫ぶ。

「何が目的だ!」

“それはこちらの台詞じゃよ。なぜ軍人が不法侵入を?”

全部知れているのかと思って“しくじったか”と思いかけたが、俺は、まだ相手に話が通じると仮定し、こう返した。

「あるロボットについて話がある!おそらくあなたに関係あるだろう!」

そう言うと、何かムニャムニャと天井から独り言のような呟きが聴こえ、俺の傍で、何事もなかったかのように、扉が開いた。




廊下に出ると、辺りはシンと静まっていて、人の気配はなかった。すぐに誰かがやってくるだろうと思ったので、俺は急いで行動した。

とにかく、開けられそうな扉を探して、相手に見つからない内に開け、何かは発見して帰る。それが目的だった。そして、五つ目のドアがそれだった。

自動ドアではなく、指版の取り付けられたアンティーク調のドアを、誰も来ない内に俺は開けてみた。

その部屋には、灯りは点いていなかった。でも、部屋の奥に、ほの青い光が見えた。間接照明のようだ。それに照らされた物体を、俺は見た。

「うっ…!」

思わず、声を上げてしまった。そこには、あの“ターカス”と同じに見えるロボットが、ぼろ切れみたいになった状態で放置され、手足を縛られていたのだ。

危ないかと思ったが、警戒しながらもそのロボットに近寄ろうとした時、廊下の向こうからカチコチと鉄の足音がして、俺は慌てて駆け戻った。




応接間のような部屋まで、真っ白だ。気味が悪い。

俺が廊下に戻ると、一人の眼帯をしたヒューマノイドロボットが現れ、それから彼は無言で俺をこの部屋に通した。でも、まだ部屋には誰も来ていない。

部屋の中央には大きなローテーブルがあり、その真上には、シャンデリアに模した照明が掲げてある。テーブルを回って四つのソファが置いてあるが、それはテーブルからも少し離してあって、足を寛げやすそうだった。

床には真っ白な絨毯が敷いてあり、壁も床も、強迫的に白い。まるで何かに駆られた病人の家のようだ。そんな様子を、格子ではめ殺しにされた窓から入る陽の光が、照らしていた。

ところで、俺が撃たれて出血したはずの足は、もう痛くもなんともない。緊急事態と思って動いていたから確認が遅れたが、血どころか、傷痕すら残っていなかった。

“医者なんて居なさそうだが…”

俺がそんな考え事をしていると、入口の扉が音もなく開き、ロボットの足音がカツコツとして、その後へ、ゆっくりと老人が歩いてきた。

「やあ。先ほどは失礼したね。傷は治ったかな?」

俺は、自分が老人を充分に警戒している事を確かめてから、話に応じる。

「ええ。もう治っています」

老人はソファへ大儀そうに腰掛け、ロボットはそれを手助けしたそうに見守っていた。

「よっこいしょ。いや、すまないね。歳を取ると体も上手く動かんでな。お茶はおあがりにならないのかな?」

テーブルには、ロボットが出してくれたお茶があった。でも俺は首を振る。

「コーヒーの方が好きなんです」

「そうかい、そうかい。そりゃあすまなかった」

そんな無駄話をしに来た訳じゃないだろうと、俺は老人を睨みつける。すると彼は、ニマニマっと笑った。

しばらく黙っていたが、老人は目だけで俺を見上げてにやにやと笑いながら話を始める。

「君がどこから来たのか、何のために来たのかは、ある程度の想像はつく。それは何も、歳を取っているからじゃない。まあそれはいいが…単刀直入に言おう。私が君に教えてあげられる事はなにもない。お茶を飲んだら、お帰りなさい」

俺はその時、一度頷き、自分に承認を与えた。そして、手の中のナイフをまた出し、老人に飛びかかろうとする。




気が付いた時には、俺は天井を向いて倒れていて、目の前に眼帯野郎の顔が見えた。奴は大きく目を見開き俺を見詰めていて、俺の喉元には大きな刃物が突きつけられていた。眼帯野郎の左腕だ。

「降参。わかったよ。帰る」

そう言うと、眼帯野郎はどいたが、彼は老人の近くを離れようとしなかった。




奇妙な事に、俺は玄関までロボットに見送られ、外に出た。その時にはオールドマンは居なかったので、俺は恐らく“彼”と思しきロボットに、こう話し掛けた。

「エリック。お前も、俺に何も教えられない立場かな?」

そう言っても彼は目も上げず、俺に丁寧な会釈をしただけだった。

しかし、これでどうやら、デイヴィッド・オールドマンがターカスに何らかを施して彼を密かに隠していて、それは口外出来ない目的のためだったという事は分かった。

オールドマンは、出来るなら人殺しはしたくないらしい。少なくとも、今は。

エリックの様子は聞いた話と大分違ったが、所有者が変わってプログラミングが変更されれば、ロボットはそんなもんだ。ただ、やはり奴は、軍事的改造を施されている可能性が高い…

俺は、それらの報告を持ち帰り、“さて、どいつにどれを喋ろうか”と考えながら、シップからアメリカの大地を覆う畑を眺めていた。




第48話 「ロボットのお医者さん」



「昨日帰国した」というダグラス・ロペス中将に私は呼ばれ、「お前からも意見が欲しい」と相談を受けた。ターカスを実際に目にした事のある者、それから、莫大な情報にアクセス出来る者として。しかし彼は、今回に限ってアームストロング次長の許可を得ていなかった。どうやら、急いでホーミュリア家に持ち帰りたい情報があるらしかった。

「ロペス中将、僕は何者かの権限で情報を閲覧及び操作するロボットなのです。最低限、ポリスの支部長クラスの許可が必要なのです」

ロペス中将にそう繰り返すと、彼は立ち上がり、部屋を出て行った。

戻ってきた時、中将は僕に向かってビデオ端末を差し向け、僕は端末の向こうでおろおろとしているメキシコシティ支部長から、「彼に情報を渡すように、ただし、人民に損失が及ばないように」との命令を受けた。

テーブルの真上には小さな照明があって、直方形のテーブルに、私達は差し向かいに座っていた。そこはポリス本部の事務室で、使われていない空き部屋なので、テーブルと椅子の他は置かれている物もなかった。

「はあ。それは大変でしたね」

「ああ、死ぬところだったかもしれないが、どうやら博士は今、人死にを出したくないらしい」

中将は、大して苦労をした風でもなく、ちょっと首を横に振った。

私は、自分の端末を取り出して、デイヴィッド・オールドマンのデータを調べ、現在の活動状況について、「情報がほとんど揉み消されているだろう」との見解を述べた。

彼は合衆自治区の穀物メジャーの職員であり、幹部に近い技術開発者だ。活動が秘匿されるだろう事は想像に難くない。

「助かるぜシルバ。それで、穀物メジャーの先行きについてはどうなんだ?」

「ええ、それは今…」

私がページを繰り先へと進めると、最新の活動情報について、やや貴重と思しきデータが表れる。組織側が公表をしているからと言って、背後に後ろ暗い状況がないとは限らない。

“ついにアフリカ未開拓自治区に農業灌漑”

そう書かれていて、それにアメリカの企業が参画を表明し、恐らくデイヴィッド・オールドマンも何等かの準備はするだろうと伝えた。

「そうか…」

ロペス中将は深刻そうに考え込んでいたので、「これからも、許可が下りれば僕は力になれます」と伝えた。




私は、もう一度家にロペス中将を迎えておもてなしし、驚くべき事実を聴いた。

その時、中将は「ターカスは席を外してもらってくれ」と言っていて、もちろんターカスは居なかった。私と、中将だけで話をしていた。

「では…うちに居るターカスは、偽物なんですか?」

恐る恐るそう聞くと、中将は残念そうに項垂れる。

「そうかもしれない、というだけだ」

「そんな…」

私がどうすればいいのか分からなくなってしまうと、中将は慌ててこう言う。

「ただ、それは俺があの時、オールドマンの屋敷で、型番の同じロボットを見た、というだけだ。ターカスの豹変については、まだ原因は分からない」

「そ、そうですね…でも、そうだとすると…一体どうすればターカスを元に戻せるのか…」

「フーム…ホーミュリア家はロボット工学の権威だろう。知り合いに、ロボット学者は居ないのか?」

そう言われてその事に気づいたけれど、この家に来てまだ日も浅い私は、それらの人々とは、御当主の葬儀の時に会った切りだ。今では、この家をそういった目的で訪ねる人も少ない。

「いくらかはいらっしゃるとは思いますが…私で、お取次ぎ出来ますものでしょうか…」

すると、中将はまた葉巻に火を点け、ぷかっと煙を吐く。

「やらなきゃならんだろう。令嬢はまだ塞ぎ込んでるのか?」

「ええ…」

私は、庭の兎小屋でコーネリアと遊ぶ事を支えに、独りの時に耐えているお嬢様を思った。

“お嬢様のため、ターカスを元に戻さなければ”

私はそう一念発起し、ロペス中将にお礼を言う。

「中将、ご報告を有難うございます。私は、現在のターカスを元に戻す方法があるか、聞いて回ってみようと思います」

「いやいや。俺も、所属していたロボットが急変したなんて、気持ちが悪いからな。解決とはいかないまでも、少し様子が分かってよかったよ」

その時私は、やっとロペス中将が体験した出来事の話を思い出した。

「そうです、中将。足の傷は、痛まないのですか?」

「ああ、これか?もうなんともないぜ」

そう言って中将は軍服をたくし上げ、ソックスを下ろしてみせる。いつも分厚い軍服に包まれているからか、想像より白い肌には、本当になんの痕もなかった。でも、僅かに線が一本残っていた。私はそれを見て、奇妙な気分になった。

“どこかで見たような…”

だけど、いつまでも傷痕を晒させているのは失礼と思い、話を先に進めた。

「すみません、そんな危険な目に遭わせてしまいまして…お命が無事で何よりです」

そう言って、私は頭を下げる。

「大丈夫さ。じゃあ、“ターカス”は一度誰かに診てもらって、俺は気になる事があるから、そっちを調べる事にするよ」

「ええ…」

中将は軍服を元に戻し、少し付いていたのだろう泥汚れを、軍靴から払った。

「結局、オールドマンが何を考えているのか、何のために“ターカス”と同じようなロボットを所有していたのかが分からなければ、自国の損失に繋がる可能性もある」

「そうですね…」

前の時と同じく、ロペス中将は、話が終わったらすぐに帰って行ってしまった。私は家にあった名簿を取り出すため、壁に埋め込まれた通信端末を開く。

壁の一部がぽわりと白く光り、そこへ、オレンジ色の文字が浮かび表れるのを、一人一人、私は指で送った。

“どの方も、頼りになりそうだ…順番にメッセージを送ろう”




私がその晩、ホーミュリア家のアドレス帳にあった、親しかったロボット工学者の方達にメッセージを送ると、休もうとしていた時分に、テレフォンのコール音が鳴った。

「えっ…!?」

それは、もうPM11時を過ぎていた。常識的に考えて、そんな時間にテレフォンなんかしない。それに、現代の人は早寝だ。お嬢様ももう眠っている。

私は、しばらく迷ってから壁に触れて、イヤフォンを耳に掛けた。

「もしもし」

そう言うと、矢継ぎ早に向こうがこう叫んだ。

“大変だ!君、大変な事になったぞ!ターカスが変化するなんて、有り得ん事だ!最悪のシナリオは、我々全員の命にも関わる!すぐにターカスを連れて来い!明日だ!”

「あ、あの、貴方は…?」

私は、とにかく相手にそう聞いた。すると相手の方は、自信満々にこう言い放った。

“儂か!儂こそ“ロボットのお医者さん”、ラロ・バチスタじゃよ!”




