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小さなお話「ねこのおむすび」

初恋はジブリ映画「猫の恩返し」のバロンだった。生まれて初めて「かっこいい」と口に出したのもこの時だった。夏休みに連れて行ってもらったジブリ美術館でも、バロンを探したけれど、どこにもいなかったっけ。最後にギフトショップでやっと見つけた、たった一つのバロンは五千円もする銅像で、私に甘いママもさすがに買ってくれなかった。あれから、12年、バロン以上の人に出会うこともなく、恋人いない歴は現在も更新中だ。

あれは7歳の7月だった。ママが突然こういった。
「お引越しすることになったよ。だから転校しなくちゃならないんだ」
今だったらこう表現するだろうな。青天の霹靂だった。びっくりしすぎて何もいえないまま、あれよあれよと引っ越して、あれよあれよと夏休みが過ぎていった。あの頃の自分をどう表現していいかわからないけれど、ただ不安だった。2学期が始まって、知らないお姉さんに連れられて、知らない学校に向かって歩きながら、毎日しくしく泣いていた。ママを悲しくさせないように、がんばったけれど、新しい友達なんてそんなに簡単にできるわけなかったし、小さいなりに藻掻いていたんだなと思う。

そんな私に初めてできた友達は、裏道で毎朝あう、黒白ねこの「オセロちゃん」だった。名前は私がつけた。毎朝、お寺の裏道の同じ場所に必ず座っていた。「お年寄り猫みたいだね。触らないほうがいいよ」とママがいった。オセロちゃんは確かにしょぼくれた猫だった。明らかに野良猫で汚れていて毛並みもしょんぼりと、黒い部分は赤茶けて白髪混じりだった。どうやら病気もちだったからだろうと今ならわかる。でも内緒でこっそりとなでていた。だって、帰り道でも待っていてくれたんだもん。毎日毎日心細くて仕方なかった私の大切な仲間、私を待っていてくれる猫、それで「猫を飼うならオセロちゃんが飼いたい」と珍しく自己主張してみたら、ママが本気で困った顔をした。だめっていいたいけど、だめっていうわけにもいかない、だめっていったら傷つけちゃう、そんな困った顔だった。折衷案だったらしく、じゃあ、オセロちゃんにご飯を持っていこうというので、奮発してソーセージを持って行った。大人になったいまだと、猫に人間の食べ物をあげちゃいけないのはわかるけど、この時の私はそんなこと知らなかった。

「オーちゃん、これたべて」と差し出したら、オセロちゃんはいったん口に入れたけれど、うまく咀嚼できず、口からこぼれてしまう。歯もぼろぼろだったんだ。すると、隣で一緒に見ていたママの目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。次の日、ママは柔らかい魚の白身をくれた。オセロちゃんがはぐはぐと食べるのをみて、ふたりで目を見合わせてくふくふと笑ってしまった。翌日は小さなおむすびを作っていった。また食べてくれた。ねこおむすび、そうママがいって、毎朝の日課になった。

そんな風に私たちの密やかな交流は続いていた。ある日のことだった。その日もオセロちゃんはいつもの場所で待っていた。でもいつもの場所よりも少しだけ用水路よりだったみたいだ。私たちをみて、立ち上がったオセロちゃんがちょっとよろけた。

え!!!
私たちは声も上げず凍り付いた。

オセロちゃんがバランスをくずして、用水路に落っこちたから。

オーちゃん!猫なのに!猫なのに!なんで落ちるの?
とママが叫びながら、2人で大急ぎで駆けつけてみると、水のない用水路で、オセロちゃんがうずくまっていた。

2人で覗き込んだら、こちらを向いてめったに上げない声で鳴いた。にゃーと。本当に小さな声で。

この絶壁のようなコンクリートの壁をオーちゃんが登れるとは思えない!といつものんびりしているママが脱兎のごとく走って、家まで虫取りアミを取りに行って、救出したのには正直驚いた。その夏を越えるのに、相当体力を消耗していたんだろう。心配だったけれど、当時の私はまだ幼くて、秋になっても冬になってもずっと毎朝ここで会えるんだと信じ切っていた。

冬の濃度が濃くなったころ、その日は突然訪れた。ぱたりっとオセロちゃんが姿を見せなくなった。翌朝も、よく翌朝も、一向に姿を現さない。ねこおむすび、を作るのをママがやめた。すっかりと学校になじんだ私にとっては、ちょっとだけ物足りない、そんな朝が続いた。

