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痣 第2話

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https://note.com/light_borage382/n/nc0639352099c


東京湾の魔女


 地方にしては、そこそこの規模の駅と言えるだろうか。
 待合室で、数人の利用客が暇そうにテレビを眺めている。
 深夜。ニュース番組のトップで、岐阜の田舎町で起きた事件が報じられた。


 【今日午後6時頃、住宅から火の手が上がっているとの通報があり、警察と消防が駆けつけました。

 火は2時間後に消し止められましたが、木造平家建ての住居一棟が全焼。
 焼け跡から、この家に住む五百扇いおぎ泰造さん・68歳と見られる遺体と、身元不明の女性の遺体が発見されました。
 遺体の頭部には殴られたような痕があったということです。

 また、五百扇さんの18歳の双子の息子のうち、弟の影彦さんの行方が分かっておらず、残った長男に事情を聞いています。

 焼け残った金庫には、こじ開けられたような形跡があり、保管していた1億円が無くなっていたことから、警察は強盗殺人放火事件とみて捜査を進めています……】


 アナウンスとともに、暗闇の中での消火活動の様子が流された。
 炎に包まれた太い梁が、音を立てて崩れ落ちていく。


 待合室の入り口付近で、人影が動いた。


 ◇

 「お見事です」

 頭から爪先まで。漆黒の被り物で全身を覆った人物が、闇に向かって呟いた。
 その声は男とも女とも判別がつかず、若者と言われても老人と言われても首を捻りたくなる。
 正体を知りたくとも、被り物の奥は闇だ。
 禍々しい気を纏う様は、魔女と呼ぶに相応しいかもしれなかった。


 「賭けは、あなたの勝ちですね」


 被り物の内側から、くつくつと密やかな忍び笑いが漏れ出す。

 「あなたと同じようなことを言う人がもう一人いるとは。
 まったく、面白い世の中だ。
 こちらは、相応の対価をいただければ構いませんがね」

 その饒舌さは、暗い海に語りかけるには些か不釣り合いであった。
 しかし、それが余計にこの魔女の底知れなさを炙り出す。
 魔女は愉しげに言葉を継いだ。


 「ただし、これで終わりとは限りませんよ」

 過去ウラを隠し通せるかどうかは、本人次第──。


 ◇

 「風岡かざおかつぐみさん」


 夕刻の雑踏の中で、誰かが人の名前を呼ぶ。

 「社員証、落としましたよ」

 一人の女性が反応した。
 振り返った拍子にボブカットの髪がなびき、白い肌が露わになる。

 「すみません……!」

 風岡つぐみは、社員証を拾い上げてくれた人物へと駆け寄った。

 親切に声をかけてくれたのは、スーツ姿の整った顔立ちの男だった。
 柔らかそうな髪に夕陽を受け、褐色に光って見える。

 つぐみは、時が止まったかのように表情を固めた。
 甘い容貌に見惚れてしまったとも取れるが、その様子は少々おかしい。

 「つぐみって……鳥の名前ですよね。渡り鳥の」

 男は異変に気づかない様子で、にこやかに社員証を手渡してくる。

 「素敵な名前だ。あなたに良く似合う」

 真っ直ぐ見つめてくる男に、つぐみは「ええ……」と曖昧に返した。
 強張った表情ながら、目には相手を探るような色が宿り始める。

 社員証の上に名刺が重なった。
 男が、スーツのポケットから出したものだ。
 つぐみはキュッと唇を引き結んだ後、一転して蠱惑的な笑みを浮かべた。


 「あなたも、素敵なお名前ですね。五百扇いおぎ雪彦さん」


つぐみ

 運命的な出会いを果たした23歳の男女。
 2人が親密になるのに、時間はさほどかからなかった。

 「きっと運命なんだ。
 俺は、君と出会うために東京ここに来たんだよ」

 明け方。うっすら光が差し込むベッドの上で、五百扇雪彦は、名残惜しげに風岡つぐみの耳に囁いた。
 雪彦が情熱的に囁くと、つぐみはいつも微笑して彼の胸に身体を預ける。
 つぐみは積極的に甘い言葉を口にすることはないが、雪彦はそれでも満足しているようだった。


 「俺は真剣なんだ。結婚しよう」

 雪彦は、この日も真剣な様子で言った。

 「まだ早いわ。もう少し、恋人同士でいたいの」

 つぐみは困ったように微笑し、コーヒーを淹れに立ち上がる。
 ここは雪彦の部屋だが、つぐみは物の置き場に迷うことはない。この1Kの部屋には、つぐみの私物が当たり前のように収まっている。

 雪彦のスマートフォンが鳴った。
 彼は初め、先日の着信に気づかなかったことを詫びているようだったが、やがて「そんな……」と言ったきり絶句する。
 雪彦はそのまま電話を切ってテレビをつけ、ニュースを放送しているチャンネルに合わせた。

 【岐阜県の山中で、白骨化した遺体が発見されました。
 昨日午後1時頃、山を管理する自治体の職員が、土から一部はみ出した状態の遺体を発見し、警察に通報しました。
 先日の大雨の影響で、埋められていた遺体が露出したものと思われます。

 遺体の身元は分かっていませんが、警察では、5年前の『岐阜 資産家強盗殺人放火事件』から行方不明になっている、五百扇影彦さんではないかとみて調べを進めています。】


 マグカップが、けたたましい音をたてて床に落ちた。


 「ごめんなさい! 私ったら」

 つぐみは、慌てて割れたカップを片付け始めた。
 雪彦はテレビの前に座り込み、呆然としている。

 「雪彦さん?」

 零したコーヒーの始末を終えてからも、雪彦は微動だにしない。
 つぐみが何度か呼びかけると、ようやく「ああ」と呻うめくように応じた。

 「警察から連絡が……これ……」

 雪彦は震える指でテレビを指す。
 つぐみが雪彦の背に手を置くと、彼は堰を切ったように胸中を曝け出した。


 「俺の弟なんだ、双子の。
 5年前の事件の、俺は、あの家の」

 つぐみは、全身を震わせる雪彦を抱きしめる。

 「そうだったの……。
 私、テレビであなたと同じ苗字を聞いて驚いたわ」

 子どもをあやすように優しく背を撫でられた雪彦は、縋るように、つぐみの胸に顔を埋めた。
 どれくらい抱き合っていただろうか。雪彦が少し落ち着いた声を出した。

 「一度、帰らなければいけない」

 「ええ。早い方が良いかもしれないわね」

 雪彦が、つぐみを掻き抱いた。

 「一緒に来てくれないか」

 つぐみは肩をビクッと揺らし、強い力で雪彦を引き離す。

 「嫌よ!! もう、あっ」

 つぐみが口を押さえた。
 雪彦は、聞いたこともない彼女の剣幕に戸惑ったような顔をする。

 「ああ、ごめんなさい。私、動転してしまって」

 今度は、つぐみが雪彦の胸に取り縋った。
 良いんだよと呟いて、雪彦はつぐみの身体を手でなぞり始める。

 「ごめん、無茶を言って」

 言葉と裏腹に、雪彦の手の動きは切迫していく。
 つぐみを床に押し倒した時、インターホンが鳴った。
 2度、3度と繰り返されるが、雪彦が構う様子はない。
 だが、外にいる来訪者も諦めて引き返すつもりはなかったようだ。


 「五百扇さん! 居るんでしょう!?
 分かってるんだから!」


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