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もしかして わたしの推しは この世界

昨今推し活ブームが巻き起こっている。”推し”という言葉は今までも目にしたり耳にしたりすることはあったが、ここ数年はもはや資本主義というビジネスに大々的に取り込まれていてなんだか居心地が悪い。誰しも推しはいるだろうが、誰にでも必ずいるものではないだろう。

という屁理屈はさておき、私も自分の推しについて考えてみた。ある眠れぬ夜のことである。

芸能人、作家、アーティスト、作品の登場人物、コンテンツのキャラクター。推しと聞いて思い浮かべるのは、二次元か三次元の世界を生きる者たちだろう。だが、私はこれと言って思い浮かばなかった。

二次元か三次元の存在は思い浮かばなかったが、そうでないものならパッと思い浮かんだ――言語だ。特に推し言語なのは「言語の骨董品」と言われるリトアニア語である。いや、「モンスター言語」と密かに呼ばれているチェコ語も良い。広東語はこれでもかと表意文字の限界にチャレンジしたかのような文字が魅力的だし、ジョージア語のアルメニアアルファベットはもうその字体の可愛さたるや。フィンランド語のコロコロとした音も聞いていて楽しいし、アラビア語の文字は芸術作品のよう。かたやイヌクティトゥット語の記号のような文字を見れば、これを文字として読んで理解する人間が同じ地球上を生きていることに驚きと憧れを抱く。RRRで初めて知ったテルグ語も語感が好きで、Naatu Naatuのように軽快な音楽がこれほど合う言語は他にあるだろうか。

この世界に存在する言語は6000とも8000とも言われているが、それをすべて知るには時間と脳みそが足りない。嗚呼、なんとも惜しい。

島国の日本ではなかなか実感しづらいことだが、広大なユーラシア大陸では海や山、河を越えれば言語も文化も変わる。古来人間はそれそれの文化圏と言語を発達させてきた。バベルの塔をつくり始めるまでは、この世界の人間は皆同じ言葉を話していたという寓話もあるが、ここまで多様性に富むものが生まれようとは神ですら想像しなかったであろう。世界中皆同じ言語を話していたら、今日のような言葉や文化の壁に苛まれることもなかっただろうが、この多様性こそこの世界を面白くしていると私は思う。人間は面白い。

言語が推しだと言ったが、それを生み出したのは人間である、ならば私の推しは人間、もとい人類なのではないだろうか。

人類ってよく考えてみるとすごいなあと思う。プログラミングされたわけでもないのに内臓は日々無意識のうちに動いているし、それによって生きている。では意識的には何をしているかというと、勉強をしたり働いたり、様々な活動をしている。集団を形成し、その中での役割を務め、他者の面倒を見たり、他者に助けられたりしている。人類ってすごい。

なんなら生物ってすごい。動物の中には気温が下がると冬眠をするものもいるし、逆に暑いところでは体温を下げる術を知っている。人類のように言葉は発さずとも仲間とコミュニケーションをとることだってある。人類と同じように、食べて活動して寝る。

生物?生命体?いやいや、それが存在する地球ってすごくないか。水があるから地球には生命が生まれたという説もあるが、海と陸のこの黄金比は奇跡に近かろう。加えて太陽との距離、銀河系内の位置。水星は太陽に近すぎて水が保持できないし、私が大好きな海王星はガスでできているから水はおろか陸すらない。

ん?そもそも惑星ってすごいのでは?宇宙ってすごいのでは?宇宙ってなんだ?

……こうして壮大なスケールまで広がってしまい、アドレナリンがドバドバ出てさらに眠れなくなる。眠れぬ夜の考え事はよくない。ちなみにあまりにも壮大になった挙句、途方もない思考回路に暮れて結局は寝落ちするというのが様式美である。

もしかして、わたしの推しは、この世界。いや、全宇宙なのかもしれない。

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