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進化は必要の中に 1 「幼い一歩」

世界はいずれ来るであろう未来を、2016年のリオパラリンピックにみた。
パラリンピックの女子水泳背泳ぎが、オリンピックのワールドレコードを塗り替えたのだ。
それは否応無しに民衆に対し、新たな時代の幕開けを感じさせた。
パラリンピックがオリンピックの陽の下にあったのは、2020年の東京大会が
最後であった。
東京でのパラリンピックアスリートたちの躍進に、民衆や先端技術を生業にする企業は
人類の進化を期待した。

自国を代表するアスリートたちに様々な投資家や企業、そして世論が注目した。
彼等は今やスターであり、彼女らに施された機械化はテクノロジーの結晶だった。
企業はこぞってパラリンピックに殺到し、自社の力を世界にアピールした。
こうしてパラリンピックは4年に一度開催される、世界のテクノロジー評議会となった。

ー2032年7月ー

2020年のオリンピック会場であった代々木競技場は、今季オリンピックを控える競技者たちで熱気に包まれていた。
それに今年の夏は猛暑だったため、競技場内の気温は50℃を超えていた。
このような気温を叩き出す要因はこれらだけではなかった。
その要因とは、パラリンピック競技者に備えられた、最新のテクノロジーがパフォーマンスを発揮する際に放たれる、熱であった。
彼等の身体には省エネルギーなナノマシンから、高出力な義体まで様々な製品が搭載されていた。
日本重機製の義足を搭載したトムは100mを4.2秒で走り終え、中腰になり太腿をマッサージした。
トムの太腿はフルスクワットで300キロの重量を屈伸出来るのだが、
自己ベスト100/2.8で進む義足の力の前にはあまりに脆弱だった。
トムの両腿は赤く腫れ上がり、筋肉は張り、4.2秒前の1.3倍ほどにパンプアップしていた。
「やっぱダメかぁ」
そう残念そうにトムは呟いた。
二年前にトムのスポンサーであったゼロ・エネルギーが買収され、そのまま流れるように日本一の時価総額を誇る日本重機の所属選手となった。
日本は勿論、世界のあらゆるベースを築いてきた大企業のノウハウや資本と、ニッチな産業が生業の零細企業が手を組んだ結果、凄まじい製品の数々が世に放たれた。
トムが自己ベストを記録したのもこの時であり、二年のブランクを作ったのもこの時であった。

トムはマッサージをしながら、すでに自分の身体がテクノロジーについていく事ができないと悟っていた。
あたりを見渡すと世界各国から国を代表し、企業を代表している選手たちが各々の競技のトレーニングに励んでいた。

(今の俺はメッキだらけ、一ヶ月後には同情と哀れみの目で見られるのだろう。だけど、まぁ、しょうがない。
それも人生の一部だ。)

トムは視線を選手達から、陽光の眩しい上空へと移し、
脚を屈伸させ跳んだ。

そして、飛んだ。

トムは雲を突き抜け天空へと舞い上がる瞬間がなんとも言えず好きだった。
はるか上空からみた下界はもはや自分の住む世界ではなかった。
どんなに暑く蒸しついた気温でも、一度舞い上がればそこは清涼に満ちていた。
天空にはなにもないのだ。

何者も存在しなこの場所で昼寝をするのがトムの日課だった。
トムは背中に取り付けられた反磁場プレートを自身が仰向けになるよう調整し、
網膜にフィルターをかけ、太陽光の眩しさを軽減させた。
今となっては当たり前のことなのだが、トムは時々、違和感を感じていた。

生来存在しなかったはずの器官を、血液中のナノマシンが神経組織から脳へと繋ぎ、
自立神経のルートを作る。
この技術により、自身の慣れ親しんだ四肢のように新たな義体を何の違和感もなく扱うことができる。
呼吸や瞬きのように意識することもなく。

今日の先進国でこの技術の理論を知らないものはいない。
皆が良い時代になったものだと、当たり前のように最新技術の恩恵を享受している。
だがトムはこのあたり前のように呼吸し、手足を動かし、背中に感じる磁場をコントロールする自律神経こそを疑っていた。

つづく

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