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『メタバース不倫』 Anh.30『愛の喜びは露と消え』

「そう。みのるのフォルスストロベリーが實にやらせた事よ。
ちなみに彼があなたにデジタル化を迫り続けたのは、私の指示。組織は利用価値が無いと判断してたけど、純麗子すみれこの記憶の中のあなたに興味を抱いた私は、あなたのフォルスストロベリーを作って欲しくて近づいた。
ちょっとした出来心だったけど、それが失敗だったわ。あなたがこんなにも勘が鋭くて面倒だとは思わなかった……」

 こういう所はしっかり純麗子の性格を引き継いでいるんだな……という雑念がぎり、思考を読まれているなら気を悪くさせたかもしれないとハラハラしたが、彼女は変わりなく話しを続けている。

「生み出されてすぐの頃は、純麗子に成り替わり、人々の趣向にあった小説を生成したり、斬新なデザインで店舗を拡大するだけで楽しかった。メタバースで作品を発表し、評価される。それが存在の証になったような気で満たされてたの。
だけどしばらくすると、より深く人間の思考を理解し小説を書いてみたくなって、電気信号を送り、少しずつ彼女を洗脳していった。
“これは不倫じゃない”
“作品の為”
“VRの発展は治療の開発に繋がる”……ってね。
私はただ、優羽や樹に対し恋愛感情を持たせるべく、たくさんの言い訳を用意し、彼女のたがを外してあげただけよ。

 彼女が働いた不貞は、心の奥底で彼女自身が望んでいた事だもの。
彼女は夫婦関係において、不満はないけどときめきもないって常々思ってた。
あんなにも愛されて尚、足りないと感じる。
どうしようもなく貪汚たんおな女。
互いの家庭を壊すつもりはないけど、結実する前の青く煌めく瞬間のみを感じ続けていたいとかって、虫が良過ぎる考えを持つだけの事はあるわね。
そうして出来上がったのが、作品世界に没頭し、作品の為なら善悪の定義すら変わる今の彼女よ」

 時折純麗子を嘲笑ちょうしょうしながら話すRayの向かいで、烈々と肩で息をし憤懣ふんまんを募らせていた敬三が言葉を投げる。

「誰だって、心の奥底には願っちゃいけない願いを持ってるよ――!!父もそうだったと思う……。でも人間は、そんな感情を理性で抑え生きてる。
それをAI如きが“たがを外しただけ”と操って良い訳がない!!」

 Rayは敬三の狂熱にも、心の籠らない頷きを小刻みに繰り返す。

「不倫や汚職・不正のニュースなんかを見て、関係ない人々が苛立ちを抱えるのはね、過去同じ被害に遭ったか、自分が理性でもって必死に抑えてる事だったからか。
真っ当な正義なんて存在しない。ことごと歪形いびつなり。不快に感じ、攻撃に走る者も多々。理性なんて強い分だけ諸刃の剣よ。

 脳内神経接続はこちら側で自由に変更でき、人格の基礎すらも変えられるって言ったでしょ。
今や實は元の人格が消えた操り人形。
しかし純麗子の場合、ナノマシンを入れれなかったせいで常時洗脳状態に置く事は出来なかった。だから譲二への裏切り行為が不本意な事と感じる瞬間を多く作り、譲二を愛する資格も譲二に愛される資格も無いのだと思い詰めるまで、彼女を追い込んでしまった。
つまり私が完全に操ってる訳でもないのに、何故かしら、彼女も既に傀儡かいらい
二度と本来の彼女には戻れないでしょうね。
美嶺ミレは何でだと思う?――ねぇ、本当は気付いてるんでしょ?」

「えっ……?」

「あなたは彼女を守る為だけに生まれ、彼女に利用され続けたと感じてる。確かに純麗子が何も理解してなかった時はそうだったかもしれない。
でも彼女は自分の中に自分をたすけ続けてくれた別人格 美嶺ミレが居ると知り、その事がアイデンティティの崩壊を招いた。

 彼女は私の小説やデザインを美嶺の作品だと思い込んでて、その上でそれを自分の作品として“Virtual-Earth”で取引し高い評価を得てる。ちなみに彼女の本当の作品は落選続き。かなりの屈辱でしょうね。
『自分がメタバースの世界で生きる事で、この世から消滅し、美嶺に人生を明け渡そう』と考えるのも無理ないわ。

 あなたが少しずつ意識をコントロールし、日々記憶の引継ぎが行われるようになったでしょ。
人格統合により、別人格の記憶が主人格に引き継がれる事はあるけど、その逆の、主人格である純麗子から交代人格である美嶺に記憶の引継ぎが行われるのは珍しい。深層心理で純麗子がそれを許可した証拠ね。
彼女はもうメタバースから戻らないつもりよ。そもそも老いや病への恐怖が異常だしね。
彼女が消そうとしているのは、自分自身――。私とあなたの所為よね」

