灰色の世界に生きるアナタへ


はじめに

 こんにちは、すぱ郎と申します。最近noteを更新するようになりました。過去に自分が取り組んでみた心理療法の感想や気付いたポイントなどをまとめて投稿しています。「#あの選択をしたから」という言葉を目にして、ここ数年自分が向き合ってきた色々を思い出し、それと同時に一時期学んだ「ロゴセラピー」の話を思い出したので、いくらか自分語りをしながらロゴセラピーを知ったきっかけと、自分が生きていくうえで影響を受けたロゴセラピーの考え方についての話をしたいと思います。なお私は心理の専門家でも何でもないので、ロゴセラピーに関する誤った情報発信をしている可能性があります事を予めお詫び申し上げます。

自分語り&ロゴセラピーを知ったきっかけ

 私は今30代でどうにか社会人をやっていますが、数年前に大きな挫折を経験し、そこから心身の調子を崩してから立ち直るまでに多くの時間を要しました。
 当時の私は社会人として働きながら、家庭を持ち、それに加えてキャリアアップを目指してそれなりに負荷の高い無茶な生活をしていました。しかし、結果として仕事と家庭と自身の健康のバランスが崩壊しかけて危機的な状況に陥ったため、キャリアアップを諦める選択をしました。
 その後すぐに心身のバランスを崩し、休職したり復職したりと大変でした(周りはもっと大変だったと思いますが…)。自分なりに納得して決めたつもりでも、心の奥底で「あの時諦めた選択は正しかったのか」「もっと頑張れなかったのか」と、過去の自分が今でも自分を責め立てています。人生にたらればはありませんので、それを確かめる術はもうありません。
 この記事を書いているのも、そんな「自分を許せないでいる自分」が未だに自分の中に燻っている証左なのかもしれません。
 兎も角、当時の自分はどうしようもない「虚無感」に常に苛まれていました。いつも世界は灰色に包まれているようで、何をしていても、誰と話していても、心が芯から動くこともなく、ただただロボットのように日々をこなしていました。そうやって感情をシャットアウトしないと時折襲ってくる虚無感と絶望感に飲まれそうになるからです。このままではマズい、何とかしないといけないという思いを抱きつつ様々な本を読んでいた当時、一冊の本を手に取りました。それが「夜と霧」の作者で有名な「V.E.フランクル」氏の著書でした。

 当時手に取った本は専門家向けの本で内容が難しくてよく分からなかったものの、パラパラと中身をめくって「ロゴセラピーという心理療法があるのか」という程度の理解をして終わりました。その後何となく気になって一般向けの氏の著書を3,4冊読んでみる事にしました。「夜と霧」「それでも人生にイエスという」「意味による癒し」などです。それに加えて、諸富詳彦氏のフランクルの解説本や、松山淳氏の「君が生きる意味」などを読みました。

 ロゴセラピーとは何ぞやといった詳しい解説はしませんが、特に印象強かったいくつかのポイントについて触れていき、自分自身にどう役立ったのかを書いていきたいと思います。

人生の意味と、「実存的空虚」について

 虚無感に苛まれていた時期、私は「自分がこれから何を目指したいのか、どう生きればいいのか」「そもそも目標を手放した自分が生きる意味はあるのか」といった事をずっとずっと考えていました。
 生きる意味が分からず、意味を目指す意思が満たされない状態をロゴセラピーでは「実存的空虚」と呼びます。この実存的空虚に満たされた状態では人は未来に希望を持てず、絶望に引っ張られるという考えです。当時の自分は特に自分中心にあれこれを考えていて、まさに未来への希望を描けない状態にあり、この考え方が強く自分に当てはまっていました。
 そしてその実存的空虚を乗り越えるための考え方として、ロゴセラピーでは、人間は「人生から『問われている』存在であり、その人生からの問いに応えなければいけない」というスタンスをとっていました。ちょっと分かりづらいですよね。
 つまり「自分がどう生きたいか」ではなく、「人生(あるいは世界)から何を求められているか」を考えなさい、という考えを根幹に持っています。個人的な印象としては少し宗教の営みに近い考え方なので、いわゆる「神」の存在を信じている人の方が、この考え方は受け入れやすいかなとは思いました。以下に少し参考著書の引用をさせて頂きます。

「意味はこの世界にあふれている。いついかなる時でも、どんな状況にあっても生きる意味はある。生きる意味があるかないかと問う必要は無い。我々は問われている。その問いかけにひたすら答えていけばよい。答えていけば生きる意味は発見され、生は必ず意味で満たされる。だから、どんな時でも自分の生にイエスと言おう」

(引用:君が生きる意味.松山淳.2018)

 例えば、書きかけの小説が残っている小説家が絶望に打ちひしがれている時でも、人生はその小説家には最後まで作品を書ききる事を求めているでしょう。例えば子供がいる父親が仕事で挫折して目標や生きがいを見失ったとして、きっと人生はその父親に子供たちの行く末を見守り続ける事を求めるでしょう。そのような視点で人生と自己を見つめ直すと、「自分にはまだやるべきことがある」「自分にはまだ生きる意味や価値がある」という視点を取り戻す事が出来るかもしれません(もちろん、世の中そんな単純に話が進む事ばかりではありませんが)。今、目の前の目標がないとか、生きがいがないという人は、一つの視点として「何をしたいか」ではなく「何を求められているか」を考えるといいかもしれません。それが心底やりたくない事しかないわけではなく、「まぁこれならやってもいいかな」と思えることが浮かんだのであれば、とりあえずそれをやって見て生きてみましょうよ、というのがロゴセラピーの考え方かな、と自分は理解しています。

