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【作曲家K10】障害、そして音楽との出会い

小学校

3歳の時にポリオに感染して、下肢に障害が残りました。小学校入学時には松葉杖の補助で歩くようになり、普段の生活は困らなくなりましたが、運動が出来ないために体育は見学でした。体を動かしての遊ぶはで出来ないために友達との付き合いも少なかったと思います。子どもに運動の制限があると言うことは、喜ぶの少ない生活でした。だからといって特に勉強が出来るな訳でも、手先が器用な訳でも無く、学習能力は全く普通でした。また、父の仕事に関係で転勤が多く、転校ばかりで益々友達が出来る条件に恵まれ無かったようです。小学校5.年に転校した学校で、勉強をしなくてはならない環境に置かれ、その時、時間を忘れて学習に取り組み、物事に集中することを覚えました。

養護学校 

6年生の夏休みに葛飾区の小学校に転校しました。そこで、入れられたクラスの担任教師が障害者である私を面倒に思ったのか、ほぼ強引に近くの養護学校に移されました。その教師はクラスでは贔屓がひどく、前の何人か子どもと授業しているような状態で今でも言うクラス崩壊をしていました。そんな中、私のような障害者が入ること忌避したのだと思います。横道にそれますが、教員を経験してそのことを思い返しても、その事はかなりおかしなことだったと思います。転校して1ヵ月で養護学校にうつされました。入ってみて気がついた事はその開放感でした。ほとんどの生徒が体に障害を持っています。底抜けに明るいのです。障害を持っている子供は初めから傷ついています。普通の生徒の中に入るということがそれを直に受け止めて生活しています。当然劣等感を持っています。それが全くない世界ですから、入ってみて非常に自由で気楽な生活が送れました。そこで1年半過ごしました。ただ、そこでは同時に私にとって過酷な時間になりました。それは別の話です。

川手誠(作曲家)



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