第49話 「博士の告白」



私は、ターカスに訳を話した。ターカスは少々納得がいかなかったようだが、「分かりました」と言い、バチスタ博士宅に行く準備をしてくれた。

それから私は、お嬢様のお部屋の扉をノックした。

一度ノックをしても、お嬢様はお返事をなさらなかった。

「ヘラお嬢様、お休みでしょうか」

扉越しにそう聞くと、「起きてるわ。何の用?」と返ってきた。大丈夫そうだと思ったので、私は扉を開け、部屋の奥へ歩く。

部屋に入ってすぐに見えるのは、お嬢様の好きな、石造りの白くて丸いテーブル。それは、レース編みのテーブルクロスが掛けられている。テーブルに乗った花瓶には、いつも庭で摘んだ薔薇が生けられていた。

奥に見える部屋の一面を覆う大きな窓には、モスグリーン色に花模様が散りばめられた、落ち着いたカーテンが掛けられている。お嬢様の御母上の持ち物だったと聞いた。

中に入って左を振り返ると、壁際にクローゼットが設えてあり、いつもそこで、ターカスがお嬢様にドレスを選んで差し上げていた…

そうだ、ここにはいつも、お嬢様をよく知るターカスが居た。それでこの部屋は完全だったのだ。私はそれを取り戻すのだ。お嬢様のために。

私はお嬢様のベッドへ近寄り、顔を伏せているお嬢様が振り返るのを待って、声を掛けた。

「ターカスを、御父上のご友人のロボット工学者の方が、診て下さるそうです。その方は、「今日すぐに」とのお話で…」

私がそう話し始めると、お嬢様は怖そうに眉を寄せ、また、どこか期待をしているように目を見開いた。

「ターカスを、その方の元へ連れて行っても、構いませんでしょうか?」

お嬢様は、ふいと私から顔を逸らすと、何かを考えるように、ベッドに両手をついたまま、目を伏せていた。そして、何も話さずにただ一言、「いいわ」とだけお言いになった。

「有難うございます。ターカスと一緒に、行って参ります。後のお嬢様のお世話には、ユーリとオスカルを置いて行きますので、彼らにお申しつけ下さい」

「わかったわ…」




私とターカスは小型のシップに乗り込み、ラロ・バチスタ博士に教えられたアドレスまで急いでいた。私は、博士がどんな人物なのか、何をしてくれるのかを想像しながら、私は、前の晩に博士が口走った事を思い出していた。

“博士があんなに急いでいたのが気にかかる…「ターカスが変化するはずがない」といったような口ぶりだったのも…本当に、ターカスは直せるだろうか…”

考え事の合間で、私は、隣に座っているターカスを、ちらと窺い見た。彼はシートベルトを締めて、きちんと前を向いて座っていた。私はまた考え込む。

“それに、ロペス中将も、オールドマン氏の自宅でターカスらしきロボットを見たと言っていた…もしここに居るターカスが偽物だとしたら、私達では直せないんだろう…”

私は考えていた。前当主ダガーリア様は、なぜターカスに自由意志を与えようとなさったのだろうと。

“ロボットが自由意志を得る…それは、本当に必要な事なのだろうか…”

やがてシップの中には、指定したアドレスに着いたとアナウンスがあった。でもそこは都市部だったので、私達はパーキングを探すのに少し手間取り、博士の自宅へ赴いた。




博士の自宅は、町中にある小さな建物だった。大きな鉄の扉が一枚付いているだけの、町工場のような佇まいだ。私とターカスは、その前にある空き地に立っている。空き地には、ボロボロになったロボットが積み上げてあり、どれもメモのような札が付いていた。

扉の中からは、何かを強く叩きつける、ガンガンという音が聴こえ続けている。

“博士はご自分の事を「ロボットのお医者さん」と仰っていたし、修理工のような事をしているのだろうか?”

他に出入口は見つからなかったので、鉄の扉を少し強めにノックして、声を掛けた。

「博士!ラロ・バチスタ博士!ホーミュリア家の者です!お約束で伺いました!」

ガンガンという音に負けないように叫ぶと、少しして、音が止んだ。そして中からドタタタッと足音がして、すぐに鉄扉がガラガラと上がる。

現れたのは、ゴーグルをして、何やら長い鉄製の道具を持った老人だった。老人は白髪をちぢれさせ、小柄な体を作業着で包んでいて、ゴーグルの向こうからは、丸くピカピカ光る目が覗いていた。

「おお!来たか来たか!まあ入んなさい!ちょっとしたらお茶を淹れさせよう!おーい!イズミ!イズミ!」

博士は、私達と喋っているかと思いきや、工場のようになっている自宅の奥へと叫び始めた。

私達がどうしたらいいか迷っている間に、少年のような姿をしたロボットが現れる。彼が“イズミ”らしい。

「博士、お客様ですか」

イズミは私達を見て会釈をしてくれて、博士から用を言付かると、そのまま奥へ引っ込んでいく。博士と私達はイズミについていって、作業場と思しき場所を抜け、キッチンへ通された。

「まあ座んなさい。君らの家のようにはいかなくてすまないね」

「いいえ、とんでもない。お招きに感謝致します」

私は博士の謙遜にお礼を返し、ターカスは黙って座っていた。

ターカスは、どうやら自分がここに連れて来られる事にはあまり納得していないようだったし、仕方ないかもいれない。

その時、イズミがお茶を差し出してくれた。

「粗茶ですが」

「有難うございます。頂きます」

イズミはお盆を抱いてウインクすると、こう言った。

「お茶ではないです。オイルですよ。体が良くなります」

私は、飲み慣れてはいるけど、お茶が必要な訳ではない。だからいつも、体の中から取り出すのに苦労していたが、ここに居る人はそれを重々承知らしかった。オイルは確かに、ロボットが経口摂取をして身体に行き渡らせる事で、動きを滑らに保てる物だ。

「それは有難い」

そこへ、待ちきれなかったのか、博士が話を始めた。それは、思いもよらない話だった。

「さて本題に入ろう。ターカスは、私が設計をした」

「えっ…?」

私はびっくりして声を上げてしまい、それまで興味がなさそうだったターカスも、博士に注目し始めた。博士はこう続ける。

「いや、違うな。“ターカス”を植え付けるロボット自体の設計は私が行った。この型のロボット達は、私の手によって生み出されたのだ」

その時、イズミが博士の分として、本物のお茶を差し出したので、博士は片手間に「有難う」を言って、一口だけ飲んだ。そしてまた話し始める。

「まあそれで儂は、「戦争ロボット設計者」など言われて、工学者界隈からはつまはじきにされ、こうして修理工をやって身を立てているんだが…まあそんな事はいい」

思いもよらない博士の身の上話に少し複雑な気持ちになったが、工学者が何を望まれるのかが変わっていく事は分かっていた。博士は段々と首を下げて私達をしっかり見据えて、話していた。

「ターカスを作り上げるためには、私が用意したロボットではもちろん不完全だ。君達は知っているかね?ターカスには、常に成長し続ける自我があったと?」

私は、“ターカスについて聞いていた話よりも、もう少し先を行くようだ”と思った。だけど、一応「はい」と言った。博士は大きく頷く。

「よろしい。それでは、ここで君達に、絶対に口外して欲しくない話をしなければならない。いや、何もこれを話さなくても、ターカスの中を見れば、修理が可能か不可能かは分かるが、君達には知る権利くらいあるだろう…」

私は気になったが、博士はなぜかその時だけ黙り込んでしまって、なかなか言いたがらなかった。だから私は少し急かす。

「どういった事なのです。博士」

博士はお茶をもう一口ずずっと啜ってから、溜息混じりにこう言った。

「ターカスには、亡くなったヘラ嬢の弟君の脳の一部が移植されていたんだ」




第50話 「交錯する危機」



私は家で、マリセルを待っていた。彼が、「ターカスはもうなおらないそうです」という報せを持ち帰ってくるのを、待っていた。

私は、家に帰って来てからのターカスにたくさん傷つけられ、私の気持ちを全て無視された事で、すっかり落ち込んでいて、自分がまともに考える力も失っていたのは知っていた。

でも、お父様以上にロボットのプログラミングに優れている工学者なんか居ないと私は信じていたし、そのお父様が行ったプログラミングを、たとえお父様のご友人だとしても、再現出来るはずがないと思っていた。

“これから、人間のお友達を探さなきゃね、ヘラ・フォーミュリア…”

自嘲の文句を自分に当てつけるために、自分の名前を自分で呼んだ。前は、ターカスがいつも私の名前を呼んで、私を支えてくれていたと、その時また、知った。

“神様がこの世に居続けられるのは、わたくしがわがままだからなのね…”

ほろりと頬を伝う涙を、その日も私は独りで拭った。




「博士…今おっしゃった事は、本当なのですか…?そんな事が可能なのですか?」

私は、あまりに信じられない事を聴いた。ターカスには、ヘラお嬢様の弟君の脳細胞が移植されていたと。

それはあまりに荒唐無稽な方法と思えた。でも、本当に脳細胞を移植してターカスが“成長する自我”を得たなら、ターカスがお嬢様へ接する態度も納得がいく。しかし、もし弟君の脳細胞をターカスが失くしてしまっていたなら、ターカスを直す方法など、ないのだ。

ラロ・バチスタ博士は、大きく溜息を吐いた。博士は一口お茶を飲もうとしたのか、湯呑みを手にしたが、口を付けずにテーブルに置き、両手の指を組んで、両肘を付く。そして、ターカスをじっと見詰めた。

「お前さんは…そうか…」

何かを分かっているかのように、博士は親し気に、また少し寂しそうにターカスを見詰め、「そうか」とだけ言った。その後、私達は博士の作業場へ案内された。




「言っておくが、原因が分かっても、恐らくここでの修理は出来ん。戦術ロボットは“艦隊”だ。部品の中古品さえ手に入りづらく高価だと言うのに、艦隊のシステムを組み直す基礎的技術がここにはない。じゃから、まずは儂の目で、組み立て以前にあった物が揃っているのか、確かめる」

「えっ?博士は、ターカスの図面を保管しておいでなのですか?」

作業場は荒れていて、あちこちに物が散らばっている。博士自体もざっくばらんな方だと思っていたが、ずいぶんと几帳面なんだなと思った。

「馬鹿言え、そんな物いちいち取っておかんよ。ただ、一度作ったロボットの内部構造など、そうそう忘れるもんじゃないんでね」

博士はそう言って、ただ、人差し指で頭をコツコツと叩いて見せた。

「は、はあ…そうですか…」

“私達ロボットには「物忘れ」はないが…この人には、その面でも勝てないのだろう…”

私は、ロボット工学の最前線を走っていた過去のある老人に、少々恐れをなした。

“この人の事を、普通の人間と同じに見る事は、もう出来ないだろう…”

そう思っていると、ターカスについても、少し希望が湧いたような気がした。とにかく今日は、お嬢様を少しでも元気づけられるお報せを持って帰らなければ。

「さて、ターカス。回路を落とされる前に儂に聞く事は?それとも、機能停止は不服かな?」

するとそこで、初めてターカスが口を開いた。

ターカスは、無表情より少し不安寄りのランプを目に灯し、博士をまじまじと見る。そしてこう言った。

「私は、普通に過ごしていました…私は、自分に対して、自分で問題を見つける事が出来ませんでした…ですから、博士に委ねます…」

その言葉を受け取って、博士は一つ頷く。

「もちろんじゃ。安心しなさい。すぐに元に戻るかは分らんが、原因は絶対に解る」

博士が言った事で、ターカスは安心して微笑み、目を閉じた。

“お嬢様の期待に応えられるようになれるのだ”

ターカスは、そう思って喜んでくれたのだろうか。

それとも、今の彼には、周りに居る我々の不安は、“なんだか分からないけど騒いでいる”としか映らないのだろうか。

“いいや、ターカス自身も、この違和を、お嬢様の様子から感じ取って、自分にはどうにも出来ない苦しみなら感じていたはず…”

私は、自分の手元にある希望を、懸命に支えた。




「フム…ここは、もちろん違うじゃろうな…ここも…関係がないからのう…早く外さない事には…」

博士は、自分にしか分からない独り言をたくさん言い、ネジを外したり、カバーをと取り除いたりしていた。その内に、ターカスのスケプシ回路が表れる。

それは全く完成度の高い、小さな球形の空間だった。

そこには、ごく小さな部品がたくさん押し込まれて、街のようにきらきらと光り、芸術家が作った作品のようだった。でも、奇妙だと思った。

私が“奇妙だ”と思ったのと同時に、バチスタ博士は「あっ!」と叫ぶ。

「やーっぱりそうじゃ!脳細胞を当てはめたパーツが抜き取られておる!君!これは由々しき事態じゃぞ!まだ聞いていなかった!ターカスを解体した工学者は分かるのか!?」

慌てて振り向き私に詰め寄った博士を、傍に居た“イズミ”は止めたそうにしていたが、彼も驚いており、博士の慌てようがただごとではないと分かった。

私は両手を上げて博士との間にやんわり壁を作り、落ち着いてもらいながら話をする。

「え、ええ…軍の方のお調べしたお話によりますと、なんでも、穀物メジャーの、デイヴィッド・オールドマンという研究者だとか…」

「かっ!?」

博士はその時、両目を大きく広げて叫んた。その目があまりにぎょろっと大きかったので、私は驚く。

それから博士はふらりと体ごと虚空へ向かって、一瞬、放心したように見えた。だが、博士はだんだんと物凄い形相になり、脅威を前にしているように歯を食いしばって、その隙間から「いいい…」と声を漏らし、肩を震わせる。

