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DAY1

今日は久しぶりに走った、約6kmだ。自分の足で走るのはいつ以来だろう。大腿骨の骨折という大きな事故が起こったのは2019年9月上旬だから、記憶にはないが、前回走ったのはそれ以前という事になる。2年とまではいかないが、何にしてもそのくらいぶりと言うことだ。

走り出す前、うまく言えないが消してポジティブな気持ちとは言えない。「走りたくて走りたくて仕方ない」と言う感じになったことは元々あまりない。そもそも自分の中にある種のネガティブな気持ちとどう対峙するかから自分の運動することは始まっている。断っておくがそれはけして「運動したくない」や「じゃ、運動しなければいいじゃないですか?」とは同意でも同義語でもない。運動することが結果的には好きであると言うことだけは間違いないが、僕が複雑なのか捻くれ者なのかはわからないが、運動を目の前にした僕は蛇に睨まれたカエルのような気持ちで、そうした自分の中にあるよくわからないネガティブなぶにぶにとした何かとまず向き合う事になるのだ、うまく言えないが、走り出す前、いつも自分の脚に絡みつてくるものがあるとするなら、それはそういうものなのだ。

しかし準備をして走り出す。基本嫌いではないので、着替えたらまんざらでもない…いや、ただただそんな気もしないでもないだけなのだろう。それを裏付けるように準備をした後でも部屋を出るまでに時間がかかる。短いランニングパンツを履き部屋の外に出ると夕方の、太ともあたりに感じる風が少し冷たく心地よい。何も考えずに走り出す。ちらっとGPSウオッチに目をやると約7分/kmくらいのペースだ。しかし500mしか進んでないのにすでに辛い。心拍が苦しく感じる。脚が妙に軋んだ感じがする。体が重い。たった500m、たった1kmしか「もう歩こうかな」そんな風にも思ってしまう。そして一体今日、僕はどれだけ走れるのだろうかとその先に進むことを考えると気持ちが重くなる。走りはじめはいつもとぼとの歩いて帰る姿しか想像ができない。結果今日は約6kmを走った。どんなコースかはまた触れることもあるだろうしここでは割愛する。

たった6kmとはいえ、そこには激しい気持ちの紆余曲折があり、最後の1~2kmになると疲れてきてはいるし、久しぶり過ぎて脚がガクガクする。しかし、紆余曲折を通り過ぎた心は気づけは本当に穏やかになっていて、あまり何も考えなくなっている。そう目の前だけを見ている感じだ。そうこれが良いのだ。

「やろう」と思った時に、すぐに取り掛かり行動に移せるというのは本当に幸せなことだ。そうした元気、そうした環境、それを許す時間があるということだ。その「今日できること」をきちんとすることが、自分自身を作り、自分自身の中にシンプルさ(シンプリシティー)を取り戻していく事に他ならないと思う、久しぶりの疲労と、充実だ。そんなことを感じた再開の初日。まずはここから、ここから。明日も頑張ろう。

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