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クロノスはどこにもいない

結婚前、実家では父方の祖母と同居していた。祖母は95歳を超えてなお、おしゃべりが好きで、食べることも同じくらい好きだった。70代の半ばから進行した緑内障のために目はほとんど見えていなかったけれど、耳がよいからいつでもわたしを見分けることができた。

祖母は8年ほど前に亡くなった祖父と66年も添い遂げた。まだ四半世紀しか生きていないわたしにとって、もし自分が90歳よりも長く生きるとしたらずいぶん遠い先のことのように思われて、昔話を聞くたびに遠い未来の自分を想像してはくらくらした。

結婚を控えた去年の5月ごろ、知人に誘われて三重県のパラミタミュージアムにヴラマンク展を見に行った。不勉強なわたしは、ヴラマンクがどんな画家なのかもよく知らないままにその誘いに応じた。

はじめて見るヴラマンクの作品は、わたしの好きな作風だった。暗い画面の中に荒々しい筆致で鮮やかな白色が塗りこめられているところに目を奪われる。そこだけとても明るいのに、周りの暗さと調和しているようにも見え、たしかに止まっているはずの絵の中には、つよい風が吹いていた。

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風景画を見るとき、自分が画面と同じ地続きの世界に立っている錯覚に陥ることも少なくない。ヴラマンクの作品を前に、わたしは何度も風景の向こう側へと取り込まれ、100年前の寒村の雪道で立ち尽くした。

それでも、ヴラマンクが生きた世界とは100年もの隔たりがある。現実のわたしは絵の向こうに踏み込んでいるわたしを俯瞰している。だから、どんなに風が吹いても、たしかな気温を感じても、その風景は昔の画家が描いたものにすぎないと、頭の中ではわかっている。作品に感情移入しようとする自分を、あくまでも客観的に見ようとする自分が外側から捉えようとしていた。

しかし、そんな客観的な自分をおびやかす画があらわれた。正確には絵画ではなく、写真だった。その写真には壮年のヴラマンクと、おそらくは彼の妻か恋人であろう女性が自動車の前で笑顔で写っていた。

なんの変哲も無い、モノクロの100年前の写真に二人は仲睦まじく屈託のない表情でおさまっている。それこそ、描かれたものではなくて、ほんとうにあったいつかの日常。モノクロの写真ではあったけれど、今も二人がどこかに生きているんじゃないかと思わせるような現実がそこにあった。

でも、二人はもう生きてはいない。こんなにもわたしたちと近い服装をして、少し形は違うけれど車のようなものを使って生活している彼らは、この写真を撮ってから数十年しか生きてはいないのだ。

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そのとき、ほんとうに生まれてはじめて、生きられる時間はなんて短いんだろうと思った。今までも同じように昔の人の写真を見たことはあったけれど、自分ごととして感じたことなど一度もなかった。若い二人の幸せそうな写真を見て、夫となる人と100年も一緒にいられないことが目の前に突き付けられたかのようだった。

わたしは祖父も祖母も、両親も大切だけれど、いずれは先に亡くなってしまうであろう(みんな寿命を生きられたらの話だけど)ことはどこかで意識していたし、ひとりっ子だから自分と同時期に死ぬ人のことはイメージしたことがなかった。そのときになってはじめて、自分と一緒の時間をこれから生きていく人がいる(できれば同じくらい長く)ということをはっきりと感じたのだ。

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その日のできごとは、死生観の中の言語化できない領域に落ちたわずかな一滴のようなものにすぎない。けれど、それは水に溶けた濃いインクのような一滴だった。

あれから1年が過ぎた。結婚にまつわるいろいろなできごとが風のように通り過ぎていき、新しい生活へとなだれ込み、新しい仕事をはじめた。新鮮なよろこびや、不慣れなできごとに慣れていくたびに身も心も疲れにくくなっていくけれど、きっと色水はどんどん薄くなっていく。

この生活が当たり前になってしまえば、いずれわたしにとっての100年は短いものから、とても長いものへと変化していくかもしれない。それでも、あの写真を見たときのぐるりと価値観が入れ替わるような感覚は、わたしの意識にたしかな痕を残している。人間が定めた100年という時間は変わらないはずなのに、感覚の中にある時間はいとも簡単にその長さを変えてしまう。

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