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花火とアイスと幸せのメガネ②

塞ぎ込み始めたタイミングで、夫が久しぶりの連休になりました。ワンオペなら何とか自分で気持ちを立て直すところを、夫に甘え、沈んだ気持ちを隠すこともできませんでした。夫は気を利かせてくれて、娘たちを連れ出してくれました。

ほぼ一日中寝込んで、夕方。
大好きなカフェが、久しぶりに夜時間に営業することを知りました。娘ニ人とも変な時間にお昼寝をし、夜寝るのが遅くなることがわかっていたし、私に気分転換が必要と思ったのでしょう。夫と相談し、家族で夕飯後にそのカフェまで出かけることにしました。

玄関ドアを開けた瞬間、日中とはくらべものにならないくらい、爽やかな夜風がワンピースを揺らします。
夏の夜のしっとりした空気を感じながら、家族全員でニ台の電動自転車に乗り込み、いざ漕ぎ出したところで、「どーん」と鈍くて低い音がしました。急いで音の出所を確認すると、花火がチラリと見えました。

「今日何日だっけ?」「あぁ、〇〇の花火大会の日だね」と夫と確認。我が家からニ駅先の大きな公園で開催される花火大会の日でした。

ニ歳と五歳の姉妹はもちろん、大人も、コロナ禍で花火を見るのは久しぶりで、新鮮な気持ちで眺めます。居合わせたご近所の方とも、打ち上げの合間に緩やかにおしゃべり。ヒューという音がすると、誰ともなく「ほら、あがるよ」なんて教え合って、大人も子どもと一斉に同じ空を見上げ、「わぁ」と歓声をあげる。
そんな三十分ほどを過ごし、一通り見て満足したのか、娘が「もうアイスを食べに行こう」と言うので、高揚した気持ちのままでカフェに向かいました。

十年来通う、私のパワースポット的なカフェ。
私は期間限定の桃のデザート、長女はいちごアイス、次女はミルクアイス。夫は甘い飲み物を注文。静かにしてもらうために、娘たちに遠慮なくスマホを触らせます。
家族でお互いのアイスを味見したり、娘がやるアプリを手伝ったり、他愛のないことを話しました。
途中、ノースリーブのワンピース姿の長女が寒がったので、夫が重ね着していたシャツを着せてあげました。大人の紺色の半袖シャツを着た長女は、お祭りのハッピを着ているようでした。

そんな和やかな夜の帰り道。
私は自分の胸を塞いでいたもやもやが、すっかり溶けていることに気づきました。

あぁ、こんなことでいいんだ。
みんなで偶然、一緒の花火を見る。
カフェに少し付き合ってもらう。
アイスを一口ずつ交換する。
上着を着せてあげる。

夜寝る時間が遅くなったって、便利なスマホに頼ったって、みんな違うメニューを食べたって。娘たちも大人も、リラックスした時間を共有する。

この夜、手に取れるくらいはっきりとあった幸せな時間が、自分の育児をまるごと抱きしめ、大丈夫だよと言ってくれた気がしました。

我が家の娘たちは大体いつもニコニコしていて、パパとママが好きそう。安心して、わがままを言ったり、泣いたり怒ったりしています。
私たち夫婦も、育児は大変だけど、この胸に娘たちを愛おしく思う気持ちが、確かにある。

親として、何ができているとか、できていないとか。
娘の自尊感情が低いかもしれないとか。
親が共有体験をさせてないんじゃないかとか。

そういう問題は何一つ解決していないけれど。 

問題を通して物事を見るのではなく。
解決すべき問題対象として娘たちを捉え、勝手に罪悪感で辛くなるのではなく。

どうせなら、目の前にある家族の幸せ、娘たちのかわいさこそを、見て、感じて、味わう。
そんな「幸せのメガネ」のフィルターを通して、娘たちのことを見てあげたい。

それに。
糊の染みた和紙が重なるように、共有体験が「基本的自尊感情」を育むとしたら、重ねることを焦る必要はないかもしれません。
だって、既に重なったものが、崩れることはないのだから。

アイスを一口交換するなんていう、私たち家族らしいやり方を探せばいいのです。

同じ「基本的自尊感情」を育むことを目指すにしても、
罪悪感の重荷は手放した方が、
軽やかに、楽しく、そして遠くまで、その道を歩めるはずです。
もちろん、道中は「幸せのメガネ」をかけて。

娘たちは幼く、家族の夏休みはまだまだ続きます。


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