良心という言葉を掘り下げる


 正直言って、このロゴセラピーを知るまで「良心」という言葉を深く考えたことはありませんでした。しかしフランクルの本の文中にこの文言を見た時に妙に心に引っかかるものがあり、少し掘り下げて調べてみる事にしました。とはいえ専門的なフランクルの書籍は読み解くのが大変すぎたので、フランクルについて解説している先述した「君が生きる意味」の著者である松山氏のブログを当時参考にさせて頂きました。

 そちらの解説によると、良心は「人間存在に無条件に所属している」と述べられています。つまり、誰にでも根っこに良心はあるのです。そして、フランクルはこの良心が、「人生(あるいは何らかの大きな存在【神?】)からの問いを聞き取り、人間らしい決断をさせている」と考えています。先述した”人生からの問い”を受け取る機能を良心は持っているという事です。
 これを読んだ時、大げさかもしれませんが、本当に自分の中に衝撃が走りました。
 なぜならそれまでの自分は、ずっと過去の諦める決断をした自分を責めていました。どれだけ理屈を並べても、許せないでいました。ですが、この考えにもとづいて改めて当時の自分を見つめ直してみると、あの時自分がした「諦める」という決断は、「自分の中の良心」がさせた決断だったのかもしれない…と初めて思う事が出来たからです。その瞬間、過去の決断をした自分に対する怒りが和らぎ、同時に労いの感情が湧いてくるのを感じました。いわゆる「自尊感情」が取り戻された感覚を、この時初めて得ました。そしてそれから、ずっと過去に引きずられている状態から、少しずつ現在、そして未来に向けて目を向ける事が出来るようになったと感じています。そしてあるふとした瞬間に、今この瞬間の世界に確実に色が戻ってきたような粟立つような感覚を覚えました。あの瞬間が、自分が過去とある程度の折り合いが少しつけられた瞬間だったのだと思います。
 そんな感じで、「良心」という言葉を深く掘り下げる事で、私は自分が過去に行ってきた事に対して一概に否定することは無くなり、そこに意味があったのだと受け入れることが出来るようになりました。あくまで私の場合は、ですが。ロゴセラピーを学ぶ過程で「良心」について考え直すきっかけを貰えたのは、とてもよかったと感じています。

おわりに


 なんだか偉そうに語ったものの、別に相変わらず気が滅入るような事も多い日々は送っています。でも、最近はふとした瞬間に「今自分がここにいてよかったなー」と感じる事が、以前よりも少し増えてきたように感じます。それは家族の笑顔に触れる時であったり、仕事で成果を出した時であったり「ああ、あの時色々あったけど今ここにいて、生きていてよかったな」としみじみ感じる時があります。ロゴセラピーの言葉で言うと「体験価値」と言うらしいです。どん底にいた時にもその体験はあったはずですが、それを幸せで価値あるものと感じられなかったんですよね。今でもそんな幸せを感じる時に、過去の自分に対して申し訳なく感じる気持ちも正直に言って全く無きにしもあらずですが、なんとか過去の自分には大目に見てもらいつつ、これからもこんな感じで生きていきたいなと今は思っています。
 そんな感じで、好きに書いていたら「#あの選択をしたから」とは大いに脱線した内容になりましたので、最後に少し本線に戻したいと思います。私がこの記事を通して「過去の選択をその後もずっと後悔して苦しさを抱えている」人に向けて書いたつもりです。ロゴセラピーを学べば解決するよ!なんて安直な事を言う気はサラサラありませんが、一つの考え方として参考になったら良いなと思っています。当時色々な心理療法に手を出していましたが、ロゴセラピーはその中でも自分にとってインパクトの強いものの1つだった事は間違いないです。
 私も過去の選択によって残った割り切れない気持ちと折り合いをつけるのに大変な時間を要しました。ですが、今はようやく少しフラットに過去の自分と向き合って、「あの時の自分も大変だったなー」と、労いの気持ちを持ちながら、今自分が大事にすべきことに向き合う事が前より少しずつ出来ているかなと感じています。

 おわりに

 過去に「#あの選択をしたから」今あなたは苦しんでいるかもしれません。どれだけ時が経っても過去の自分を許せないかもしれません。でも、その選択をしなかったら、もっと酷い今があったかもしれません。過去の選択の善し悪しは誰にも決めることは出来ません。そして、その時の自分にとってはきっとそれが最善の判断で、その時の自分の「良心」に基づいた行動だったのだと考えると、当時の自分を許して、労わってあげられるようにいつかなるかもしれません。そうなって初めて、過去の選択をした自分に今よりも少し優しくなれるかもしれません。
 そしてきっと、いつか「あの選択をしたからある、今の自分の人生にある幸福」を素直に受け入れて心からそれを感じられる瞬間がきっと来るんじゃないかと思います。今灰色な世界に生きていても、いつか世界の色を取り戻す瞬間が来ると思います。あなたがもし人生に絶望していても、人生はきっとあなたに絶望はしていません。
 いつか笑えるその時まで、どうか健やかに。みっともなくも、恥を抱えながらも、苦しみながらも、どうにかこうにか生きていきましょう。

 長々とお付き合いいただきありがとうございました。それでは。


#あの選択をしたから

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