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海外留学と私

私は今までで2度海外留学を経験している。

高校二年生(15歳)の時に、アメリカのカリフォルニアにある私立高校へ、大学二年生(19歳)の時にオーストラリアのシドニーにある大学へ一年間ずつ留学していた。

私と同じ時期に留学をした友人のうち、ほとんどは留学経験を糧に日本を拠点にした人生を望んでいるし、「海外には住めない、やっぱり日本が一番私には合っている」と言って、今も国内にいる。

でも私は高校二年生の時に留学をした時から、うまく言葉にできないけれど、ずっと海外に居たいと望み始めてた。言語や文化が異なって圧倒される毎日だったし、友達がすぐにたくさんできたわけでもない。でもその発見や変化さえ楽しんで乗り越えられたし、様々なことに挑戦しようと体が勝手に動いたし、周りにいる国籍の異なる人たちが好きだった。そこでなら何かを成し遂げられる気がしていたし、もっともっとここに居たいと思っていたーーそして留学が終了し日本に帰ることに対してあまり楽しみじゃなくなっていた。

そのことを母に告げた時、受け入れられないような反応をされた。私の母も父も海外経験は無い。もちろん誰よりも留学は応援してくれていたけれど。でも、ずっとここまで私の幸せのために育ててきたのに、「日本に帰りたく無い、居たくない」という私の言葉に大きなショックを受けたみたいで、私はその考えを母に話すたびに泣くまで言い合いになった。

その時にはうまく言葉にできなかった。ただ、なんとなく、でも確実に、「海外に居たい」と思っていた。その感覚が何なのか解くために色々考えて、振り返ってみたら、たくさん答え合わせのようなことができた。


学生時代の経験と私の無意識

私は、日本での学生時代の経験や家族との関係性が様々な無意識に刷り込まれている。特にネガティブなものがはっきりと。

私は中学時代、人に嫌われたことがある。原因もわからないまま避けられたり。人と違うことをする誰かをばかにする友人たちを近くで見たり、表面では親しくするのに裏で悪口を言う母を見たり、私が自分の感覚で好き・嫌いを決める前に、母の好みに強く影響されたり。そして特に中高時代は自分の考えを通すことよりも周囲がうまくいくように合わせることでなんとか嫌われないように生きることに必死だったし、それを誰かに相談したり受け入れられたりすることもほとんどなかった。そうやっていく中で自分軸は0になってた。

私の無意識の中で、人は怖いものだったし、私が嫌われても驚きはしないと思ってた。人に合わせておけば嫌われないだろうって思ってて、誰にも自分の好みも、夢も話さなかった。

高校二年生の時の留学

そんな中で、わくわくした気持ちで留学へ出発した。まず、周囲が私の知らない人であることが何よりも楽で、得意だった英語に打ち込める環境であることに心が踊っていた。

初めて会う人たちに会って、お互い新しいものを見るような感覚で、私が話しかけていると何人かは歩み寄ってくれて、私のことを何も知らない子達が笑顔で受け入れてくれること。そんな当たり前のことが嬉しかった。わからないことがあったり、一緒に参加する友達がいないだとか、そんなピンチはよくあることだった。でも、素直に助けを求めた先に絶対に与えてくれる友人がいて、心から笑える日々で、みんなに感謝がいっぱいだった。

その感覚は、少なくとも中高時代の私は感じていなかったものだった。

留学中は人が怖いだとか、いつか私は裏切られるとか、自分のことを主張したら嫌われるだとか、そんな意識は全くなくなっていた。

その上、大好きな英語に打ち込み、挑戦し、満足のいくところまで努力をして、次はこれをしたいっていう前向きな気持ちが溢れていた。

そして、一年間の留学を終えて、日本に帰る日が近づいてきたとき。日本での生活に戻ることが全く輝いて見えなかった。むしろ、色で言えばグレーで、「またあの感じに戻るんだ。ここにいた方が全ていくのに。」という強い感覚を残した。


高校留学後の私

でもなんとか帰国をし、元の高校を卒業し、日本での大学生活が始まり、私は国際系の学部に進学した。高校時代に比べて、何倍も楽しかったし、満ち足りたものになった。

大学2年次にはもう一度オーストラリアへ留学をし、また高校時代の時くらいの輝いた日々を過ごした。


私の無意識の変化

上にも書いたように、日本にいるときと海外にいるときでは私の無意識が異なる。元にある考え方が違うから、それによって周囲の人の言動の受け取り方も違えば、私の言動だって違う。

今は日本に住んでいる。今でも時々人が怖いと思うことはあるし、私が引かれても、嫌われても驚かないし、それを恐れて慎重すぎる行動をしたくなるときもある。

そして留学時代の海外の友人と話すと、ずっと縮こまっていた何かが伸びるような、素の自分に戻れるような気がする。なんでも相談できるし、勝手にその人たちが喜んでくれるように動きたくなる。それは、彼らが私を受け入れてくれると確信していて、信頼しているから。私に自信が持てて、私が幸せになる選択を優先できる。逆にいえば、日本語で日本人と話している時には、誰かを信頼しずらいマインドセットになっているのかもしれない。


海外留学と私

海外留学は本当に、様々な影響を与えるし、私の中での変化はここに書いていないことだってたくさんあった。でも、二度経験しても、私が海外にこだわる気持ちは強まるばかりだったし、人に対する無意識は変わることがない。そしてこうやって、海外を好きなった理由も明確になった。

ここでもし、日本にいる間は他人と深く関わらないとか、傷つくことを恐れて信用しようとしなかったら、逃げなのかな。

わからないけれど、どうにか今努力をしていること、これからすることのゴールが海外への切符で、そこでまたあの時のような生き生きした気持ちを持つことができますように。

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