見出し画像

ホワイトすぎて離職?時代に組織開発はどうあるべきか

コロナ禍の影響だからだろうか。新入社員の傾向が昨年と比べて大きく変わっているように思える。どう変わっているのだろうか。それは、以下の記事でも述べられている。

ホワイトで、働きやすい企業に就職した人たちが不安を感じており、離職するケースが増えているのだという。その不安は、社会活動経験が多い人ほど高まるという。この「ぬるま湯」のなかにいて、自分は先々大丈夫だろうかという不安なのかもしれない。

ぼくが従事している組織開発の根底には「人間尊重の価値観」があり、働くひとたちをどのように自由にするのかを考えてきた。コンテントよりもプロセスを重視し、トップダウンよりも参画を、組織健康度の診断は、昨今のクラウド環境やエンゲージメントといった言葉が誕生するずっと前からおこなってきた。

そういう意味でホワイトすぎて離職?時代の到来は、組織開発の基底にある価値観の再考を迫っているのかもしれない。

ティール組織のようにリベラルであればリベラルであるほど組織の生産性は高まるというのが、組織開発論の定説であった。この定説は今後も通用するだろうか。

市場が成熟するなかで、富の格差は広がった。成熟したマーケットにおいて成果を出すにはますます高い能力が求められる。だからこそ、企業においても一部のハイパフォーマーが多くを稼ぐ構造になりつつある。組織開発はこの市場原理のモメンタムを食い止めることができなかった。

または、データ社会においてはどうだろうか。リベラルな欧米は個人情報保護を大切にするあまり、ビッグデータを活用したビジネスにおいては中国に出遅れている感さえある。AIは、一部のテックジャイアントがビックデータを所有し、データ分析をおこなうことで、購買を最適化することを可能にする。そういう意味で、AIがもたらすものは独占的で上意下達な何かなのだ。

このように、社会構造が大きく変化するなかで、組織はリベラルであるべき、という定説はこれからも通用するだろうか。組織開発の真価が問われている。

サポートいただいたお金は、“誰もがが自己実現できる社会をつくる”ために使わせていただきます。