見出し画像

自我の声 と 真我の声


昨日 植物のお手入れに6時間も集中していて
その間 無心になれたおかげで
気づきを得られたので書いてみます



何年か前からいろんな形で「発信しなさい」
というメッセージが届いていました

そもそも私には特別な能力も特技もないのに
「一体何を発信しろっていうんだ???」


日常を写真に残すことが好きなので
昨年とりあえずInstagramを始めたものの

自分で漬けた梅干しと梅シロップを載せたら
即アカウント停止をくらいました

なんで??? 笑

アカウント停止になった原因も分からないし
再開したいなら顔写真を送れとか言われるし
Instagramじゃないんだな・・・と諦めました 笑


それでも
「発信しろ」というメッセージは届き続け


そしたら娘っ子が
「うちら親子の会話を元に書けば?」と
提案してくれました

それで今年に入ってnoteを始めました



自分が書いた過去記事を
読み返すことがないもので
何を書いたかほとんど覚えてないですが 汗


娘っ子が流行りや陰謀論を教えてくれたり
会社での人間関係や出来事を話してくれたり
娘っ子のInstagramに出てきたこと等々
そういう日常会話を記事に反映してします



最近書いたメドベッドの記事も

以前娘っ子が
「あそこもここもメドベッドで治したい!」
と言った話が元になりました

  結局 娘っ子は一年かけて
  あそこもここも自己治癒しました



一般的に 「目に見えないスピリチュアル」は
「ただのキレイゴト」と捉えられてしまって

いつもスピな会話をしている娘っ子でさえ
納得いかないと食ってかかってきます

 部屋の花が枯れた話・・・(過去記事参照)
 何かにつけ噛みつかれるので大変でした 笑



だから スピリチュアルを伝えるのに
「ただのキレイゴト」にならないためには

「相対的な表現」で書くしかないかな・・・って
否定的な表現も入れつつ記事を書いてました


下書き記事をアップする前に読み返してみて
内容に違和感はないし
伝えたいことは書けている

だけど私の何かが引っかかっている・・・
それが何か分からなかったんです


それが 昨日無心になって・・・気づけました


 対比して書く方が分かりやすいからと
 相対的な表現で書くことが
 自分と合ってなかったんです



私の心は
  「世界はなんでもいい」んです


何で遊んでもいいし
何で楽しんでもいいし
何を頑張ってもいいし
苦しんでもいいし
悲しんでもいいし
被害者になってもいいし
不幸でもいいし幸福でもいい



「誰かのせいで」「何かのせいで」も幻想
「できない」も「やれない」」も 幻想
「時間」「距離」「場所」などの「制限」も幻想



個々人の意識が全てを創り出すのだから
私の世界は私の思い通りなんだし
あの人の世界はあの人の思い通りだし

みんな人生を自分で創っているんだから
「なんでもいいし どうでもいい」わけです



私は幼い頃から
インスタントの塩ラーメンを食べると
3口目くらいで吐きそうになります

塩ラーメンは好きなのに
体が食べさせてくれない
  頭と体の反応が真逆なのです

頭で考えて「体に悪いから食べない」と
無理に我慢しているわけではなく

体が受け付けないから
食べ(られ)ないだけです

  今まで大好きだった食べ物が
  どんどん食べられなくなってきています

  食べたいのに食べられない・・・状態から
  徐々に食べたくなくなってきた・・・状態へ
  だんだんと変化してきています


元夫はインスタントラーメンが大好きで
毎日朝食はインスタントラーメン
飲んだ後の夜食もインスタントラーメン

月に何十食も食べている計算なので
「体によくないよ」と一応言いますけど
言ったところでやめないのです

体に悪いというデータをつきつけても
彼の体は 美味しいと 受け付けるのですから
好きなものを止める理由がないのです

だから私は止めたりしないのです

本人が 痛みや苦しみを経験しないと
「体に悪い」が分からないからです

個人の経験の機会を
他者が奪ってはいけないのです



それは娘っ子に対しても同じで
私は何も強要・強制したことがありません

ジャンクフードを食べても
宿題をしなくても
習い事を途中で止めても
傷つくのが分かっている恋愛も
一度も止めたり 叱ったことはありません

食べる物は体が教えてくれるだろうし
宿題をしないなら先生に怒られたらいいし
嫌なことに時間やお金を使う必要はないし
失恋の痛みも若いうちに経験する方がいい


私の基本スタンスは

「協力はするけれど 強要・強制はしない」



なのに・・・

「メドベッドを待たないで」って書いている 笑

そんな自分が
自分で気持ち悪かったみたいです 笑



メドベッドを待っていてもいいし
今すぐ自分で病気を治してもいい

アセンションしてもいいし
まだしなくてもいい


私の本心は
「別にどっちでもいい」と思っているんです



この3次元地球は
二元性を使って体験をする世界です



善 ⇔ 悪
白 ⇔ 黒
光 ⇔ 闇
男 ⇔ 女
老 ⇔ 若
病気 ⇔ 健康
貧乏 ⇔ 豊か
トランプ ⇔ バイデン
ウクライナ ⇔ ロシア
3次元 ⇔ 5次元

どちらが良いとか悪いとか
どちらが正しいとか間違いとか
それは偏った見方をしているだけで


見方を変えて 多方向からみると
「自分が選択してるだけだ」と気づきます


この宇宙の基本に「選択の自由」があるので
どれを選択してもいいのです


良いも悪いも 光も闇も

どちらの側面も「あっていい」と

「認めて受け入れること」が「調和」です



自分とは別の選択をした人に

 あなたはそっちが好きなんだね
 あなたはそっちを選ぶんだね
 私はこっちが好きなんだ
 私はこっちを選ぶね
 じゃあここで別れましょう バイバイ!

これだけでいいのです


 あなたの選択は間違ってる!
 こっちを選んでよ!
 こっちに来てよ!

そうやって
自分の選んだ方が正しいと主張するのが
二元性の世界です



「自分の中から二元性を手放していくこと」

それが3次元からの卒業です



・・・と

こういう話をしても

「病気より健康の方が良いに決まってる!」
「闇より光が正しいに決まってる!」と

なかなか理解してもらえないので・・・

ついつい相対的な表現で書いてしまって
それが自分で気持ち悪かったのです 笑



私の自我は 理解してほしい気持ちを表現し

私の真我は ただ “在る”がまま を表現する



私の中で引っかかっていたのは

自我と真我のズレだったようです


それが分かってスッキリしました


いつも娘っ子に
「あなたは社会には受け入れられない」と
毎日言われ続けている私が書くのですから
なかなか理解されないと思いますが 笑



たまたま 私のnoteに出会ってくれた
数人の日本人の覚醒スイッチをオン!
出来るかもしれませんので

 「ただ私のあるがままを表現する」


また新たな気持ちでnoteを Restartします



最後まで読んで頂きありがとうございます



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?