下を俯いてからは何かをぼそぼそと呟き、博士はしばらくこちらを見なかったが、やがてこう呟いた。

「まずい奴に見つかった…一番まずいぞこれは…」

そう言ってラロ・バチスタ博士は私を見て、私の両肩を、小さな両手でがっしと掴んだ。彼は頼み込むようにこちらを見上げて大声で叫ぶ。

「その軍人に、儂も会う訳にはいかぬか!もしくは、早急に政府に話を通さなきゃならん!これを悪用されたら、儂の地位どころじゃない!国家転覆の危機じゃ!」

その叫びは、ターカスには聴こえなかった。




第51話 「奪い返すのじゃ!」



ラロ・バチスタ博士は、“イズミ”に興奮を収めてもらってから、まずはターカスのパーツを組み直してくれた。

「さて、と…では、融合炉じゃな。ここは慎重に…」

私はその時、数日前にお嬢様に聞かれた、「ターカスの使っている、核融合炉とは、なんなの?」という言葉を思い出した。

旧時代、人類が化石燃料を使い尽くしてからも、水力により取り出したエネルギーを利用し、効率化に成功した核融合炉は、稼働が可能になった。

現在の核融合炉は、もっとエネルギー回収率の良い原理に置き換わり、ターカスの使っている小型核融合炉は、「遺棄物などのコストが高い」として、一般のロボットには使われなくなった。

しかし人類は、ロボットにさえ転用して量産出来、専門家であれば扱える程に、核融合炉を、安価かつ安全にしたのだ。そんなのは、元は夢のような話だっただろう。

私は、エネルギー発生で放射能が漏れだす前に、ターカスの炉に遮蔽版を取り付け直す博士の後ろ姿を見ていた。

「これでおおむね良し、じゃな。後はちょいちょいと…」

組み立てが終わると、安全を察知した核融合炉は自動で働き、ターカスは意識を取り戻す。ヴヴン…と、彼の頭脳の辺りが音を立てるのが分かった。

ターカスの目にランプが灯り、それはまた不安げに、私達を見回す。イズミは気の毒そうに眉を寄せ、しかし黙っていた。私も、何も言えなかった。しかし、博士だけはこう言う。

「おはよう、ターカス。どうやら、君に悪さをした奴が居たようじゃ。儂の古い知り合いでな。今度、君のパーツを取りに、そこへ出向いていくんで、ちょいと話を聴かせてもらえないかな?」

「え、ですが…」

ターカスは、一度躊躇う。私も、軍の関係者からターカスが戻された時、「戦時の記憶は全て上書きしてある」と聞いた事を思い出した。

「ふむ、そうか。軍内部の情報、だったか…では、待ちなさい。今上書きを取っ払ってあげよう。これは急務じゃ。そのくらい、許してもらうとするさ」

そう言うと、博士は作業場の中にあった金庫から、高価そうなデバイスを取り出してきた。

「博士、そちらは…?」

少々不安だったので私がそう聞くと、博士はこう答えた。

「これは、ちょっと口外して欲しくない物でな。自分に権限のない、ロボットの内部の情報へアクセス出来る。要は、ハッキング専用のPCなんじゃ」

「ええっ!?」

私は、ますます不安になった。そんな物を使って記憶を復元したなんて軍関係者に知れれば、法による罰則も免れないかもしれないからだ。しかし、博士はすぐに片手を顔の前で振り、笑う。

「いやいや、「主人が突然亡くなったロボットの記憶にアクセス出来ない」、「パスコードが紛失している」なんて相談事も持ち込まれるんでな。その為に持っているだけじゃよ。修理工の間では、よくある事じゃ。まあ、軍での記憶はデリケートじゃし、聴き取りを終えたら、もう一度上書きをしよう」

それで私達は、やっと安心した。博士はデバイスを立ち上げると、そこから生じる光を、ターカスの目に焦点を当て照射していた。




ターカスは記憶を取り戻すと、、軍司令部から“エリック”に連れられてオールドマン邸に行った事、オールドマンが喋った台詞を一言一句過たずに話し、やがて博士はその記憶にもう一度“上書き”を施した。

私達は初めて、オールドマン邸での、確信の持てる情報を得た。本人から聞くまでは、「おそらくそうだろう」くらいでしかなかったのだから。しかし、博士はその事を喜んでいなかった。

「困ったものじゃな、オールドマンの僻み根性にも。奴はそれで成り上がれたには違いないが…」

「はあ…」

私達は、また博士のキッチンでお茶を飲んでいた。博士は俯いて、お茶から湯気の上るのを見詰める。

「オールドマンはな、元はこの、メキシコ自治区出身の科学者じゃ。儂ら、フォーミュリア、オールドマン、バチスタは、首都メキシコシティにある、最先端を学ぶアカデミーの出身じゃった」

「そう、だったのですか…」

私は大いに驚いたが、博士は思い出の中から目を離さず下を向いたまま、「ああ」と頷いた。

「儂らは日夜、切磋琢磨して研究をし、儂は妙な物に興味を持ちやすいのでな、いつも赤点を付けられておった。でも、そんな儂と友達になってくれたのが、ダガーリア君だったんじゃ」

私は、どんな者も優しく見詰める、前御当主のお顔を思い出す。

「でも…そんな儂らを、いや、ダガーリア・フォーミュリアという男の好成績を妬んで、いつも後ろを追いかけていたのが、オールドマンじゃよ…」

私はあまり口を挟まず、ターカスも黙っていた。イズミは初めてこの話を聴いたように驚いていた。彼は博士の後ろに立ち、やっと聴けた博士の思い出話を喜んでいるように見えた。

「オールドマンは、首席での卒業をしたダガーリア君をまたもや妬み、別の企業で研究者として働く時にも、時折、ダガーリア君の思想を非難していた…そして、いつしか成り上がって、穀物メジャーの研究者となった…それはもちろん、潤沢な資金を使うためじゃ。今や穀物メジャー以上に金の余っている所など、ないからな」

そう言うと、博士は顔を上げ、私達をぎりっと睨みつける。

「いいか、諸君。奴の企みがなんであっても、それは阻止しなければならん。「平和利用に限ろう」なんて倫理観は奴にはない!それに、戦場から戦術ロボットを拉致しようとするんじゃ。ろくな事は考えとらんだろう」

私達の間に緊迫した空気が流れた。だけど、博士は私達の事は放ってすぐに立ち上がる。

「儂はアメリカに行くぞ!今日にも、政府に話を通す!ポリスに護衛を依頼じゃ!忙しくなるわい!」

博士は、言葉の終わりにはもう、自宅のコール端末からポリスの番号を引き当てたのだろう。通信の音が聴こえてきた。

“はい。こちらはポリスコールセンターです。事件ですか?事故ですか?”

博士は天井に向かって、大声で叫んだ。

「コールトリプルエー!署名はラロ・バチスタじゃ!人員をかき集めろ!」

私にはその言葉の意味は分からなかったが、応対AIは「承知致しました。お待ち下さい」と言った。しばらくして、懐かしい声が聴こえてくる。

通信の向こうから、無機的で、平坦な少年の声がした。

“こちら、情報人員、AH-003、コードネーム“シルバ”です。バチスタ博士、お久しぶりです。ご用件を伺います”

私は、思わぬ所で思わぬ人物の声を聴いたので、驚きと喜びを覚えたが、ターカスは落ち着いて博士とシルバの会話を聴いていた。博士は相変わらず、天井へ向かって金切り声を上げる。

「君は知っているかね!我が国の戦術ロボットGR-80001が、アメリカの穀物メジャー、DDMへと拉致された際、その主要たる機能を奪われた!これは由々しき事態なんじゃよ!」

“博士、説明を求めます。それは、どのような機能でしょうか。こちらで確認しましたが、そのロボットは、もはや他国の最新鋭ロボットには、どのような面でも敵いません”

「ああ、わかった、わかった!白状するよ!」

私はその時、“ついにターカスの事が明るみに出てしまう”と、事を恐れた。博士は迷わなかった。

「ターカスには、人間の脳細胞を利用して、自発的な自我を連続して保つために、あるパーツが取り付けられている!儂を罰するのは構わんが、相手方がそれをどう悪用したのか、判別が出来なくなるぞ!」

“…承知しました。では、博士、対抗策はどうなさいますか”

「アメリカへ行く!物理的にパーツを取り戻し、もし悪用されていれば、それらを全てすべて廃棄だ!」

“…分かりました。では、出立の準備は、ポリス次長と、政府高官からの承認が下りてからです。それが済み次第、関係者を集め、チームを編成します。連絡は15分後です”

通信が済むと、博士は私達を振り返り、「そういう事で」と喋り始めた。

「君を元に戻せるのは、もっと後じゃが、我々はこれからアメリカへ行ってくる。必ず君は元に戻る。安心する事じゃ」

そう言ってターカスを見詰め、博士はにっこりと笑った。




第52話 「ぶっ放せ!」



「ねえねえ。ロペスさん、来るかしら?」

「来るだろ。仕事なんだから」

「二人とも、もうお菓子はしまった方が…」

「うるせえな、別にいいだろ。「職務意欲に対する侵害」でお前を訴えるぞ」

「ご、ごめんなさい…」

相変わらず、この子達はこうだ。

アルバは何にでも興味を持つが、警戒心が足りない。メルバは少し横柄だが決断力がある。そして、シルバは、能力の面では他の二人に劣らないのに、人格的コミュニケーションを不得意とする。

私は、戦時に欠けた“銭形”以外の、「メキシコシティ行方不明事件」の捜査メンバーを集め、そこにさらに、ダグラス・ロペス中将と、ラロ・バチスタ博士を加え、アメリカへと乗り込む事になった。

ポリスとしては、国外への技術流出、もしくは技術の盗難を捜査する、という事になる。実際に、「ターカスのスケプシ回路からは、パーツが消えていた」とバチスタ博士は語ったし、戦前とは、ターカスは大分様子も変わったと言う。

そこまで証拠があるなら、こちらとしても動きやすい。しかし、本当にデイヴィッド・オールドマンが盗ったという証拠ではない。なので私は、私の所属する合衆自治区のポリス本部で、出立前から、オールドマンの最近の研究内容を、出来うる限りで調べさせていた。

「遅いわねえ中将…」

「あっ!お前!もうないじゃないか!」

「だって、これ美味しいんだもの。食べちゃったわよ」

「ひっでえ!俺、まだ2枚しか食べてないんだぞ!?」

「アンタだって、前に私のビスケットを、まるまる盗んだじゃない!」

「それはそれ、これはこれだ!」

「二人とも…」

そこで私は、パチン!と大きく両手を打った。子供達はびっくりしてこちらに注目し、その場はシンと静まり返る。

「はい、そこまで!君達、これから海外に仕事に行くんだ。下らない揉め事で足を乱したら、私はその人員を締め出すぞ」

私がそこまで言ってしまうと、メルバは少し悔しそうな顔をしていたが、ぐっと堪えたのか、「はーい」と、めいっぱい長く伸ばした返事をした。




そこへ、私達が集まっていたポリス支部会議室の扉が開く。ドアをくぐって現れたのは、ラロ・バチスタ博士と、ダグラス・ロペス中将だった。

「ええ。そうですね博士」

「そうじゃとも」

彼らは今まで何かを話していたらしい。

「初めまして、ラロ・バチスタ博士」

私は、背が低い博士に向かい、少し腰を屈めて片手を差し出す。すると博士は、大喜びで握手をしてくれた。

「おお、おお!君がアームストロング次長か!今度はよろしく!是非ともアメリカでぶっ放して、パーツを奪い返そう!」

私はその言葉に驚いた。博士は、ポリスからの話を聴き違えたのかと思い、慌てて話を始める。

「博士、「ぶっ放す」とはなんですか?今回は、捜査に行くだけですよ?」

すると博士は「ぎっ!?」と、踏まれた鶏のような声を上げた。

「なんじゃと!?それはダメじゃ!必ずパーツを取り戻さねば!」

私は、“ああ、やっぱりか”と、項垂れそうになった。でも、一応博士にこう話す。

「博士。確かに、貴方のお話が本当なら、絶対に防ぐべき事態です。ただ、我々ポリスが動けるのは、証拠のある時だけなんです。本当にオールドマン氏がターカスのパーツを抜き取ったのか、誰か他の者ではないのかという疑いが差し挟める内は、少なくとも、“ぶっ放す”事は出来ませんよ」

