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泣き場所は、冷蔵庫の前


少し恥ずかしい話をする。


社会人になるまでは、やせの大食いだった。やせ、と言ってもいわゆるモデル体型ではなく、どれだけ食べてもそんなには太らないタイプだった。

25歳を過ぎたあたりから、何となく代謝の変化などを感じるようになった。つまりは、いくら食べても太らない「ボーナスタイム」の終了のお知らせだった。

とは言いつつも、お腹いっぱいに食べてもそこまで体重に反映される訳ではなかったので、相変わらずダイエットとは無縁で食べるのが大好きなことに変わりはなかった。


20代後半。ちょうど、実家を離れて一人暮らしを始めた頃、おかしな食生活を送ってしまった。

夜ご飯をしっかり食べたのに、何か食べたい。お腹はいっぱいなハズなのに、何か足りない、足りない、、足りない。

その足りなさはどこまでも続く穴ぐらのようで、どれだけ食べ物で満たしても埋めても、まったく塞がる様子がなかった。「風穴か?」と思うほどに、食べ物に卑しく手を伸ばしては口から吸い込んだ。


「過食嘔吐」という病気がある。

調べると、過食に伴う罪悪感や気分の悪さから、嘔吐につながる症状のことを言うそうだ。しかも、口に手を入れるなどをしてわざと吐くのだと言う。

幸か不幸か、私に嘔吐するという選択肢はなく、意思もなかった。

病気じゃない。じゃあ、なんで私はこんなに食べてしまうんだろう。そんなに食べたくもない食べ物を詰め込んだ身体は、決まって重かった。けれども、不思議な安心感に包まれるのだった。


「もうやめたいな、こんな生活」

深夜に泣きながら冷蔵庫の前で食べ物を貪ったことも、何度かあった。

「どうしてやめられないんだろう」
「なにが足りてないんだろう」
「どうして満たされないのだろう」

そんな問いかけが頭の中をぐるぐると回り、私の身体は完全に脳と乖離していた。

病院に行った方がいい。
そう思ったことは何度もあったが、医者に恥ずかしい話をしないといけないのが惨めで怖かった。狂ったようにものを食べている自分を知っているのは自分だけでありたかった。



月日は流れ、仕事を辞めて実家に戻ることになった。

母の料理は、これまで生きてきた自分のベースを思い出させてくれた。
特に栄養にこだわった料理でなくても、手作りの温かみのある食べ物は、不思議と、本当に嘘みたいに胃と心を満たしてくれた。

今でも、ホルモンのバランスのせいか思いっきり炭水化物や甘いものを貪りたくなることもごくたまにあるが、以前と比べるとほとんど無くなった。



いまだに、何が足りていなかったのかは分からない。けれど圧倒的に「孤独感」が無くなったことが、大いに心身に良い影響を与えたのではないかと思う。

もうあの日々には戻りたくないけれど、心と身体は私たちが思うよりずっと、深く密接につながっているものなのだと気がつけたのは良かったかな。

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