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雑感記録(21)

【芥川賞から思うこと】


先日、芥川賞と直木賞の発表がありましたね。僕もニュースで会見の様子を一部見ました。何だか今年の芥川賞候補作品は全ての作品が女性作家のものだそうで…。大々的に報道されていましたよね~。

個人的に気になったのは「芥川賞候補作の作品の作者が全員女性である」ということを大々的に取り上げているという点です。僕からすれば、本当にどうでもいいというのが正直なところです。

というより、こういった報道をするのに些か怒りを感じるぐらいです。


何と言えばよいのか分からないのですが、作品そのものを排除してしまっているような気がするんです。表現が難しいのですが、外延部ばかりに注目して、作品の中身、テクストには見向きもしない。そんなような印象を受けざるを得ない報道のされ方でした。

記者会見の様子を見れば一目瞭然な気もします。誰も作品の表現などに関して触れることはないじゃないですか。芥川賞の記者会見でも記者たちが本当に変なことばかり聞く。「お前ら頭沸いてんのか?」と言ってやりたいぐらいには腹が立ちます。

「今日は会社はどうされたんですか?」とか「誰に1番最初に伝えたいですか?」とか別にどうでもいいことこの上ない。それは僕らには全く関係のないことで、僕らが向き合っているのは作者でなくて作品だと思うんです。作者がどんな生活しようが、何を感じていようが、僕らは目の前に提出されているテクストを知り得るのみ。

記者会見でもっと作品そのものに突っ込んで聴いてもいいのではないか?と常々思うのです。選考委員も選考理由を話す時には作品そのもので判断して講評などする訳でしょう。それなのに記者はテクストとは全く以て関係のないところを執拗に聴いてくる。

作者と作品をもう少し分けて考えてもいいのではないかと思うんです。


例えば、永山則夫なんかがその典型というような気がします。

まあ分からない人は調べてもらえばいいのですが、永山則夫といえば言わずと知れた連続殺人鬼ですよね。「永山基準」というのが出来るぐらいですから、相当凄惨な事件だった訳ですよね。

永山則夫が獄中で小説を書くんですが、それが新日本文学賞を取る訳です。さらには日本文藝家協会への入会の話まで出る訳です。ところが入会を拒否される。理由は「法人の利益に反し、又は体面を汚したものは除名する」という定款に抵触するからです。永山則夫が入会したその時点でこれに抵触するとのことであったそうです。あとは協会員たちの心理的負担からくるものだとか…。

これに対し中上健次や筒井康隆、柄谷行人たちが相次いで日本文藝家協会を脱退するという事態へとなりました。

これは僕の邪推なのですが、脱退した人達は”死刑囚”永山則夫ではなく”小説家”永山則夫として扱っていたのだと思います。まあ、でもそうですよね。上記の人たちにとって永山則夫がどんな人かは知る由もなく、そこにあるテクストからでしか判断できない。

「永山則夫は連続殺人鬼である」これは事実ですよね。でもその人の内面はその人にしか分からない。近親者でさえも100%理解できるなんてことは不可能です。どんな理由でやったか、どういう背景があったかなんて言うのは正直、外部の人が事実に基づきいくらでも捏造できてしまう。そして「この時の彼はこんな気持ちで、これこれこういう理由で事件を起こした」と想像を勝手に広げる。それが大正解のように。

勿論、起こしてしまったことは良くないし社会的にも人間的にも許されざる行為です。しかし、その人が作った作品には関係はないと思うんです。


よく最近でも麻薬を使用した俳優の映画が上映中止になったりするということがありましたよね。僕はそれも理解に苦しむところがあります。

その俳優がやったことは許されざる行為です。しかし作品には何も関係がないでしょう。弾圧されるべき人はその本人であり、作品自体が弾圧される筋合いはない。

こういうことを言うと「その俳優が出ているから作品のイメージが悪くなる」とか言う人がいます。でもそれってそうなの?と僕は思います。作品は作品自体で成立しているじゃないですか。仮にね、作品の中で実際にその俳優が本物の麻薬を使用していたとかなら、それはちょっといかがなもんかとは思います。


作者と作品の分離化というところはもうちょっと考えてみるべきだと僕は芥川賞のニュースをみて思いました。

よしなに。





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