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私はお葬式で泣けない 想定内の出来事~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 私はお葬式で泣けません。
なぜなら、日々、「死」、その対極にある「生」を意識して生きているからです。毎朝、

「私もあの人もまだ生きている。今日も一日大切に生きよう。だって今この瞬間死ぬかもしれないから。」
と。

 以下、私の理解をまとめてみました。
(理解し難い記述があるかもしれません。ご注意下さい。)

【毎日私たちは死んでいる】
うたた寝
昼寝
就寝
寝る瞬間が死。そのまま起きなければ、それが死ぬってこと。なので死は日常生活の中に身近にあります。

【毎日私たちはプチ死と同等のお別れをしている】
トイレ行ってくるね。
自分の部屋に行ってくるね。
おやすみなさい。

買い物に行ってくるね。
学校行ってくるね。
仕事行ってくるね。

そこから始まって、だんだん再会迄の時間が長く。
転校
卒業
退会
転居
転勤
別離
退職
など

そして長期間会わない、或いは二度と会わない人だらけ。
だからって泣かない。悲しくもない。
会わない、連絡しないことと死んでしまうことと同じだと思っています。
二度と会わないということが、死と同等かと。

【だからお葬式で泣けない】
だって毎日覚悟してきたことが起こっただけだから。
だからこそ毎日を大切に生きてきたのだから。

 想定内の出来事にすぎない。


 

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