そう言うと博士は納得はしてくれたみたいだが、不満そうにこちらをじとっと睨んでいた。なので私は、片手をアルバ達に向けて、こう付け加える。

「でも、護衛の人員は抜群の者を揃えました。あちらでの行動に危険はありません。ご安心を」

博士はまだ私を睨んで、唇をつん出している。なんだか、子供のような人だなと思った。

「そりゃあ、お前さん…大義名分がなきゃ何も出来ない事くらい、知っとるが…本当に都合はつかないのかね?せめて、オールドマンの家を訪問するわけにはいかないのか?」

私は“困ったな”と思い、言葉を選んでいた。その時に口を開いたのは、ロペス中将だ。

「アームストロング。俺は見た。GR-80001と同じ型に見えるロボットは、オールドマン邸に保管されていた。ボロボロの状態でな。何らかの危害を、他者が加えたように見えた。あの研究所では、何かが起きている。GR-80001に関する何かが」

私はその話を初めて聴いたので、中将へ近寄り、話をしようとした。

「初めて聞きました。どういう事です?ターカスはすり替えられたのですか?」

そこで、私達の横合いから博士が叫んだ。

「いいや!有り得ない!“ターカス”には、儂があのパーツを取り付けられるように、特別な改造を施したんじゃ!核融合炉をちょっとずらすのには、20日も掛かった!その痕跡はそのままじゃった!すり替えられたんじゃない!盗まれたんじゃ!」

私は、博士に当たり前の返事として、「そうですか、盗まれたのはやはりパーツでしたか」と返事をした。だが、博士は首を振って叫ぶ。

「違う!別のGR-80001が盗まれた!」

「ええ?」

私は、博士の頓狂な叫び声と、矢継ぎ早な意見に少々くたびれながらも、博士の方を向いた。博士は必死に小さな体を伸び上げさせ、両腕を振り回している。

「GR-80001は、メキシコ自治区に属し、その地域を出ない事を条件に払い下げられた、戦術ロボットじゃ!居るとしたら絶対に国内じゃ!オールドマン邸にあったそいつは、メキシコから盗まれておる!盗難届を探せ!それさえあれば、踏み込める!」

「ええ、博士の仰る通りのようです」

私が振り返ると、シルバが、メキシコシティのロボット管理局に通達された、盗難届のページをこちらに向け、微笑んでいた。




第53話 「偽ターカス」



アメリカは暑い。今やここは灼熱を誇る砂漠地帯がほとんどで、農地のために利用出来る平地は少なくなってしまった。カナダとの境目に、少々小麦畑ととうもろこし畑はあるが、全く需要に追い付いていない。

地球の地軸が少々ズレてから、北半球は酷暑、南半球は極寒となり、メキシコを含む、過去に赤道だった場所付近が、農業には一番適していると言える。

現在のアメリカは、金融と工業で生き延びている。それがもしかしたら、メキシコに領土戦争を仕掛けた理由かもしれなかった。私は後々になってそれに気付いた。

しかし、いくらメキシコを手に入れた所で、そうそう穀物自給量は変わらない。あまりはっきりと「これが理由だ」とは言えなかった。




「ジャック、もうそろそろ着くよな?オールドマンは逃げてないと思うか?」

メルバが、隣のシートから私に話しかけてきた。私達は、アメリカの、オールドマン邸に直接向かうシップに乗っていた。

「ああ。多分、GR-80001を発見された事には気付いていないだろうから、逃げてはいないだろう。亡命者リストの中にもなかった」

メルバの向こうから、アルバが顔を出す。

「じゃあ大丈夫ね!私達でGR-80001を取り返して、その脳細胞の含まれたパーツとやらも奪えば、任務は完了よ!」

私はいつもの癖で、右手で顎をこする。なんだか、今度の任務は嫌な予感がした。

「そう上手くいくか…」

すると、私達の向かいのシートに掛けたロペス中将がこう言う。

「やるしかねえよ。あいつは絶対に何かをやる。阻止出来るのは、俺達だけだ」

「そうですが…」

バチスタ博士も一緒になって、私を励まそうとした。

「大丈夫じゃ!あいつは抜け目はないが、腰抜けじゃからな!それに、こちらには武力も揃っておる!」

「はあ…」

私は、奇妙な予感に胸を揺さぶられながら、博士の向こうにある窓から、荒涼としたアメリカの大地を眺めていた。




「ふむ、着いた着いた!さーて、どう攻める?ガンはありそうな門構えじゃな!」

博士はオールドマン邸の門前に着くと、手を擦り合わせてそう言った。ロペス中将はこう言う。

「ああ、ここには防犯用と思われるガンが配備されてる。ただ、あると分かれば、発見次第破壊すればいいだけだ」

そこでアルバが前へ出た。

「それなら私の目に任せて!えーっと…」

彼女は強い陽を片手で遮り、建物をスキャンし始めた。ある所で彼女の首はぴたっと止まり、目の奥が動いたようだった。

「あったわ!でも…数が多い…5つもよ!」

「そんなにか!?」

中将は頓狂な声を上げる。

「中将が以前に侵入しようとして撃たれたのは、一発。ガンが5つもあって一発だけとは考えにくい。向こうが新たに守りを固めたかもしれないな…」

メルバが私に話し掛けた。

「“エリック”も武力を補強されて、軍にも出向いてた。ポリスの武力で賄えるか分からない。本当に行くのか?ジャック」

「盗難届を見せて、ロボットを返してもらうだけだ」

「そうじゃ!返しやがれ!」

私は、息巻いている博士をちらりと見やったが、どう考えても彼は足手まといになる。ここまで来てくれたのは有難いが、非戦闘員を背負って中に入り、上手く立ち回れるかは疑問だった。

“初めはただ捜査に行くだけと思っていたから、補強要員も足りていない…”

でもそこで思い出して、私は中将に声を掛ける。

「中将、博士に渡せる武器はありませんか?このまま彼を連れ立って中に入るのは、危険です」

そう言うと、中将は胸のポケットを上から叩いて探り、右胸から、小さなガンを取り出した。

「これなら」

私はそれを受け取り、博士に手渡す。

「博士、何かあったら身を守って下さい」

「あ、ああ…」

そして私達は、まずは防犯用ガンを破壊し、建物へと踏み入った…






廊下には白い絨毯が敷かれていて、私達は足音を気取られずに済んだ。とは言え、何者かが侵入している事はもう知れているだろう。

でも、警報も鳴らないし、ロボットも出てこなかった。不気味な程、中は静かだ。

「おかしいよな…」

「ええ…」

子供達は不安そうだった。博士は、あちこちの部屋を吟味したそうにきょろきょろしていて、中将は危険がないかを常に確認していた。

その内に目の前に大きなホールが現れて、その向こうに、2階へ上がる階段が見えた。階段の上には灯りが点いていないので、その先は暗くなっていた。そこで中将が口を開く。

「俺は、恐らく“エリック”と思しきロボットに連れられて、ここを降りた。そうだ、この景色だ。だから、盗まれたGR-80001が居るとしたら、この奥かもしれない」

中将は身振り手振りをまじえてそう言い、私達はそれを聞いて、上を目指そうとした。すると、階段にパッと灯りが点く。

「ああっ!」

私達はその時、叫んでしまった。

メルバとアルバは反射的に後ずさる。さすがの博士も警戒して、銃を構えた。

階段の上には、傷付いたGR-80001が立っていて、こちらを向いていたのだ。

アルバは“ターカス”に機能停止にされた事を思い出したのか、悔しそうに顔を歪め、メルバも危機感を持って、アルバを後ろに隠そうとしていた。

中将はじっとGR-80001を見詰めていたが、やがて彼はこう言う。

「あれだ。アームストロング殿。同じロボットですよ。どうやらまだ動けるらしい」

「弱ったな…」

私達を見下ろしてGR-80001は黙っていたが、不意にこう叫んだ。

「…帰って下さい!早く…!」

その叫びは、小さかったが悲痛な響きで、彼の全身に残っている傷が、余計に辛そうに見えた。

私は、彼に向かってこう叫ぶ。

「帰るわけにはいかない!君をメキシコに戻す!」

すると、彼は後ろの暗い廊下を慌てて振り返り、もう一度繰り返した。

「ダメです!帰って下さい!“彼”が来る前に!私は、“彼”の命令を拒否出来なくされたのです!お願いします!引いて下さい!ああ!バチスタ博士!私は貴方を殺したくなどないのです!」

その時、博士は大急ぎで叫んだ。

「“ターカス”じゃ!あれは、脳細胞を移植されておる!引け!恐らくオールドマンが来たら、ターカスはただの兵器になってしまう!」

私達は博士の言う事を理解した。ターカスも、「そうです!そうです!」と繰り返していた。私達は悔しいながらも、彼の言う通りにせざるを得なかった…




表に引き返してから、博士はこう言った。

「ホーミュリア邸の、ターカスの抜け殻を連れて来るんじゃ。それか、それ以上のロボットを。それ以外に、連れ戻す術はない」




第54話 「ターカスを呼べ!」



私達の「武力」と言える者と言えば、アルバ、メルバのみだった。それに付け加えるとしても、“ターカス”はあり得ない決断だ。

元は軍でも働いたとは言え、非常時でもない今、民間に居る“ターカス”を、むざむざ危険に晒す事は出来ない。

「博士、それは無理です。彼はどんなロボットであろうと、今はメイドロボットとして働いている。それを故意に危険に晒すような事があれば、法にのっとって訴追されるのは、私達なのですよ」

私は語気を少々強めてそう言ったが、博士は一つ大きく首を振って、顔の前に手を差し出す。そして、ロペス中将を指さした。

「ここに打ってつけの人材が居る。元、ターカスの上司じゃ。どうじゃね?もう一度彼を雇って連れてきては」

「なぜそうまでして、“ターカス”を連れて来なくてはいけないのですか?」

私が尚もそう食い下がると、博士はまた首を振る。それから全員を睨みつけるように見渡した。

「儂があの子に加えた兵器を話してしんぜよう」

私達は、“ターカス”の兵器としての性能にはそこまで詳しくなかった。だからそこで全員、博士の話に聞き入る。博士はオールドマンの屋敷を離れ出し、外壁を回っている間、喋っていた。

「小型核融合炉を利用した、濃縮型核分裂爆撃。これが一番大きい。戦場では、これが敵兵を一気に蹴散らし、その国の戦意まで削ぐと言う事で、利用した。もちろん、今となっては儂は、それをした事を後悔しているというのは、付け加えなければならん」

全員が、息を呑んだ。博士は我々の前を歩きながら、何度か振り返る。

「それからもちろん、純粋水爆。これもターカスは操れる。周囲10キロメートルは、少なくとも更地になる。トリニトロトルエン3万トン分の爆発じゃ。20キロメートル以内の家屋は倒壊、爆風はもっと遠くまで届く…」

充分にオールドマン邸から離れた時、博士は建物を振り返り、囚われた“ターカス”を思い返すように、目を細めた。

「儂があの子らにそれを背負わせたのは、13体分じゃ。“即決兵器”を欲しがった先進国の、言われるがままにな…」

「博士…」

私達は、博士が感じているだろう、苦悩と後悔を思った。でも、そうすると、尚更の事、疑問は深くなる。

「では、博士。なぜ今、家庭という平穏の場へ逃れたターカスを、また戦場へ引き戻すのです?」

博士はぎろりとこちらを睨む。そしてその後、驚くほど冷たい声を出し、こう言った。

「あの子達は、力が大き過ぎるがため、まともに戦える相手が自分しかおらんのじゃ。だったら、やらせるより他ない!それに、この戦いを逃れて尚、“ターカス達”は平穏には暮らせん!」

確かに、ここでターカスを出さずに我々が敗退してしまえば、オールドマンがターカスを兵器として扱う事は、想像に難くない。そうすれば、フォーミュリア邸に居る“ターカス”だって、規制対象になるだろう。

