特別性と罪悪感の関係(5/5) 〜「自我の救済計画」と「神の救済計画」〜
特別性と罪悪感の関係(1/5)〜特別であることの魅力とその危険性〜
特別性と罪悪感の関係(2/5)〜攻撃と防衛のサイクル〜
特別性と罪悪感の関係(3/5) 〜「特別な憎悪」と「特別な愛」〜
特別性と罪悪感の関係(4/5) 〜「特別な関係」から「神聖な関係」へ〜
「自我の救済計画」と「神の救済計画」
神からの特別な愛を望むという密かな願望から生まれた特別な関係の中で、自我(エゴ)の憎悪が勝利をおさめます。
なぜなら、特別な関係とは神の愛の拒絶であって、神からは拒まれた特別性を、自己のために自ら確保しようとする試みだからです。
自我の存続にとって不可欠なのが、この特別性が地獄ではなく天国であると、あなたが信じることにあります。
というのも、自我はあなたに分離とは天国が存在し得ない唯一の状態なのだから損失でしかあり得ないということを、絶対に悟られたくないからです。
特別な関係とは、地獄と天国をつなぎ合わせて両方を区別できなくするための、自我による奇妙で不自然な仕組みです。
そして、両方の世界からそれぞれの「一番よいところ」と思われるものを見つけ出そうとする試みは、単に両方の世界についての空想に至っただけであり、どちらの世界もありのままに知覚できなくさせただけです。
特別な関係とは、この混乱が勝利をおさめたものなのです。
それは融合を除外している融合であり、融合の試みの基準が除外に基づいています。
という自我の金言の実例として、これ以上に良いものはありません。
自我が探し求める「より良い」自己とは、常に、より特別な自己です。
そして、特別な自己を所有しているかに見える者が「愛される」のは、彼から取り上げることができるものがあるからです。
双方がこの特別な自己を互いの中に見るとき、自我は「天国で作られたかのように理想的な融合」を見ます。
なぜなら、どちらも自分が地獄を求めたということを認識しないので、天国についての自我の幻想を妨げないからです。
そしてその幻想は、自我が天国を妨害するために彼に差し出したものなのです。
ですが、すべての幻想が恐れからくるもので、それ以外のどこからくることもないというのなら、天国の幻想とは恐れの「魅力的な形」に他ならず、その中に罪悪が深く埋め込まれ「愛」のような形で現れているに過ぎません。
地獄の魅力は、罪悪の恐ろしい魅力の中だけにあります。
自我はそれを、卑小さに信を置く者たちに向かって差し出します。
どの特別な関係の中にも、卑小さが真実だという確信があります。
なぜなら、剥奪感を抱いている者だけが特別性に価値を見出せるからです。
特別性を求める要求と、特別性を与えることを愛の行為と見なす知覚が、愛を憎悪に満ちたものにするのです。
自我の目標に厳密に即している特別な関係の真の目的は、実相(神/真理)を破壊して幻想(偽りの神/真理らしきもの)で代用することです。
なぜなら、自我はそれ自体が幻想なので、その実在性の証しとなり得るものもまた幻想だけだからです。
あなたが自分で攻撃したと思っている対象に、無限の力を授けることなど、どうしてできるでしょうか。
あなたには真理があまりに恐ろしいものとなってしまったので、それが弱く卑小で、無価値なものでない限り、それに目を向けるだけの勇気がありません。
あなたは、真理を打ち負かして非力なものにすることにより真理からもぎ取った力を、自分で作り出した卑小な自己に附与するほうが安全だと考えています。
この不毛な儀式が、特別な関係の中でいかに厳密に演じられているかを観察してみることです。
二人の分離した者たちの間に祭壇が建てられ、その祭壇の上でそれぞれが自分の自己を殺そうとしており、あなたは相手の死から彼の力を手に入れるために、死んだ自分の肉体の上に彼の自己を蘇らせようとしています。
この儀式は何度でも繰り返して演じられています。
それはこれまで一度も完了したことがなく、これからも完了することはありません。
この完成の儀式が完了することは決してあり得ません。
なぜなら、生命は死から生じることはなく、また天国が地獄から生じることもないからです。
特別な関係とは、神の前にあなたが作り出した他の偶像の神々を祭り上げて崇めることによって、その神々の矮小さと神の偉大さを覆い隠そうとする無意味な試みであり、そのような関係の中にそれ以上のものを見てはなりません。
あなたの完成に誓って、これはあなたが望むようなものではないのです。
なぜなら、神の前に置くためにあなたが祭り上げる偶像のどれもが、本来のあなたになり代わって、あなた自身の前に立つからです。
特別な関係を探し求めるということは、あなたが自分自身を、神でなく自我と同一視しているしるしです。
なぜなら、特別な関係は自我にとってのみ価値があるからです。
