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【作曲家K4】障害者を感じる時1

子供の頃

 私は音楽を専門にしていましたが、特に変わったところがある人間ではなく、いたって普通の家庭で育ちました。違うのは3歳の時に当時はやっていたポリオに感染し足に後遺症が残り、障害者になった事でした。記憶の最初の情景は近所の道を三輪車を引きながら(支えにしながら)歩いている姿です。小学校からは松葉杖を1本、前で支えにして歩るいていました。長距離は家族に自転車の後ろに乗せられて移動し、小学校のほとんどはそうやって移動でした。

杖を使って歩いた

 六年生から養護学校に転校して、2本の松葉杖で歩くことを指導されました。それ以降、比較的長距離を歩きことが可能になりました。(以外にも歩き易いように足の手術を受けましたが。)中学校では電車、バスをひとりで利用できるようになり、行動範囲が広がりました。中3から家が引っ越したために電車通学をしました。音楽のレッスン、演奏会、図書館、いろいろ鉄道を利用してどこへでも行きました。でも、障害があることはとても不便です。歩くと言っても健常者と同じではありません。歩く速さはもちろん。杖をつきながら荷物を持つこと、雨の日の歩行(傘が差せません。杖が濡れた路面で滑ります。)、階段の上り下り。簡単ではありません。それら時間をかけて慣れていきました。目立っていじめられたことはあまりありませんでしたが、その頃の私の性格とか行動によって他人に良い思いをさせないこともあったのだと思います。自分が生意気で無神経だったと反省しています。そう言ったことで、障害者という意識より日々の生活を送ることが精一杯で障害のある自分が当たり前になっていました。

就職して

芸大の研究室を修了後、28才で千葉県の教員として就職しました。その頃には自動車の免許を取り、どこの場所にも通勤可能で行動範囲もより広がり雨の日でも困難なくなりました。就職初日、朝からオリエンテーションが長々あり、校内見学になりました。音楽室は4階です。階段を昇ろうとして階段の横を見たのです。手すりがありません。

階段

 そこには高い壁が聳えていました。少しの間、途方に暮れました。今まで私が育った、通った階段で手すりがのないものは初めてでした。確かに短い階段とか、野外の神社、寺院、山道などには手すりのないものをありました。でも、私が通った、小学校から大学ま学校の中でそんなものはありません。何かとても冷たいものを感じました。設計した人間の姿が見えるようでした。その頃公立高校が毎年、すごい勢いで多数作られていて、少しでも予算を削ることが求められていたのでしょうか。たかが階段の手すりなのですが、校舎の段差は多く、トイレの扉はないなど学校自体の作りも余り親切には作られていません。ただ、建てたというか感じでした。その学校は音楽室が複数、離れてあり、毎日階段、段差と戦いながら、ある時は身の危険を感じながら移動し過ごしました。(出張した高校では命の危険もありました)手すりがつけてもらえたのは足に障害のある生徒が入学するといことで、赴任10年目です。 

スロープ

 その後何年かして別の学校に転勤し、ある日校舎の玄関で工事をしていました。事務に聞くと玄関にスロープを作っているそうなのです。「何で作っているの?」と聞くと車椅子のために県からの指示だとのこと、「でも、入ったら階段すごいですよね。どうするの」「わからない。こんな表面的なことしができないんだよ」(事務長さんの言葉でした)今、バリアフリーがかなり進んで、駅など電車の乗るのに便利になりました。(地方はまだまだですが)学校という所は、特に高校はバリアフリーなど夢のまた夢です。私が教員になったのは40年前です。エレベータのある学校、何校あるのでしょうか。計画はすすめているみたいです。(遅いんだよ、)

追記1

 定年を超えて、車椅子で移動するようになり、再雇用の5年目、エレベーターのある高校を希望しました。けっこう前からその旨を伝えていました。でも、内示された学校はエレベーター無く、音楽室が4階にあるものでした。1年前には階段を登っていたのだからそこへ行けとのことです。車椅子で足の故障から歩くのが難しくなったので仕方なく使い始めていました。他に行く学校は配慮されず、半ば強制的に不採用になりました。再雇用の身ですから仕方ないのでしょうが、千葉県の教職員として30年以上勤めてその扱いでした。

追記2

 定年前から人事異動の時は、必ず障害がある旨を伝えました。エレベーターのある学校を希望したこともありましたが、無視されました。階段に手すりある学校を希望し、ほとんど大丈夫でしたが、再雇用の2校目の高校は手すりが中途半端に設置してあり階段を昇るのに大変でした。1学期途中から工事してつけてもらえました。ただ、場所によって手すりの付け方が危険で、昇り降りがかなり怖かったのです。30年以上努めて、県から障害者として配慮はほとんどありませんでした。(最後の1年以外)特別扱いされなかったというのでしょうね。それが良かったのか悪かったのか、わかりません。私は障害から校内で仕事に迷惑をかけることはありません。もちろん、先生方に多くの配慮はしていただいたと思います。

川手誠(作曲家) 


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