私達は、もう何も言えなかった。中将はもう一度ターカスを軍へ雇い入れる事に決め、メキシコへは、空のシップだけが向かった…




「ねえねえ!マリセル!ターカス!今度は“だるまさんがころんだ”よ!」

「お嬢様、もうピアノのお稽古のお時間でございます。お遊びはまた今度に」

「ダメよ!ターカス!あっちを向きなさい!あなたが鬼よ!」

「はい、お嬢様」

「ターカス!君も止めて下さい!」

「私は、お嬢様のおっしゃる通りに…」

「いいから早く!」

ターカスの様子は、すぐに良くなる物ではなかった。でも、なるべく真実は言わないままで、お嬢様にその事を分かってもらった。

“なんとかターカスを元に戻せるように、今、バチスタ博士が動いているはず…”

私はそう思って自分を元気付け、お嬢様とターカスに、必死に向き合っていた。

少しは元気の出た様子のお嬢様は、前と同じように、ターカスと一緒に居ると、よくお笑いになった。それを見て私は安心した。そこへ、家の通信端末が鳴り出す。

「はいはい…お嬢様、家への通信です。少々ターカスとお待ち下さい」

お嬢様は、ターカスの腕を引いて、歩行器を進め、駆けて行ってしまう。

「分かったわ!庭で遊んでいるから、お食事になったら呼んでちょうだい!」

「お嬢様!」

私がお引き止めしても、お嬢様は振り返らずにターカスを連れて行ってしまった。とにかく通信を取るため、私は壁を2回タッチする。

「フォーミュリア家、メイド長のマリセルと申します。どなた様でございますでしょうか」

私がそう言うと、電話の向こうからは、こんな言葉が聴こえてきた。

“ダグラス・ロペスだ。その件は失礼した。今、シップを向かわせている。それに、とにかくターカスを乗せてくれ。彼だけでいい。彼は、もう一度軍が徴用する事になった”

私は言葉が出ず、何かの聞き間違いかと思った。でも、私達ロボットに、“聞き間違い”という概念はない。

“理由を聞いて、承認出来ないものであれば、なんとしても拒否しなければ”

私はそう思って、慎重に声を出す。

「お久しぶりです、ロペス中将。それは、どういう事でしょうか?なぜターカスをまた軍にお連れになるのですか?理由を聞かない事には、わたくしは軍用のシップにターカスを乗せる事は致しかねます。メイド長として」

通信端末から、大きな溜息が聴こえてきた。私は待った。

“詳しい理由は省きてえんだがな…オールドマン邸で、ターカスの偽物が現れた。でもあちらは、バチスタ博士の見立てでは、ターカスの脳細胞を移植されている様子らしい”

「それは…!」

私は、驚き、喜び、混乱で、言葉が詰まった。中将はそれを拾う。

“ああ。つまり、頭の中身は、あっちが本物のターカスだ。それを俺達は取り戻さなきゃいけないが…”

「それなら、他の軍用ロボットに…!」

私がそう言い掛けると、中将はこう捻じ込んだ。

“ターカスより強いロボットは居ない。だそうだ”

私は、もう決まってしまったターカスの行き先を思って、そこで彼が傷つくのがいくらかなのかを、すでに考え始めていた…




私が食事を取る前、ターカスは、マリセルに呼ばれてどこかへ行ってしまった。

戻ってきたマリセルにターカスがどこへ行ったのか聞いたら、マリセルは、「倉庫でメンテナンスを行っているのです。危険ですので、倉庫へは近寄らないようになさって下さい」と言った。

「まあ、つまらないわねえ。でも、ターカスはロボットだもの。私達が眠るのと同じに、メンテナンスが必要よね」

そう言うと、マリセルは「ええ、もちろんですとも」と笑っていた。

夕食の時、私は足元にコーネリアを連れて来てキャベツをあげてから、自分の分のシチューを食べた。

「ねえ、マリセル…」

食事室の隅に居たマリセルに声を掛ける。彼が振り返る時、それはずいぶん不安そうな顔に見えた。

「どうしたの?」

不思議に思ってそう聞くと、マリセルは慌てて首を振る。

「い、いえ。なんでございましょうか、ヘラお嬢様」

私の足元に居たコーネリアは、いつもの癖で早くご飯を食べようとして、キャベツをぽとぽと落としてしまっていた。それを拾うのを手伝ってあげてから、私はマリセルに微笑み掛ける。

「お食事の時だけだけど、私、コーネリアと一緒に居られて楽しいのよ。ありがとう、マリセル」

始めはマリセルは、「野兎でしたら、家の中へは入れられません」と、頑なだった。

でも、ターカスと私が上手くいかなくなってから、マリセルはコーネリアを家の中に連れて来てくれた。その事にお礼を言いたかったのよ。

「いいえ。わたくしは、初めは突き放すような言い方をしてしまいまして…お嬢様のご安心を考えられず、申し訳ございませんでした…」

そう言ったマリセルに私は首を振って、もう一度お礼を言った。




「おいでなすったぜ。2体目の最終兵器が」

メルバが、空から降りて来る小さなシップの腹を見上げて、呟く。

「じゃあ、もう一度突入ね。ロペスさん。私達はサポートに回りましょう。ターカス対ターカスには、おそらく邪魔が入るだろうし」

「ああ。ただ、私は使える武器は限られてる。君達が主な盾役だろう」

「もちろんそうさ。じゃあアルバ、エネルギーは満タンだな?」

「ええ。まったく、ここんとこは重荷な仕事ばかりだわ」

子供達とロペス中将は、短く話し合いをしていた。

私は、躊躇いがちにシップから降りて来た彼に、手を差し出す。

「ようこそ、ターカス。事情は聴いたかな?」

彼は神妙な顔をして頷き、私の手を取った。




第55話 「戦闘終了」



私達は、ターカスに事情をもう少し詳しく説明した。

偽ターカスには、本来彼が持っているはずだった脳細胞がすでに移植されているだろう事。

偽ターカスの意思はデイヴィッド・オールドマンに半分は支配されていて、彼は残虐な攻撃も辞さないだろう事。

それらを飲み込んだ上で、“ターカス”は我々に協力すると約束してくれた。

「じゃあ行こう。申し訳ないが、先陣を切って攻撃に掛かるのは君になる。君以上に強いロボットはここに居ない」

“ターカス”はもうあまり不安そうな顔をしていなかった。やはり戦術ロボットだからだろう。

「承知しました。中に入ってすぐに戦闘となるかは分かりませんが、なるべく早く済ませましょう。その方が皆様への被害は少ないでしょう」

私は、戦術ロボットの誇りと自信を見せつけられ、少々安心した。




私達がシップの停まっていた麦畑からオールドマン邸へ移動する間に、“ターカス”がピタリと立ち止まる。彼は前を向いたまま、こう言った。

「来ています」

私は警戒を強め、こう返した。

「GR-80001か」

「ええ」

その時ターカスは、後ろを振り向いた。我々はそれを追いかける暇もなく、ターカスが手のひらから小さな爆撃を打ったのは、我々がやっと“ソレ”を認めた瞬間だった。

ドオン!ドオン!ドオン!

爆発音は3つ。その間に私達の後ろには、いつの間にか偽ターカスが迫っていた。

火炎は麦畑を燃やし、ターカスは空へと飛び立つ。

「戦場を空へと移すのね。追いましょう、メルバ!」

「ああ!」

子供達も空へ飛び立ち、アルバとメルバの靴からはロケット噴射の炎が伸びた。

しかし、アルバとメルバがサポートをするのは、困難だった。

“ターカス”と“偽ターカス”の動きはとても早く、もちろんあのアルバも遅れを取ったのだから、追いつける訳がない。

子供達は右往左往していた。そこへ、ロペス中将が大声を出す。

「ターカス!偽ターカスを抱えてこちらへ向けろ!お前をホーミングで爆撃する!」

私は中将を振り返り、慌てて止めようとした。

「中将!それではターカスが巻き添えに!それに、ホーミングではターカスが背後から撃ち落されてしまうかもしれません!」

中将は「ククッ」と笑って、背中に背負っていた光学銃を肩に乗せる。

「大丈夫だ。コイツは少々馬鹿なガンでな。ホーミングと言っても、大まかな位置にしか射出されない。だったら、抱えちまえば外れる訳がないさ」

上空からは返事はなかったが、その内に「ガン」とか「バキン」という音が止むと、ターカス達が姿を現した。

「ロペス中将!今です!」

ターカスは、傷だらけの偽ターカスを抱えていて、こちらに彼を向けている。

「ロペスさん!私達も加勢するわ!」

「エネルギー充填完了!撃つぞ!」

子供達も自分の手を開き、火器を偽ターカスに向ける。中将が背負った光学銃からは、キイイ…という音がしていた。

バゴォーン!

その音は私の耳の機能を壊しそうな程大きく、私は思わず、「やった!」と胸を沸き立たせた。子供達の放った爆撃音もした。

しかし、私が上空を見上げようとした時、傍に居たバチスタ博士はこう言った。

「そんなもので、あの子の装甲を破れるはずがないのじゃ…」

私はその言葉に、上空を確認しようと目を凝らした。

すると、ターカスの手に抱かれた偽ターカスは、傷は出来ていたが全く平気そうな様子で、ターカスから逃れようと、ジタバタしていた。

ロペス中将は茫然とした様子で空を見上げていて、私は博士を振り返る。

「何か、何か手はないのですか!」

博士は頷き、「ある」と言った。

「では、早くそれを行わない事には、この戦いが長引けば…!」

「あまりこの手は使いたくなかったんじゃが…」

そう言って渋っている博士を私は急かした。

「危険な手なのですか?ですが、もうそんな事は言っていられません!このままでは、ホーミュリア邸のターカスも破壊されてしまいます!」

「わかった。では諸君、私から離れたまえ」

そう言うと、博士はポケットに手を突っ込み、何か球体の、鉄で出来た物体を取り出した。

「博士、そいつはなんです」

中将が博士に聞くと、博士はこう言った。

「これも、核融合炉じゃ。でも、危険性はターカス達に取り付けてある物より、数段跳ね上がる。制御不能になる事がないとも言えんのじゃ」

「それは…」

私は、放射能への耐性はある。しかし、バチスタ博士とロペス中将は生身の人間だ。

「博士、それを使用して大丈夫なのですか?」

博士は小さく溜息を吐いてから、なんと、こちらを見て、にかっと笑った。

「アームストロング君、こういう時は笑ってみる事じゃ。なあに大丈夫。核融合炉の暴走なんて、可能性の低いものなのじゃから」

「どうやって稼働するのです?核融合炉を使用する事で、闘いを止められるのですか?」

「分からん奴じゃな。これはターカス達が使っている物より大出力じゃ。更に、これをフル出力で動かす。そうすれば辺り一帯の水素は吸い取られ、彼らは使い物にならなくなる。そういう寸法じゃよ」

「なるほど、それなら確実ですね」

「ただし、この核融合炉は小型のため、超電導素材も付いていない。いわば簡易の物なんじゃ。蓄電が出来ない以上、エネルギーは放出しなければいけない。それは空へ放つ事にする。じゃから、これを上に投げ上げたら、お前さんら、体を低くしろ」

私はそれを聞いて、また博士を止めようとした。

「博士!それではアルバとメルバが危険に晒されます!」

「今現在、このアメリカは、水素爆弾を扱えるロボット2人の戦闘という脅威に晒されている。君が2人を呼び戻せばいいだけの話じゃ」

私はなんとかアルバとメルバを呼び戻し、2人は地上へ降りて来た。

「どうしたの!?アームストロングさん!2人はまだ闘っているのよ!?」

「ジャック!俺達はまだ負傷はしていない!上へ行かせてくれ!」

「そういう訳にはいかない。それに、すぐに片がつく。博士」

私は博士に目くばせをして、博士は手の中にあった小さな球体を投げ上げる。




球体が空まで昇っていく。その向こうでは、目にも止まらぬ速さで、ターカス達が争っていた。

やがてすうっと球状の核融合炉が重力に従って落ちて来ると思った瞬間、博士が叫んだ。

「爆風が起こるぞ!体を下げろ!」

バン!