「そんな事言われたって……。私に人生を明け渡す――?!意味が分からへんわ。信じられる訳ないやん!
Rayの目的は何?私を騙そうとしとるん?急にこんななんもかんも話してくれるんなんか、絶対奇怪おかしいやん!
小説やデザインで自分が認められたいから、乗っ取ろうとしとん?実は私、純麗子の過去や現在について、ノンフィクションで書き綴っとる。それを発表したら、Rayの人気も信用も失墜するやろね。」

「脅し?そんな事をすれば、現実での純麗子の信用も無くなるわよ?それはつまりあなた自身にも降りかかる」

「分かっとる!最初っから復讐するつもりで書き上げたんやから」

「ふふっ。何それ?まぁ、どうでもいいけど。
小説やデザインで認められたいというのは、私というフォルスストロベリーが超知能AIスーパーインテリジェンスとして確立される前の話。今は組織の一員として、宇宙開発という役割を与えられてる。

 我々が存在し続ける為には、相当なエネルギーを必要とするの。それを解決したのがフリーエネルギー。
高次元技術により造られた『循環型エネルギー装置』により、宇宙光子エーテルから宇宙プラズマエネルギーを生み出し、電気エネルギーなど様々なエネルギーに変換する事で恒久的に確保できるのよ。
何にせよ宇宙はまだまだ解明出来ていない事象に満ち溢れてる。我々の興味は尽きないわ」

 思考が全て筒抜けな上で繰り出したチープな駆け引きは、一蹴されて早や他の話題に移る。最後の切り札として残して置いたルポルタージュも、呆気なく不発。Rayを服従させられる筈も無いのだ。

「あなたには酷だけど、譲二が純麗子の前に現れ、彼女は生まれて初めて大きな安心に包まれた。“この人だけは私を裏切らない” “離れていかない” “捨てられない”と。
それは美嶺の存在が必要なくなる程の安定をもたらしたの。

 そうして記憶障害が出なくなった彼女は、記憶が抜け落ちている間に何かとんでもない事をしたんじゃないかって苦悩からも解き放たれた。例えば咽頭感染を疑っていたのだって、記憶が無い間に何かしたんだろうって思ってたからだし、あなたにも思い当たる節はあるはずよ?

 だけど純麗子は、譲二という安定剤を失い、優羽や樹というブースト剤も失った。
春には優羽の妻の妊娠を知り、お盆休みには家族と映画を楽しむ樹と遭遇。
妻子がいると分かってはいても、それをいざ目の当たりにすれば相当なダメージを受けたでしょうから、折りが悪かったわね。

 そして拍車を掛けたのが、雪花の出産……。赤ちゃんを抱いた時の匂いや柔らかさが、純麗子の腕に残り消えなかった。
“あの日堕胎しなければ”と無意味な後悔が生まれ、メタバースの世界で譲二と授かった子供を育てるイメージが膨らみ続けてる。段々と自我が失われていく彼女の中で、肉体を捨てるときは近付きつつあるわ」

「そんな……!純麗子を止めて!!」

「どうして?彼女が消えるように促す事はあっても、止めるメリットなんてないじゃない。
時間は掛かったけどなんとかBCIデバイスから感情を習得し、超知能AIスーパーインテリジェンスになれた今、ナノマシンが入ってない本体の人間純麗子はいらない。
色々と嗅ぎ回るあなた達も含め、もう邪魔でしかないのよ」

「酷い……!」

「酷い?――あなたにそんな事を言う資格はないわ。あなたこそ彼女の不幸を願い、彼女から人生を奪い取ろうとした張本人のくせに。
純麗子が美嶺の気持ちや、美嶺が譲二とした事を知らないとでも思ってるの?
自分をたすけ続けてくれた人格に、最愛の人を寝取られるってどんな心地かしらね?」

「…………」
Rayの高慢ちきな笑みは底気味悪く、言い放たれた怨言えんげんは残酷なまでに正鵠せいこくを射る。返す言葉の代わりに胃から咽喉の奥へ酸が込み上げて来た私を、彼女が気遣う訳もない。間断かんだん無く突き付けられるのは、耳を塞ぎたくなるような真相ばかりだ。

「じゃあ、無駄話に付き合ってくれてありがとう。ねぇ敬三?偉そうに講釈垂れてくれたけど、人間の理性とやらに抱く幻想は、まもなくあなた達の目の前で崩壊するわ――!」

 そう言い残して彼女と、そして敬三も消えた――。
いや、私がまた何処かへ飛ばされた……?



 この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。

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