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私の宝物②

前回に続き、宝物について書きます!

私の宝物②は……、
亡き祖母と亡き犬との思い出、記憶、生きた証の写真です。

私は、19歳の秋で突然の発作や意識不明などあり、生死との彷徨い…。
そして、多くの主治医達や看護師さん達に救われた。
もちろん、天国から最愛の亡き祖母も救ってくれた。

それからの日々は、なんとか生きたり、
死に迫るほどだったりしながらの繰り返しだった。

その全てを乗り越え、
「今」という瞬間を大切にしています。
ただ、意識不明が長引いたのかも、本当の原因が判明出来ず、
たったの19歳で、多くの記憶を全て失ってしまったのです。
生まれた時からの記憶を全て奪われてしまい、
何もかも全てを思い出せなくなりました。

そんな日々を過ごす毎日。
そんな日々が流れていくうちに、うっすらと最愛の亡き祖母や亡き犬と過ごした記憶が少しずつ戻ってきたのです。
「もう二度と戻る事は無い。」と宣告された日から、まるで奇跡のような日になった。

本当に、世界で一番大好きだった…、
何よりも一番大きなかけがえのない存在でした。

ただ、日常的な事など、様々な記憶はもう二度と思い出す事は不可能である事が判明してからは、
ありのままの自分を、ありのままの運命を、
全て受け止めるしかない。って強く決心しました。


亡き祖母とは、私が生まれた時から12年間ずっと一緒でした。
どこにいても、何しても、ずっと一緒でした。
私は、スタイルも、性格も、体の部分それぞれ、よく似てて、父と母よりも、何より一番おばあちゃんっ子でした。

亡き犬は、ほとんど関わる事はありませんでした。
なぜなら、学校生活や寮生活を過ごしていたから。
「家族」として認められず、ずっと避けていました。
でも、亡くなるまでの2年ほど、体も、心も、全てを壊した私のそばにいてくれました。ただ、そっとしてくれた、優しいワンちゃんだった。
逆に、わんぱくで、ヤンチャで、手のかかる、面倒のかかるワンちゃんでした。
最後の最後に「家族」の一員として認められた矢先、突然の病にかかり、たった数日しかなかった命…。
それでも、精一杯生きて、生き抜いて、苦しそうな表情を誰にも見せずに、最後まで穏やかな表情で「虹の橋」へ渡りました。

今でも、ワンちゃんの写真がいくつかあります。
今でも見る。あの頃はこうしてたな。と語る日々。
それだけでも幸せだった。


私の宝物②でした。
皆様に、何か宝物があったら、心の中で生きてくれる日々がやってくると思います。

拝見しましたら、
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これからも、またまた新しい記事を思い浮かべたら、
沢山書いていこうと思っています。
それまで楽しみに待っていてください!!

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