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「書く」ことを、書いてもいいと教えてくれた


今でこそ、「書く」ことの記事をたくさん書いていますが、初めは、ためらいもありました。「文章のことを、書いてもいいのかな」って。今考えれば、固定観念にとらわれたと思います。

「書く」ことを書いてもいいと思えたのは、BUMP OF CHICKENの影響がありました。僕のnoteで、しょっちゅう出てきますね。僕が尊敬しているアーティストです。僕の文章は、彼らの歌詞にも影響を受けています。

BUMP OF CHICKENの歌詞には、「唄」という言葉がよく出てきます。そう、彼らの曲には、「唄う」ことを歌う曲が多いんです。「ガラスのブルース」という曲は、特にそう。これは作詞をしているボーカルの藤原基央さんが、高校生のときに初めて日本語で書いた曲です。



この曲は、ボーカルの藤原基央さんの生き方そのものな気がして、とても好きなんですよね。ライブでも毎回、歌われる曲です。まさに、BUMP OF CHICKENの原点と言っていい曲だと思います。

要約すると、ガラスの眼をした猫が今を精一杯生きながら、「唄」を歌うという歌詞です。この猫は、藤原基央さん本人のことなんですね。歌詞の一部を紹介しますと、

生まれて来た事に意味があるのさ 1秒も無駄にしちゃいけない
だから僕は唄を歌うよ 僕はいつも唄を歌うよ
僕はいつも唄を歌うよ 僕は今を叫ぶよ

とあります。当時高校生だった藤原さんは、高校の雰囲気に馴染めず高校を中退をして、今のBUMP OF CHICKENのメンバーと音楽活動を始めました。先行きが見えない不安の中でも、生きている証拠として唄を歌っていくという、彼の凄まじい覚悟を感じるんですよね。音楽で食べていける人は本当に一握りなので、藤原さん自身も、すごい不安だったと思います。

ライブで必ず歌われる曲なので、この曲の歌詞を書いたときの気持ちを、ずっと今も持ち続けておられるのだと思います。最近の曲と昔の曲では、曲調や歌詞はけっこう変わっているんですが、音楽をやっていくときの気持ちは、ずっと変わってないんだと思います。


生きている証拠を歌う

今を叫ぶ


藤原さんの真っ直ぐな気持ちが、僕の胸にすごく刺さりました。




文章を書く理由には、いろいろあると思います。書くことで繋がりたい、知識をアウトプットしたい、自分の感情を言語化したい、といったことです。

ここで思うのが、どうせ書くなら、何かを成果として得なければならないということ。書くことは何か自分が望む物を得るための手段であって、書くこと自体は目的ではないということ。

では、「生きている証拠」を書くという理由はダメなのだろうか?
書くこと自体が目的であっては、ダメなのだろうか?

人はすぐに何か大きな意味を探そうとするけど、「今を生きている」ことを書くだけでも良いではないか。

僕は「今を精一杯生きていること」が、伝わってくる文章が好きだ。「ガラスのブルース」という曲と同じように、「今を叫ぶ」文章が好きだ。


「ガラスのブルース」以外にも、BUMP OF CHICKENの曲の歌詞には、「唄」という言葉がよく出てきます。藤原さんは作詞についてのインタビューで、「自分が本当に思ったこととか、感じたことしか書けない」と言っていました。

作詞で「唄」がよく出てくるのは、それだけ彼が「唄」と真剣に向き合って、曲を作っていく中で、たくさん思ったことや感じたことがあるからだと思います。

そんな彼らの曲を何回も聞くうちに、「書く」ことを書いてもいいと思えたのです。これから僕も、「書く」ことを書いた文章が、増えてくると思います。「書く」ことが増えると、それだけ「書く」ことに対して思うことも、増えるから。そして、僕もやっぱり、本当に思ったことしか書けないです。



本当はもっと書きたい思いが溢れているんだけど、うまく文章に直せなくて、すごくもどかしいです。言葉がはじかれるというか、言葉がうまく収まらない感じ。本当に大切な思いは、言葉にはできないかもしれないですね。

僕も、「今を精一杯生きた」証としての文章をずっと書いていきたい。それが、物理や数学の記事であったとしても、エッセイの記事であったとしても。





おしまい。




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