両親亡きあと、自分を探すー1年後

 「両親亡き後自分を探す」と銘打ってブログを書いておきながら放置して一年が経過してしまいました。私は仕事を始めてカウンセリングに行くことが難しくなり、ブログは書かずとも「自分と向き合うってなんだろ」と思いながら毎日を過ごしていました。

とりあえず、いいと思うことをやってみる。

 まず、仕事を始めることで、「問題から目をそらす」ことになるんじゃないかなと不安になったのですが、タモリが「40分も歩けば嫌なことは忘れる」と言っていたので、最初にやってみたのは徒歩です。往復40分の徒歩はプラスになるかもしれないと思いました。ボディブローのようにじわじわ効いてくれたんじゃないかと思います。仕事がパートにもかかわらず責任の重い仕事で浮き沈みの激しい生活を送りました。しかし鬱になったりすることはありませんでした。

 もう一つは運動。地域のスポーツチームに入りました。月に二回ほどの練習に参加して、びっしょりになるほど汗をかくこと。もともと中学の時にやっていたスポーツなのですが、先輩いじめが激しく、私にはコンプレックスの塊で、とにかく人生のもとをとるためにこれをクリアしたいという気持ち。生まれて初めて試合に勝ってこれは元が取れそうと思っていたら今は新たな壁にぶつかっていて、また中学時代の私と向き合うことになっています。

共依存体質と生きていく。

亡くなった母はとても世話好きで友人が多く、お年寄りから外国人までかなり世話を焼いていたと思います。姉に対しては過干渉で私は自由だったけど、それでも、私はそういう母をすごく尊敬していたし、その世界で生きてきました。共依存は母親から娘に伝わることが多いって何かに書いてあったけど、自分が共依存されていたからなるんじゃなくて、やっぱり受け継がれたものなんじゃないかなと思います。

ここ数年、ネットで人から相談を持ち掛けられることが多くて昼夜問わず相談に乗ったり同じアドバイスを繰り返して、最終的に重さに耐えきれなくなって、意見して絶縁するということが2回ほどありました。たぶんこれは私の人生で二回どころじゃなく、複数回起きていたことなんじゃないだろうかと今振り返ってみると、小学校も中学校も高校もそんなことから問題が起きたケースが散見されます。

相手をむやみに肯定し続けて本人の問題に対する意識を麻痺させて自分に依存させて、自分は完全に共依存していたんだろうと。しかし結婚したり子供が生まれたことで、誰かの世話を焼くことが時間的にも精神的にも自分一人の問題ではなくなってしまい、今回頻発したんだろうと思います。

そんな話を長いこと闘病している友人に話してみました。

「結局、人生において幸せにしてあげられる人がいるとすれば自分しかいないんだろうなって思うよ。自分の言葉で同行いるなんて思わないし…あなたのおかげで勇気づけられたって言われるのは、悪い気はしないけどそれって結局あなたの力なのよって思うわ」

目からうろこでした。

正直ブロックされたりして心底腹が立ったけど、でもネットで応戦するのもばかばかしいので短歌アプリを入れて、短歌にして愚痴ってみたらいつか私の愚痴が誰かの恋の歌に思われるかもしれないと思ってw そうこうしているうちに怒りは消えて、私は私だけを幸せにしようと思えるようになりました。共依存しちゃうタイプだし、認知がたぶんゆがんでいるし、それでも私は私と調整しながら幸せになっていこうって思えたんです。なので、嫌われて良かった。なんだかとても自由になれた。私は私を守っていい。

そう思ったら、今度は身ぎれいにしようって思えるようになりました。洋服が好きだったなって、メイクが好きだったなって。マズローの欲求の段階を踏んだみたいに、好きだったものを思い出すようになって、音楽を聴いたり、服を買ったり。もらった服があるからいいやって思って趣味の合わない服でも、母の遺品を捨てられないから執着して着るのはやめよう。昔のように細い私じゃないけれど、もう細い自分に価値を見出さなくてもいい。スポーツしている自分の写ったビデオを見ながら「私は思うほど太っていないし、思うほど無様な動きはしていないんだ」って思えたので。(これが認知のゆがみなのですね)

私は「カウンセラーに機能不全家族で育った人はあなたのようではないのよって言われた」、「母にあなたは健全でいいねって言われた」、「姉のようにうつ病にならなかったし、父のようにアルコールにも依存しなかった」と、ACや依存、共依存、精神疾患にどこか差別意識を持ちながら自分の成育歴を顧みてきたけれど、ACや依存症や精神疾患というのは今健康に過ごしている自分と地続きなのだと思えるようになったら気持ちがすっと楽になったのです。それも含めておかしなことは修正しながら、立ち止まりながら寄り道しながら、付き合っていけばいいのかなって。

まだ母の七回忌でもう七回忌で、まだまだ母に対して父に対していろんな疑問が沸き起こるけれど、時間が私をここまで運んできてくれました。これからもこのまま向き合って付き合って生きていこうと今は思っています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?