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雑感記録(90)

【久々の書店】


今日は生憎の天気。GWラストであり1日寝て過ごした。珍しく11時に起床しご飯を食べ、本を読みながら寝落ちしつい先程目覚めた。本を読みながら寝落ちするのは結構気持ちよいものがある。しかし不思議なもので、まだ寝足りない。もう1度ベッドに寝転んでみたが、冷静に「そういえば、明日から仕事じゃん」と現実に戻り夜寝れなくなってしまうのは困ると無理矢理身体を起し、こうして記録を付けている。

はてさて、今日は何を書こうかと指を動かしている訳だが、土日は別に何か特別なことをした訳ではない。強いて言えば、昨日祖母の家に行き、近くの駅の書店に行ってきた。僕の地元では本屋が日々無くなっているのだが、その中でもまだ残っている本屋だ。その地域ではそれなりに大きな本屋であるのだが、やはり僕からすると何だか物足りなさを感じた。

昨今、リアル書店というのか、実店舗を持つ本屋が無くなっている。僕の地元でも、ジュンク堂書店が無くなり、それを皮切りに色々な大型書店が次々に無くなっている。今や地元に残っている本屋は正直、"出がらし"みたいなものばかりで、魅力がほぼ皆無である。しかし、行ける本屋はそこしかないから腹立たしい。

昨日本屋へ行ってきた訳だが、人も居ないし、本の品揃えも何だか微妙で…。申し訳ないが、僕は個人的に書店が無くなっているのは本を読む人が通販やらKindleなどを使用するという状況もあるだろうが、本屋の品揃えという問題もあるように思う。というよりむしろ、それが大きな要因ではないのかと思われて仕方がない。

場所自体は非常に大きなところで、ゆったり見やすいのにあまりにもスカスカしている空間で何だか詰まらないことこのうえない。何というか密度がほぼゼロに等しい。申し訳ないがそのぐらいのレヴェル感なのだ。

純粋な本好きにとって生きにくい場所だ。山梨という場所はやはりそういった意味で息苦しい。そういえば、友人が山梨に来た時にこんなことを呟いた。

「俺のリサーチ能力を以てしても山梨は本屋が無さすぎる。古本屋なんかほぼゼロだぞ。」


これは困る。非常に困る。本屋というのはある意味で文化の出発地点であると僕は考えている。そういった場所がないということに僕は危機感を覚えている。他の人はどう思っているか知ったことではないが、少なくとも僕は由々しき事態だと考えている。

僕は過去の記録で何度も何度も書いているが、僕は自分の地元に対して文化的側面に於いて期待していないと書いている。しかし、昨日本当に僕は絶望した。

新刊を置いていることに別に問題はないし、むしろ置かなければ本屋として意味がなくなる訳だが、それ以外の所だ。新刊以外の所があまりにも手薄である。要は売れることが最優先されているため、新刊以外はどうでもいいですみたいな雰囲気が腹立たしい。

僕は個人的にだけれども…というかこんなこと言ったらちゃんちゃら話にならないんだが、そもそも本屋で金儲けしようとしている時点で終わっているような気がしてならない。それで生計立てられたらラッキーだよねぐらいな感覚でいいと思うのだ。

だからと言っては何だが、副業ぐらいな感じで本屋をやれることが1番ベストな形態なのではないかと思われて仕方がない。本に対して物凄い情熱や熱情を持っているのならそれを専担でやるという選択肢もあるだろうが、現状に於いてはこれがベストな存続方法であるような気がしてならない。

僕の勝手な想像だけど、大型書店は抜きにして個人的に経営している本屋って言うのは元々の始まりは「本が好き」とか「本を読んで欲しい」という気持ちから始めたのではないかと。それがいつの間にか「生き残るためにお金が必要」という風にすり替わってしまい、気が付いたら読まれる本ではなくて売れる本を店頭に置くようになってしまったのではないかと。

そういった点で古本屋というのは、ある意味で文化を守る最後の砦みたいなところがあるように思われて仕方がない。僕はこういった本屋に価値を見出す。時間の集積というか、そこには文化の価値というかそういったものが沢山詰まっている。

無論、東京の神保町などの古本屋街は人口の多さや立地など様々な要因があり継続出来ているのだと思う。しかし、古本屋街で有名だからとは言え、人口が多いとは言え、古本屋なんて興味がない人はそもそも行かないだろう。しかし、そこにある古本屋が今も続いているということは一定数、そういった文化の蓄積を欲している人間が居るということになる。


さて、もう疲れてしまったのでここらで記録を終えるが、もうやはり自分でそういった場所を作るしかない。やるしかない。

よしなに。

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