その一帯に激震が走り、空気が割れて私達は衝撃を受けた。

「きゃあっ!?」

アルバが頭を抱えて叫ぶ。

「いくらなんでもやり過ぎだろ!大丈夫なのかよ!?」

メルバがバチスタ博士を振り返ってそう言った。

「大丈夫じゃ!水素を吸い取るだけじゃ!これでターカス達のエネルギーは補給されん!」

「そういう事ね!早く言ってちょうだい!」

「爆風が収まったらすぐにターカス達の機能を停止させる!儂はもう行かせてもらうぞい!」

「待って下さい!博士!まだ危険です!」

私が引き止めても博士は聞かず、彼は片目を爆風に晒して閉じたまま、もう片方の目だけで進んで行った。




私達が博士を追いかけていった時、辺りは静かだった。

小麦畑にはいくらか炎が燃え立っていたが、核兵器を使用した訳ではなく、ただエネルギー消費のために爆裂を起こしただけだったのだから、辺りは安全だった。

畑の真ん中に、ぴょこぴょこと動く博士の小さな頭が見えたので、私達はそこへ駆け寄る。

博士は、手に持っていた小さなドライバーで、傷のある方のターカスの電源ボタンを、取り外していた。

「博士…成功したのですね!」

「おうともさ!」

博士はこちらを振り返り、にこにこ顔で答える。でも、その顔はすぐに恐怖に引き攣った。

「博士?」

私が不思議に思って後ろを振り返ると、そこには、眼帯をした男が立っていた。

「お前は…」

そのロボットが私を殴ろうとするのと、メルバがそのロボットに向けて爆撃を放つのは、同時だった。

私の頭脳は軽い衝撃により視界が途絶え、後には子供達の叫びが僅かに聴こえた…




第56話 「さらわれた博士」



「ジャック!」

俺はジャックに駆け寄った。

「アームストロングさん!」

アルバも叫んでいる。

ロペス中将は眼帯の男に光学銃を向けて、睨みを効かせていた。バチスタ博士も、何も言わず眼帯を睨みつける。

ジャックは頭部を負傷していたが、エネルギーはまだ作動していた。恐らく、間もなくスケプシ回路もまた働くだろう。俺は眼帯を振り返った。

「やいお前!お前もオールドマンの手先か!」

俺がそいつにそうぶっつけてやると、眼帯は溜息を吐き、こう吐き捨てた。

「俺が“エリック”だ。“ターカス”達は片付いたか?それなら、お前達に用がある」

どうやらそいつは、ターカス達が自滅するのを待っていたらしい。多分、ターカスには敵わないのだろう。でも、ジャックの不意を突けるくらいには、性能は高い。俺達で敵うか分からなかった。

「お前が?」

俺が言葉に迷っている間で、ラロ・バチスタ博士が前にずいと歩み出る。俺はそれを止めようとした。

「おい、オッサン!」

そう声を掛けても、博士はこちらを振り向かない。そのまま眼帯の前に進み出て、バチスタ博士は堂々と話を始めた。

「君が、“エリック”かね」

「そうですとも、博士」

どうやら、眼帯は俺達が何者なのか、もう知っていたらしい。俺は危ぶみながらその光景を眺めていて、いつでも“エリック”を攻撃出来るように、右手にしまってあったブラスターを開いて、エリックに向けた。

「君の前の主人の話は?知っているのかね?」

そこで俺達は、“そうだ”と思い出した。

俺は、マクスタインの家に行った時の事を思い出した。




マクスタインの所有していたロボット“エリック”は、マクスタインの死によって、どこかへ消えたらしい事。そしてその後彼は、復讐のために、アメリカ自治区大統領まで殺害しようと企てていた事。

でもそれらは、新たな持ち主によってもう書き換えられた記憶だろう。そんなのに頼って情を引き出そうとしたところで、無駄だと思った。思った通りに、眼帯はこう答える。




「もちろん、知っていますとも」

バチスタ博士はいくらか言葉に迷う風にしてから、こう言った。

「お前さんはオールドマンの手駒じゃ。今後は、事が上手くいきさえすれば、証拠隠滅のために廃棄されるじゃろう。それでいいのかね?」

そんな交渉は無駄だと思った。それは人間相手にする交渉だ。なぜなら、エリックはオールドマンの手足なのだから。俺達だって、ポリスの手足だ。それくらい分かる。

エリックは「ククッ」と笑い、バチスタ博士にこう言った。

「俺の任務は、皆さんを屋敷に招く事です。どうか従って頂きたい。そうでなければ…」

「どうすると言うのじゃ」

博士がそう言うが早いか、エリックは博士に向かって手のひらを差し出し、なんと博士はエリックの手のひら目がけて吸い込まれた。俺は目を疑った。

「かはっ…!」

腹がぶつかった衝撃で博士は咳込み、俺は何が起こったのか理解した。重力だ。

「エリック!」

俺は、エリックの頭部目がけて、フル出力で光学銃を撃ち放つ。その場に小さな爆炎が上がった。博士が囚われているのは、なんとかしないといけなかった。

でも、それも虚しく、煙が途切れた時も、博士はエリックの手のひらにくっついたまま、宙づりになってもがいていた。

“奴は引力を操れる!これは厄介だぞ!”

俺は周りのみんなにそれを伝えるため、叫んだ。

「引力だ!こいつは引力を操る!絶対に近寄るな!」

それを聞いて中将は3歩後ろに下がり、アルバは自分のこめかみに手を当てた。恐らく、重力装置がどこにあるのか見極めようとしたんだろう。すぐにアルバが叫ぶ。

「手首の少し上よ!ダメ!博士が捕まってるんじゃ、撃てないわ!」

「ちくしょう!放しやがれ!卑怯者!ロボットの面汚しめ!」

俺はそう眼帯を怒鳴りつけたが、奴は笑うばかりだった。

「面汚し、ねえ。いい勲章だ。俺は主人の言う事を聞いているだけだぜ」

その時、負けじと博士が口を開く。それは切れ切れで、苦しそうだった。博士の腹は凄まじい重力に引っ張られている。声を出すのは困難だっただろう。

「ふん…!お前は主人を殺した組織に身を売ったのさ…!」

そう言うと、博士は宙ぶらりんのまま首だけでこちらを振り向き、ロペス中将に向かってこう言った。

「構わん!儂もろともやれ!ここでこいつらを止められなきゃ、もう一度戦争が起きるかもしれんのじゃぞ!」

その言葉に、あろうことかエリックはこう答えた。

「ご名答。俺達は兵器開発をして、各国の穀物を狙ってる。これはアメリカ穀物メジャーの長年の夢だ」

「ふん!こざかしい!そうやすやすと渡してたまるか!」

博士は、危険だと言うのに減らず口を叩いている。俺達は二の足を踏んでいた。それを見て博士はもう一度叫ぶ。

「早くやれ!」

俺は、目覚めないジャックをちらりと見やって、指揮官の不在を気にしていたが、ロペス中将がこう言った。

「致し方ない。博士。なるべくあなたを傷つけないようにはします」

俺はそれを聞いて、中将に駆け寄ろうとした。それと、中将が光学銃をぶっ放すのは同時だった。




ドゴォーン!

その音は、恐らく眼帯の頭だけを狙ったのだろう。俺達は祈った。

博士がなんとか一命を取り止め、エリックだけが壊滅的な被害を負っている事を。でも、無駄だった。

光学銃の光が止んだ時、博士とエリックの居た場所には、誰も居なかった。

「何!?どこへ行った!おい!眼帯!」

俺は周囲を見渡しそう叫んで、必死に博士の姿を探した。一般人を殺しちゃ何にもならない。

中将は銃を下ろして周りを見渡したが、屋敷の上の方を見て、指をさした。

「あそこだ!」

俺が振り返ると、門を飛び越えていく眼帯の背中と、脇に抱えられてぐったりしている博士の後ろ姿が見え、すぐに消えた。

「ジャックを起こせ!それから、ターカスの機能を戻すんだ!博士を救出する!」

アルバは、電源ボタンを外されていない、ホーミュリア家のターカスに駆け寄った。そして、彼の体の電源ボタンを何度か押した。

「ターカス!起きて!ターカス!」

しばらく電源ボタンの長押しを続けていると、僅かながらターカスの目のランプが光り始めた。

俺達は一安心して、ターカスに話しかける。中将も俺も、ターカスを囲んでいた。

ターカスは正気付いて、慌てて起き上がる。

「皆さん!戦いは…!」

俺は、ターカスの腕を引いて起き上がらせた。

「大変だ。バチスタ博士がさらわれた。一刻を争う。中へ攻め入ろう。サポートは変わらず俺達がする」

「ええっ!?」

ターカスは一瞬言葉を失っていたが、すぐによろよろと立ち上がり、屋敷目指して駆けて行った。俺達もそれを追いかける。

エリックの台詞が頭の中を反射していた。

“兵器開発をして、各国の穀物を狙ってる。これはアメリカの長年の夢だ”

「へっ!思い通りになると思ったら、大間違いだぜ!」

俺とアルバは急いで門を潜り、ロペス中将は、ジャックを担いで俺達を追いかけて来た。

“一刻の猶予もない!”




第57話 「森の中の木」



「ターカス!策は!」

私は、目を覚ましてからすぐに状況を聴き取り、走りながらターカスに呼びかける。ターカスは振り返らずに叫んだ。

「大丈夫です!博士を見つけられさえすれば!」

「分かった!手分けしよう!アルバと中将は階段から上へ!私とターカスは奥へ!メルバは手前の部屋を潰していってくれ!」

「OK!」

そこは、建物の玄関から広い広い通路を抜けた階段前広場だった。全員が言われた通りに散り、私とターカスは、階段の向こうにある、奥へ続く扉を抜けた。その扉は開いていて、その先に灯りは点いていないようだった。

「警戒しよう。ここからは歩くんだ」

「分かりました」




私達は歩みを緩め、ひっそりと歩いていた。建物のあらゆる場所へ、ターカスは聴き耳を立てているはずだった。それに、アルバは熱感知などのあらゆるスキャンが出来る。だが、この建物がそういった探知に対策をしていないかと聞かれれば、愚問なのだろう。

「ターカス。何か見つかったか」

「いいえ、何も」

私達の足音は、毛足の長い、白い絨毯に吸い込まれていき、その分会話が廊下に響いた。周囲には誰も居ない。

「君が来た事は分かっているはずだ。それなのに襲われない」

「ええ。早く博士を救出しなければいけません。恐らく、博士を人質にして、逃げる気でしょう」

「それだけなのかね?」

「私の脳細胞が奪取され、もう数週間が経っています。それはたった一つのパーツです。研究解析にそう時間が掛かるとは思えません。次の手段を見つけたら、どこかへ雲隠れするはずです。今日捕まえなければ」

「そうかね…」

私は、“そんなに単純な話だろうか”と思った。もちろん、そんな単純に出来るはずもない事だが。

一流の研究者と言えど、そんなに早く終わる研究だとも思えないし、なぜ博士をさらったのか。もしくは、博士の事も目的としていた可能性もある。あの時、“エリック”は、ここに誰が来るのか、知っていたようだったからだ。

そう考えていると、廊下の端で、カチャン…カチャン…という音がするのが聴こえた。

私とターカスは顔を見合わせ、人差し指で合図を送り合い、廊下の一番手前まで抜き足で戻って、曲がり角の影に隠れた。カチャン、カチャンという音は、私達に近づいてくる。

ほんの少し顔を出して目を見張っていた私は、信じ難い物を見た。




そこに現れたのは、あのラロ・バチスタ博士のはずだった。だが、全くの別人だとすぐに分かった。

顔は博士のままだが、前に出した両手からは、様々な重火器がこちらへ向けられ、体のあちこちから、兵器らしき鉄の部品が歪にはみ出し、肉の裂けたところから、白い絨毯へ、血を引きずりながら、博士は歩いていた。

“どうする!?”

