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私が召される時は 

とある神父さんから聞いた話。

神父さんは、日頃から何人かの信者さんと
ある約束をされている。

神父さま、私が召される時は、
傍にいらしてください

してもらいたい事は、ひとつだけ
聖書の○○の○○の一節を
私の耳元で唱えてください


実際に、「その時」は来る。

神父さんは、彼女の病床にゆく。
約束した一節を彼女の耳元で唱えるために。

「その時はね、トマスくん
彼女がどんな状態であってもしっかりと聞こえてるのがわかる。

人の命の振動が伝わる(サウンド)距離が
君にわかるか?
それはおよそ60センチくらいなんだ。

不思議なもので、病室では親が亡くなるというのに息子さんは本人に近づかないで遠巻きに見てるんだ。
もう時間がないというのに。
だから、私は息子の目を見て
「(ここにいるのは)あなたのお母さんだ」
とはっきりと告げて手を引いて連れてゆかねばならない。

私が聖書を広げ
耳元で彼女と約束した一節を唱え終える時
すうっと、身体から何かが去ってゆくのが
私にはわかる。彼女は召されたんだ」


神父さんはこういう約束を、日頃から何人とも
されていると言う。

貴方が召される時は、どこを読んでほしいの?
私は○○の○○をお願いします。
わかったよ。
ここを貴方の耳元で読んであげる。
ああ、それを約束するだけで安心したわ。

父と子と、聖霊は舞い降りる
それは耳元で囁く60センチ。
二人の間で用意された時に。

流行りのACP(人生会議)よりも
僕はこうありたいな。
だって、そこには祝福があるじゃないか。



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