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「言葉を置くことに関して」最近私が思うこと。

「言葉を直接相手に投げずに、その場に置くことを意識する」という感じの話題で、学校の先生とも何度か話をして、「言い方って難しいですよね。」と話が盛り上がった記憶があります。

例えば、「頑張ろうね」「大丈夫だよ」という言葉ですが、一定の信頼関係が相手とある場面では、この言葉をそのまま相手に投げかけても、あまりネガティブに受け取られないと思います。
例えば、箱根駅伝で「頑張れ! もっと死ぬ気で走れ!」と監督が選手に激を入れても、一定の信頼関係があって、目標が共有されていて、選手の自尊心が高いと、ポジティブに受け取って頑張るのだと思います。

一方で、一定の安心感や信頼関係のない状況で、相手が信頼できない、攻撃してくるかもしれない、自分を否定してくるかもしれない状況では、いくら優しく、心を込めて言ったところで、「頑張ろうね」は、「自分は辛い中で、ずっと頑張ってきているのにさらに頑張れというのか!自分を全否定された!」と感じる可能性があったり、「大丈夫だよ」は、「自分のことを何もわかっていないくせに、勝手に決めつけて何様だ!許せない!」と解釈されてしまう可能性があると思います。

ということで、直接、相手の気持ちに言葉を投げ込まないように、相手の気持ちの外に言葉を置いて、相手が受け入れるかどうかを選べるような言い方で、「頑張ろうね」「大丈夫だよ」を言おうとすると、

「頑張ろうねという言葉を私は言いたくなりました。」
「大丈夫だよと声を掛けたい気持ちに私はなりました。」

など、あくまで私がそうしたいと思っただけですというメッセージを言葉に持たせて、相手の気持ちのテリトリーに侵入する前に、ストンと言葉をその場に落とす感じになるのでしょうか。

庭に例えると、自分がとてもお気に入りの「花の苗」を、相手の庭の中に勝手に入って植えてしまうのではなく、庭の外で「これどうですか」と置いてみる感じでしょうか。

といっても、実際には相手の心のテリトリーの境界はよくわかりませんので、テリトリーにいつの間にか侵入して、知らないうちに琴線に触れている可能性があるかもしれません。

あと私が考えられるのは、「リフレクティング」という枠組みを用いることです。思ったことを直接相手に言わず、そばにいる別の人に話して、その会話の様子を眺めてもらって、後で感想を聞いてみるという形式です。これを使うと、少なくとも、直接相手に言うよりは、その言葉を眺める余裕を相手に生むことができるのかなと思います。

その場その場で、相手に合わせて言い方を切り替えるは難しいので、私は、どんな相手でも、iメッセージやリフレクティングを極力使いながら、コミュニケーションしたいと思う今日この頃です。

言葉遣いは、今までの習慣で無意識的に出てしまうので変えていくのは難しいと思います。トレーニングするには、場に安心感や信頼感を生む言葉遣いをする人と、場を共有して、それを気長に体感していくのがいいのでしょうか。

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