ターカスは一度頷き、やにわに廊下に躍り出た。そしてあっという間に手のひらを開き、その場に爆炎が上がる。

「ターカス!?」

「大丈夫です!」

煙の中から聴こえてきたのは、ターカスの声だ。博士の声はしなかった。博士を殺したのかと危ぶんでいると、今度は、壁の影に隠れた私に向かって、小型のロケットが飛んできた。

「あっ!!」

一つ、二つ、三つ、四つ。しゅるしゅると飛んでくるロケットを叩き落とす、青い閃光が私には見えた。目にも止まらぬ速さだ。その内にまたターカスの声がした。

「あちらの方が遅い!機能は永久機関ですが、取り押さえれば封じられます!」

「どうやって!」

「凍らせます!」

私の声に答えた時、青い影はもう私には見えず、気が付いた時には、あれだけ真っ白になっていた廊下の煙が、消えかけていた。


廊下の隅に横たわる博士に、ターカスが馬乗りになっている。彼は、博士の胸目がけて、両手を乗せていた。

私は、彼になんと声を掛けたらよいのか、分からなかった。彼は戦術ロボットだ。戦闘に余計な情けを掛ける事はしないはずだ。だが、バチスタ博士は、彼の生みの親なのだ。どちらの気持ちに寄り添えばいいのか、私には分からなかった。

そう思って迷っている内に、ターカスが立ち上がる。

「早く、オールドマンを探しましょう。一度、シップへ博士を運ぶように、アルバ殿を呼んで下さい」

「…わかった」




「ロボットの中に人を生む。その発想は、逆転出来るだろう?」

俺は、主人の言う事に、返事をした。

「ええ、そうですね」

主人は回転椅子をクルリと返し、不自由な足で立ち上がろうとするので、俺は傍へ寄って手を取った。

「人の中にロボット工場を埋め込む事が出来れば、街中どこでも、木を隠した森の中なのだよ」

「そうですとも」

「さあ。研究は完成だ。荷物は持ったか?」

「ええ」

俺は、小脇に抱えた培養器をちょっと持ち上げ、博士に微笑む。オールドマン博士は満足げに笑って、外への扉を開けた。




「アームストロングさん!博士はシップに乗せたわ!それで!?オールドマンは!?」

私達は、元の階段前の広場に戻って、アルバを待っていた。彼女が戻って来て、私達は話を始めたのだ。

「見つからない。早く探そう」

「この屋敷、どうなってるの!?私の目が全然利かないのよ!そこらじゅうが、全部ステルス化されてるの!まるで要塞だわ!」

アルバは困り果てて両手を振り下ろす。

「メルバよ、お前さんの見た所は誰か居たか?」

中将がメルバを見下ろして聞くと、メルバは首を振って答える。

「いいや、誰も。部屋の鍵は全部開いてたけどな」

私は、そこでなるべく情報を集めたくて、メルバにこう聞いた。

「何か、めぼしい物は見つけたか?」

ターカスはその時、私の後ろで、オールドマンを探しに行きたそうに、そわそわとしていた。メルバはみんなの真ん中からこちらを見て、こう言った。次の瞬間、全員の異常な注目が、彼へ向いたのだ。

「人の死体が、30体ほど」




第58話 「命無き戦士」



「死体!?どうしてそんな物が!?」

アルバ殿は混乱して叫んでいたが、私には分かった。

“もしや、その死体には、既にバチスタ博士と同じ細工が施されているのでは…!”

アームストロング氏は、私達が見た事を話して聞かせる。それに、アルバ殿も、博士がどうなったのかは知っているのだ。

「アルバ。メルバ。多分その死体は、バチスタ博士のように利用するためにある物だ。だから手を出さず、我々は早急にオールドマンを探し出し、捕らえたらすぐに逃げよう」

「わかったわ」

アルバ殿は頷いたが、話の途中からメルバ殿は顔に手を当て、悔しそうな顔をしていた。私は気になっていたのだ。案の定、メルバ殿は手を上げてこう言った。

「わりい、ジャック。俺、どうしても死体部屋のロックが出来なくて…」

すると、アームストロング氏は、打って変わって厳しい態度になった。彼は声を荒げてメルバ殿に詰め寄る。

「なんだと!?そんな重要な事を、なぜすぐに報告しない!もうこの館は危険かもしれないぞ!」

「だから、ごめんって」

気まずそうに顔を逸らし、メルバ殿は謝る。私は割って入ろうかとも思ったが、メルバ殿も一人前の捜査員だし、それはやめておいた。

「ああもう!その部屋はどこにあったんだ!」

「えっと、入り口近くの、曲がり角手前に…」

メルバ殿がそう言おうとした時、何かが私達の前に飛んできた。私は飛行体の運動音を聴き分けていたので、それを叩き落として、みんなに注意喚起をする。

「攻撃です!皆さん体を伏せて!アルバ殿!ロペス中将を守って下さい!」

「了解!」

私が潰したり、燃やしたりしたロケットからの煙で、すぐに何も見えなくなった。でも、アルバ殿は「目」を持っているし、メルバ殿も少しならそれがある。問題はアームストロング氏と、ロペス中将だ。私は、アームストロング氏を探す。

「アームストロングさん!私の声を聴いて、近くへ来て下さい!シールドを張ります!他の皆さんも、出来るならそうして下さい!半径5メートル以内であれば、完全なステルス化を行えます!」

煙の中から、返事があった。

「わかった!みんな!聴いたか!?」

「ええ!もちろん!そっちに行くわ!」

だが、メルバ殿は返事をしなかった。1人で戦うのに精一杯なのかもしれないと思い、私はまた叫ぶ。その間にこちらへ銃撃があったので、元を探して狙撃し、恐らく私は既に、5体の敵を倒した。

“敵の体力は無限だ。彼等は永久機関をエネルギーとして与えられている。だが、凍らせれば!その事を伝えなければ!”

「皆さん!敵は永久機関を背負わされています!凍らせて下さい!エネルギーの循環を不可能にするのです!」

「ええ!こちらは3体始末したわ!これより、冷却させます!ロペスさん、作業中は援護して!めくらめっぽう、撃ちまくるだけでいいわ!」

「オーケー、嬢ちゃん!」

そこらじゅうで戦っている仲間の声がする中、メルバ殿の気配だけがしない。私は戦闘に夢中になっていたが、一瞬だけそれをやめ、メルバ殿特有の、強火力エネルギー炉を探した。

“無い…?なぜ…?遠くへ離れてしまったのか?”

どう探しても、メルバ殿のエネルギー炉だけ見つからない。

ロペス中将の体はすぐに見つかる。手前には敵が迫っていた。私はそれを急速冷凍させ、すぐに葬る。そしてまたメルバ殿を探した。

アルバ殿の小さな両目。私の後ろに居る、アームストロング氏の正しき永久機関。みんなあるはずだ。

“そんなにすぐに、エネルギー停止に追い込まれる訳もあるまい?どうしたんだ?メルバ殿はどこへ消えた?”

「アームストロング殿!メルバ殿が見当たりません!アルバ殿!あなたの目で何か分かりませんか!」

私がそう叫ぶと、爆炎と炎の向こうから、アルバ殿の金切り声が聴こえた。

「ちょっと待って!こいつら数が多くて、ええい!まとわりつかないでよ!ロペスさん大丈夫!?」

「うるせえな!こっちも一人引っ付いて来てるんだ!このままじゃあぶねえ!ターカス!なんとかならないか!」

その時、その場の物音の内、敵の体が軋む音、爆弾が爆発する音が、ほとんど止んだ。どうしてそんな事が起きたのかは分からないが、私は視界を保つべく、送風機で煙を吹き飛ばす。すると、意外な者が現れた。

「メルバ殿…!?」

そこには、勝利の微笑みを湛えたメルバ殿が立っていて、みんなに向かってこう言った。

「あの部屋で、俺、プログラミングのコンピューターを見つけてたんだ。でも説明がまどろっこしいし、一人で行ってきた。なんとか、俺一人でも停止出来たぜ」

それを聴き、アルバ殿は飛んで喜び、ロペス中将とアームストロング氏は胸を撫で下ろした。




「それにしても、人間の中にロボットを埋め込み、遠隔操作による爆撃などを行うのか。厄介だな」

私達は、死んだ人達の墓を取り急ぎ形だけ作り、凍らせた体は、新しいシップを呼び寄せて、厳重に運ぼうという話をした。オールドマンの屋敷からはもう引き上げなくてはいけなかった。ロペス中将がかなりの怪我をしていたからだ。

メキシコへの帰りのシップで、私達は話している。私達の傍らには、凍った博士の体が、保存袋に入れられていた。

「ああ。どう考えても、街中で混乱を起こすためだ。オールドマンは、その手段を持って逃げたんだろう。奴が逃げそうな先へ、追わなきゃならない」

メルバ殿は、深刻な様子でそう話す。

「しかし、オールドマンの知り合いらしい博士すら、こんな事にするとはな。冷酷な奴だ」

私はそこで何かを言いたかったが、博士の入れられた樹脂製の袋を振り返る事も出来なかった。

私達が帰ってから、私はホーミュリア家にはまだ戻らず、検疫を受け、更にロボットとしての検査をし、あとは、捜査の行く末の話に加わった。どうやら私“ターカス”は、捜査員ではなくとも、重要参考人として扱うと、アームストロング氏から話があった。




「シルバ殿」

「お久しぶりです、ターカス」

私達はまた一同に会し、銭形殿を悼んでから、話を始めた。

「遠隔操作の生物兵器。しかも人間、ですか」

シルバ殿は、凄まじいスピードで私達の話を整理し、データ化しようとしているようだ。彼はいくつものウィンドウにそれを違う形で書き留めている。日付、場所、時間、人数、エネルギー性質、攻撃形態等々。

「もしそれが街中に解き放たれれば、大変な事になる」

アームストロング氏はそう言う。腕を三角巾で吊って、頭に包帯を巻いたロペス中将も、「うむ」と頷いた。私も自分の見た事は話した。

シルバ殿の返事を待っていると、彼は一つだけウィンドウを新しく立ち上げ、それをこちらに向けないままで、こう話した。

「次にオールドマンが行く場所ですね。彼の隠れ家については、実はいくつか調べがついています。皆さんが出発してから、僕は次の手を打つため、政府の援助を受けられるように取り計らい、オールドマンの身辺を洗いました。出てきたのは、3箇所です」

「3箇所…」

私はその多さに、少し不安に思って、そう声に出してしまった。シルバ殿は頷く。

「それはどこなんだ、シルバ」

アームストロング氏がそう言うと、シルバ殿がこう答える。

「1箇所はシベリア、もう1箇所はニューヨーク。もう1箇所は…メキシコシティです。皆さんは、オールドマンがこの内のどこに行きたがると思いますか?」

私達は、それを聴いた時、全員が同じ事を考えただろう。その場に、緊張した沈黙が立ち込めていた。




第59話 「少女とロボット」



「ねえ、マリセル。ターカスはまだ戻らないの?」

わたくしはそう聞かれて、思わずドキッとしてしまった。ターカスをメンテナンスに送ったと言ってから、もう半日も経っていた。私の動揺を悟ったのか、お嬢様も表情を曇らせる。

お嬢様は何も言わずにウサギのコーネリアを床に放すと、わたくしに向き直って、こちらを睨みつけた。

「…何か隠し事があるのは、わかっていたわ」

そう言われたことに、意外だとは思わなかった。ヘラお嬢様は、ターカスの変異を感じていたし、私とターカスが、バチスタ博士の元へ向かう時、どこか不安そうではいたものの、全て了解済みと言わんばかりの顔をしていらっしゃったからだ。

「話してちょうだい、マリセル。そうでなければ、あなたをこれまでと同じに信頼するわけにはいかないわ」

私は仕方なく、事の次第を話す事にした…




「そう…お父様が…」

ヘラお嬢様は、大して驚かなかった。今までに実際に起きた事の方が、驚きに値するだろう。

ターカスは、お嬢様の弟君、「ターカス」の名を付け、脳細胞まで移植されていた事。今はその細胞を失っている事。彼は、それらのため、廃棄されるべきロボットである事…。それらを知っても、お嬢様はそこまで動じなかった。

「わたくし達には、そんな事情があったのね…今まで、ずっと…」

わたくしはなかなか何も言えず、お嬢様のこぼす独り言を、聴いていた。でも、ふとお嬢様が顔を上げ、私に優しく微笑みかける。

「ねえ、マリセル。もし、これを知っていたのがあなただけだったとしたら…あなたは、どうする?」

そう言われて、私は、俯く事しかできなかった…。




「メキシコに居る。それは確かだろう。でも、今度穀物メジャーが活動するのは、アフリカじゃなかったのか?そこには居室は?」

「ありません」

シルバがそう言ったので、私は腑に落ちない気持ちではあったが、どうやら亡きダガーリア氏の成功を僻んで成長したオールドマンが、メキシコを制圧するつもりなのだろうとは思った。

「それで、どうする。攻め入るか?令状は取りようがあるか?」

メルバはジャーキーを噛みながら、テーブルを乗り出す。

「いくらでも。違法な事は挙げればキリがありませんよ。調べはついています。現在禁じられている人体実験、誘拐、殺害と、オンパレードです。貴方が見つけてくれた死体は、身元の照会が進んでいます。ポリスが原告になれます」

