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鼻くその味 

母が看護師だったので、
子供の頃から留守番が多かった。

外来を終えた母は、一旦帰宅すると大急ぎで夕飯を作って「今日はヤシン(夜診)やから」
とまた出かけた。

鍵っ子であった自分は小学校から帰ると、門扉の横の鉢植えの底を手で探って母が隠した鍵を見つけて家に入った。
もし鍵がなかったらどうしようと
いつも心配だった。

鉢植えの裏側には、ダンゴムシやミミズやハサミムシが静かに暮らしているのを知ってから、
1人になると鉢裏の小宇宙を眺めて過ごした。

橋げたで拾った仔猫を、田圃のバラックで友達と「共同で飼う」事にして晩御飯の後に鰹節をやりに行っていたのが大人に発覚したのもこの頃だ。
仔猫を入れた青いバケツを一生懸命抱えて
(ネコ飼いませんか?)と近所を一件一件まわったが、結局はダメだった。仔猫を載せた保健所のトラックが去ってゆくのをずっと母と見送った。

小学校が終わって母が帰宅するまでの時間は長く、テレビで人形劇や時代劇の再放送(大江戸捜査網)を繰り返し観た。
子供の頃に親を待つ数時間は、果てしなく長くて、遠かった。

飼っていた亀の甲羅をタワシで洗って水を換え、玄関の朝顔にホースで水をやり、手乗り文鳥とキスをして、友達と川を遡って探検してもなお時間は余った。
川縁には小さな足跡がいくつもあり
僕は河童は実在するものと思っていた。

1人きりで空に上げたゲイラカイトが高く風に舞って、とうとうビルの電線に引っかかってしまって必死で凧糸を引っ張って、最後に手を離した。感電するのはとても怖くて、でも大人に見つかるのはもっと怖くて凧を無くした事をずっと黙っていた。

橋の下である日、灰色のきれいな円錐を見つけて、そっと触れた。そこからは沢山の蜂が飛び出して、僕は気を失うほどに刺された。

遊んでも空想しても、まだ数時間残される事があった。こういう時、3歳年上の姉が見かねて
声をかけてくれた。

姉は後年澁澤龍彦のファンになるが当時は赤川次郎を愛読しており、小学生の癖にカルチャークラブやポリスを真剣に聴いていた。
彼女は孤独をいとわない人であった。

アンタ お腹へるやろ?
へるわ どないしよ
困ったな
姉ちゃん なんか無いん?

私の鼻くそ たべるか? 
ありがと
美味しいか? 
しょっぱいな
ほんまやな
もうちょっと遊んでくるわ

はじめぼくはひとりだった 

線路ばたにもたれ
大きな月を見ていた
話しかけるのも僕ならば 
それに答えるのも僕だった
目の前を貨物列車が走り過ぎていった

はじめぼくはひとりだった 
親父とお袋と三人で 長い船の旅をした
真っ黒い煙が後から後から 空に届いては消えていった
海には人間が誰も居なかった

はじめぼくはひとりだった
春には一日中 外にいた
田んぼの中で見つけた カエルの卵が
僕に知ることの怖さを教えてくれた
大地は卵のように 柔らかいもので出来ていた

はじめぼくはひとりだった 
それは親父もお袋も 知らない僕だった
電車の窓から外を見ながら駅の名前を覚えていった
その夜僕は炭鉱町で真っ黒いお風呂に入れられた

月はいくつもいくつも昇り それを眺めては 
いくつもいくつもため息ばかりついていた
生まれて初めて覚えたことは 
たった一人で居ることの幸福感
その頃 親父もお袋もとっくに諦めていた

一度だって寂しいと思ったことはなかった 
生きていることは愛なんかより 
ずっと素敵なことだった
話しけるのも僕ならば 
それに答えるのも僕だった
目の前を貨物列車が走りすぎていった

ある日僕は素敵な 
ある日僕は素敵な言葉を見つけた
そして初めて 寂しさを知った

友部正人 はじめぼくはひとりだった


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