自我にとっては、特別な価値がない限り、関係というものには何の意味もありません。
自我はすべての愛を特別なものと知覚するからです。
ですが、これが自然なことであるはずがありません。
それは神と神の子との関係とは異なるものであり、それと異なる関係はすべて不自然なものだからです。
神は愛をご自身が望む通りに創造し、それをそのまま与えました。
愛には、創造主がご自身の意志によって定義した通りの意味があるだけです。
愛にそれ以外の定義をしておいて、愛を理解することは絶対にできません。
特別な関係は肉体がなければまったく無意味なものです。
あなたがそれに価値を置くなら、肉体にも必ず価値を置いているはずです。
そして自分にとって価値あるものを、あなたは保持しようとします。
特別な関係は、あなたの自己を肉体へと限定し、他者についてのあなたの知覚を彼らの肉体へと限定するための仕組みなのです。
あなたが肉体であることの自我による誘惑については過去記事
自我による誘惑 肉体編(1/2)
自我による誘惑 肉体編(2/2)
をご覧ください。
聖霊は、次のような小さな助けだけをあなたに求めています。
すなわち、あなたを今も惹きつけている特別な関係へとあなたの想いが迷い込むときは、聖霊と共に聖なる瞬間に入り、その中で聖霊があなたを解放するに任せる、ということです。
聖霊の視座をあなたに完全に与えるために聖霊が必要としているのは、ただ聖霊の視座を共有しようとするあなたの意欲だけです。
そして聖霊の意欲は完璧なのだから、あなたの意欲は完璧でなくてもかまわないのです。
聖霊の完璧な信によってあなたの意欲の無さを贖うことが聖霊の任務であり、そこであなたが聖霊と共有するのは聖霊の信なのです。
解放されたくないという自分の正直な気持ちをあなた自身が認識することで、聖霊の完璧な意欲があなたに与えられます。
聖霊に頼ってください。
なぜなら、天国は聖霊の呼びかけにいつでも応じるからです。
そして、聖霊からあなたのために天国に呼びかけてもらってください。
特別な関係は過去に対して復讐しようとします。
それは、過去の苦しみを取り除くことを求めるあまり過去に没頭し、全面的に過去に傾倒することにより現在を見落としてしまいます。
特別な関係が現在の中で経験されることはありません。
過去からの影がその関係をすっぽり包み込み、それをそのようなものにしています。
それは現在においては何も意味していません。
そして今、何の意味もないのであれば、それにはまったく何の意味もあり得ないことになります。
空想の中でしか、過去は変えようがありません。
そしてあなたが過去が自分から奪ったと考えているものを、誰があなたに与えることができるでしょうか。
過去は本当に無です。
剥奪感の故に過去を咎めようとしてはいけません。
なぜなら、過去は過ぎ去っているからです。
ここで、この良い例として女性を背中におんぶして川を渡った禅僧の逸話を紹介します。
曹洞宗の学僧として知られた明治の禅僧に、原坦山という人物がいます。
その坦山がまだ若かった頃、修行仲間と二人で各地を行脚していた頃の話です。
ある時、二人は橋のない小川にやってきた。
普段であればじゃぶじゃぶと歩いて渡れそうな川幅の小川であるが、あいにく雨が降った後で水かさが増している。
渡れないことはないが、躊躇なしには渡りがたい水量である。
さて、どうしたものか。
辺りを見渡すと、少し離れたところに小川の流れを困った顔で見つめている若い女性が立っていた。
見るとなしに女性を気にしていると、やがてその女性は着物の裾をたくし上げはじめた。
どうやら小川を歩いて渡る決心をしたらしい。
真っ白な美しい脛をあらわにして、小川に足をふみいれる。
すると、それを見た坦山が女性の傍に駆け寄った。
「ちょっと待ちなさい。私が背中におぶってあげますから」
そういって坦山は女性をおんぶした。
「しっかりと掴まっていてくださいよ」
女性を背負った坦山は小川へと足を踏み入れ、女性を向こう岸まで渡してあげることに無事成功します。
そして岸に上がると、礼を言う女性を残してさっさと先へ行ってしまいました。
心中穏やかでないのは、これを見ていたもう一人の修行仲間です。
「修行中の禅僧たる者が女性を背負うとは何事か」
との思いが頭から離れず、坦山の行為に対する怒りの念がいつまでもくすぶっていました。
それは二人でまた歩き出してからしばらく経っても消えず、悶々とした心が続きました。
そしてやがて心の中に留めておくことが我慢ならなくなってしまい、坦山に向かって咎めるように口を開きます。
「さっきのは何だ!お前は修行中の身だろう。若い女性をおんぶするとは何事だ!」
すると坦山は驚いた顔を見せて、すぐに笑い出しました。
「俺はあの女をとっくに下ろしているのに、お前はまだ背負っているのか。あっはっは」
女性に特別な関係を投影することで執着し、いつまでも過去にしがみ付いていたのははたしてどちらでしょうか。