「あのね、オセロちゃんね、お墓で亡くなっていたんだって。オセロちゃんを飼っていたおばあちゃんのお墓の前で」

ママからそれを聞いたのは、冬も終わり春がくるころだった。飼い主だったおばあちゃんが死んでしまって、それから、オセロちゃんもその家からいなくなってしまったそうだ。いつもお寺の近くにいたのはそのせいだったんだね、と泣き虫のママがまたころんと涙をこぼした。ふたりで、そのおばあちゃんのお墓参りにいって、お線香とおむすびをお供えした。

そのあとも私はその裏道を通って学校を通うたびに、オセロちゃんのことを思いだしたり、忘れていたり、そんな毎日を過ごしながら、少しづつ大きくなっていった。

時が流れて、いつの間にか、大人になった。
数日前のことだった、いつものようにばったりあった猫と遊んでいたら、その子が私の肩によじ登ってきた。

空を見上げながら凛々しいこの姿、なんだかバロンに似ている。私、今独り暮らしだから、君、部屋にこない?と誘ったら、黙ってこちらを見つめ、しばらくしたらしなやかな身のこなしで、肩から降り、そして、意味深な目をして白い柵の向こうへ曲がっていった。

翌朝のことだった。霜が降りそうで降りない、そんな瀬戸際の寒さが速足で歩いている私の頬には心地よいくらいだ。なんだか強い視線を感じるから見回してみたら、目つきの悪い真ん丸の猫がこっちをみている。模様がなんだかオーちゃんに似てるななんて、小さなころのことを思い出していた。それにしてもよく太っているし、きっと若き日のオーちゃん、こんな感じだったのかもしれない。

すると、今度はそのまた翌日のこと、また強い視線を感じたからそちらを振り向いたら、あ、まただ。どの猫もどうして私をあんな風にまじまじと見つめているんだろう。っていうか、猫の集会でもあるのかしら。やたらいる。

来る日も来る日も、入れ替わり立ち代わり、違う猫がこちらを見ている。これはいったいなんだろう、と5日目くらいにようやく疑問に思ったら、一通の手紙が届く。いや一枚の葉っぱをみつけた。

今まで見た中でも、最高に目つきが悪い、仮名ボスコ(とっさに名前を付けられるのは私の才能だと思う)の視線は痛いほどだった。威圧的になんとなく先導されながらついていくと、草むらで一か所を指さした。

私がそこにいってみると、ボスコはするりと消えていった。一枚の葉っぱをのこして。よく見ると葉っぱの端っこがちぎれていて、こんな風に読める。

アスランチイク

え、もしかしたら、明日ランチにくるってこと?またまた、小説の読みすぎかな、と思いながら、その葉っぱを拾って帰ってきた。

もしもあの子たちが集合して遊びに来るとしたら、何か用意しておかなくちゃ。私の妄想は広がっていく。きっとあのバロン似の肩のり猫が、猫掲示板に何か載せたんだな。それで、いろんな猫たちが私をチェックしに来たに違いない。それできっと合格したから、この葉っぱの手紙がボスコによって届けられて…くふふ。楽しくなってきちゃった。

そうだ、おむすびだ!
おむすびを用意しておこうっと。まあ、猫たちのランチパーティーがなかったら、冷凍庫に放り込んでおけばいいしね。なんだかよくわからないけど、張り切りだした私はおにぎりを山ほど作ってみた。


その時だった。
こつんっ 鈍く柔らかい日差しの差し込む窓ガラスを見あげる。
こつんっ 小石が窓にぶつかっている。

そわそわと窓に向かって歩きながら、自分の笑顔が空気に溶けていくのを感じた。

(3,178文字)

〇○○

お友達のdekoさんと、先日書いたnote「キジの時期がやってきた」のコメントで、やりとりをしていたら、娘が私に送ってくる猫の写真から物語ができそうですね、とヒントをくれました。

以前、このお墓の前で亡くなった猫の話(実話)は書いたことがあるのですが、それをもとにして、お話しを作ってみました。

実話をもとにしていますが、登場人物は架空です。多少娘と私の要素が混じっています。いわなくてもわかるかな。

お話し作りは本当にド素人で、視点の設定の仕方とかよくわからなかったのですが、気づいたら一人称で書き始めていたので、そのまま書いてみました。

と、いろいろ言い訳がましく(笑)書いていますが、たのしかったです!dekoさん、ありがとうございました♪

dekoさんの素敵な小説はこちらから♪

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