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チューリップが開いている時間を大切に ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 人生には、何度か驚くほど物事がうまく回る時が有ります。パチンコのチューリップに例えて「チューリップが開いている間」と比喩されることがあります。
 しかし、その時間は往々にして短いものです。ですから人生の先輩たちの、その時間を楽しみ尽くす姿を何度も見てきました。

 例えば日本のバブル期(1986/12-1991/2)の大人の行動。故意にバブルに悪乗りして醜いぐらいはしゃぎ回って居ました。繁華街には、夜な夜な遊び回る大人の群れと、それに便乗してそのバブルの恩恵を掴み取るトラップがひしめき合って居ました。

 因みに、私の所属していた基幹産業·製造業の社内では、バブルのかなり初期から幹部がこれはバブルで実態経済と乖離していると警鐘を鳴らし冷ややかに見て居ました。むしろバブル後を見据えて次の事業の柱を仕込む作業をしていました。

 もう少し地に足の着いた「チューリップが開いている間」の例として、「生きる」という映画の中にある「ゴンドラの唄」の歌詞が有ります。

「いのち短し 恋せよ乙女…」

生きている間全てをその時間として楽しみなさいという主旨です。

 詳細は以下に良くまとまっていますので譲ります。

 このように「チューリップが開いている間」を割り切って楽しみ尽くすのも、頭から否定できないと思える歳になってきたと感じています。

蛇足
 「チューリップが開いている間」をキーワードに「生きる」という映画の中の胃癌と知って余命短い中で自分を変えて何かしようとした役所の職員の心の動きと、プーチン大統領のウクライナ軍事侵攻への心の動きに、人間の根源的な性という共通点が見えてしまいます。
 前者は建設的ですが、後者は独善的で残念、いや目的達成に向けて時間がない為か惨忍な方向への心の動きですが。


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