すでに過ぎ去っているものを去らせずにおくということは、実際にはできません。
ということは、あなたはこの咎めた修行僧のように自分が成就させたい何らかの目的に役立つと思うからこそ、過去は過ぎ去っていないという幻想を維持しているに違いないのです。
そしてまた、この目的は現在においては成就不可能で、過去においてのみ成就可能なものということにもなります。
過去は過ぎ去っています。
あなたを過去に縛りつける特別な関係の中に、過去を温存しようとしてはなりません。
自我による特別な関係は、救済は過去にあるのでそれを見つけるためには過去へ戻らなければならないとあなたに教えます。
空想の中で、過去への報復の夢を含んでいないものはありません。
あなたはその夢を実演し続けたいのでしょうか。
それとも、ただ手放したいのでしょうか。
特別な関係においては、あなたが求めているのは復讐を演じることではないように一見すると思えます。
そして、憎悪や残忍さがほんのつかの間割り込んでくるときでさえ、愛の幻想が大きく揺らぐことはありません。
自我は、特別な関係があなた自身に対する復讐の実演だということだけは、絶対にあなたに自覚させまいとします。
ですが、特別な関係とはそれ以外の何であり得るというのでしょうか。
特別な関係を求めるとき、あなたは自分自身の中に栄光や愛を探そうとはしていません。
それがそこにあることをあなたは否定してきたのであり、特別な関係があなたにとってその代替と成り下がります。
そうして、あなたにとっては復讐が贖罪の代替となり、復讐からの脱出が損失となってしまうのです。
この世界においては、創造するということは不可能です。
ですが、幸せにすることなら可能です。
すでに繰り返し述べてきた通り、聖霊はあなたから特別な関係を奪うことはせず、それらを変容させようとします。
そしてそれが意味するところはただ、聖霊はそうした関係に、神から与えられている機能を取り戻させるということに過ぎません。
あなたがそれらに与えた機能は、明らかに幸せにすることではありませんでした。
しかし、神聖な関係は神の目的を共有しており、その代替を作り出すことは目指していません。
あなたがこれまでに作り出した特別な関係はどれも、神の意志の代替であり、神の意志とあなたの意志が異なっているという幻想の故に、神の意志の代わりにあなたの意志の栄光を讃えているのです。
神は恐れであると信じているあなたは、ただ一つの代替を作り出しただけなのです。
それは数多くの形態をとるに至りましたが、そのわけは、それが真理を幻想に、全一性を断片化に入れ替えるという代用だったからです。
それは分裂し、細分化し、さらなる分割を幾度となく繰り返してきたため、かつて単一であったし今も単一であると知覚することは、今ではほとんど不可能となっています。
真理を幻想へ、無限を時間へ、生命を死へと運んでしまったその一つの誤りだけが、あなたが犯した誤りのすべてでした。
そして、あなたの世界全体が今現在、その上に成り立っています。
あなたが見ているすべてがそれを反映しており、あなたがこれまでに作り出してきた特別な関係のどれもがその一部なのです。
あなたは決して特別ではありません。
また、これまで一度たりとも特別であったことはありません。
そしてこれから先、あなたが特別な存在になることもありません。
もしそうであると考え、そしてそうありたいと望み、自分の真の本性についての真理に対抗して自分の特別性を守り続け、維持しようとするなら、どうしてあなたに真理を知ることができるというのでしょうか。
特別さとは、何かが誰かよりも秀でている代わりに、その分何かが欠落しているということです。
それならば、その欠落した矮小なものに完全で無限なる真理がおさまるはずがありません。
あなたが耳を傾ける相手も、尋ねたり答えたりする主体も、どちらもあなたの特別性であるというときに、聖霊が与えるどのような答えがあなたに届き得るというのでしょうか。
あなたが耳を傾けているのは、自我による特別性からの微小な答えだけであり、それは、あなたの「真の自己」であるキリストを慈しみ深く讃えて神からあなたへと淀みなく流れるメロディーの中では、かき消されてしまうような儚きものでしかありません。
そしてあなたの本性への敬意と愛を込めて歌われているあの広大無辺な歌は、特別性の力強さの前では音もなく、聞きとれないものに思えます。
あなたは特別性の音なき声の方を聞こうとして耳をそばだてていますが、神を代弁する声である聖霊からの呼びかけの方はあなたの前で音を失っています。
自分の救済者を自分の特別性に縛りつけ、特別性に救済者の地位を与えてしまったあなたは、次のことを覚えておくべきです。
