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米語と英語・英語と仏語の音の響きが似ているように感じとれるのは楽しいけれど。

アメリカの都市から、例えばロンドンに移動すると、聞こえてくる英語は、同じ英語なのに抑揚そして、単語の使い方などが変わっていわゆる「米語」→「英語」の違いを耳で顕著に感じる。

英語がいわゆる第一言語として利用されている国はアメリカ、イギリスの他にオーストラリアやシンガポールなどもあり、それぞれ独自の英語が使用されている。そこからさらにいくつかに派生し、同じ国内でも地域ごとの方言も色々だ。

日本語ではテレビのアナウンサーが話す標準語を理解できる人がほとんどだろうが、各地方の高齢者の話す独特の言葉はさっぱりわからない人、多いのではないか。沖縄を旅したときにそのことを痛感した経験がある。

ヨーロッパの言語は、自分の未熟な理解だから故だと思うが、音の響きが似て聞こえることがある。多くの同意は得られないであろう個人的な見解だけれども、イギリス英語、アメリカ英語、フランス語を「音の感じ」で似てるカテゴリでくくるとすると、自分は(イギリス英語・フランス語)はどうも同じカテゴリにいれたくなってしまう。(アメリカ英語)はそれ自体で独立した響きを持っているように思えるのだ。

なんとなくイギリス英語とフランス語の響きは近いものがあって、イギリス英語発音の抑揚とフランス語の発音は似ているように思えてならない。

同じ英語同士なのに、英語、(ブリティッシュ)の標準的なアクセントと、米語、(アメリカで話されているEnglish)は、まるで違う音の響きに聞こえるのがとても不思議だ。

ロンドンからパリに移動しても、聞こえてくる言語について英語から仏語の変化があっても、あまり「音」、抑揚の変化を感じない事が多い。やはりヨーロッパではイギリス風アクセントの英語を話す人が多い。ロンドンなどは各出身国ごとの多様な英語を聞く機会も多いが、基本アクセントはブリティッシュだ。

まだまだ英語を勉強中の身で、全てがわかる訳ではない。少し前は、全てがただのノイズだったのに、少し聞き分けられるだけで、アメリカからヨーロッパ方面への移動の際に聞こえてくる言語をBGMのように楽しめるようになった。

楽しみが増えること。そのことは良いことなのだろうと信じたい。
ただ、知らなかったという価値観には戻れなくなることも、事実としてある。

ヨーロッパでぼーっとしてるとスリにあった経験があるが、こうした自分が身につけた能力は簡単に他の人が盗むことはできないので安心して勉強を続けるモチベーションにすればよいのかもしれない。

しかし一方でテクノロジーの発展で語学を身につける事の価値が暴落しているようにも見える。もっと、もっと、言葉の壁を越えるテクノロジーが身近に来る、いや本当にそこまで来ている。

そんな今でも、継続して学習をし続ける事について、もう少し自身で考えたり他の人の考えを知りたくなったので少し調べて見ようと思う。