「決まりだな。行こう」

私はそこに口を挟む。嫌な予感がまた掠めた。

「待て。相手は生物兵器を持っているんだ。迂闊に手出しは出来ない。新たな犠牲者が出る。中将。軍に動いてもらいましょう」

「それは俺も同意する。大規模な兵力が必要だ。徹底的に押さえ込まなきゃな」

「では、ロペス中将には、その手続きをお願いします。この場で出来ますか」

シルバは重ねて出していたウィンドウをすべて閉じ、中将に向き直る。中将は頷いて、端末を取り出した。彼が通信をしている横で、私達は話し合う。その時は、ターカスも入って来てくれた。

「メキシコシティのアジトはどこなんだ」

「地下です」

「位置は」

「都市部の真下、以前シェルターとして使われていた場所が20年程前に競売に出された時、買い取ったのがオールドマンです。かなり深い場所です」

「またあの気味の悪い真っ白な空間なのかね」

メルバは首を振る。

「とにかく、そこへ踏み込み、オールドマンの研究を奪いましょう」

ターカスは積極的だった。それは頼りになる。

「ねえ、でも、都市部の真下なら、地上に出てきたら大変よ」

アルバの心配はもっともだった。でも、そのために軍の協力も仰ぐので、万全を期して我々は向かわなければいけない。

そう話していると、中将が端末を胸元にしまい、こちらを振り向く。

「上層部に話が通るのには、15分掛かる。少し待ってくれ。ところでターカス。お前、一度くらい家に帰らなくていいのか?事情の説明もしていないだろう」

ターカスは少し気まずそうに俯いた。

「これから、バチスタ博士の葬儀もある。君には、決戦の前にやる事があると思うがな」

その言葉にターカスは上の空のようで、まともな返事をしなかった。




「おかえりなさい、ターカス」

「ええ、お嬢様…」

「ねえ、まずはお茶にしない?」

私が家に戻った時、ヘラお嬢様は、落ち着いた様子だった。以前のように、私の態度に不満を唱えたりもしなかった。ただ、どこか悲しそうな様子に見えた。

マリセルは一歩後ろに立ち、私達がお嬢様の部屋へ入るのを見送る。私はマリセルを振り返ったが、彼は何も言ってくれなかった。

私は、バチスタ博士が亡くなった事は、お嬢様に話さなかった。あまりにショッキングな光景だったからだ。14歳のお嬢様には、話せない。私には、話せない事が多すぎた。この数日、自分がかいくぐってきた死地を、この小さな少女には見せられない。

「ねえ、ターカス」

私が淹れた紅茶から顔を上げ、お嬢様はこちらを見る。その目はとても静かで、でもやはり悲し気だった。

「どこかへ行くのね?」

そう聞かれたので、頷いた。そうするとお嬢様はこちらへ身を乗り出し、私の頭へ手をやった。

「頑張っていらっしゃい。きっと帰ってくるのよ」

「ええ…」

分からなかった。なぜこの少女はここまで私を思いやるのだろう。私はただのロボットなのに。そう思う自分も、分からなかった。

“この家は、居心地が悪い。私には、分からない事ばかりだ…”

私を優しく見詰める少女には、本当の事を言えなかった。そのまま私は、マリセルに事情を話し、軍の基地へ赴いた…。




第60話 「地下室の取引」



「テロリストとしての国際指名手配なら世界連も動けるが…」

「それはまだ未遂です。確固たる証拠がない。準備罪にも問えません。オールドマンの行ったのは、あくまで人体実験と殺害、誘拐です」

「それにしたって国際的な規模だ。凶悪犯として世界連に応援を仰ぐのは?」

「可能かもしれませんが、世界連には内通者も居る場合があります」

「それならポリスにだって」

「そうですね。私達はあまり安心出来ません。まあ、ロペス中将と、私達三人、アームストロングさんだけなら、心配はないでしょうが…」

私達は、オールドマンを捕らえるにあたって、出来る事を議論し続けていた。

結果として、やはりメキシコ軍と、ポリスの本部、メキシコシティ支部のみで当たる事になった。

しばらくしてターカスが家から帰ってくると、我々は、バチスタ博士の自宅へ赴いた。




博士の遺体にはシートが被せられ、その悲痛な姿が見えないようになっていた。だが、顔だけは露わにされ、苦悶に歪んだ最期の表情は浚われて、安らかに彼は眠っていた。

ターカスは献花をしたが、彼にはやはりバチスタ博士の事もよく分かっていないのか、腑に落ちない表情で、葬列に並んでいたように思う。

“オールドマン邸のターカスがここに居たら、どのように思うのだろう”

私は、「ターカス」という存在をまだあまり知りもしないのに、彼が居なくなったのだと、はっきりと分かっていた。

斎場を出てターカスはシップに乗り込むと、我々もそれに続いた。彼は、すぐにオールドマンの話を始める。

「それで、オールドマンの居室を攻めるにあたって、人員はいかほど?」

私は、話についていくのが一歩遅れた。ビニルのシートの下にあった博士の体がどうなっているのかを、まざまざと思い出していたからだ。

「あ、ああ…中将」

私は、後ろからついてきた中将を振り向き、説明を促す。彼はすでに気持ちを切り替えていたのか、ハキハキと話した。

「俺の大隊が一つ、その中にはロボット80機、ヒト20人だ。大体エンジニアだけどな。即戦力はたった2人だ」

「ロボットが80機ですか」

「ああ、なまっちょろい風貌はしているが、君と同じく、戦術ロボットだ。とは言っても、水爆まで操れるようなパワーはないがな」

「ええ」

“ええ”と、まるで当たり前のように返事をしたターカス。私はその様子を見て、ホーミュリア邸で出会った、思いやり深くヘラ嬢に接していた「ターカス」を思い出した。彼なら、こんな事を聞いたら、仰天して尻込みしそうだ。

ただ、戦術ロボットとしての機能を扱うのだから、今のターカスの方が、都合は良い。我々はそれを利用している。

“平和な世が盤石となる前に作られたロボットなのです”

マリセルの言葉を思い出す。もしオールドマンのような者が現れなければ、ターカスに出番はなかったし、今は一時的に協力させられているだけで、この戦いでオールドマンの研究を根絶出来、もしターカスが自我を取り戻したとしても、それは即ち彼の廃棄の運命を後押しするだろう。それでいいのだろうか。

前例のないロボットだ。自我を持つなんて。しかも、それが武力を持っている。桁外れの。ダガーリア氏はやむなくGR-800001を選ばざるを得なかったのだろうが、ややこしい事になった…。




「本当にここの下なの?覗いても、何もありゃしないわ」

アルバが地下をスキャンしようと歩道から真下を覗き込んでいるが、彼女の目は何も捕らえられないらしい。また、ステルス化が施されているのだろうか。念入りな事だ。

「ええ、ここに間違いありません。設備の程は確かめられませんでしたが、もしオールドマンがメキシコに来ているなら、ここしか居場所はありません」

シルバはウィンドウを閉じて、体をシールドで守る。彼は非戦闘員なので、軍からシールドが支給された。

その後、中将が軍用車で人員を運んでくると、ターカスは各々のスペックを聴きたがり、中将は大して興味もない風に答えていた。

ロボットが80人。後方にはそれらを操るエンジニアが20人。先頭を切るのはもちろんターカスだ。アルバやメルバは、中将に参戦を止められた。オールドマン邸でまともに戦闘で役に立ったのは、ターカスだけだったからだろう。

「なんでだよ!オレ達だって戦える!」

「そうよ!ちゃんと武力ならあるわ!」

彼らはそう息巻いたが、場合が場合だ。中将はこう言った。

「お前さんらの武力は、あくまで「ポリス」が必要とする枠を出ない。軍人とは違うんだよ」

その言葉に二人は何も言えず、そのまま、まずは入口を探す事になった。

「建物の入り口なら普通は扉だが…シルバ、入口の場所はわからないか」

中将がシルバに声を掛けると、シールド越しに、くぐもった声が返って来る。

「競売で競り落とした当時は、そちらの教会の下になっていました。今もそうかは分かりません」

「教会、ねえ…。まあ、行ってみるか」

私達は、無人の教会の中へ踏み入り、絨毯をどけたり、聖像を動かしたりして、入口を探していた。

「ないな…そう簡単には見つからないのはわかるが…」

その時、ターカスが声を上げた。彼は床に向かって屈み込んでいて、ある場所を指でなぞる。

「こちらに、接合した痕跡があります!中将!ここです!」

よくよく見ると確かに、人為的に入口を接合した痕があった。我々はそこを、ロボットの手で溶かし、中へと潜入した…。




そこは、長い長い、螺旋階段だった。

まるで鍾乳洞のように静かで暗く、壁は剥き出しのコンクリートだ。しかし、加工された物なので、腐食はしていないし、ヒビも入っていない。国家予算は大して使えなかったが、充分に気を配った、といったところだろうか。

ザッ、ザッ、ザッ…と、100人程の人員が全員階段に掛かるだろう頃になっても、まだ螺旋階段は続いていた。

「気味が悪いぜ…ずいぶんなげえな…」

中将がそう言うと、シールド越しにシルバが答える。

「そろそろ居住空間に着くはずです。皆さん、心して」

「ああ…」

最下層と思しき場所にはそれからすぐに着いた。そこは明るく、またもや真っ白だった。そしてなんと、驚くべき事に、何人かの人が居たのだ。

ターカスは人々に駆け寄り、怯えている風の女性を抱きかかえた。

「大丈夫ですか!」

彼女は30歳前後らしく、長い髪を震わせ、すっかり怯えていた。恰好は手術着のようで、明らかにオールドマンに誘拐されたらしかった。

「ええ、ええ、私、ここで待つようにって…」

女性が口走った事の意味を考えている内に、我々はその場に居た、男性と、もう一人の女性も保護した。しかし、彼らはすでに、“施術後”だったのだ…。

ターカスが抱きかかえていた女性は、バリバリッと音を立てて体が破け、絶命したと思ったら、そこら中へめちゃくちゃに爆弾を放った。

「中将!制圧して下さい!」

「任せろ!」

怒号が飛び交い、我々の後ろに居たロボット達は「目」を使い、暗転した部屋の中で、先程まで囚われの身だった「兵器」を迎え撃つ。たった三人だ。すぐに終わる。

しかしいつまで経っても攻撃は止まず、ロボット達はいくつもいくつも爆撃を放った。煙幕で中将は呼吸が出来なかったのか、階段のいくらか上へ避難していた。

段々と我々が押され始めてから分かったが、最下層の円形の室内には、それこそ無数の、「命無き戦士」が放たれていた。これでは埒が明かない。

「ターカス!あなたはもっと下へ!プログラムを止めて下さい!」

シルバがそう叫ぶと、ターカスはその場から消え、我々は絶え間ない爆撃から体を守り、闘った…。




私がそこへ降りていく間も、何人もの「ヒト」に絡みつかれた。彼らは皆、兵器とされ、自分がなぜそんな事をしているのか、知らないままで私に爆炎を放った。私はそれを等しく避け、もっともっと地下へと、降りて行ったのだ。

「ああ、ターカスかね。おいで」

恐らく一番下に着いた時、そこは静かだった。血の匂いも、爆炎も遠く、真っ白な通路をいくつも通り過ぎて、また真っ白な部屋へ入った。

部屋の奥には、どうやらこの要塞を監視するウィンドウが出され、そこへ、こちらに背を向けて、ちょこんとオールドマンが座っていた。

「オールドマン、あなたを逮捕します」

彼は動じなかったし、こちらを振り向きもしなかった。そして、聞いてもいない自分の話を続ける。

彼は独りで葉巻をくゆらし、傍には“エリック”と思しき影も見えなかった。

「なあ、ターカス。儂の元へ来んかね」

「いいえ」

私がそう答えると、オールドマンは笑った。

「では、君は用済みとなり、破壊を余儀なくされる」

私の胸を、ちくりと何かが刺した。“破壊される”、その事をロボットは何より恐れる。それは、人が“生きたい”と念じるのと同じだ。我々は動き続け、働き続けるようにプログラミングされている。

オールドマンが椅子をくるりと振り向かせ、手に持っていた杖で、ドンと床を突いた。

「儂をここで殺せば、お前さんを使ってやれる人間を殺す事になるぞ」

その不敵な笑みに、私は動けずに居た…。

つづく

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