あなたのために兄弟(そしてイエス)に与えられている救済の機能と兄弟との間に、あなたは罪を挿入したと思っていますが、その罪のすべてについてあなたを赦す力を兄弟は未だかつて失ったことはありません。
また、兄弟とあなた自身の中にある真理をあなたが変えられないのと同様に、あなたは兄弟の機能を変えることもできません。
真理は両者の中でまったく同じであることを、ただ確信することです。
それは異なったメッセージを与えることはなく、一つの意味だけを持っています。
そしてその意味は、あなたと兄弟の両方が理解できるものであり、あなた方両方に解放をもたらすものです。
天国への鍵を手にした兄弟がここに立ち、あなたに向ってその手を差し出しています。
特別性という夢を、あなた方の間にとどまらせてはいけません。
一つであるものは、真理において繋がっているのです。
特別性の望みは、神が我が子をご自身から離しておく牢獄として肉体を作り出すといったことが、あり得たかに見せかけます。
なぜなら特別性は、神が入ることのできない特別な場所と、あなたの微小な自己しか歓迎されることのない隠れ家を要求するからです。
ここには、あなた以外の者にとって神聖なものは何もありません。
しかもそれは、兄弟全員から隔たり分離している孤独なあなたであり、正気による幻想への侵入のすべてから安全であり、神からも安全で永遠に続く葛藤を確保されたあなたです。
ここにあるのは、狂気と孤独の中で神から離れ、真理からも救済からも遠い、あなたの特別な王国を支配するために、あなたが自分自身を閉じ込めて閉ざした地獄の門なのです。
あなたが投げ捨てた鍵を、神はあなたの兄弟に与えました。
そしてあなたが自分で作り出した救済計画の代わりに、神による救済計画を受け入れる準備ができたとき、兄弟の聖なる手がそれをあなたに差し出すようになります。
自分の惨めさのすべてをありのままに観て、自分の計画が失敗したことを自覚し、これからも永遠にそれがいかなる平安も喜びももたらせないと自覚することを通してでなければ、どうしてあなたにその準備が整うというのでしょうか。
このことについては過去記事
をご覧ください。
今あなたは、この絶望の中を通り抜ける旅をしていますが、それは絶望という幻想に過ぎません。
特別性の死はあなたの死ではなく、永遠の命へとあなたが目醒める(復活する)ことを意味します。
あなたはただ、自分の本性についての幻想の中から抜け出て、神が創造したままの自分自身を受け入れるだけなのです。
兄弟の自由の中にあなたの自由を観てください。
なぜなら、自由とはそうしたものだからです。
兄弟の特別性に、兄弟の中にある真理を覆い隠させてはなりません。
なぜなら、あなたが兄弟を一つでも死の法則(分離の想念)に縛りつけるなら、あなたもその法則を免れられないからです。
そしてあなたが兄弟の中に一つでも罪(間違いや正しさ、欠点や美点、短所や長所、嫌悪や愛好といった見かけ上の違い)を見れば、それはあなた方両方を地獄に繋ぎ止めます。
ですが、兄弟の完璧な無罪性はあなた方両方を解放するでしょう。
この世界の特別な関係は、破壊的で利己的、そして幼稚なほど自己中心的なものです。
しかし聖霊にこれらがゆだねられたとき、そうした関係は地上で最も神聖なものとなり、天国へ戻る道を指し示す奇跡となります。
この世界は、特別な関係を除外という究極の武器として、また分離を実証するものとして用います。
聖霊はそれらを、赦しの完璧なレッスン、夢から目醒めるための完璧なレッスンへと変容させるのです。
そして、その一つひとつが、知覚が癒され、誤りが訂正されるための機会となり、そのどれもが、兄弟を赦すことにより自分自身を赦すための新たな機会となるのです。
さらには、その一つひとつが聖霊やイエスを、そしてまた神を新たに招聘することになることを忘れてはなりません。
あなたにとって新たな一年の始まりをきっかけに、「特別な関係」によって他者との違いを見て裁く(罪悪感を強化し合う)という実在しない「自我の救済計画」から、「神聖な関係」というすべての兄弟姉妹を同じとして観る赦しによって、唯一実在し、神から与えられた一体性(永遠なる不変の生命)だけをあなたが受け入れることができるよう祈って、この「特別性と罪悪感の関係」についての解説を終わりにしたいと思います。
罪悪感を取り消す「赦し」だけが、全ての兄弟姉妹を同じとして観ることを可能にします。
聖霊の心眼によって兄弟姉妹との聖なる関係を築く方法は過去記事
をご覧ください。
あなたはもう一人ではありません。
なぜならあなたは神に創造されたままの完璧な存在として
今でも愛されているからです。
神の子にはどんな苦しみもあり得ません。
そして、あなたはまさしくその神の子であり、
それがあなたの「真の自己」なのです。
〜あなたの最奥の自己から愛を込めて〜
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